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米キリスト教原理主義とルサンチマン
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投稿者 福音主義基督者 日時 2003 年 4 月 19 日 21:18:58:7z6vC9p4EtLgM

キリスト教福音主義は、次のような文脈で語られることが多いように思います。
(1)不道徳や悪を強く憎む
(2)それを政治的に排撃する
(3)自他の犠牲はあまり考慮しない
(4)黙示録にあるキリスト再臨の条件、「約束の地の確保」と「離散ユダヤ人の集合」を達成しようとする


私は福音主義基督者ですが、これらは聖書の教えとはまったく違います。ごく簡単に説明させてください。
(1);自分こそが不道徳・悪であるということこそがクリスチャン講座の第1講で、原罪といいます。あいつではなく、私なんだという気づき。基督者にとっても最も重要なことは謙遜のはずです(注1)。
(2);キリストは処刑の直前、あなたは王かと問われて「わたしの国はこの世のものではありません。」と答えています。イエスはユダヤ民族をローマ帝国の圧制から解放する革命家・政治家として祭り上げられようとしたが、拒絶したので孤立して処刑されました。お師匠は、政治家としては完全に失敗者です。政治的なアプローチではどうこねまわしても多寡が知れている、それはさして重要じゃないんだというのがイエスの一貫した教えです。直系弟子である12使徒も戦わずに縛に就き、処刑されたとされています(注2)。
(3);どうコメントすればいいのかわかりません。自己の犠牲を省みるなとは言われていますが(注3)。
(4);イエスが再臨して行うことです(注4)。政治家が軍隊を使って行うことではありません。


(注1)「召されたあなたがたは、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(新約エペソ書4章2−3節)「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」(新約コロサイ書3章12節)「この世の取るに足りない者や見下されている者(注;クリスチャンのことです)を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前で誰をも誇らせないためです。」(新約第1コリントの1章28−29節)など。
(注2)教会文書による;使徒ヨハネだけは、獄で毒を飲まされたが死ななかったので、釈放されて天寿を全うしたとされます。
(注3)「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。」(マタイ10:38)など。
(注4)「わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。」(旧約ゼカリヤ書14章2−4節)など(注5);黙示録は隠喩で書かれ、どうとでも取れる部分が多く、旧約聖書の預言書をベースにして解釈することになっています。こちらのほうがはっきりかかれているので、そちらを選びました。ユダヤ思想の一つに、ティックン・ハオラム、再臨を早めるための世直しというものがあると聞きましたが、これも武力ではなく倫理的善を意味しているという話です。
(注5)ユダヤ人の国技は議論です。確かにイスラエル国民の間の意見の相違は極めて大きく、共和国の成立を聖書予言の成就として捉える人もかなりいます。しかしユダヤ教超正統派は建国記念日に喪章をつけ、神を信じず自力で勝手にやった行為を大きな罪として悲しみます。建国運動の流れの源流には、ユダヤ教復古主義がありますが、建国の最大の決め手は、ホロコーストであること、ともかく安心して生きる土地が欲しかったことが建国の最大の理由であることは、一致を見ていると思います。またホロコーストシンドロームに今も彼らは支配されています。ともあれ、日本を単純に理解する韓国人は間違いだと同様に、イスラエルを単純に理解することも間違いだと言えます。

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ということで、アメリカで今起きているのは一体なんなんだ、彼らは聖書をどう解釈しているのか、が日本の福音主義者たちの非常に率直な思いです。少数を除き、政治的な興味は持たないので、その思いはとりわけ外に漏れてきませんが・・・。(偽者がはびこることは聖書で予告されているので、あ、あれかで終わってしまうことも)

私はアメリカの事情には詳しくないのですが、以下のような仮説を立ててみました。コメントをお願いします。

キリスト教原理主義は、むしろニーチェのルサンチマンの視点からみると有益だと、私は考えています。能力主義の世の中では、うまくそれに乗ることができぬ人、括弧つきの「弱者」がたくさん生まれます。彼らは欲望を十分満たせず、学校でも職場でも尊敬されません。ぺらぺらしゃべる議論家や、うまくたちまわるやつらばかり、いい思いをしている。それへの嫉妬(ルサンチマン)、自分を無能だと扱われる(自分で思ってしまう)ことへの怒り。こういった場合、人は往々にして「大義」を見つけ出し、それと自分を一体化することで、うまくやっている強者を倫理的に弾劾する立場を手に入れます。この「大義」こそが、アメリカでは聖書を一字一句信じることであり、また国家への忠誠ではないかと思います。だから、冒頭に述べた(1)から(4)のような、聖書とかけ離れた、他者を糾弾する考え方が生まれてくる。聖書の教えは一応聞いたが、難しいことはよくわからん(わかっても心に受け入れない、または日曜日に聞いたことを月曜日から土曜日に適用しようとしない)。だが、××が腐っていて、ぶったたくべきなのはわかる。インテリはぐちゃぐちゃ議論をこねまわしたり、黒いのだの茶色だのがカッコつけているだけで、あいつらは腐っている、聖書を信じてない、国を愛してないと。それが大義であって、身近な「強者達」を糾弾できるならば、中身はあまり問わない。具体的な反戦運動が広がると、むきになって愛国運動を繰り広げる。また、ブッシュはまさに彼らのヒーローなんでしょう。80年代の急激な産業構造の変化と、労組の衰退のなかで、ベトナム反戦で開発された市民運動の手法を用いて、バラバラなこれらの人々を政治的に束ねる草の根運動が新保守主義「ネオコン」ではないかと理解しています;一側面なのですが。

これは、能力・競争社会の負の側面です。いわゆる敗者はどうすんの?ということです。これが一方では怪しげなカルトへ、他方では国粋主義に向かうのではないか。問題は、今後日本でも能力主義が一層強まり、こういった動きが強まりかねないということです、バックボーンは日本復古主義かもしれませんが。さらに、中国・ロシア・インド等でも、過酷な能力主義が急速に広まっています。どうなっちゃうんでしょうか?


・・・こんな分析は、いかがでしょうか。以上は、現時点での仮説に過ぎません。皆様、ご教授いただければ幸いです。

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