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関連する情報をご存じで有れば、
http://www.asyura.com/0304/tyu1/msg/1442.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 5 月 31 日 20:46:02:KqrEdYmDwf7cM

(回答先: Re: インドだか、チベットだか、原始仏教だかをかじっているぼうずから聞いた話ととても似ている 投稿者 カムイ 日時 2003 年 5 月 31 日 15:23:42)

他に関連情報がありましたら、おしえてください。
このような貴重な人、お話を教えて頂きありがとうございました

今日は『インターネットやってて本当によかった、と思える1日となりました。』


「宇宙を見守るなかで、私たちの地球を守っていきたい。」
http://www.so-net.ne.jp/TENGESHIRO/guest/9903/report.html


木内鶴彦プロフィール

1954年長野県佐久に生まれる。1990年3月チェルニス・木内・中村彗星を
発見。7月土屋・木内彗星発見。91年1月メトカーフ・ブルーイントン彗星発見。
92年9月メウィフト・タックル彗星発見。93年9月国際天文連合よりスウィフ
ト・タックル彗星発見の業績を認められ、小惑星に木内と命名される。
著書に『宇宙の記憶』龍鳳書房刊

 トンネルを抜けて、光の中のお花畑をみる


 これは立花隆さんのインタビューにも答え、また本にも書いたことですが、私は
22歳の時、航空自衛隊の百里基地でディスパッチャー(航空管制官)として仕事を
していました。その頃ちょうどソ連のミグ戦闘機など領空を侵犯する事件があったり
して、連日連夜緊張した仕事の日々が続き私は疲労困憊していました。そしてあると
き突然おなかが猛烈に痛み出してその場に倒れ込み、救急車で病院に運び込まれたの
です。

 病院に入ってからも七転八倒の苦しみは続き、手術のために他の病院に転送され
ました。ところが内蔵機能が急激に低下したため、手術はおろか検査もできないまま
、意識がだんだん朦朧としていきました。ところが耳だけは研ぎ澄まされたようによ
く聞こえるのです。両親が医師に呼び出され、廊下で「お宅の息子さんは、手術も検
査もできる状態ではなく、あと一週間持つかどうかわかりません」と話している声が
聞こえてきました。

 あと一週間の命と聞かされたことに、私は大きなショックを受けました。たまら
ない恐怖感に襲われ、それならいっそ、いますぐ死んでしまった方がどんなに楽だろ
うかとさえ思いました。またこのまま原因もわからないまま死ぬのは、死んでも死に
きれないなあとも思いました。

 意識が消えてはまた戻るという危篤状態が10日も続き、たまりかねた父が「こ
のまま死んでしまうのは親として忍びない。死んでもいいから検査をして欲しい」と
頼んだことで、検査をすることになりました。なんとかレントゲン検査が終わると、
私はまたもや深い危篤状態に陥っていきました。

 気がつくと、真っ暗闇です。意識は目覚めているときと同じようにはっきりして
いるのですが、ぬかるみのような真っ暗ななかで私は出口を求めて這いずり回ってい
ました。やがて遠くの方に小さな明かりが見えたので、そこをめざして這っていきま
した。トンネルのような世界を抜け出すと、ぼんやりと明るい世界があり、そこに広
い川が流れています。対岸には光が見えます。よく見ると、河岸に古い船があるので
、それに乗ってオールがないので手で必死に漕いで、向こう岸に渡ります。そこには
たき火に当たっている数人の人がいました。それは亡くなった祖父や叔母や従兄弟た
ちでした。その中から叔母が出てきて、「いいところに連れていってあげるからつい
ていらっしゃい」と言い、ゆるやかな丘の上に登り出しました。丘を登りきると地平
線が広がり、そこには色とりどりの花が咲き乱れていました。 

 気がつくと、またベッドの上に寝ていました。父が私の足下の椅子でウトウトし
ていて、母がそばにいました。交替で看護していてくれていたのです。「あれ、いま
のは何だったんだろう。夢だったのか、それとも人が死ぬ前に見る風景なのかなあ。
そうするともうすぐ、死ぬのかな」と思いました。


 空間を移動し、人の体に入ってみる


 このまま理由も知らされず死ぬのはやはり嫌だ。何故死ぬのかやはり検査をして
もらいたいと思って、ナースコールのボタンを押そうと必死の思いでそれを持った途
端、また意識を失ってしまいました。そのそき自分の心臓と呼吸が止まるのがわかっ
たのです。息を吸おうと思っても吸えず、こめかみのドキドキがなくなっていました。

 母が言うには、そのとき僕の首がガクンとなったので、てっきり死んだと思い、
僕の体を揺さぶったそうです。ところが私の意識は相変わらずあるのです。そしてそ
の意識が体から抜け出していくのがわかるのです。目もちゃんと見えているので、「
おれはここにいるよ」と母親に言うのですが、ぜんぜんわかってくれません。母はあ
わててナースセンターに飛んでいきました。

 残された父は、ぼう然と私の体を見ていました。そこで私は父の体に近づいて「
おれは生きているよ」と言うのですが、ちっとも聞こえている様子がないのです。そ
れでハッとして、「もしかしたらおれは死んでいるのかな」と、パニックになりまし
た。そして父の体に近づいた時点で、今度自分はベッドの上の自分の体を見ているの
です。「あ、自分はオヤジの体に入ってしまったんだ」とやがて気がつきました。そ
れが面白くて、じゃあ今度は母親の体に入ってみようと思った途端、今度は母の体に
入っていました。

 病室では看護婦さんたちが、私の体の上に乗って心臓マッサージを始めていまし
た。母は家族に私のことを告げようと、電話のダイヤルを必死で回しているのですが
、気が動転しているので番号を何度も間違えています。

 時間を移動し、過去に戻ってみる


 私はこんなふうに空間を乗り越えられるなら、時間も乗り越えられるかもしれな
いと考えました。そして行ってみたい過去があったのです。6歳の夏に起きた不思議
な出来事がありました。兄や姉と一緒に、家の近くの千曲川に遊びに行ったときのこ
と、私は姉の後ろをついて河原を降りていく途中、突然「危ない!」という声が聞こ
えてパッと目を上げると、姉が足を乗せようとしている大きな石がゆるんでいます。
それに気づいた私は、後ろから姉を突き飛ばしました。それで姉は前に転び、姉と私
の間にその大きな石が落ちてきて、姉は直撃から免れました。足の爪をはぐという怪
我をしましたが、そのために姉は助かったのです。ところがその様子を後ろから見て
いた兄たちは、私が姉を突き飛ばしたから、石が落ちてきて姉が怪我をしたのだと思
い、私が怒られる羽目になったのです。いくら私が姉を助けたのだと言っても、誰も
信じてくれず犯人扱いでした。それが悔しくて大人になっても、それは心のしこりに
なっていたのでした。

 時間が乗り越えられるとしたら、あの場面にもう一度戻り、あのとき「危ない!
」と叫んだのは誰だったのか、確かめたいと思いました。そう思った途端、私はその
場面に立っていました。そしてその場面を見物客のように見ていると、例の石が見え
てきました。そしてそれが落ちそうになっているのに気がついた途端、「危ない!」
と、自分で叫んでいました。そのとき、そこにいた小さな自分がこっちをパッと振り
返ったんです。つまり「危ない!」と言ったのは、未来の大きくなった自分だったの
です。そうとしか解釈できないわけです。やがて、四次元的に時間と空間を超えて届
いた声だったから、あのときいくら探しても声の主はいなかったんだと思うようにな
りました。


 これは夢なのだろうか、それても現実なのだろうか


 でもそのときすぐにそう納得したわけではありません。これは一種の夢で、夢の
中で自分の過去を納得しようと思っているだけなのかもしれないと思いました。また
意識は自分の体のところへ戻っていましたから、今度は、もし生き返ったときに、こ
れが夢だったのか事実なのか確かめてみたいと思いました。それが確かめられるのは
現在しかありませんから、長野の友だちのところへ行ってみようと思いました。彼ら
がいま何をしているか見てきて、あとでそれが事実と合っているかどうか確かめよう
と、そのとき思ったのです。

 学生時代の星の同好会の仲間です。ガソリンスタンドをやっているその友だちの
ところへ、東京から帰ってきた仲間が集まって酒を飲みながら話をしていました。し
ばらくその話を聞いていました。そして今度は未来へ行ってみようと思った途端、今
度は大きな畳の部屋で僕はなにやら星の話をしていました。そのとき「もし、これが
ほんとうに未来なら、私は死んでいないということだ。生き返るということだ」と、
うれしくなったことを覚えています。

 こうした不思議な体験を経て、私はこれが幻覚なのか現実なのか、生き返ってじ
っさいに確かめてみたいと強く思いました。ベッドに横たわっている自分の体を見て
いると、どうやら生き返りそうです。そこで両親の体に入ったように、自分の体に入
ってみました。すると瞬間的に意識が戻ったような気がしました。長い眠りから覚め
たような気がして、私の意識が戻ったのは十数時間後のことでしたが、両親を始め家
族や親戚の人たちがホッとしているのがわかりました。なにより生き返れたことは自
分がいちばんうれしかった。

 前日のレントゲン検査で病名もわかりました。世界でも助かったことのない珍し
い病気で、日本ではまだ正式な病名さえなく、上間膜動脈十二指腸閉塞ということに
なりました。体力がついたところで再び精密検査をし、十二指腸のバイパス手術をす
ることになりました。一ヶ月の闘病生活を経て、さらに一ヶ月ほど田舎で静養するこ
とになりました。ようやく元気になった頃、家のまわりを散歩をした帰りがけに友だ
ちに会ったので、あのことを確かめてみることにしたのです。するとやはり私が見て
きたとおりなのです。それを知った友だちは「そんな馬鹿なことはあり得ない」と気
味悪がります。そういう反応を見て、こういうことは人には話さない方がいいのだと
思うようになりました。


 次々と新しい彗星を発見


 いったん元の職場に復帰したのですが、体重も20キロ近く落ち、ストレスの高
い仕事を続けるのは難しいかもしれないと思っているときに、田舎に天文台建設の話
が持ち上がって、そこに勤めないかという話がきて、私は航空自衛隊を辞めました。
いよいよ大好きな星の観測ができると思ったのですが、ところがいざ帰ってみると、
天文台建設予定地の問題で、その話は暗唱に乗り上げたままです。それならなんとか
働きながら、星の研究をしていこうと決意しました。というのは、臨死体験という貴
重な体験を通して私は、自分の役割について考えるようになっていたのです。

 子供の頃、こんな体験がありました。母親に叱られて、家の裏にある田んぼの土
手でふて寝をしているとき、いつのまにかそこに眠り込んでいました。ふと気がつく
と、あたり一面がオレンジ色に染まり、やがてそのなかにひときわ輝く星が現れ、じ
っとその星を見つめていると吸い込まれそうです。やがてあたりが暗くなると、空一
面に星が輝きだし、自分の体がその空に浮いて漂っているような不思議な錯覚に陥り
ました。それが何ともいえず心地よいのです。そのときから星が大好きになり、天文
少年になっていったのです。しかも自分の見た未来の世界で、星を通じて自然の大切
さを語っていた自分の姿が気になりだしました。

 天体物理学や太陽系のメカニズムを学ぶなかで、惑星の観測をするようになり、
1983年から本格的に彗星の捜索をはじめました。彗星捜索は、手作りの重量30
キロある天体双眼鏡で一晩中立ちつくして観測をしますから、肉体的にはハードで何
度が挫折しそうになりましたが、5、6年経つと体は驚くほど調子よくなり、病気前
の体重に戻りました。

 そして1990年、チェルニス・木内・中村彗星を皮切りに、2つの新彗星を発
見、さらに行方不明になっていた2つの彗星を再発見しました。なかでもスイフト・
タックル彗星は、1862年にアメリカのスイフトとタックルによって発見されたあ
と、行方不明になっていた星です。ペルセウス座流星群の母天体で、地球の軌道とこ
の彗星の軌道が接触していることから、世界中の天文学者たちが必死で探していまし
た。そこで私は独自の計算方法で予想をつけ、発見したのです。

 アメリカの天文学者から、私が再発見したこの彗星の軌道を計算した結果、次の
軌道で地球に近づくのが135年後の2126年7月になるのですが、そのとき15
日分回帰が遅れると、地球に衝突する怖れがあると発表されたのです。私は大きなシ
ョックを受けました。もし直径500メートルの彗星が地球に衝突すると、そのダメ
ージは広島の原爆の1万7千倍に相当します。直径が10キロメートルだとすると、
6千5百万年に恐竜が絶滅したときと同じようなダメージがあります。私の観測では
それは直径20キロメートルくらいあります。

 みんなの力を合わせて地球を守りたい


 これに関して世界中の専門家の間で論議が繰り広げられ、衝突から地球を守るた
めには、いまから準備をはじめなければ間に合わないこともわかりました。こうした
地球規模の問題は、国家を超えて一丸になって力をあわせるしかありません。いつの
まにか私もそのメンバーになって国際会議や研究会に参加していました。

 そうしたなかで私は、多くの人に星を通じて地球を考えてもらう講演などもして
いました。そんなある日、「将来世代フォーラム」の最終日に、高野山でアジアの留
学生たちの前で話をすることになっていました。もちろん初めての場所でしたが、妙
に懐かしいのです。会う人々も初めての感じがしません。食事のあと、30畳くらい
ある和室の会場に入ると、そこは私がかつて臨死体験で見た未来のひとつの場面だっ
たのです。そこで初めてかつての臨死体験の話をし、それから星を通して自然の大切
さを私は訴えていました。

 思えば、あのとき見た未来の自分の姿が、いまの活動の原点になっています。そ
して臨死体験で見てきた世界は、すべて現実の世界だったのです。そうなるともうひ
とつ見た未来が気にかかり始めました。その未来というのは2つの場面があって、初
老の私が豊かな自然の中で子供たちに星の話をしている場面と、もうひとつは廃墟と
なった場でぼう然と立ちつくしている場面です。これは何を意味しているのかはわか
りませんが、われわれの未来はすべて決まっているのではなく、選択できることを意
味しているのではないかと思うのです。2つ目の未来ではなく、一つ目の未来を選ぶ
ために私はできるかぎりのことをしたいといま考えています。

 そして2126年に、地球に衝突する怖れがあるというスイフト・タックル彗星
も、その後地球のごく近いところを通過するだろうということでひとまず安心してい
ますが、これからも自分の役割は、地球に衝突しそうな彗星や惑星をいち早く探すこ
とであり、また宇宙的な視野から地球を守るために何をしなければならないのか、一
人でも多くの人に訴えていきたいと思っています。じつは地球の未来はけっして明る
くはありませんし、時間の余裕もないのです。それを一人でも多くの人に訴え、その
ために力を合わせていきたいと思います。

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