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これは本当の戦争と言えるのか
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投稿者 N.H. 日時 2003 年 4 月 05 日 20:18:33:

これは本当の戦争と言えるのか      N.H.

3月20日に始まったアメリカの対イラク戦争、これは本当の戦争とはいえない。実際の内容は、開戦前日3月19日に発信した【アメリカの戦争について】で記述したとおり「アメリカは本格的な戦争をする気など初めからない」ということである。多くの人が感じているとおり、まことに奇妙な戦争である。非現実的でまるで戦争の実体を欠いている戦争である。戦争の実体とは、敵の撃滅である。激しい戦闘が終わってみれば、依然としてイラク軍は温存されているという結末である。

これは戦争といえるものではない。戦争ならとっくに終わっているはずだ。今はまだ戦争の季節ではない。また湾岸戦争のときとも違う。当時は初めから世界中目立った反対もなく、大軍を集めて早期に終結する必要があった。また長引いても何の得もなかった。今回は違う。早期に終結しても何の得もないのだ。またおそらく誰一人として初めから戦争に賛成のものはおらず、気乗りしないものであることはわかっていたはずだ。これは良くわかっていて、また成り行きもそのとおりになった。

逆に聞こえるとは思うが、もし今回もまた世界中が賛成であれば、戦争する必要などなかった。また戦争になることもなかったはずだ。現在アメリカ軍が苦戦しているように見え、今後の戦局の展開、世界経済に対する悪影響、アメリカの凋落の始まりについて世界中で大騒ぎしている。

だが実際には苦戦しているわけではなく、ただ今回の戦闘においては、相手を攻めて撃滅させるわけには行かないから戦局が展開しないだけのことだ。世界中を巻き込むことが必要であり、多少の犠牲はやむをえないということだ。首都攻略の事前の成算の有無の内容は窺い知れず、推測に基づくほかはないが。

湾岸戦争、アフガン戦争では、多大の軍人民衆の犠牲も許されたし顧慮もしなかったが、今回は多くの民衆の犠牲は許されず、また実際最もその回避に苦心しているはずである。湾岸戦争は威嚇戦争、アフガン戦争は掃討戦争、今回は侵略戦争であり、すべて敵の撃滅という戦争の実体を欠いている戦争である。

大規模な国民の支持と世界中の反戦の声こそ必要なのだ。必要とは言い過ぎかもしれないが、もし世界中が大騒ぎせず、早々とひっそり進駐すれば、やはりまたひっそりと撤退もしくは占領するだけとなり、戦後施策に世界各国の黙認と参加が得られることはなくなるはずだ。実はそれこそが失敗というべきである。

思うにプランどおりかどうかは別にしても、アメリカの世界戦略実行のはじめとしては、戦闘の早期終結こそ最も避けねばならないものであるはずだ。早期終結すれば、様々な目的が達せられなくなる。それほど簡単に終わっては元も子もないことになる。大規模戦争ではなく、大規模紛争が必要であった。中東中央アジア地域は世界戦略における要の地域である。あまりに簡単に早期終結すれば、各種の目的は済まされず、さらにその後の施策が迅速に大規模にスムーズには行かなくなるのだ。

また非軍備国家ならいざ知らず、少なくとも完全武装で待ち受ける国家の制圧には、2〜3ヶ月かかろうとも短期といって差し支えなかろう。軍事の予定は常に未定と同義語であって、予定通りの短期終結とは敵に対する奇襲撃滅以外になく、現在の状況にはまったく当てはまらない。

最初から分かりきっている最も困難な時期を選んで、小規模な戦力で、確実な当てもない民衆蜂起、内乱などを頼みにして、幼児並な計画を立案するなどありうることではない。戦局の見通しの甘さ、イラク軍の戦力の過小評価、自軍の戦力の寡少、制服組の意見の軽視、計画の誤算、あるいは制服組からの批判など、そのような安直なことが皆ありうることではない。これこそ情報に踊っているのだ。

世界中の多くの識者から、アメリカの安易すぎる誤算の声があがっている。そうだろうか。もし本当にそうならば、あまりに幼稚な誤算であり、その余波を受ける世界はたまったものではなく、夢も希望もない悲惨さだ。しかし単に戦局の推移を見て、すぐに全員がこのような意見に飛びつくという姿勢もまた、あまりに軽率としかいえない。

おそらく、アメリカの戦略は、誤差も含めて予定通りというところであろう。戦略の多少の手直しはあったとしても、変わりなく強靭に強引に進められることであろう。善悪にかかわらず。そうせざるをえないのだ。人事においても変動はあり得ず、英国の脱落もあり得ない。

戦後には、あれほどに高まった反戦アメリカ批判の嵐、世界経済世界情勢に対する危惧の声が、嘘のように何事もなかったかのように、世界中が皆その口をぬぐい経済行為にいそしむこととなるであろう。

今はまだ戦争の時期ではない。別に長期化してもかまわないし、批判されてもかまわないのだ。ふさわしい敵はまだ育っていない。多少の角逐はあろうとも、世界中を巻き込んだ大規模な争乱の時は、まだ幾年も先のことなのだ。

朝鮮戦争ともなれば、本格的な撃滅戦になる。だがこれはあり得ない。常に脅威はある。しかし朝鮮半島は、風になびく草木なのだ。今はその風の気配はない。逆風もまた鳴りを潜めている。順風逆風なきところ、日本韓国に危険はない。今はまだ商売の最中なのだ。アメリカにとって、国内経済の問題など、実は国内の問題ではないのだ。したがって国内経済の空洞化はあまり問題にしていないはずだ。

アメリカの20年戦争という言葉に誤解があるように見える。この中東地域の戦争の長期化が20年戦争の始まりになるかもしれないと見られているわけだ。だがアメリカの20年戦争とは戦闘の拡大継続のことではなく、世界のアメリカ化の課程における世界全体での戦争戦略の実行のことである。第三次大戦に繋がり得るとの見方など、総評論家と化した好事家の児戯に類するものだ。

戦後復興の国連決議案を日本起草で英国が提案することになっている。つまり日本主体で責任をもって復興事業を行わなければならないということだ。結局お金の引き出しということだ。

今回は戦後復興ということはありえない。何を復興するというのか。軍事施設と大統領宮殿でも復興するとでも言うのか。あるのは復興ではなく、公共投資、産業投資ということに過ぎない。誰がするのか。アメリカ企業に他ならない。復興資金はどこからどこに行くのか。日本から、アメリカへ。これがつまり戦費の負担だ。戦費負担の事前要請のなかった理由である。分け前はない一方的なものだ。

これが日本のアメリカ支持の中身であり、これ以外にありようのない現実だ。多くの人が国の方針を変える好機と言っているが、実際には日本は自己主張どころか、アメリカに意見を述べることさえ許されていないのだ。これが日米安保体制の実態であり、もしそれがいやなら自前で軍備さらには核装備をするしかない。平和に暮らす国民に属国という意識がないまま、日本が反戦反アメリカを唱えて、仮にもしそれが実現したとすれば、反戦デモをする若い母親が我が子を徴兵に差し出す道を自ら唱えていることになるのだ。

戦争反対はまったく正しいし、必要なことだ。本来、日本はそうすべきである。だがアメリカの戦争に賛成であれば、子供を戦陣に送り出すことはなくてすむ。他の国で反戦を言うのと日本とではまったく意味が違うのだ。世界と一緒に反戦デモをすればいいという、無邪気で平和なわけにはいかないのだ。他のアメリカの同盟国が、今回のアメリカの戦争に反対しても同盟関係が損なわれることはない。しかし日本はアメリカの同盟国ですらなく、支持の声をあげることさえ必要ないのだ。

日本とアメリカは最も対極に位置する国である。一方は古来最も変わらず、変わることを常に願って外に合わせて自ら変わり続ける国。他方は最も変革を目指し、自身は変わることなく常に変革を信じて他者の変革を押し進める国。おそらくある意味でどちらも性懲りもなく変わらぬ国である。

それが双方の長所であろう。欠点といわれる面もそこに由来する。したがって行き詰まりのときにあたって、云々されるのもこの点である。だがしかしこれを失えば、その国の長所をも併せて失うこととなり、衰退の時を迎えることとなる。アメリカは走り続けなければならないのだ。現在の日本では、独立国として自己を打ち出せば自己を失うのだ。

独立国として自己を世界に打ち出そうと振る舞うには、その前に粛然として自立する覚悟を定めるという行為が必要なのだ。国民の総意として、もしくは政府全体の集合的意識化としてだ。この課程を経ずして、一度失われた状態を再生することはほとんど不可能である。その準備なくしていたずらに自主外交、再軍備、独自経済財政政策、構造改革などを論じるのは無意味である。

憲法を改正して自主路線をとるべきとの論議が起こっているが、もしこの過程を経ずしてその果実を得れば、その日から日本の悲惨が始まるのだ。この過程なき自主路線は自殺行為なのだ。繰り返すが、日本はアメリカの同盟国ですらなく、自己主張どころかアメリカに意見を述べることさえ実際に許されていないのだ。

自主独立とは世界中あたり前のことだが、日本にとっては決してあたり前のことではないのだ。そしてこの過程を受け入れることが出来るようになるには、さらに今一段の道程が必要なはずである。何が日本の真の脅威であったかという認識は、そのときにおいて始めてすべての日本人の心に定まるはずである。

また日本が現在の行き詰まりを打破するには、ただ無闇に不合理非効率を排し、合理的に改革すれば良いというものではない。日本の歴史に鑑みて、古来からの変わらぬところに立脚して変革を行わなければならないのだ。さもなければ、改革とは自己亡失に他ならないのだ。改革は成功しても失敗しても、日本国民を幸せにすることは決してないのだ。

アメリカはヨーロッパの軛を嫌って新天地に逃れてきた人々の集まりである。したがってその古さを笑いつつもその伝統の重さに畏敬を感じている人々である。おたがいに困ったものだと嘲笑しあっている気心の知れた仲間である。あたり前のことだが皆独立国であり、軍備を備えている。しようと思えば何でも出来るのだ。
                                  四月五日

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