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【JMM−冷泉彰彦】「アメリカを引き裂いたもの」
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投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 14 日 22:04:08:

                              2003年4月12日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.213 Saturday Edition
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                           http://jmm.cogen.co.jp/
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』 第87回目
   「アメリカを引き裂いたもの」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』 第87回目
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「アメリカを引き裂いたもの」

戦争への反対と支持に国内世論が引き裂かれたまま、バクダットの一部へ進軍という
ところまで事態は進行しました。10日の木曜日の時点では、パレスチナ・ホテル前
のフセイン像の引き倒しという「映像」が流れる一方で、その近辺での「自爆テロ」
があったという報道もあり、無気味な雰囲気が漂っています。

無気味というのは、まだまだフセイン政権の残存兵力とのティクリート辺りでの戦闘
が悲惨になる可能性もありますし、バクダッド市内もどこまで米軍がコントロールし
ているのかも分からないからです。ペンタゴンからは、シリアが怪しからんとか、イ
ランがどうこうという更にキナ臭い話も聞こえ、それも正に無気味というところでしょ
う。

ただ、一見するとあっけなく見える「首都陥落」の映像は、アメリカの世論に一種の
脱力感のようなものを与えています。勝利宣言をする訳でもない一方で、大勢が決ま
りつつある中で反戦の声を上げても時既に遅しという感じもあり、賛成派も反対派も
とりあえず沈黙している感じです。

では、対立は弱くなったのでしょうか。今後、仮にティクリートも簡単に陥落させた
として(あくまで仮ですが)、戦後処理の問題について冷静に議論する土壌が出来た
のでしょうか。それは違うと思います。国連をどう噛ませるのか、イラクの新体制に
おいて米国のプレゼンスをどの程度にするのか、そして周辺国との関係をどう安定さ
せるのか、こうした問題に関しては、真剣に議論のテーマに乗せれば改めて深刻な亀
裂が生まれることでしょう。

この亀裂はどこに原因があるのでしょう。徴兵制のあったベトナムとは事情が違いま
す。若い世代全員が戦争に狩り出される当事者として、戦争を支持する旧世代と鋭く
対立して行ったのではないのです。では、現在の米軍を構成する志願兵というのはど
んな人たちなのでしょう。平時においては、軍人の家族に育ったり、漠然とした名誉
や責任へのあこがれなどから軍人としてのキャリアを志す人が多いのでしょう。

ですが、アメリカを取り巻く世界の緊張が高まる中で、多くの人間が徴募されて行く
のですが、その多くは決して心の底から好き好んで志願したのではない人たちと言え
ます。良く言われることが、経済的理由です。初任の年俸1万2千ドル(プラス、奨
学金や無料の医療サービス)という処遇で生命の危険を冒す、その裏にはそれぞれの
個人と家庭のドラマがあるのでしょう。

市民権(国籍)の問題もあります。数字は公表はされていませんが、米軍の兵力の中
で、アメリカ国籍を持っていない兵の割合は無視できないと言われています。実際問
題、以前から軍への志願に際して、国籍は問わないことになっているのです。国籍が
なくても「合衆国への忠誠」を誓えば軍人になれるのがアメリカの制度です。そして
その代わり、任期(だいたい三年です)を全うすると永住権が付与されることになっ
ていました。

それが、昨年のアフガン戦争の際に、ほぼ即時で市民権が交付されるルールに変わり
ました。永住権は家族への拡大には限度がありますが、市民権の場合は本人に認めら
れると家族への永住権がほぼ即時に認められるなどの恩典があり、移民一世の中から
「一家を代表して兵役に」というケースも多いと聞きます。ですが、そうした経済的
な事情、医療サービスを家族が必要とする事情、国籍の事情だけでは、膨大な志願兵
が充足される背景は説明できません。

私は、ここ十年の教育改革の影を感じます。改革以前のアメリカの教育は、確かに問
題がありました。特に理数系のカリキュラムは、訓練の機会も情報量も乏しい一方で、
生活実感や言葉による因果関係ばかりを重視するバランスに欠けたものでした。州自
治、地方自治の美名のもとに、各市町村ごとにバラバラの教育がされていたという問
題もありました。

極端なところでは、宗教的な理由で「進化論」がタブー視されていたり、日本式の計
算ドリルを導入しようとしたら「人間を機械扱いしている」という理由で潰されたり、
とカビの生えたような「教育」のされている州もありました。

クリントン政権の大きな功績の一つには、こうした教育の問題について曲がりなりに
も全国統一の基準を作ったことです。各教科について、全国統一の指導方針を作り
「K(幼稚園の年長)から12(高三)年生まで」という大きなレンジで「何をどう
教えるか」の流れが出来てゆきました。この改革の巧妙なところは、飛び級などの能
力主義や、因果関係重視といったアメリカの教育の美点は残しながら、教える情報量
と訓練機会を増やして行ったことです。

連邦レベルの大方針と、各州各市町村の自由裁量のバランスも機能して、実際に改革
は進行しました。時代も味方をしました。IT革命の進行は全学年でのコンピュータ
導入による情報摂取の効率化をもたらしましたし、グローバル金融の成功による景気
拡大は、潤沢な税収による教育予算を各自治体に持ってきてくれました。特に、グロー
バリズムの陽の側面である、人と情報の交流という流れを受けて、多くの州で低学年
からの外国語教育が進んだのもアメリカにしては画期的なできごとでした。

こうした教育改革は、学校の文化をマジメ一辺倒にしたかと思うとそうではありませ
ん。70年代以降の「性の開放」というトレンドは、その主役であったベビー・ブー
マー(団塊の世代)の二世達と、それ以降の世代が中学や高校を占拠することでより
一層進んだと言って良いでしょう。特に高校では、交際相手のいることを前提とした
卒業パーティーや卒業旅行などの風俗がいっそう定着しました。女性の地位が一層進
んだことも、それが「女らしさの誇示」を前面に押し出した風俗を伴って、学園の雰
囲気を華やかなものにしました。

勉強と男女交際と来れば、スポーツなどはおろそかになるかというと、これも違いま
した。依然として、学園におけるスポーツ活動は盛んで、各大学が受験生の人物評価
の重要な要素に「スポーツ経験」を含めることから、かえって加熱している感じもあ
ります。ヒューマニズムの進展に伴って、高校生のボランティア活動は奨励されてい
ますし、人種差別の根絶を中心としたリベラルな社会問題の学習も重要とされました。

こうした教育制度は、従来のアメリカの強みに、更に「グローバリズム」と「理数系
の情報と訓練」を加え、ある種完ぺきな教育システムのように見えました。このシス
テムの描く、理想の高校生とは「学業成績優秀、しかも計算力や語彙力などの静的能
力だけでなく、発表能力や問題解決力にも優れる」+「スポーツ万能、しかもリーダー
シップと克己心に優れる」+「特定のパートナーがいて、理想のカップル」+「ボラ
ンティア活動を通じて弱者への労りがあり、人権問題についての意見もしっかり言え
る」ということですから、非の打ち所がありません。

ですが、こうした教育システムにもアキレス腱がありました。それは「究極の脱落者」
を作るということです。健康な学園社会なら、「勉強はダメだが、スポーツは一芸に
秀でる」とか「真面目な社会問題には関心がないが、なぜか女の子にもてる」とか
「学校では地味にしているが、地域の老人には慕われている」というような生徒がた
くさんいる筈なのです。ですが、最近のアメリカの、特に教育熱心な州の公立校では
「何もかもを独占しているエリート」と「その予備軍」という多数派が完全に学校社
会を牛耳っているのです。

こうした「何もかも」組が「多数派」ですと、親も安心して高い地方税を払う、その
結果として「学区の評判が上がり」、ますます「何もかも」を目指す家庭が引っ越し
てくる、とまあそういった循環も起きて現象に拍車をかけます。さあ大変です。どこ
の学校にもいるはずの「勉強も平凡、スポーツは苦手、友人にも恵まれない、社会問
題で格好の良いことも言えない」という子供たちは「究極の脱落者」になってゆきま
す。

こうした子供たちに待ち受けているのが、虚無的な音楽であったり、麻薬であったり、
退廃的な風俗であったりします。学校や社会が「早熟であれ」とプレッシャーをかけ
る、その中で「早熟になりそこなった」若者には落とし穴が待ち受けているのがアメ
リカ社会です。一旦転落が始まりますと、「教育熱心な学校」という評判を守るため
に「問題児」はどんどん疎外されてゆきます。特に学年が進んで高校ぐらいになりま
すと、麻薬や暴力の「前科」がありますと、学園には居場所がないということにもな
ります。

公立校の場合は、一学区に一校で選択の余地がありません。優等生と問題児が、いつ
までも同じ学校に通うしかないのです。その結果として、数学ですと同学年で到達度
別に五段階とか六段階という話になり、スポーツのクラブは、過酷なテストの合格者
だけで占められます。居場所のない子供が、居場所のないまま通い続ける、例えば、
コロンバイン高校での乱射事件で自分たちも死んで行った二人の少年は、そんな場所
に追い詰められたのでしょう。

そうした居場所のない若者が、人生の「一発逆転」をかけて軍に志願する、その数は
大変に多いと思います。高校の進路相談のカウンセラーも、いよいよとなったら軍を
勧める人がいますし、実際にこうした「青春の挫折組」を狙って徴募の活動がされて
いるのです。

兵士の家族が紹介されるたびに、その多くが貧しいこと、年若いことに驚かされると
同時に、兵士自身の軌跡の中に「青春の挫折」を経験した影のようなものを感じて、
どうしようもない空しさを感じることがあります。戦場の環境は過酷です。その前の
訓練も過酷を極めるといいます。若い兵士は精神が強靱だから過酷な環境に耐えられ
るのでは、恐らくないのです。ここが人生の最後のチャンスだからと、歯を食いしばっ
て自分の生命を危険に晒しているのです。

そうした若者を戦地へ送り、イラクの民衆と「殺し殺され」の惨劇に放り込み、「犠
牲は最小限」などとうそぶくペンタゴンのお歴々には呆れて物も言えません。それば
かりか、次はシリアだイランだ北朝鮮だ、などと勝手なホラを吹くのですから、いい
加減にしてもらいたいものです。

軍への同情が集まり、戦争支持の星条旗や、帰還を祈る黄色いリボン(ニュージャー
ジーでは余り見かけません)などを掲げる人たちは、決して根っからの国粋主義者で
はないのです。兵士が強者ではなく、むしろ弱者であるという心情から、戦闘に身体
を張っている兵士への共感を隠せないのでしょう。

反戦運動への反感、平和論を展開したカナダやフランスへの反感も、同じ心情から出
ていると思います。ここに悲劇があります。反戦運動をしている人たちは、自分たち
が正しいと信じています。それだけではありません。何か巨大な悪が(例えばネオコ
ンとか、宗教狂信者とか)がいて、それが軍需産業と結託して悪事をしている、それ
に対して「弱者」の自分たちは、必死になって反抗しているのだ、そんな心情が共通
にあるのでしょう。

その一方で、戦争支持の人々や志願兵は「自分たちこそ弱者」と信じているのです。
そして、反戦を語る人々に「経済的にも、勉学やキャリアの上でも勝者のくせに、鼻
持ちならない偽善者」という憎悪を抱くに至ります。このすれ違いは恐ろしいものが
あります。

アカデミー賞の授賞式で、確信犯のマイケル・ムーアや、作品自体が反戦だったエイ
ドリアン・ブロディのスピーチはともかく、スーザン・サランドンの「ピースマーク」
に対して、ものすごい反感が来ているのも、そうした心情が背景にあると言って良い
のでしょう。

スーザン・サランドンといえば、死刑制度の告発そのものである『デッドマン・ウォー
キング』の演技でアカデミー賞を受賞しましたし、その監督でもある夫のティム・ロ
ビンスとの「おしどりリベラル」ぶりは、映画好きなら誰でも知っています。ですが、
正々堂々とではなく、さりげない「ピースマーク」で反戦を示す、その洗練されたや
り口そのものが「自分たちこそ被害者、勝者の偽善はコリゴリ」という保守の心情を
逆なでしたと言って良いでしょう。

その余波で、サランドンは、自分が深く関与しているチャリティー団体のフロリダで
の大会への参加を拒否され、更には夫と共演して結婚のきっかけになった野球映画
"Bull Durham"(邦題は『さよならゲーム』)の15周年式典を、「時局に配慮して」
野球殿堂から拒否されるという抵抗にあっています。

こうした現象に対して、メジャーなTV番組の中でも特にリベラルの牙城というべき、
NBCの『サタデー・ナイト・ライブ』では、「USアーメン」というひどい名前の
「戦争支持派のカントリー・デュオ」を登場させて、「フランスもドイツも大嫌い、
プジョーもポルシェも買わないよ」とか「国連の旗もごめんだね」と歌わせた後に
「スーザン・サランドロンの映画は絶対に見ないぜ」、「ついでに『サラン(サラン
ドンにひっかけて)ラップ』も不買運動だ」というきつい冗談を飛ばしていました。

ですが、こうした凝ったパロディも「お高く止まったリベラリズム」そのものであっ
て、反感を買うのだという心理は、どうしてもリベラルの側では分かっていないよう
なのです。そこに悲劇があると言って良いのでしょう。戦争推進派にしても、戦争が
悪だということも一応分かっているのでしょう。イスラム圏全体を敵に回すのが得策
でないことも分かっているはずです。ですが、それ以上に正論が鬱陶しいのです。と
りわけ、優等生的で尊大なリベラルの反戦論が、憎らしいのです。

リベラルの方は、そんな草の根の屈折した心理を知ろうともしないで「ネオコン=巨
悪」と戦うヒロイズムや、正義の通らない不運を嘆いているのですから、国論がまと
まるはずはありません。実は、これは日本の左右対立や、過去にドイツでナチズムが
席巻したり、さまざまな独裁国家で民衆が独裁者を押し上げていった心理などに良く
似ています。

アメリカは言論の自由と個人主義が徹底しています。そんなアメリカで、どうしてファ
シズムのような大衆心理が出てきたり、左右対立がここまで激しくなるのかというと、
現象は似ていても日本とは少し事情が違うようです。

本当の個人主義に耐えられる人間は、全てではないのです。人間は何らかの理由で、
自分自身でもどうしようもない恐怖心にとらわれたり、無力感にとらわれたりするも
のです。そんな弱さ自身を認めること自体にも、大変な強さが必要です。そうなると、
弱さを抱え、その弱さを認めない人の中から、強い力や大きな集団に自分を投影する
心理が出てくるようです。

一言で言えば、自分に自信がない個人主義の負け犬が、国家というものに極端な自己
投影をしてしまうと言えるでしょう。その反対に、個人主義の勝者、つまり「自分と
は何かを、強さも弱さも含めて自分に説明できる」ような人は、自分に自信があるか
ら国家の非道徳性を批判できるのです。

こうなると、個人主義の建て前など無力だという側面が浮かび上がってきます。日本
でも全く同じ事情です。偏差値教育に疎外され、日教組系の教師に無視された若者が、
国家主義的なものに思い詰めてしまうのも同じなら、リベラルの方が「巨悪への反骨」
という幻想に捕われて国粋主義的な人の持つ敗北感を全く理解しない現象も全く同じ
です。

拉致問題などもそうです。被害者家族を北朝鮮に残しているのに、その北朝鮮への経
済制裁を叫ぶ「救う会」の主張は一見するとムチャクチャですし、日本の世論を反北
朝鮮に誘導するためのネオコンの陰謀だ、などという講釈も簡単にできます。

ですが、長年、被害の訴えを無視され続け、国粋主義的な色彩の人々の思惑に頼るし
かなかった被害者に取って、心情的なしこりは理屈を越えたものがあるのでしょう。
とは言っても、平和を訴える人々には、どうしても好戦的な勢力に騙されているとし
か見えないのですから、これも悲劇です。

日本の歴史観もそうです。国家主義的な人は「自虐史観」と言って罵るのですが、リ
ベラルな人は個人に自信がある分、自分を国家に投影することが少ないので、自国の
過去における非道徳性を正視するのが正義だと思っているのです。そんなリベラルに
は、不道徳な過去に目をつむって名誉の問題に固執する人たちは、現在形での悪に見
えてしまうのですから、これまた悲劇としか言いようがありません。

主義主張が徒党を組むことで集団心理になる、それも一因でしょう。ですが、それが
全てではないように思うのです。国家主義的な心情も、反戦論も、どちらも「巨悪へ
立ち向かう正義感」という情念に支えられています。日々の生活を離れて、時事問題
の講釈に熱を入れる不自然も似ています。そのくせ、お互いがお互いの心情を絶対に
理解できない悲劇は益々拡大しています。人間観が違う、人生観が違うといえば、そ
れまでですが、どこかに解決の糸口はないでしょうか。

現実主義の合理性に救いを求める、それがまずは常識的な選択でしょう。ですが、今
回のイラク戦争は、どう考えても非合理な情念が当面の事態を動かしています。私は、
リベラルや反戦を叫び国家の暴走を疑う側に、何か改める余地はないかと考え始めて
います。

例えば「人間の盾」がそうです。私は「この場所では生存権が侵されている」という
事実を訴える、そのことだけでも、彼等の行動を認めるしかないように思ってきまし
た。ですが、膨大な戦火の映像を見た後で、どうしようもない空しさを感ずるのも事
実です。フセイン大統領に利用されている、ということは問題ではありません。

空しさを感ずるというのは、戦争支持者の固く閉ざされた心を開く力はないように思
うからです。「無限の正義を勝ち誇る」ように「自分の生命を危険に晒す」ことでは、
屈折した心の軌跡の末に「国家に自分を投影」している好戦的な人々には、反感を買
いこそすれ、心を通ずることはできないように思うからです。

今週のバクダット占領劇では、報道関係者に対する(恐らくは確信犯の)爆撃がショッ
クを与えましたが、もしも本当に故意だとしたら、同じような精神的亀裂のもたらし
たものと言えるでしょう。全否定すべき事柄です。ですが、胸を張って全否定すれば
するほど、リベラルな観点と軍部の現場の心情は乖離してゆきます。その結果として
似たような事件の再発が有り得るのだろうと考えると、暗たんたるものがあります。

リベラルの側が、保守的な心情の裏にある心の傷を認め、少なくとも尊大な言動を改
めれば事態は改善するでしょうか。お互いの心の交流は出来るのでしょうか。分かり
ません。勿論「君たちは精神的な弱者だから、僕は強者のような振る舞いは止めるよ」
などと言っては怒りを増大させるだけでしょう。

ですが、何らかの誠意は見せられないかと思うのです。少なくとも「人を殺して平気
なほど、傷ついている心情」が背景にある、ということを認め、そこから何か新しい
和解のストーリーは描けないのかと思うのです。勿論、そうした保守心情を悪用する
軍需産業や政治家への告発は必要でしょう。

911の死者にアフガンの死者、そして3千とも4千とも言うイラクの死者が加わり
ました。そう言っても、21世紀にはまだまだ膨大な時間が残されています。世紀の
初めに続いた「死」を無駄にしないために、正義不正義の二分法、を抜け出す方法は
ないものでしょうか。「殺すなかれ」という常識が機能する世の中に戻すことはでき
ないのでしょうか。


冷泉彰彦:
著書に
『9・11(セプテンバー・イレブンス)―あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093860920/jmm04-22

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                   melma! : 15,067部
                   発行部数:116,020部(4月7日現在)

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