★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 議論9 > 708.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
さわがに(1)
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/708.html
投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 06 日 01:48:40:

          さわがに(1)

   春分の墓


 昼2時過ぎ近くにある諏訪神社を訪れる。玉縄城主だった北条綱成公の墓は境内から山道を登り稜線にそってすこし歩くと頂上にあった。自分は手を合わせた。河原乞食である自分は96年に亡くなった親父の墓をまだ立てることができない。先週は龍宝寺の墓場に登り、ひとつひとつ御参りしてきた。父の墓がないから人様の墓を御参りするのは、死者たちも迷惑だったのに違いない。自分の住むアパートの下には徳川家康に滅ぼされた玉縄武士たちが眠っている。

 世界個人の基点とは地球市民ではなく、場所に隷属する者である。おのれの生活する場所、そこに立つ基点は同時に地球の中心であり世界の基点である。これを根源からの声という。この基点は地球の地殻を貫通し、もうひとつの基点と交信している。この基点は回転する地球の磁場としてあらゆる人間の基点と交信し交響し交振動している。さらには星の子として宇宙と交信している。身体その何億もの細胞と原子・電子が・・・
その総体としての人間の身体である。コーランでいう地球自然の奇蹟がここにある。
つまり根源から基点を探求する者こそ世界個人である。

 北条綱成公の墓は静寂のなか、午後の木漏れ陽が土の広場にさしている。
鎌倉八幡宮の近くに住んでいた江藤淳は「文明の壊滅」を予感し死んでいった。
1999年7月。その絶望が感覚として自分はわかるような気がする。
自分は破綻している人間である。墓に登れば、はぁはぁぜぃぜぃである。体力は衰弱している。50歳になった。三島由紀夫より寺山修司より長生きしてしまったことが信じられない。打倒され粉砕されながら70年代に決意したことはふたつだった。
自殺をしないこと。精神病院には入院しないこと。つねに精神の危機を内包しながら行き抜いてきた。最低の貧乏人でありながらも。

 父は横浜の病院で死んでいった・・・・1996年だった・・・
 そして母は現在、病院に入院している・・・

 春の綱成公墓の下は広大な栄光学園のグランドがみえる。サッカー部が練習をしている山沿いの緑のちいさな運動場でも生徒たちがサッカーで遊んでいる。声が聞こえてくる
自分は下に降りていった。山の頂上沿いに広大なグランドと校舎を形成したのは戦後だった。栄光学園を建設した鎌倉の建設会社社長の物語を舞台にした地元劇団の演劇があったのは昨年の11月末。自分は照明助手として仕事をした。
これほどのグランドがあるとは今まで知らなかった。それはあまり近辺を歩いていなかったから無知だったのである。自転車ばかり乗っていた。

 春の高校生たちは真剣に練習している。女子マネジャーたちがそれを見ている。
日本の反戦デモはついに高校生たちが街頭に復帰した。ベトナム反戦運動以来30年ぶりの復活。

 自分がはじめて街頭デモに参加したのも17歳だった。1970年6月。高校3年。
「共産党宣言」「ドイツ・イデオロギー」などを読んで、急速に漫画家をめざしていた漫画少年から政治少年に変換していった。「朝日ジャーナル」世代である。
高校紛争と呼ばれていた・・・死者たちがいた・・・
70年11月三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯所で自決。「日本とは何か」をめぐって三島由紀夫は強烈に当時の少年・少女たちに衝撃として突きつけたのである。三島由紀夫の首は今もなお、自分の暗い内部にある。三島由紀夫の敵は世界権力であった。それを50歳にして気づいたのは静寂の北条綱成公の墓であった。

 街は桜が咲きはじめている・・・そして桜の下は死者たちが眠っている。
 この平和は第2次世界大戦の死者たちの礎にある・・・・

 自分は1970年6月から1991年1月まで、現場は違っていたが社会運動をしてきた。最後の現場は日雇労働者のドヤ街だった。日本人労働者やアジア人労働者の労災問題・賃金不払い問題の解決に尽力していた。路上で寝る労働者の命を防衛する越冬闘争が終えたとき第1次湾岸戦争が勃発した。91年1月17日である。母と住んでいたこのアパートでテレビを見た。そして自分は現場に出ていけなくなってしまったのである。うつ病になってしまい部屋に閉じこもった。アメリカの戦争、トマホーク現出や新兵器現出に衝撃と恐怖をもったのである。「何をやっても世界など変革できはしない」
自分はついに社会運動の現場から逃亡したのである。37歳だった。
高校を出てから印刷工・塗装工・アニメーション会社・マイホーム塗装営業・建築現場の日雇労働者などさまざまな職業につきながら社会運動をやってきたが、とうとう労働の現場にも行けなくなってしまったのである。

 自分は17歳から共産主義の理想をもった。いずれ世界は階級がなくなり戦争もなくなり資本主義の搾取と競争から解放される協働を基盤にした人間社会が実現される。

 89年の東欧革命はスターリン主義が崩壊しただけで、マルクスの理想は以前として崩壊していないと思うとしていた。しかし91年。湾岸戦争からエストニア・ラトビア・リトアニア独立、モスクワにおけるクーデター失敗からソ連崩壊、自分はアパートでテレビを見てばかりいた。仕事を探す元気もなく、テレビとパチンコそして図書館に通う生活を92年6月まで続けていたのである。年金生活の母の脛をかじりながら。母は工場労働者だった。年金生活になっても近くの食堂で皿洗いのパートをしていた。

 自分の理想は砕け散った。第1次湾岸戦争のテレビの前でイラクがイスラエルにミサイルを着弾させるたびに喜んでいた。その自分をみてさらに絶望するのである。おれはなにをやっているんだ。

 92年にテレビの深夜放送で「追憶と戦争−ホロコースト」をみた。ユダヤ人の第2次世界大戦の物語である。アメリカとヨーロッパが舞台。それを見ながら自分は無知であったことを悟る。ユダヤ人の古代からの歴史さらにはユダヤ経済史を読む。ヨーロッパが見えてきた。

 92年6月、自分は兄貴が勤めている新橋の印刷工場に働きに出た。そしてアパートの近くの公民館で地元劇団の勧誘ポスターをみて、稽古風景に顔をだしてみた。
世界理想が粉砕された自分は演劇運動に参加した。演劇は兄貴が学生時代やっていたので以前から興味があった。80年から83年頃はよくテント芝居などもみていた。

 
 それから自分は10年間芝居をやってきた。
昨年12月から今年1月にかけて、所属する舞踏団のHPつくりをやっていた。
イラク戦争に向かうメディア宣伝に怯えながら・・・・
もう芝居はやめようと決意をした。

            2003/4/6

 次へ  前へ

議論9掲示板へ

フォローアップ:
  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。