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田口ランディ「映像が伝えないもの」を何故投稿したのか? ですが・・・
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1074.html
投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 18 日 23:03:18:

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田口ランディ「映像が伝えないもの」を何故、投稿したのか?ですが・・・
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 ご指摘ありがとうございました。
みなさまの真摯な言葉を痛くとらえました。


自分は田口ランディ「映像が伝えないもの」を読んで、自分がこれまで投稿してきた盗用写真による「文明の壊滅―イラク侵略戦争2003」投稿を、世間様が感じるのは、この文章であると直感しました。

前回、投稿いたしました、
田口ランディ「それでも空は青い」 http://www.asyura.com/0304/war31/msg/992.html 投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 13 日
にも、これが世間様の感じ方ではないかと、直感いたしました。

自分はこれまで芝居の制作などをやってきましたので、お客様の社会意識、または感じ方が気になる本性を持っております。舞台表現はお客様に来ていただかないと膨大な赤字になってしまいます。また舞台は観客によってこそ成立する媒体です。お客様の感じ方と何かが通低していないと、ひとり相撲になってしまいます。

さらに現在、舞台の観客は圧倒的に女性です。ゆえに現在、女性はどう時代状況を感じているのか、女性の方向感覚とは何か? これを感覚としてつかまないと、観客動員に失敗してしまいますので、死活問題として舞台制作の人間は女性の現在に接続しようとします。日本女性は古代から紫式部のように文化の担い手であり、それは現在も貫徹しております。女性から支持されなくなった文化媒体は衰亡してしまうのが日本文化の特徴です。

田口ランディによる、自分が投稿しました2点の文章は価値があると判断しました。実に素直な文章であると思いました。

戦争身体のありようが出ていると思います。つまり侵略爆撃を受けたイラク民衆の写真は自分の日常身体そして子供の身体と接続している。自分は「それでも空が青い」「映像が伝えないもの」において戦争身体の現在を感じました。
田口ランディの文章から「壊れものとしての人間」への自己省察を感じました。
生活は「壊れゆく自分」「追われゆく明日」との闘争です。

イラク侵略戦争の現状において不謹慎ですが、あらかじめ申し訳ありません。不快の言葉をお許しください。
演劇におきましては「他人の不幸は蜜の味」という悪魔的な観客用語があります。
お客様は「人間の不幸と狂気」「他人のばかばかしさ・愚かさ」をみにきます。
そこにおける不幸からの脱出の苦闘と最終的に人と人が接続する人間への信頼に
お客様は霊的類的細胞を振動させカタルシスを味わいます。
あらかじめ「幸福」と「ヒューマニズム」を劇において粉砕し、そこから「幸福」と
「ヒューマニズム」のありようをまさぐる行為こそ劇的なるものです。
また作劇方法としてはこの反対もあります。「劇的狂気の力」と呼ばれております。
演劇におきましては思想ではなく身体的言語でしかお客様と心的交流ができません。
お客様は舞台に自分の身体と心を投影させ劇の進行と一体化します。
俳優はその媒体でしかありません。
虚構を演じながらも俳優は本音の身体へと、どう接続していくかが反復稽古の総量です。
一方における劇的人間の現出と他方における怜悧に自己と相手役を観察する分裂した内的世界を同時的に保守できるものこそ俳優の条件です。

自分は田口ランディの戦争をめぐる文章に俳優の身体言語を感じました。
俳優がお客様に音声言語の嘘と身体動線の嘘を感じさせたなら、人物表現と劇は壊滅します。その嘘とはいかにも芝居をやっているな、演じているな、とお客様に洞察されてしまうことです。自分が投稿した2点、彼女は自己の弱さから出発しております。
装飾の文章ではありません。俳優もまた無力存在から舞台へと歩いていきます。
お客様に丸裸にされてしまうからです。支えるのは自分の生き様のみです。

舞台をやる人間はつねに生活者と社会を吸収しております。
身体表現はその世間様の観察総量でしかお客様と接続できません。
これは出雲の阿国、出現から今日まで一貫しております。
ゆえに自分の投稿の基準は多様な観点となってしまいます。

自分はこれまで田口ランディの本を1冊も読んだことがないので、文学と思想の評価をしたことがありません。しかし自分が投稿した2点の文章は彼女のありようと世間様が素直に出ていると思います。それはひとつのイラク戦争をめぐる日本からの素直な身体報告だと思います。

しかし表現行為における想像力の基点は自己の生活空間から異なる世界へと飛翔させる
イメージの力ですから、田口ランディの想像力は「自分さがし」という80年代から90年代、20年間における日本マスメディアの自己遺伝子現象に規定されているのかもしれません。現在のメディア規範における世間様への想像力かもしれません。
しかし彼女の小説を読んでおりませんから、今、自分は判断できません。
有吉佐和子であってほしいと思います。

有名人の交流をネタにするのは、それが彼女の生活圏だからであると思います。
メディアに登場する有名人はブランド商品でもありますから・・・
読者にとってはイメージを持ちやすいのだと思います。

舞台においても黒字になる舞台は有名俳優を出演させることです。
経済原則は徹底的に貫徹されております。


では何故、田口ランディの文章を投稿したのか? ですが
そこに世界の現実から逃亡したい自分の弱さを見出したからです。
まぎれもない戦争身体のスライスされた断面です。

みなさまの真摯なご指摘をいただき感謝しております。
この世界戦争から逃亡したいという自己遺伝子の
動物的身体その本能の現在こそ自分であると反省しております。
自分の無思想と無内容、空洞を自覚しております。
重さから逃げ軽くなりたいという動物的行為であったと思います。


反省を繰り返しながら、アクティブ・ネットワーカーとして邁進する決意です。

田口ランディの文学と思想に関しては、いままで考えたこともなく、小説も読んだことがないので、申し訳ありせんが論議はかんべんしてください。
盗用問題に関しましては自分も盗用画像を多発している身分ですので、かんべんしてください。


今後ともご指摘していただければ、ありがたいです。

   
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「白石征演劇とは何か」愚民党
http://www.awcjapan.net/find.cgi?md=read&sn=mc5052


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