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福井」に非ず「武藤」日銀(選択4月号)
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投稿者 キャプテン 日時 2003 年 4 月 27 日 02:41:44:

福井」に非ず「武藤」日銀
――外堀を埋めた「首相の名代」副総裁――


船出した日銀新体制のキーパーソンは、福井俊彦総裁ではなく武藤敏郎副総裁だ――。国内外の金融のプロの間で、こうした見方が広がっている。「政府・日銀一体」の金融政策運営で、前財務事務次官の武藤氏は日銀内の政府代表という特異な役割を担うからだ。

 就任前、武藤氏は国会で抱負を述べた。「政府と連携を図りつつ日銀がさらなる努力を傾注する必要がある。改正日銀法で独立性は保証されているが、そのことは政府との意思疎通の重要性をいささかなりとも軽くするものではない。長く政府に身を置いた経験を生かしながら、政府・日銀の意思疎通のさらなる充実のために貢献していきたい」。あからさまな進駐宣言である。

 今回の人事で、福井氏は官民総意の本命、岩田一政副総裁(前内閣府政策統括官、元東大教授)は竹中平蔵金融・経済財政担当相の推薦だった。小泉純一郎首相がまったくの独断で人選したのは武藤氏一人。「首相の名代」という破格の存在でもあるわけだ。

 福井氏が任期五年を終えた後は、武藤氏が総裁の有力候補となる。合わせて十年間も執行部に居座れば、武藤氏は金融界の「法王」になってしまうかもしれない。今後の金融政策を見通すには、武藤氏の人となり、政策や手法を読む作業が欠かせない。

◆「花の四十一年組」の勝ち残り

 ところが、戦後最も長く次官を務め、影響力の大きさから「霞が関のドン」とまで言われながら、武藤氏には逸話らしい逸話がない。「十年に一度の大物」と言われた斎藤次郎元事務次官(一九五九年入省。以下同)は、好きな麻雀で上がる時に「デーン」と叫んだことから「デンスケ」「デンちゃん」と慕われた。往年の名物官僚に比べ、武藤氏は無味無臭タイプ。同僚にすら容易に実像をうかがわせず、黒子に徹して目立つことを避けてきた。その禁欲こそ「官僚の中の官僚」の真骨頂だろう。

 エピソードのない男が、三十六年間の大蔵人生の始まりと終わり近くに二つの大きな転機を経験したことだけは、よく知られている。閨閥結婚と不祥事による降格。どちらも官僚の人生には決定的な事件だ。

 旧大蔵省では、長く「花の(昭和)四十一年組」と呼ばれてきた。戦後の名物次官の一人、木文雄氏(四三年)が、秘書課長として採用した三年間の人材のうち、この年次を「秀才から異色ダネまで最も充実した顔ぶれがそろった。われながら会心の作」と誇ったからだ。

 トップ集団は、武藤氏、中島義雄・元主計局次長、長野厖士・元証券局長の三人。仕事ぶりから「バランスの武藤、行動の中島、知略の長野」と評され、中島、長野両氏は若い頃からさまざまな伝説に事欠かない「スター官僚」として名をはせた。万事派手が好まれた時代である。「バランスがとれている」とは、裏返せば「面白味に欠ける」という意味だ。事実、省内には「手堅いけど見せ場もない。正しくは凡庸の武藤だ」と冷笑する空気もあった。しかし、武藤氏は風評に浮き足立つことなく、一見地味なスタイルを貫く。

 入省時の上級職国家公務員試験は、一番が長野氏、武藤氏は二番で、どちらも司法試験にも合格。一緒にエリートコースの官房文書課に配属される。当時の橋口収課長(四三年)は、趣味がシャンソンと読書、エッセーも書くクールな才人だった。武藤氏はその娘婿となり、一躍省内の耳目を引いた。

 橋口氏は銀行畑育ちだったが、福田赳夫蔵相の下で主計局長を務め、田中角栄首相の推す木主税局長と激しい次官争いを演じた。この「角福代理戦争」は、主計畑が長く官房長も務めた本命の木氏が勝ち、橋口氏は新設の国土庁次官に回る。そこで仕えたのは金丸信・初代長官。次官退任後、木氏は国鉄総裁となり、橋口氏は公正取引委員会委員長、広島銀行頭取、全国地方銀行協会会長を歴任する。

 採用者と岳父のライバル関係、政治にもまれた有為転変から、武藤氏は官庁での処世術について多くの教訓を得たという。官僚は政治から逃げられない。である以上は尻込みせず、逆に政治家の懐へ飛び込んで生き延びるしか道はない。一方で政治家に浮き沈みは付き物。常に八方美人を心掛けるのが肝要だ。武藤氏の「バランス能力」とは、政策判断の意味でなく、政治との距離感、永田町・霞が関の人間模様・情勢分析の的確さを指している。「政治の武藤」の称号も大袈裟ではない。

「花」ともてはやされた面々の末路は無残だった。精力的に人脈を広げた中島氏はタニマチからの多額の資金提供がばれ、日本版金融ビッグバンを発案した長野氏は「接待王」の烙印を押されて相次ぎ辞職した。
同期では他に、「書斎派の秀才」で終わった佐藤謙・元防衛庁事務次官、裁量行政と不品行で金融界から総スカンを食らった森昭治・前金融庁長官、汚職で捕まった井坂武彦・元日本道路公団理事(元造幣局長)らがいる。

ライバルが姿を消す中で、武藤氏はスキャンダルと無縁だった。叩かれても公用車の使い過ぎか芸者の肩に手を回した程度。だが、九八年に接待汚職で百十一人の大量処分を下した際、官房長としての責任が問われ、武藤氏は前職の総務審議官に戻り、部下だった溝口善兵衛総務審議官(六八年)と入れ替わった。

「霞が関の掟」に従えば役人人生は終わるはずだが、武藤氏は翌年、二階級特進で主計局長となり、次官のレールに復帰した。何のことはない。降格はエース温存の「緊急避難」に過ぎず、実態は官房長兼総務審議官だった。

◆財務省では「人事の武藤」の異名

 不可解な経緯から、今も陰謀説がくすぶる。その三カ月前、逮捕者を出し、半世紀ぶりに大蔵省に家宅捜索が入った夜、三塚博蔵相が引責辞任した。翌朝、橋本龍太郎首相は小村武次官(六三年)と武藤氏を官邸に呼び、「辞表を出せ」と通告。自民党の加藤紘一幹事長と野中広務幹事長代理がこれに呼応した。同夜、二人が辞表を出すと、橋本氏は小村氏の辞意は認めながら、武藤氏には「君はまだやることがあるだろう」と引き留めた。

 どうせ慰留するのに、なぜ武藤氏を官邸に呼んだのか。そもそも武藤氏はなぜ呼ばれたのか。小村氏は辞める気がまったくなかった。小村氏に丸一日付き添い、「こうなったら辞めるしかない。私も辞めます」と心中を装って一気に追い詰めたのは、武藤氏だった。

 大蔵バッシングの吹き荒れた当時、小村氏は幹事長室から出入り禁止を食らっていた。代わりに日参したのが武藤氏だ。加藤、野中両実力者は、そんな武藤氏を絶賛し、周囲に「武藤は残さないと大蔵が潰れる」と断言していた。武藤氏は初めから首相・幹事長らと気脈を通じ、人身御供に小村氏を差し出す更迭劇に参画していたのではなかったか。

 長野氏を凌ぐ「接待魔王」と謗られ、辞職に追い込まれた杉井孝・元銀行局審議官(六九年)も、後に「武藤に切られた」とうめいた一人だ。司法当局との裏折衝を取り仕切った武藤氏から、逮捕を免れる条件にクビを宣告されたのだ。泉井事件との関連が噂された涌井洋治・元主計局長(六四年)も、武藤氏が自民党と折衝した結果、次官就任を諦めざるを得なかった。

 大蔵解体論も出た異常な季節、武藤氏は組織防衛に必死だった。だが、嵐が過ぎ去ってみると、「斎藤組」と呼ばれた「小村・涌井・杉井」という武藤氏の前後の主流人脈は一掃され、武藤氏だけが生き残って「スーパー次官」となった。単なる強運だけなのだろうか。武藤氏は公共事業担当主計官を経験した主計畑の本流だが、そのころから「斎藤組」とは微妙に一線を画してきた。表に出さない強烈な自負が、武藤氏を支えている。

 省内に「人事の武藤」の異名がある。課題を達成できなかったり、省の方針に逆らう言動が知れると、確実に飛ばされるからだ。武藤人事は手が込んでいる。次はいったん本人も驚く有力ポストに就け、その次で一気に突き落とす「二段階更迭」の手順を踏むからだ。「しまった」と思った時は後の祭り。周囲にこぼしても「チャンスをもらったのに」とだれも取り合ってくれない。粛清の見事な口封じである。「恐怖政治」の評判は立たず、当人だけが腹の底で震え上がるわけだ。

 斎藤次郎氏(東京金融先物取引所理事長)以下、天下りが許されず滞留していた歴代次官OB四、五人を、自らの次官任期中に全員片付けた手腕も驚嘆するしかない。特に小村氏の日本政策投資銀行総裁就任は、現役からも「引責辞任した人にしては待遇が良すぎる」とブーイングが起きた。だが、これも前述の経緯を踏まえた口封じの一環だとしたら……。今やOBとて、武藤氏に正面から意見できる者はいない。日銀職員は二、三年以内に、武藤人事の凄みを身をもって味わうことだろう。名だたる日銀奥御殿が制圧される日も遠くないと見た。

◆国家財政の粉飾を陣頭指揮

 表では武勇伝を残さず、裏で荒業を仕掛ける。「策謀の武藤」「根回しの武藤」の異才は、有力政治家たちとの全方位関係に裏打ちされている。特定の親しい政治家は作らないが、武藤氏を褒めない政治家もいない。国家の財布を預かる身として、出すものは出すからだ。「信玄の隠し金山」ならぬ「主計の隠し財源」。武藤氏はその切り札の使い方が実に大胆だ。

 最近では、小泉政権の「国債発行三十兆円枠」を取り繕うため、二〇〇一年度第二次補正予算で過去のNTT株売却収入のうち、将来の国債償還に充てるため国債整理基金特別会計に繰り入れてあった二兆五千億円を差し出した。自民党議員の間では「また武藤の隠しポケットか」とささやかれた。

 〇二年度予算でも、交付税や自賠責、外為などの特別会計を操作して、四年ぶりに「隠れ借金」一兆五千億円を復活させた。「三十兆円枠」は昨年十一月に編成が決まった〇二年度補正予算で初めて破られたわけではない。政権の初年度から、武藤氏は国家財政の大掛かりな粉飾を陣頭指揮してきた。だからこそ昨年末の退官時、小泉首相から直々に「よくやってくれた」と労われ、日銀入りも指名されたのだ。この男が金券発行と金利調節の総本山に送り込まれたら、何をしでかすか。

 主計畑を歩んだ武藤氏だが、金融行政との縁も浅くない。岳父・橋口氏の薫陶もあって入省六、七年目、二十代の終わりに銀行局の課長補佐を経験し、日銀から出向していた福井氏と机を並べていた。主計官の後、中小金融課長も二年務めた。このポストは、各地の地方銀行、信用金庫、信用組合の業務を通じ、国会議員たちの地元での資金繰り状況を掌握できる。広銀頭取だった橋口氏が、地銀協会の実力者として側面支援した。こうした素養から、住専問題の直後、武藤銀行局長就任も取りざたされた。

「金融の武藤」が本領を発揮しだすのは、一回目の総務審議官時代。九六年、今回の人事騒動の発端となった日銀法改正で、大蔵省内の総指揮を執ったのが武藤氏だった。バブル経済の原因を「金融政策の財政政策に対する従属関係」に求める議論が勢いを得、日銀の独立性を高めるべきだという主張が盛り上がっていた。憲法六五条の解釈をもとに「日銀は行政か」どうかが最大の論点となった。

 旧法には「日銀は国家目的の達成が使命」と記され、蔵相の業務命令権、監督権、立ち入り検査権、予算認可権、内閣による総裁・副総裁の解任権を規定していた。新法はこれらを全廃しようとした。「立法、司法にあらざること、すべてこれ行政」が霞が関の鉄の規律である。「ミスター官僚」の武藤氏にとって、「行政からの独立」という議論などあり得るはずもない。担当の五味広文・銀行局調査課長(現金融庁監督局長)に檄を飛ばし、内閣法制局の大蔵出身部長も動員して総力戦を挑んだが、一敗地にまみれた。今回の日銀入りは、武藤氏にとって法改正の敗北を直接統治で覆そうというリターンマッチに他ならない。

 前後して、大蔵省が自社さ与党と四つに組んだ財政・金融分離問題も、武藤氏が采配を振るった。金融行政を手放せば、金融機関という大蔵官僚にとって最大の天下り先を失い、組織の人事管理ができない。武藤氏の奮闘は官房長時代も続いたが、不祥事、金融破綻、省庁再編が絡み合い、日銀支配に続き金融行政の手足ももぎ取られた。

「戦後最強の官僚」として常勝街道を進んできた武藤氏の人生にとり、金融の問題だけは決着がついていない。このままでは終われないのだ。二年半の次官在任中、武藤氏は崩壊した「大蔵支配」の再建に精力的に取り組んだ。失った天下り先も奪い返し、省庁再編後の植民地増設も進めている。

残る気掛かりは、日銀の独立と金融庁の設立というドサクサ紛れの「造反事件」を、どのような形で大蔵行政の支配下に復旧させるかだ。すでに四年前、米国のポール・クルーグマン教授がインフレターゲット導入論を提言して間もなく、総務審議官だった武藤氏は省内中堅・若手官僚の勉強会を密かに組織し、研究を指示。積極推進論も提言されたが、報告を受けた武藤氏は「議論の矛先がいずれは財政出動要請に跳ね返ってくる」とみて封印した。

◆財政法改正の秘密検討チーム

 三年前、次官になった武藤氏は、自ら旧知の金融界幹部らと会合を重ね、抜本的な不良債権処理策の検討に着手。今日の産業再生機構の原型をイメージして二年前、現在、機構設立の準備室次長に出向している小手川大助官房参事官(当時)を中心とする中堅・若手官僚に具体案作りを命じている。だが、出来上がったプランは再び引き出しにしまわれた。「時期が悪い」。武藤氏一流のバランス感覚だった。

 水面下のこうした武藤プロジェクトは、いずれも世に知られていない。その武藤氏が、満を持して放ったのが「政府・日銀一体」論。「財政・税制の打つ手は打った。残るは金融しかない」という論理で、いよいよ金融政策を組み敷きにかかった。

 まず武藤氏が狙うのは、日銀の国債買い入れ額の増大。「三十兆円枠」も外れ、増大する国債の消化は、財政当局にとって最大の難題だ。財務省は現在、月額一兆二千億円の買い入れ額を、二兆円に増やすよう迫っている。そのために、日銀の長期国債保有制限(お札の発行残高が上限)を撤廃する。さらには財政法五条で原則禁止されている日銀による国債の直接引き受け解禁が視野に入ってくる。武藤次官の秘密検討チームでは、財政法改正問題も研究していたのだから疑いない。

「武藤日銀」の目指す政策を見通せば、「政府・日銀一体」とは「財政・金融一体」を意味することは明らかだ。武藤副総裁の日銀統治は、「新・大蔵帝国主義」の始まりと言える。「大蔵は国家なり。行政は不滅なり」を信条とする武藤氏に迷いは微塵もない。

(敬称略)

http://www.sentaku.co.jp/index.htm
http://www.sentaku.co.jp/keisai/zenbun.htm

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