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英国こそ毒ガスと化学兵器でイラクを支配した:ジョナサン・グランシー (ガーディアン)[萩谷 良氏訳]
http://www.asyura.com/0304/war33/msg/491.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 5 月 02 日 19:41:52:0iYhrg5rK5QpI

貧困な私の頭脳にとって、萩谷氏のページで訳出されているガーディアンのグランシー氏のコメントがありました。イラクの歴史を理解する上で私には参考になりましたのでご紹介します。

http://www.egroups.co.jp/message/TUP-Bulletin/60
TUP-Bulletin
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From: schu@i...
Date: 2003年4月26日 (土) 午後2時34分
Subject: TUP速報72号 03年4月26日 英国こそ毒ガスと化学兵器でイラクを支配した


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 湾岸戦争と12年間の経済制裁と「飛行禁止地域」での空爆に衰弱したイラクを侵略
したのは、単なる弱いものいじめです。しかも、英国には、イラクに対するこんな「前科」
があったのです。

 こんな歴史を背負ったブレアの目には、サダムがほんとうにヒトラーに見えたかも
しれません。

 「日本人は、日韓併合と朝鮮人強制連行に対する朝鮮人の恨みを感じていたからこ
そ、関東大震災のとき、朝鮮人が水道に毒を入れたという流言飛語を、ああも簡単に信じてし
まったのではないか」という、歴史学者姜徳相氏の話を思い出します。

 日本の知識人の中には「サダム政権を倒せば、5年もすると、イラク人は米国に感
謝するようになる」とのたまうた人物もいるそうで、お寒いかぎりです。

      [萩谷 良 / TUP翻訳メンバー]
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英国こそ毒ガスと化学兵器でイラクを支配した
2003年4月19日
ジョナサン・グランシー (ガーディアン)

 イラクの今の混乱に誰も驚いてはならない。少なくとも英国人は。
 英国はイラクを国際連盟の委任統治領として支配した歴史を持っている。
 
 解放者と名乗る米英軍を歓呼で迎えるイラク民衆も、じつは根深い不信を抱いてい
る。それというのも、無差別の爆撃と殺戮は、米国が初めてではないからだ。

 イラクは、第一次大戦後に英国が、二枚舌外交によって、こしらえあげたものであ
る。はじめから無政府状態と反乱があったのは、驚くにあたらない。

 この反乱を、英国は、また南部でも北部でも、発足したての空軍による爆撃で「取
り締まった」。南部では陸軍が毒ガスを使用した。爆弾テロ、夜間爆撃、重爆撃機、
時限爆弾(特に子どもが犠牲となる)は、すべて、英国が、土と石と葦の村落を襲撃す
るために開発したものだ。

 英国空軍は、アラブとクルドを鎮圧し、当時発見されたばかりの油田とパレスチナ
に入植するユダヤ人を防衛し、トルコの進出を食い止めることを最初の任務とした。
以後、英国と米国の軍は頑強な土着民の抵抗拠点に爆撃を続けてきた。

 陸軍・空軍相だったチャーチルの計算では、空軍なしでイラクを統制するとすれば
、英国人部隊25,000人、インド人部隊80,000人が必要だったが、空軍のおかげでそれ
が英軍4,000人、インド人部隊10,000で済んだ。

 1920年の夏に、武装したイラクの諸部族民10万人強が、英国占領軍に対して蜂起し
たとき、英国空軍は、延べ4008時間、爆弾97トン、一斉射撃183,861回の攻撃で、戦
死者9名、負傷7名、敵陣で撃ち落とされた飛行機は11機だった。イラク側の死者は
9000人近くにのぼった。

 空軍は、1919年にはソ連軍に対してマスタードガスを使用した。陸軍は1920年にイ
ラクの反乱に対して毒ガスを使用し「卓越した精神的効果」を挙げている。

 チャーチルは化学兵器に熱心だったが、実際には通常の襲撃のほうが効力を発揮し
た。1921年に、J.J.シャミア空軍中佐は、特に「懲罰すべき」部族の、攻撃の難しい
村を選んで、爆撃機を集中し、爆弾と機銃で昼夜を分かたず人、家、家畜を攻撃する
と、土着民が戦意を喪失すると書いている。
 
 のちにハンブルクとドレスデンの空襲の功労者となり、いまもロンドンのフリート
通りに銅像のある飛行編隊長、アーサー・ハリスは、飛行機が4、5機もあれば、敵の
標的とならず、彼らに戦闘の機会を与えず、逃れるすべも与えずに、大きな
村を45分以内で消滅させ、村民の1/3を死亡または負傷させることができるこ
とが今やアラブもクルドにもわかった、と報告している。
 
 1920年にイラク人の蜂起を壊滅させたエイルマー・ホールデイン中将は、イラク人
で武器を持っている者が見つかり次第、その人間の所属する村から、水力をはじめ生
活に必要な手段を奪う作戦をとった。大きな村を消滅させるのには時間がかかるので
、1時間くらいだ、と彼は書いている。

 英国の懲罰的空襲は1920年代を通じて続けられた。1923年2月の空襲で、イラク南
部のある村で、ベドウィン族が12組の婚礼を行なっている最中に空爆があり、女性1
人、男の子2人、女の子1人と駱駝4頭が死に、多数が負傷した。目撃者の一人、サレ
ー・ウマールという女性は、英国人の取調官に「神の思し召しによることで、誰を責
めることもできません」と言明した。

 空軍准将ライオネル・チャールトンは、1924年、そのような空襲のあと、病院を視
察し、腕や脚を失った犠牲者をその目で見たあと、辞任した。英空軍整備兵の記録に
よれば、英軍兵士が干していた衣類を盗んだアラブ人は、軍のボクシングジムに連れ
ていかれて、おおぜいのボクサーにサンドバッグのように打ちのめされた挙げ句、職
を奪われて永久追放となったという。

 30年代末にパレスチナでアラブ人が反乱を起こしたとき、当時空軍准将だったハリ
スは言った「アラブ人が理解すべき唯一のことは、厳格な処罰、それが遅かれ早かれ
課せられるということだ」。1921年も、2003年も変わらない。

               [抄訳 萩谷 良/TUP翻訳メンバー]

http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,939608,00.html

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