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【哲学クロニクル】第1次世界「内戦」のはじまり(2)
http://www.asyura.com/0304/war30/msg/1083.html
投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 07 日 22:33:08:

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哲学クロニクル 第368号
(2003年4月7日)
第一次世界内戦の始まり(2)
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風もないのに、桜がいっせいに、
吹雪のように花弁を散らせ始めました。

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第一次世界内戦の始まり(2)
(ポール・ヴィリリオ、フランクフルター・ルントシャオ、2003年2月1日)


1993年の世界貿易センターの最初の襲撃のことを考えてみてください。犯人たち
は、タワーの構造的な弱点を利用しようとしたのでした。片方のタワーをもう一
つのタワーに向けて倒して、ウォールストリートの20万人以上の人々をタワーの
下に葬ろうとしたのです。600 kgの爆弾、1台の古いレンタカー・トラック、そ
して5人の人間が、広島に落とされた原爆と同じような災厄を引き起こしたかも
しれないのです。テロリストたちがごくわずかな手段で引き起こす事故には、大
きなパワーがあると思います。

【問】あなたは災厄の博物館を建設したいと考えておられますし、「災厄の科学」
を唱えておられます。これらは災厄を手懐けようとする営みですね。もはや制御
できなくなっているものの博物館を作ろうとしておられる。
【答】そうではありません。アリストテレスがすでに事故の科学というものは不
可能だと語っています。しかし事故の哲学は可能ですし、必要なのです。それな
のにまだ存在しない。わたしたちは技術的な事故の哲学を含む「技術の哲学」を
作り出す必要があります。哲学に将来があるかどうかは、この終末論的な次元を
どのように取り扱うかにかかっています。終焉の思想ですね。というのは、進歩
というものは、終末論的なものだからです。

ハンガリーのノーベル賞受賞者のデネス・ガボールは、技術的に可能なものは、
実現しなければならないと語っています。ガボールは、技術が宿命だと確信して
いるのです。ということは、わたしたちがこの終末論を考慮にいれた政治を必要
としているということです。エコロジー党のようなものはありますし、緑の党で
はすでにエコロジー的な事故について考察しています。しかしそれでは足りない
のです。

わたしたちは有限性にかんする知を作り出す必要があります。わたしたちはこの
限界について思考を深め、生命科学の限界について考察する必要があるのです。
災厄の哲学はいま緊急に必要とされています。ニーチェが考えたように、科学と
技術において、悲劇的なものが登場してきたのです。

【問】あなたは「到来せしもの(Ce qui arrive)」の展示会で、事故を攻撃や戦
争、意図的な行為と一緒にしておられたのですが……。
【答】テロは匿名で、秘密で、無差別で、ある意味では揮発性のものです。テロ
はこの両義性そのものと戯れるのです。ジャルバのシナゴーグの事故のことを考
えてみてください。あれは果して自動車事故だったのか、襲撃だったのか。出来
事というものには、不確実性がつきもので、テロリストたちはこれを利用するの
です。テロリストは事故の不確実性を、その力を巧みに使うのです。

世界貿易センターのことを考えてみてください。爆発物も爆弾も使わず、二機の
飛行機が墜落したのでした。数人の人間と数本のナイフ、そして二機の航空機で、
三千人の人々が殺されたのです。真珠湾攻撃の際には、完全な戦闘マシンを駆使
することで、二千五百人が死亡しました。不確実性こそが、新しい戦争の戦略の
一部なのです。

【問】しかし今、事故の責任者の責任を問おうとしています。ドイツでも裁判が
進行中です。事故を制御し、その責任者の責任を問う試みがありますよね。
【答】そのとおりです。これはチェルノブィリ発電所事故にもあてはまります。
人々がリンチにかけようとしたので、原子力発電所の主任の家族を保護しなけれ
ばなりませんでした。しかし主任はもちろん無罪です。主任に責任はありますが、
罪はありません。そして罪と責任についての議論が行われました。しかしだれに
罪があるのでしょうか。科学でしょうか、科学者でしょうか、技術者あるいはエ
ンジニアでしょうか。この事故も終末論的なものですが、今度は法的なものとか
かわるのです。司法界は、有限性の問題にも対処しなければならないのです。

【問】司法界はまだ答えを出していないようですが。
【答】そうです。「司法の事故」の可能性も生まれています。科学の事故という
概念は、司法の事故の問いを引き出すのです。わたしが有限性と終末論という概
念で提示したのは、わたしたちが、自分の弱さ、愚かしさ、誤謬のためではなく、
パワーと成功のために、ひとつの限界に直面しているということです。ここには
解きがたいパラドックスがあります。アメリカ合衆国にも同じことが言えます。
アメリカ合衆国は無力な超大国なのです。このパラドックスこそが、イラク戦争
の本来の急所なのです。

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ポリロゴス事務局
chronicle@nakayama.org
(c)中山 元
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哲学クロニクル
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