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【イラク戦争:仏・英・アラブの報道から】
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/490.html
投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 10 日 10:15:36:

イラク戦争:仏、英、アラブの報道から
http://home2.highway.ne.jp/sinb/press.html

目次 (*は当サイトのコメント。基本的に抄訳です。誤訳注意。原文はウェブ上のle mond,l'humanite,liberation,the independent,the guardian ,the observer,this is london,al jazeerahにあります。)


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4/9
 ルモンド

 米軍の火力に粉砕され、最後のイラク戦闘員たちは陣地を放棄した。

 レミ・ウルダン

 バグダッドは死んだ。イラク首都中心のジュムフーリヤ(共和国)橋の制圧をめぐる激しい戦闘の後、東部からの増援を得た米軍は急速に市街への支配力を持ったようだ。恐怖にかられたイラク戦闘員は明らかに戦場を放棄した。

 この動きは戦略的後退の可能性もあるだろうか。ティグリス西岸の官庁街を制圧した米軍を待ち伏せる罠か。人口が多い商業地区の東岸は、ゲリラ戦に適した狭い路が利点となる。しかし、それはほとんどありそうもない。
 9日の明け方、防衛隊が共和国宮殿にまばらな砲撃をするとともに、新たな空襲がやってきた。
 首都のいくつもの幹線道路から兵が逃亡した。体制終焉の空気がいたるところで漂ってきた。もっとも決意に満ちた戦闘員は、疑いなく米軍の攻撃に抵抗しようとしていた。しかし、多くのフェダイーンは、相手の軍事力に衝撃を受け、民間人への無差別な攻撃に士気阻喪し、抵抗を放棄する寸前のように思われる。

 より重要なのは、イラク軍が街路から消え去ったことだ。民兵たちは、ここ24時間、司令部と連絡が取れなくっていると告白した。
 火曜日は首都進撃する米軍にとって、地理的にも威力の誇示という面でも決定的な日だった。

 共和国宮殿を出撃した米軍部隊は、絶え間ない空襲の援護を受け、急速に官庁街と共和国橋のたもとの陣地を奪取した。
 脅威とみなされた場合は、命令や確認なしに発砲する許可が与えられていた。パレスティナ・ホテルが戦車の標的にされた。東岸でも同様で、軍、民兵、民間人に多数の犠牲が出たと思われる。

 この戦いの間に、テレビが止まった。ラジオだけがサハフ情報相の連合軍兵士の「ヒステリックな行動」への非難を流していた。しかし、彼がまだ陽気にバグダッド中心部での米軍の存在を否定しても、もはや誰も信じていない。

 
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4/9
 ルモンド
 
北の地区では数千の住民が戦場になった街から逃げ出そうとしていた

 パトリス・クロードPatrice Claude

 ミサイルだけではない。散発的に防衛側の砲撃があり、ロケットが発射され、戦車砲が放たれる。たくさんの爆弾。1トン爆弾が街のあちこちに落とされ、パニックに陥ったイラク兵や民兵が1小隊丸ごと火葬される。
建物が足元から揺れ、巨大な流れ星が爆発した夜のように、中心から数百mに及ぶ光が放射される。
 何日もの間、バグダッドには水も電気もパンもなく、店も開いていない。

 南東部では数千の海兵隊が進撃してきた。北部のアメリカ部隊もたくさんいる。いまに渋滞が始まることだろう。勝者の到着と敗者のパニックが、恐怖する500万市民の街に混沌とした状況を生んでいる。
 市の中心部東にあるカラダ大通りでは、制服を着てカラシニコフ銃を背負った民兵が、ひどく急ぎ足で歩いている。彼の上空では爆撃機が轟音を発している。力に差のあるもの同士で戦われたこの戦争を象徴するシーンだ。同じ通りでいくつかの家族連れが早足で歩いている。子供までも日用品を詰め込んだ袋を背にくくりつけている。

 別の50代の民兵は、制服は着ていたが武器は持っていなかった。歩道の際で絶望的に左手を振っていた。敗北の苦悩でだ。ヒッチハイクを試みているとは思えない。中心部の通りでは、まだたまに車が行きかう。どこかわからない行き先へと急いでいく。日本製の小型トラックが、ちゃちな狙撃銃と対戦車ロケット弾RPGを握った汗まみれの若い戦闘員たちを乗せて、どこかへ突っ走っていった。4月8日火曜11時(日本:18時)、街は暑い。空にはモヤがかかり、温度は天罰でもあるかのように高い。

 大部分の陣地は空っぽのようだ。バース党の民兵はすでに居らず、ジャーナリストが濶歩している。何人かの警官がいくつかの官庁の前で警護している。タヤラーン広場では、数百人の貧しい人々、黒衣の女性たち、汚れた半袖シャツの男性たちが、絶望的な様子でほとんど走っていない英国製の赤いバスを待っている。

 バグダッドでまだ日常生活を営んでいるところを探すなら北の地区に行くしかない。煉瓦の家が立ち並ぶところだ。しかし、ひどい渋滞に捕まってしまった。脱出が拡大している。
 49才のハジ・ジャバール・シェイクは、「子供たちがひどく怖がっている。」とわれわれに説明した。13人の家族を2台のひどく揺れる車に詰めこんでいる。
 「両親がいる北のアル・カレビーヤに行く。みな生きていて歓迎してくれたらと思う。ここはもう出なけりゃならない。なんとか折り合いはつくだろう。われわれはアル・シャアブに住んでいた。あそこで何があったか知っているだろう?」

  恐怖の理由は、空っぽになったその場所にいけばわかる。爆弾の衝撃で破壊された家。5日前に3発落とされ庭で涼んでいた3人兄弟が殺された。地域のバース党事務所からも軍事目標からも離れ、部隊がいたわけでもない。
 「やつらはもう勝ったのか?それなら何故まだわれわれを撃つんだ?」とハジ・ジャバール・シェイクは言った。


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4/8
 ルモンド

 市街侵入に際し装甲部隊は「地獄の縦隊」戦術を取った

 レミ・ウルダンRemy Ourdan

 雑誌「レッドRaids(襲撃)」の戦争特派員であるイヴ・ドゥベYves Debayは、軍事問題専門家であり、4月5日土曜のバグダッド南部郊外の戦いの際、砂漠からやって来たところだった。彼はすでに、民間人被害の多かったこの戦闘スタイルをイラク南部で経験ずみだった。米軍の取った戦術は「地獄の縦隊」と呼ばれていた。

 「アメリカ軍は40から50台の装甲部隊を編成する。先頭にM1エイブラムズ戦車、それからブラッドレー兵員輸送戦闘車両かAmtrack、さらにMicklick、拡声器を備えたHummerが続く。

 2台の戦車を先頭に、路幅いっぱいに広がって行進する。動くもの、疑わしいものは何でも撃つ。つまり『射撃は勝手に!』だ。彼らは25mmでサダムの肖像を撃つのが好きだ。発砲に基準はない。イニシアティヴは兵士、つまり二十才の小僧にまかされている。だから民間人にも発砲する。
 イギリスの兵士は、そんなふうには振る舞わない。イラクでは英軍は民間人の殺し方がもっと少ないし、兵士をもっとよく制御している。」

 「マームディーヤとバグダッドの間で、少なくとも5台の民間車両と1台のバイクが破壊されているのを見た。乗っていた人間はみな殺された。」とイヴ・ドゥベは付け加えた。 「誇張する必要はない。血まみれの人間狩りをしているわけではない。しかし慎重に振る舞っているのでもない。マームーディーヤの南やラティフィーヤで、戦車の司令は民家の窓に向け、気ままに機関銃を連射していた。

 問題は2つある。彼らはまだ9.11に報復しているつもりだ。さらに、民間人を殺しても何の懲罰もない。彼らの目的は民間人の殺害ではないはずだが、彼らはカウボーイのように振る舞っている。連中は牛たちにまで射撃するんだ!
 これは彼らの恐怖を隠すための方法だという印象を受けた。彼らはとても恐れている。そして、あらゆる帝国は、いつもそのために破滅する。」


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4/8 なぜ敵の指令部への猛攻にいくつかの大きな欠点があるのか

 インディペンデント  クリストファー・ベラミーChristopher Bellamy

 敵の指令・管制への攻撃の問題点は、もし命令が下せなくなれば簡単に国民に降伏を命ずることもできなくなることである。正規部隊は命令が下ればすぐ応ずる。しかし非正規部隊はそうはいかないだろう。  もっとも反撃が生じているのは皮肉で予期せぬことにフェダイーン民兵である。米軍はこの要素を完全に見落としていたようだ。  上級将軍による都市作戦行動の研究が昨夏アメリカで行われ、それは(http://slate.msn.com/id/2081098/)に置かれている。そこでは、バグダッドでイラク政権を破り、指令と管制を混乱させるための7つの選択肢が報告されている。

 最初の3つは、1:占拠による孤立化、2:遠隔攻撃もしくはガラクタ化、3:地上正面攻撃、である。
 どれも米軍とイラク市民の被害が重大で選択できない。アメリカの取った計画は残りの4つの混合だと思える。

 4つの最初のものは1:中心部の孤立化、で空軍力と地上部隊で体制と市民を分離して指令部と市の中心部を「孤立化」させることである。米英はこれを実行しようとしている。

 次ぎは、2:中心部占拠、で指令管制センターを占拠する。昨日、米軍は明きらかにこれを実行してかなり成功した。このオプションは政府のインフラを手付かずに残し、サダム後に使用できる利点がある。

 3:分割占拠。これは地上正面作戦の修正ヴァージョンで、特定の地域をターゲットにする。一番採用度が高そうである。

  最後は、4:柔軟なポイント占拠と拡張、で防護されていない「軍事的反撃の弱そうな」地区の占拠を含む。この橋頭堡は、都市の最も奪い合いの激しい地域に向け拡張される。

 1は昨朝実行された。数時間後、可能なら米軍がそこに留まるつもりなのは明らかになった。大統領宮殿や省庁の占拠は象徴的意味合いのように見えるが、実際の軍事的価値も同様にある。連合軍は大量破壊兵器とイラク指導部の所在を探している。

 物理的と同時にインテリジェンス・情報の破壊の結合は精神的プレッシャーとなる。これは抵抗が粉砕された場合に「裏切り、密告tipping」を生み出す。この言葉はアフガニスタンで最初に広く使われるようになった。その地点にさしかかっているのかもしれない。

(*クリストファー・ベラミーはクランフィールドCranfield大学の軍事科学・理論科教授
 4/7のルモンドによれば、民兵にはフェダイーン・サダムとバース党の民兵アル・クッズ(エルサレム) 軍団があるようだ。民兵の戦意は高いが、民衆がゲレラに転ずる気配はないらしい。)


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4/8 
  バグダッドは数時間で陥落するように見えた。しかし、狂った正気とドタバタと死に彩られた一日でもあった。

 インディペンデント  ロバート・フィスク

 一日はものすごい振動で始まった。大きな踏みつけるような音が、私の部屋を揺るがした。それは「ドン、ドン、ドン」と鳴り響いた。私はベッドに寝たまま、原因を推測した。それはまるで、ジュラシックパークの1シーンを思い出した。ツーリストたちが最初に聞いた恐竜の足音は、雷のようにどんどん近づき、大きくなり、人々を震えあがらせる。

 ティグリス川東岸の私の部屋からは、半マイル(800m)先のビルの屋上に置かれた対空砲が川の向こうの何かを射っているのが見えた。川岸にいる車が一斉に警笛を鳴らしたような「ドン、ドン」という巨大な音がした。

 明け方の道路に出てみて、初めて何が起こったかわかった。1991年にアメリカ軍の迫撃の音を聞いて以来の大きな砲声だった。たった数百m離れたティグリス川の岸ところに彼らはいた。最初にそれは、ヨロイに覆われた小さなムカデに見えた。茶と灰色のマダラで、止まったり動いたりを繰り返し、見知らぬ場所に来て水を探す、異様な小さな生き物たち。

 目を凝らしてムカデをずっと見続けていると、その生き物がブラッドレー戦闘車両とその背後にいる米海兵隊の一群であることがわかった。装甲の陰に隠れて、用心しながら車両と一緒に少しずつティグリスの方に前進している。
 アメリカ軍の砲撃に対し、同じ岸の南側の壕や穴からイラク兵や民兵が放つ、ロケット推進弾(RPG)の大きな音と白煙が上がった。何もかもすばやく、単純で、恐ろしい。

 すべてがペンタゴンが吹聴しブッシュが約束した通りであるにもかかわらず、目の前の光景はとても異常で、予期せぬものだ。中東の歴史の未来を開くため実行されたと称される、かつての先例を思出ださずにいられなくなる。

 砲撃の破裂音と砲弾の曳光とイラク人が撤退のために燃やした石油の炎の間で、私は遠く北にかかる橋と最古の文明をもたらした薄緑色の川を見ながら思った。アレンビー将軍が1918年にエルサレムに入って以来、西洋の軍隊が十字軍気取りでアラブの都市の中心に突入するのは初めてのことだ。しかしアレンビーは、キリストの生誕地に敬意を払い、歩いてエルサレム入りした。昨日のアメリカのバグダッド侵入は敬意や謙譲とは無縁だ。

 西岸に展開した米海兵隊と特殊部隊は、サダムの一番大きな宮殿に侵入し、トイレや浴室をフィルムに収め芝生に寝そべり、ラシッド・ホテルに向かい、兵士や民間人たちを狙撃した。ここ数時間で、数百人のイラク人、女性や子供たちは、弾丸や砲弾の破片やクラスター爆弾の犠牲になり、病院に運ばれた。現在、アメリカのA-10が劣化ウラン弾を遠方の川岸に発射しているのが見える。

 東岸からは、海兵隊がライフルを肩に堀割りに向かい、イラク部隊を探しているのが見えた。彼らの敵は干潟から南に向かって射撃していたが一人また一人と逃げ出していった。イラク兵たちはタコ壷から這出だし、アメリカの砲撃の中を恐怖にかられて、水際をオリンピック選手のようにダッシュしていった。ほとんどは武器を膝や首の高さに捧げて持っていたが、あるものは歩き疲れて放り投げ、他の者はティグリス川の中に捨てていた。

 3人の兵士が壕から出て、海兵隊の前で手を上げた。しかし、他の者は戦い続けていた。「ドン、ドン、ドン、」という音が1時間以上続いた。それからA-10がまた戻り、F/A-18が壕に対して波状攻撃し、そして銃撃は止んだ。バグダッドは数時間で陥落するように思えた。

 しかし、この日は戦争につきものの奇妙な出来事、正気と死とドタバタ喜劇の狂ったミックスが、これまででもっとも見られた日でもあった。 アメリカ軍が川まで押し寄せ、F/A-18が岸を爆撃している時、イラク情報相はパレスティニアン・ホテルの屋上で記者会見を開いた。

 砲弾が彼の左方向で爆発し、アメリカ軍のジェット機が大気を引き裂いているのに、サハフ情報相は100人はいそうなジャーナリストたちの前で、すべてはプロパガンダでアメリカ軍は空港を占領していないと声明した。レポーターたちは「事実をチェック、再チェックする必要がある。このことを君らに要請する。」と彼は語った。
 ありがたいことに、石油が燃え、爆弾は破裂し、ひものように立ち上る煙が西岸の空を陰らせている今、事実の再チェックはサハフ情報相が後ろの景色を見れば達成される。

 世界が一番知りたがっているのは、大統領はどこにいるかだ。しかし、サハフ情報相が時間を費やしたのは、アル・ジャジーラがアメリカ寄りだと糾弾すること、アメリカがサダムの「ラウンジとホール」を「チープなプロパガンダ」に用いていると非難することだった。アメリカは「この地で埋葬されるだろう。」と彼は叫んだ。「侵略者を信じるな。彼らは敗北するだろう。」

 彼がそれ以上しゃべろうとすると、一人がさえぎって言った。「ちょっと待ってください、情報相。あなたの右手の方を見たらどうでしょう。」しかしもちろん、そんなことは起きなかった。
 情報相は、なぜ街をドライブしてみないんですかと高圧的に提案した。

 そこで、そうしてみた。提供された二階建てバスが走り回った。商店は閉まっていても、露店は開いていた。男たちが喫茶店にたむろして、戦争のことを話していた。バスを降りて果物を買っていると、アメリカ軍のジェット機が低空飛行して1000m向こうで爆発が起き、気圧の変化で耳がツンとした。
 しかし、街角はすべて民兵の支配下に置かれていた。アメリカ軍に対して川の上流側にある外務省の近くに着くと、イラクの砲兵隊が向かってくるアメリカ軍に120mm砲を放っていた。砲火がバグダッドの暗灰色の空に光った。

 1時間半でアメリカ軍は川を北上し、情報省の古い建物は占領の危機を迎えた。海兵隊は市民にも民兵にも発砲し、通過しようとしたオートバイが狙撃された。ロイターのカメラマンは車に穴を開けられたがどうにか逃げられた。

 バグダッド中の病院は負傷者であふれている。多くがクラスター爆弾でやられた女性や子供だ。夕暮れが近づいても、イラク対空砲火を破壊し終えたF/A-18は海兵隊の援護で飛んでいる。茶と灰色の空を一組になって飛んでいるのが見える。

 スタンレー・モード将軍が1917年にイラク侵略しバグダッドを占領した時に、この都市は「歴史の財産」と呼ばれた。これが同じその街だろうか。
 夜になって私は、グレート・ラシッド橋の東端で防衛している人たちに出会った。2人のバース党民兵と党員が1人、史上最強の軍隊から東岸を防衛しようとしていた。そこにアラブの勇気と絶望があるように私は思った。

(*フィスクFisk特派員の所属する中道紙Independentは20万部、左派ガーディアンは30万部。イギリスのナベツネ=ルパート・マードック・グループの好戦派タブロイド紙サンは300万部、同高級紙タイムズが70万部。FoxTv、SkyTvも同グループである。
 マードックはブレア指導下の労働党、いわゆるニュー・レーヴァー支持となり、タイムズが中道路線を取ったため、インディペンデントの経営が苦しくなったといわれる。詳細は森田浩之のロンドン通信サイトの「イギリスの新聞」を参照のこと。同サイトのイラク関連記事も興味深い。
 イギリスでは中道の自由民主党支持者が、戦争反対の比率は一番高い。インディペンデントのほうが反戦の立場ではガーディアンよりはっきりしている。3/29ガーディアン記事も参照。)


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4/6
 バグダッド郊外は戦場と化していた

 ロバート・フィスクRobert Fisk The Independent Al Jazeerah

 道の脇にはイラクの装甲車両がまだ燃えてくすぶっており、車両が隠れていたプラタナスの木々の上に青灰色の煙が昇っていった。道の両側に燃え尽きた2台のトラックがあった。私が到着する数分前に、アメリカ軍のアパッチ・ヘリは去ったところだった。引き締まった腹の兵士たちの分隊が、対装甲兵器を草におおわれた舗道の上に設置し、アメリカの戦車が進んで来る空港への道路に狙いを合わせていた。

 私の前にピックアップ・トラックに高く積まれたイラク人の死体があった。軍靴を履いた足が後部のボードから突き出ていて、死体の横には自動小銃をもった兵士が座っていた。アメリカ軍の空襲と砲撃で足元の地面が揺れ、道路の脇では分隊がロケット推進弾(RPG)を空っぽの商店の横に積んでいた。このあたりはカディシーヤと呼ばれる。ここがイラクの最前線だ。


 汚い、残忍なものになることを約束されたバグダッドの戦いは、昨日、初日を迎えた。市の警察官すら戦線に送りこまれ、警官たちは車両の列を作り、新しく配給されたカラシニコフ銃を窓から振りながら市内の中心をパレードした。
 この狂った、非人格的な、そして勇猛さを帯びたカオスは一体なんだろう。トラックは何百人もの部隊を詰めこみ、スピードを上げて私を追い越し、空港の方へ向かった。たいていは青い軍服で、朝の陽の光のなかにライフルが輝いた。

 何人かは私にVサインを示した。速度計が145kmを指したような気分になったと告白しなければならない。しかし、彼らは一体、何を心のなかで思っているのだろう。死線を越える、そんな言葉が私の心に浮かんだ。
 2マイル離れたところにヤルムーク病院がある。外科医が血で汚れた上っぱりを着て、駐車場に突っ立っている。彼らはすでに最初の戦闘被害者を受け入れている。

 数時間後、イラクの閣僚は世界に向けて、共和国防衛隊がアメリカ軍と銃火を交え、空港を再奪取し偉大な勝利を勝ち取ったと発表することになる。しかしカディシーヤ周辺ではそんなふうには見えなかった。T-72戦車隊は空港道路に向け砲撃した。バグダッド鉄道の線路を越えて小装甲車両やジープが進み、厚い青い排気ガスが煙となって立ちこめた。よりモダンな、ソ連最後の戦車であるT-82の部隊が、遠くヨルダン丘の上に一群のBMP装甲車両とともに見えた。

 アメリカ軍は来た。アメリカはバグダッド郊外から中に入ったと主張しているが、それは嘘だ。イラク人にパニックを起こし、おのれの弱さを自覚させるためにストーリーは作り上げられた、このことは確かだ。嘘にせよ真にせよ、ストーリーは失敗だった。
 Sam-6対空ミサイル部隊とカチューシャ・ロケット砲の群れが、砂と埃の広野とナツメヤシの森の向こうから来るアメリカ軍の進撃を、待ち構えているのを私は見た。それらの周囲にいる兵士たちはリラックスしているようだった。あるものはナツメヤシの木影でタバコを吹かし、あるものはカディシーヤの住人が差し入れてくれたジュースをすすっていた。彼らの家は、天の報いか、今や戦火の下にある。

 それから白い日本製のピックアップ・トラックが私の車の前に停った。
 私はまず、後部の兵士たちが眠っているものと思った。防寒のために毛布をかけている。私の車の窓を開け、夏の早朝の涼しい空気を入れようとした。そこで気がついた。小さなトラックにいる15人ほどの兵士たちは、互いに折り重なっていた。後部のボードから、重くて黒い軍靴がはみ出てぶら下がっていた。2人の兵士が死体の間に足を割りこませて座っていた。そんな具合に、この日のアメリカ軍による最初の犠牲者は永遠の眠りについていた。

 「今日のわれわれの攻撃は・・。」情報相モハメド・サイード・アル・サハフは1時間後に発表した。彼は国内の士気を維持するためイラク軍の勝利のリストをよどみなくしゃべった。7台の英米戦車をバスラ周辺で破壊し、4台の米兵員輸送車と米飛行機1機がバグダッド近郊で破壊された。空港ではイラク軍の戦いで敵が大量に死んだ。そういう話だった。

 ところで、空港近くに住む私のイラク人の友人は、装甲部分に黒いサインのある戦車が燃えているのを見たと話してくれた。そのサインは友軍機に誤爆されない目印しにアメリカ軍がつけるものだ。だからそれはアメリカの戦車だったに違いない。

 自分で行って見てきたらいい、と情報相は言っていた。彼の顔は灰色だった。そこで外国人特派員たちはバスに乗って、この自信たっぷりの言い草を確かめに行った。そしてヤルムーク病院に着いたところで、情報省は今度は断固としてホテルに戻るよう命じたのだった。しかしたった35分ではあったが、砲弾の待ち受ける郊外への旅は昨日の出来事について1つのことを教えてくれた。それは、イラク人が侵略者と戦う準備をしていたということだ。

 市の中心のいたるところに、鉄道線路近くに、155ミリ砲が据えられていた。ある砲はティグリス川近くのアブ・ヌワース通りにまで引かれていった。牽引するトラックの兵士たちはライフルを掲げサダムへの支持を叫んでいた。
 そして終日、空爆は続いた。埃と煙の中に、次ぎの標的とすでに破壊を受けた痕跡が混ざり合っていた。カラダ地区の灰色の粉っぽいガレキの山は昨日やられたビルか、それとも先週か?電話交換センターもヤルムークの通信センターも爆撃された。ゆっくりと確実に、バグダッド郊外は戦場になりつつあった。

(*アル・ジャジーラは3月末にサイトを開き、昨日からはイラク内での取材を再許可されるようになった。)
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4/6
 銃に取り囲まれ水は無い。南部イラクは侵略者に運命を握られている。

 ベアトリス・ルキュンベリBeatriz Lecumberri
 AFP Jordan Times アルジャジーラ

 アル・ズバイール発 戦闘の継続と飲料水の不足、人道援助物資の少なさのためにアメリカ率いる軍隊は日に日に南部イラクの民衆から遠いものになっている。

 米軍は土曜日、初めてバグダッドに入ったが、南部での地上作戦は足取り重く2週目に入ろうとしている。英軍はイラク第二の都市バスラを再占拠し、サダムに忠誠を誓うイラク兵士数百人が投降したという。
 多くの人々は「イラクの自由」とアメリカによって命名された戦争に対し、深く幻滅している。
 
 「彼らは、われわれに自由をもたらすためにここに来たと考えていますか?まるで違います。彼らは石油のために来ているのです。」とバスラ郊外に住むエンジニアのモハンマドは息まいた。
 イラク人はイギリスのことをよく知っている、と彼は強調した。
 「彼らは第一次世界大戦の時、すでにバスラに来ています。そこで何が起こったか知っていますか?彼らはわれわれを殺して盗みを働きました。われわれの上の世代の人たちは、そのことを忘れませんでした。」

 今日の連合軍はもっと善意なのかも知れないが、新たにやってきた武装した隣人と一般の人々の日常的ないざこざは、いっこうに後を断たない。
 市から数キロはなれたところで米軍のパトロールが、警戒しながらイラク女性の集団から情報を得ようとしていた。彼女らはもっとも保守・伝統的なイスラムの衣装である黒い布で身をまとっていた。軍は自爆テロを懸念している。
 しかしここでは、このようなセキュリティ・チェックは個人の尊厳の侵害だとみなされる。女性たちは家に帰してくれと不満を訴えた。

 「早く戦争を終らせて、外国軍はさっさと自国に帰ってほしい。イラクの人々は外国人の政府を受け入れないし、それらと戦う。それが私たちにとっての平和だ。」とアル・ズバイールにあるモスクのコーラン学者、タリブは語った。しかし、彼は南部イラクの人々に、戦争が終りよりよい生活が戻るまでの間は、さらに忍耐するようにと説いている。

 水はクウェートから来ている。クウェートの施しに怒りをおぼえるものもいるが、軍により提供されるサーヴィスを拒否できるほど選択肢は多くない。
 アル・ズバイールの郊外には小さな診療所が設けられ、英兵は数十人のイラク人患者を治療している。多くは汚れた水が原因の下痢や、頭痛、呼吸器の疾患だ。軍はこの機会を使って自分たちの善意を見せようとしている。子供を相手にラップやダンスやロックを教え、携帯食糧のキャンディーを手渡す。
 過去5日間、貯水車で水を配給しに行くとイラク人はわれわれに親切になった、とある兵士は語った。

 しかし、そこから数キロ離れたサフワンとバスラの間の道路のところで、ロバに荷車を挽かせた家族の一行が、砂袋で囲まれた陣地に寄って水を求めた。兵士たちはシッシッといって、自動小銃を示して家族を追い払った。
 連中が来る前は水があったんだ、と父親はつぶやき、その家族は道路をまた引き返して行った。


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