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やがてくる“対イラク侵略戦争”の「戦後」を、アメリカの勝手にさせないために
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/531.html
投稿者 私も「日本の終戦の日」が8・15だと思いこんでいますた 日時 2003 年 4 月 06 日 21:56:19:


たまたまウェブサーフィンをしていて下記の文章を見つけた。

戦争の終え方をめぐるアメリカ政府の無知と傲慢、
そして日本人の同様な無知と、そこから派生した内外への卑屈で
理不尽な思いこみを、鋭く指摘した文章である。

これはまずもってアメリカと日本の関係についての問題提起なのだが、
イラクその他に対するアメリカの凶暴かつ幼稚なふるまいと、
いずれイラクとアメリカに訪れる「戦後」への
アメリカ(とその腰巾着となった非常識国家・日本)の理不尽な
態度を見つめていくに当たって、示唆に富んでいる。

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http://www.bekkoame.ne.jp/~hujino/no45/45_015.html


「日本人はなぜ終戦の日をまちがえたのか」を読もう
赤松順太


 「献本」という言葉と慣行がある。私は会社を辞めるまでこの言葉を(もちろん慣行も)知らなかった。たしかに本をもらったことはあったが、この言葉に触れた記憶はない。つまり私の語彙の中では、新しい方に属する。自著を出した昭和五十九年の段階でも、まだ知らなかった。
 だが昭和十九年発行の「廣辭林」にも「獻本」として載っているので、昔から使われていたのだろう。ただこの辞書には「書籍を進呈すること。又、その書籍」と、しごく当たり前の語釈がついているだけだが、戦後、昭和四十七年の「新明解国語辞典」には「出来上がった本を使って・(勧めて)くれそうな人に進呈すること。又、その本」とあって、辞書の大きさに反比例して克明になっている。
 やはりこの言葉(つまり慣行)は、戦後によりポピュラーになったのではあるまいか。それにしても、辞書に「(勧めて)」と括弧書きしてあるのがおもしろい。一般に献本には、そういう期待が込められているのかなと、ゆくりなくも辞書から教わった。
 だが正直私は、今一つこの慣行になじめないでいる。ありがたいこととは思いながらも、子供の時からの習慣として、「これを読む」という意志の下に代価を払って購入しないと、どうも読むのに身が入らず、さりとてツンドクでは、送り主に申訳ない気持ちがして落ち着かない。だから自著を出したときも、こちらからの献本は最小限に止どめた。相手もきっと読者心理としては、共通なものがあろうと踏んでのことである。
 だが先日受けた「献本」は、こうした私のいじまし気持ちを、まったく無用のものにした。あらためて「献本」のありがたさを思った…。

 その日一個の冊子小包が届いたとき、送り主のの名前を見たとき、私は正直多少の驚きと疑いを禁じ得なかった。ついその二ヶ月ほど前に、同氏の新著を読んで感想を送ってから、さほどの日数を経ていなかったからである。しかし中は紛れもなく別の新著、「日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか」と少々長い名前が光っていた。黙出版刊、定価二〇〇〇円。
 著者は色摩力夫氏、「元駐チリ大使」と記された最終職歴を持つ外交官OBである。私は同氏と昭和四十一、二年頃、商社のサイゴン(現在ホーチンミン市)駐在の頃に面識を得た。激しさを秘めた温厚な若手書記官で、官僚臭の全く感じられない紳士だった。
 現役当時から著書があったが、退官後健筆ぶりに磨きが掛かったようだった。数年前に一度、拙宅でのホームサロンに講師として来てもらった。論語の読み方がテーマだった。論語を修身の書とのみ解するなかれ、基本的に政治指南の書であり、「君子」とは単にいわゆる聖人君子、つまり有徳の人だけをいうのでなく、広い意味での政治家、国家のポリティカル・リーダー、いうならば国のエリートを指すのだという意味のことを話してもらった。江戸の儒者荻生徂来を祖述してのことで、もうすっかり、外交官というより学者、研究者のイメージがあった。
 前述の二ヶ月前に読んだ近著というのは、「フランコ・スペイン現代史の迷路」である。この本の読者となった人は必ずや、「独裁者」の典型のようにいわれているフランコ将軍への、新しい見方を教えられるだろう。
 ともあれ最初は、いずれゆっくりと考えて、ちらちらと頁をめくっていた私の目は、いつしか本の中に吸い込まれていった。淡々たる記述に込められた著者の思いが、まさに私の問題意識を衝いた。他事をなげうってその日のうちに一気に読了する。そして翌日からはさっそくに、著者にひたすらなる感謝を捧げつつ、前述の辞書の定義にしたがって?これを「勧め」ようと思い立ったのだ。

 本書の内容を手短にいうならば、現在の「卑屈」になった日本への鬱屈した感情を内に秘めつつ、その歴史的所以を可能な限り明らかにすることで、いたずらな自己閉塞に陥ることを避け、将来への展望を開いていこうという呼び掛けといえよう。もう少し実用目的を込めていうならば、現在の日本に瀰漫する、いわゆる戦後民主主義な風潮を打破するための、理論武装を手助けする好著ということだ。
 ともあれ本書を読み進む読者は、必ず「目からうろこ」の感を深めるだろう。まず第一章「日本は無条件降伏したのか」に説かれているように、「八月十五日」は終戦(敗戦)の日ではなく、あくまでも「降伏の申し入れをした」日にすぎない、九月二日の降伏文書調印でもって戦争が終わったとするのが、国際常識である所以を認識させられる。題名の由来である。現にソ連は、この日以降に樺太、千島への進攻作戦を行っているのだ。
 加えて重要なことは、「無条件降伏」したのは日本軍であって、決して日本国家ではないということ。九月二日の降伏文書には、国家全般にわたる政治条項と、軍にのみ関わる軍事条項とがあり、このため国家を代表する重光葵と、日本軍を代表する梅津美治郎両名が調印したという事実など、戦時国際法の常識であっても、日本国民の常識からは遠いものだった。国家としてはあくまでもポツダム宣言を受け入れるという形で、(条件付きで)「降伏」したという事実を、われわれはもっと的確に認識すべきである。
 そしてさらに一歩進んで、「降伏」は「征服」とは異なり、あくまで国際間の双務的な契約だから、すべてが戦勝国次第ということではないとの法理が強く訴えられ、そこで著者の筆は、第二章「ドイツとイタリアの降伏」に見る両国との詳細な比較に移る。余談ながらイタリアが降伏したとき、私は小学校の六年生だった。クラスの中で理解に苦しむ状況を話し合ったものだ。およそ主体性のなかった当時のイタリア指導部の実情が、今になって理解できる。それより何より敗戦により、同国には王制から共和制へと、国家社会体制の激変が起こったことを、日本との決定的な相違として留意すべきだろう。
 ドイツは連合軍の進攻によって政府が消滅していた。つまり「征服」されたのだということを、認識しなければならない。ドイツと諸外国との国際関係は、一九四九年の東西両ドイツの成立までは存在しなかった。こうしてドイツは連合国との間に、平和条約を締結することができなかった。このことからドイツは、一括「賠償」でもって戦後処理が行うことができなかった。現在に尾を引く個人への賠償の当否についても、日本とドイツの間では基本的な違いがあることが、もっともっと正確に認識されなければならない。
 こうした比較の上に立って私自身顧みて、日本人の九十九パーセントはポツダム宣言の受諾をもって、文字通りの「無条件降伏」と意識してきたのではあるまいか。やや横道に逸れるが、大学で現行の日本国憲法の講義を受けたとき、当時の大石義雄京大教授は、新憲法の制定とはいえ、法理論的には明治憲法の改正であることを強調した。学生は時代遅れの説としてこれを笑った。私もその一人だったが、今その不明を恥じるばかりである。
 およそ学問というものは、現実に根差してこれを理論的に詳述するものであって、現実から乖離することがあってはならないはずだ。説明に窮した当時の宮沢俊義東大教授は、突如「八月十五日革命」説を主張し始めた。最近読んだ同教授の弟子の樋口陽一教授によれば、これが多少の異論を含みながら通説だそうだが、今にして思えば、マッカーサー司令部の圧力に屈してねじ曲げられた理論といわざるを得ない。

 さて日本社会では情緒的「無条件降伏」論が一般的だったが、双方の為政者においては、少なくとも当初は、「条件付き降伏」つまり「双務契約」の意識がかなり正確に共有されていたらしい。終戦直後の日本政府はかなり毅然とした態度で、マッカーサー司令部に対して物申していたという。著者の問題意識の中心には、いつこれが「征服」と同様の事態に立ち至ったのかという疑問がのこされている。
 これについて著者は、かなりの解明を試みながらも、学者的良心ゆえであろう、注意深く結論を避けているように思われる。したがって以下の記述には多少私の推察が混じるかもしれないが、その鍵はまず第四章「米国の特異な戦争終結方式」にある。アメリカを主要敵国として戦ったことが、ある意味で日本の不幸につながったようだ。つまりアメリカは戦争の歴史に浅く、ヨーロッパのように彼我を相対化して争う経験を持たないで、あくまで「正義の戦争」の当事者をもって任じた。敗者はたとえ抹殺されても文句は言えない。いわば中世の聖戦思想の復活である。当初事態をよく弁えていたマッカーサーも、本国の方針に影響されて次第に強腰になり、国際法を無視した事後立法による東京裁判を実行し、同じく憲法の制定に乗り出した。
 一方これに対応する日本側の原因としては、第六章「敗戦ショックが生んだ倒錯現象」に詳しい。日本は近代において敗戦の経験を持たなかったために、一度敗戦の憂き目を見るや否や、降伏が双務的契約であることで国民的合意がなされることなく、文字通りに全面的な「無条件降伏」へと移行したらしい。マッカーサーを祭り上げる日本人が休息に増えた。司令部の出方が変わった背景に、日本側のこうした事情が大きく影響した。
 つまり最近の経済の低迷の状況に則して、第二の敗戦ということがいわれるが、実際はもっと早く、(西尾幹二教授が「戦後の戦争」と呼ぶように)武力で屈したあと、精神で、文化で、それを迎えていたのである。経済の発展が、ある期間この精神的文化的敗戦を覆っていたに過ぎない。著者が筆を擱く前に説いているのは、雄大な、そして透徹した歴史館、世界観である。各国の歴史には「自己拡散」の時代と「自己沈潜」のそれとが交錯するが、それぞれに一長一短があって優劣を簡単に論じることはできないという。
 ただ敗戦後の日本が、「自己沈潜」の時期にあることは疑いないところであり、問題はこの時期をどう凌ぐかに掛かっている。「健全な形の『自己沈潜』とは、何よりも自分自身を見つめることである。それは、自分のアイデンティティーを見極め、自分と自分を取り巻く集団の来歴(歴史)を、なるべき遠く遡って確認しようとするものである。そこでは、すでに創造されていた文化に対して爛熟を促すことになるかもしれない。思わぬ文化の芽を発見するかもしれない。こと文化に限らない、政治も経済も『自己沈潜』により新鮮な発想を見出だすだろう。対外戦略も生まれるだろう。遠い将来を見据えた大戦略も夢ではない」というのが結びとして謳われている。
 私としてもちろん異論はない。ただ危惧の念は大きい。「沈潜」という言葉には意志的な響きがあって、世上プラスイメージでもって用いられているが、私はわが国の現状は、無数の「個」がうごめくことをよしとする、いわば「自己沈淪」に近いことを憂える。だからこそこの本を「勧めて」、一人でも多くの理解者を得たいと考えている。
 今日十二月十四日、アメリカ新大統領が決まり、高らかにアメリカ国家を呼号した。

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