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ロバート・フィスク 「次の日のバクダット」 翻訳 [Independent]
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/817.html
投稿者 F 日時 2003 年 4 月 12 日 05:03:19:IVJACidRB5fhY

次の日のバクダット
放火、無政府、恐怖、嫌悪、ヒステリー、略奪、復讐、蛮行、疑念と一回の自爆

ロバート・フィスク
バクダット
2003年4月11日

その日は略奪の一日だった。彼らはドイツ大使館をくずにして、中庭に大使の机を放

投げた。中年の男、チャドルの女と、わめく子供達からなる暴徒の集団は領事のオ
フィスからさまざまなものを盗み出し、モーツァルトのレコードやドイツ史の本を上
階の窓から投げ捨て、私はヴィザ申請課の外の水溜りから欧州連合の旗を救出した。
数時間後にはスロバキア大使館が襲われた。

1980年代から数百万人のイラク人の子供達の命を救い、改善しようとしてきたユニセ
フの本部では、窃盗団が建物を襲撃し、コピー機を次から次へと投げて山積みにし、
子供達の病気、妊娠中の死亡率や栄養状態に関する一連のファイルを床にぶちまけ
た。

アメリカ人たちはバクダットを「解放した」と思っているのかもしれないが、家族を
引き連れ、トラックや車で街を走り回り、戦利品を探し回る数万の泥棒達にとっては
解放の意味が異なるようだ。

一言でいうとアメリカによるバクダットの支配は、一番よく言ったとしても薄弱、
だ。硫黄島以来の写真撮影の絶好チャンスだった水曜日の「サダム銅像引き倒し」が
あった広場に近い場所で、昨晩自爆によって数人の海兵隊員が殺された(訳註 その
後一人死亡、3人負傷とのこと)事件が裏付けている。

アメリカ軍は他のアラブ諸国からきた義勇兵といわれるサダム支持者達と丸一日
銃撃戦をしていた。そしてバクダット中心のアーダミヤ地区のアル・アドハムモスク
では、サダム・フセインとその上級メンバー達が飛行機にそこから乗り込んだとい
う、後に誤情報であることがわかった噂に駆られ、米軍海兵隊は4時間にわたって交
戦していた。

占領者としてアメリカは彼らが掌握した地域にある大使館や国連の事務局を護衛する
責任があるが、昨日米軍はドイツ大使館の正門から略奪者たちが机や椅子をカートに
載せて運び出している姿をそのまま黙認していた。

アメリカ兵士達がなんとものんきに無視しているのはスキャンダルであり、病気の一
種であり、病的な盗癖の絶大なありさまだ。ある交差点では海兵隊員のスナイパーが
高いビルの上で自爆攻撃を警戒している、その真下で交通渋滞が起こり - そのう
ち二つは冷蔵庫を満載した盗難されたダブル・デッカーバスだった - 高速道路を
塞いでいた。 

国連の事務局の外ではすれ違った車がスピードを下げて、その中の無精ひげで汗まみ
れの男が、私に向かってアラビア語で、もうそこに行く価値はない、なぜならば「お
れ達が全部運び出した」からだと言った。理解することができるのは、貧しく仰圧さ
れてきた者たちが、これまで二十年間に渡って時には実に文字通り、彼らの人生を貧
困に落ちいれ、破壊してきたサダム・フセイン政権の男達の家に復讐をしているとい

ことだ。

チグリス川の岸辺にあるサダムの腹違いの兄弟であり元内務省大臣イブラヒム・アル
・ハッサーンの家、元国防大臣の家、サダムに最も近かった安全保障補佐官の一人
サードゥン・シャクルの家、ケミカル・アリとして知られ、クルド人をガス攻撃し、
先週バスラで殺害されたアリ・フセイン・マジッドの家、サダムの個人秘書アベッド
・モウドの家を探し回る家族を私は見た。彼らは荷馬車、有蓋トラック、バスやまと
もに餌を与えられていないロバに牽かれたカートで、これらの壮大な邸宅の中身を持
ち去りに来た。

バース党の上級メンバーが魅了されていた家具の趣味に関してもちょっとしたショッ
クを受けた。安物のピンクのソファ、豪勢な刺繍の入った椅子、プラスチックの飲み
物用のトロリー、あまりに重いので筋肉隆々の泥棒が3人がかりで運ぶ必要があった
価値のないイラン絨毯。中身を引きずり出された元内務大臣の家の外では、シルク
ハットを頭の上に誇示したディッケンスの小説に登場するようなキャラのデブ男が略
奪者達の渋滞を交通整理しようとしていた。

チグリス川にかかるサダム橋の上で、泥棒の一人は盗品を載せた荷馬車を急がせすぎ
て中央分離帯のコンクリに激突し、その死体が車輪の横に転がっていた。

とはいえ、そこには略奪者のルールのようなものがあった。泥棒がひとたび椅子なり
シャンデリアなりドア枠なりにその手を置くと、それはその手を置いたものの持ち物
になった。議論も殴り合いも起こらなかった。ドイツ大使館の数十人の泥棒達は小さ
な子供達の軍団の助けをうけながら静かに働いていた。女房達は欲しい家具を指差
し、夫はそれを下に運び出し、子供達はドアのちょうつがいのネジを、国連事務所で
は照明の配線器具を外していた。一人などは大使の机の上にのぼって天井のソケット
から電球を外していた。

サダム橋の反対側ではさらにシュールな光景が繰り広げられていた。荷台がひしゃげ
るほどに椅子を山積みにしたトラックは、サダムの息子のクサイが飼っていた二頭の
白い狩猟犬を白い綱で繋ぎ、犬はトラックに伴走していた。都市を横切る間、私はサ
ダムの4頭の馬が - 大統領のポートレートにも使われた白い種馬も含まれていた
 - トレーラーに載せられるのをちらっとみかけた。タリク・アジズの豪邸もその
図書室の本までもが略奪されていた。

バクダットにある政府の省庁は全て、ファイル、コンピューター、参考図書、家具、
車に至るまでひっぺがされてしまった。これらの出来事の全てをアメリカの兵士達は
黙視し、あまつさえこの所有物の「解放」を妨害するつもりはないとまで特に明言し
た。サダムの子分たちからの戦利品に関しては道徳的対応はしにくいかもしれない
が、アメリカが「新イラク」と呼ぶ政府は、国の所有物がここまで徹底的に略奪され
てしまった今、どうやって運営していったらよいのだろうか。そして、昨日私がヒ
ラー通りでみかけた、穀物サイロと工場の支配人が、彼の武装警備員に、荷馬車を盗
もうとしていた略奪者を撃つように命じている、このような状態からどうしたらよい
というのだろうか。この必死でバクダットのパンの供給を守ろうとする武力行使は、
米軍第三歩兵師団の8人の男達がなにもせずに戦車の上に座っている、その100
メートル先で起きた。繁華街にある国連の事務局の略奪は、米軍海兵隊のチェックポ
イントから200メートルだった。

そしてすでにアメリカ「解放」軍は占領軍に見えはじめている。昨日の朝、ダウラの
橋を渡るために数百人のイラク人たちが列を作っており、自爆攻撃志願者ではないこ
とを証明するために、女性も含めて他の市民の前で全員がシャツをたくし上げ、ズボ
ンを下ろすことを米軍の兵士に強要されていた。

朝のアーダミヤ地区での銃撃戦のあと、宮殿の門の上に陣取った米軍海兵隊のスナイ
パーが、停車しそこねた車の中にいた小さな女の子を含む3人の市民を負傷させた。
そして、その発砲音を聞いてなにがおこったのか確認しようとバルコニーに出てきた
男を狙撃して殺害した。数分後、そのスナイパーはまた別の車の運転手を撃って殺害
し、一人の若い女性を含む二人の乗員を負傷させた。チャンネル4のテレビクルーが
その殺害の現場に居合わせた。

その間にもダウラの郊外で、そのほとんどが今週初めの戦闘で米軍に殺されたイラク
市民の人々の死体が、いまだにくすぶりつづけている車のなかで腐るままに放置され
ている。そして昨日はバクダットの「解放」二日目でしかなかった。

http://argument.independent.co.uk/commentators/story.jsp?story=396051

Robert Fisk: Baghdad: the day after
Arson, anarchy, fear, hatred, hysteria, looting, revenge, savagery,
suspicion and a suicide bombing
11 April 2003

原文は
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/764.html
にも。

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