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豊田喜一郎 〜 日本自動車産業の生みの親
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投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 6 月 01 日 01:12:33:KqrEdYmDwf7cM

■■ Japan On the Globe(295) ■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

人物探訪:豊田喜一郎 〜 日本自動車産業の生みの親

 このままでは日本は永久にアメリカの経済的植民地にな
ってしまうと、豊田喜一郎は国産車作りに立ち上がった。
■■■■■ H15.06.01 ■■ 40,594 Copies ■■ 829,944 Views ■
本講座・書籍版は http://www.echo-p.net/book/shop.html

■1.自動車をつくってお国のために尽くせ■

 わしは織機を発明し、お国の保護(特許制度)を受けて
金をもうけたが、お国のためにも尽くした。この恩返しに、
喜一郎は自動車をつくれ。自動車をつくってお国のために
尽くせ。

 自動織機の発明で多くの国内外特許をとり、日本の紡織産業
発展に貢献した豊田左吉は昭和2(1927)年11月に勲三等瑞宝
章を授与され、天皇陛下への単独拝謁の栄に浴した。その帰宅
後の内輪の宴会で、長男・喜一郎に語った言葉である。

 左吉は米国を旅行した際に、多くの自動車が大衆の足として、
また物資運搬の担い手として活躍している様を見て「これから
は自動車の時代だ」「立派な自動車が作れんようでは、日本も
世界の工業国などと威張ってはおれん」としきりに繰り返して
いた。

 左吉は英国プラット社に自動織機の特許を売って得た100
万円を喜一郎の研究のために与えた。現在の貨幣価値なら数十
億円であろう。

■2.このままでは日本は永久にアメリカの経済的植民地になる■

 無口な喜一郎は左吉の言葉を黙って笑って聞いていたが、自
動車への思いは同じだった。

 大正から昭和初年にかけて、日本でもバス、トラック、タク
シーが登場したが、それらのほとんどはアメリカ車であった。
フォードとGMは日本に組立工場を作り、昭和6年には合計2
万3千台を販売していたが、国産車は数社が試みていた程度で
年437台に過ぎなかった。

 自動車は鉄、ゴム、ガラス、繊維など広範な材料・部品を必
要とする総合工業である。それなのに日本の道路という道路を
走っているのはアメリカ車ばかりである。喜一郎はこう語って
いる。

 我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、日本
のあらゆる民族産業が育ちません。それは別にトヨタでな
くともいい。けれども現状のままでは、カナダがフォード
のノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行
う)に占領されて自動車工業など芽もないように----日本
も同じ道をたどります。引いては日本の工業が全部アメリ
カの隷属下に入り、日本は永久にアメリカの経済的植民地
になってしまいます。

■3.誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ■

 一方、軍部は輸送手段としてのトラックに目をつけ、国産化
を進めようとしていた。そこで三井、三菱、住友などの財閥を
大合同させ、国産自動車工業を起こすという案まで立てていた
が、肝心の財閥の方が、GM、フォードの支配体制を崩すのは
不可能だし、日本で複雑かつ緻密な多種類の自動車部品を製造
することはとても困難だ、そんな危険な事業に莫大な設備投資
はできない、として乗ってこなかった。

 三井三菱といった大財閥さえ手出ししない事業を、と身内は
反対したが、喜一郎は頑として聞き入れなかった。その決心を
ノートにこう書いている。

 困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺
がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆が
いなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。そ
こに人生の面白みがあり、また俺の人生の生き甲斐が、そ
こにあるのだ。出来なくて倒れたら、自分の力が足りない
のだから潔く腹を切るのだ。

 こう決心していた喜一郎は周囲の反対に潰されないよう、社
内でも秘密裡に高精度の工作機械を輸入したり、自ら図面を描
いたりして、準備を進めていた。

■4.今年中に試作一号機を完了させる■

 昭和9(1934)年1月29日、豊田自動織機の株主総会で喜一
郎は自動車事業に取り組むこと、そのために資本金を100万
円から一挙に300万円に増資することを明かし、今年中に試
作一号機を完了させる、と宣言した。身内の反対は「親父の遺
志」で押し切った。

 しかし、その一号機は、設計はできていない、工場はない、
工作機械もほとんどない、膨大な自動車部品の手当もできてな
い、さらに現場の工員たちの技術もない、と、まさにないない
づくしのスタートであった。

 工作機械はヨーロッパに出張中の社員に命じて、かねてから
選んでおいたものを買い集めさせた。試作工場は密かに設計を
進めており、既存の自動織機の工場の裏側で突貫工事を始めさ
せた。部品は国産で揃えるために、国内の部品メーカーをしら
みつぶしに当たらせた。

 自動車用の少量でかつ特殊な鉄鋼は、軍艦や大砲用の生産に
忙しい鉄鋼メーカーは相手にしてくれないだろうと、製鋼会社
のベテラン技師長をスカウトし、4トンと2トンの電気炉を持
つ小さな製鋼所を作らせた。

■5.悪戦苦闘■

 3月には試作工場が完成し、「自動車の心臓部はエンジンだ。
まずエンジンから作ろう」との喜一郎の決断で、シボレーのエ
ンジンを見本に取り組んだ。

 エンジンの主要な部品の一つにシリンダー(気筒)ブロック
がある。筒状の穴をいくつもあけたもので、この中でガソリン
を断続的に爆発させることによってピストンを押し上げ、これ
で推進力を生み出す。6気筒エンジンなら、この気筒の穴が6
つある。さらにその周囲に冷却水の通路など、大小様々な穴が
開いている。

 このシリンダーブロックを鋳造で作る。砂で作った鋳型に電
気炉でどろどろに溶かした鉄を流し込む。中空の部分には「中
子」と呼ばれる砂型を入れておく。鉄が冷えて固まり、砂を取
り除くとシリンダーブロックの形となる。

 しかし複雑な形状をした鋳型に中子を入れ込むだけでも難し
く、中子入れの名人がやっても3つに2つは中子がぼろぼろ崩
れてしまう。喜一郎が調べさせると、フォードの鋳造工場では
中子に油を入れていると分かった。いざやってみると中子は崩
れずに入るようになったが、鉄を流し込んでみたら、油が燃え
て、千数百度に溶けた鉄が天井にまで噴き上がってしまた。そ
れを見ていた喜一郎は顔色一つ変えずに「油の配合の問題だろ
う。原理的には間違ってないはずだ。みっちり研究してみなさ
い」と命じた。

 7月から8月の暑い時期に、連日、天井まで鉄湯を吹き上げ
ながら、汗みどろになって油成分の調整が続けられた。9月に
なって、ようやく噴き上げがなくなり、形はできるようになっ
たが、今度は固まった鉄の中に巣と呼ばれる空隙が多くて使い
物にならない事が判明した。それをなんとか乗り越えると、よ
うやくエンジンが動き始めたが、今度は馬力がまったく出ない、
、、

■6.俺はだんだん、親父に似てくる■

 こうした悪戦苦闘を続けるうちに目標の1年はとっくに過ぎ
てしまったが、いまだエンジンさえできあがってない。左吉か
ら渡された研究費100万円はとうに使い切っていた。あと何
年続けたら、売れるような自動車ができるのか。銀行や株主た
ちは、喜一郎の自動車への取組みで豊田系の全事業が危うくな
る、と責め立て始めた。

 またたく間に春が来て4月下旬の深夜、しばし現場から離れ
て別室で休んでいた喜一郎は「俺はだんだん、親父に似てく
る」などと考えていた。左吉も周囲の無理解と貧窮生活の中で、
動力織機の開発に取り組んだのである。

 そこに激しいノックと叫び声が聞こえた。「エンジンが回っ
ています。すごい馬力が出ています。」すぐに現場に駆けつけ
るとお手本としたシボレーの60馬力を超えて、62,3馬力
でている。「うん、よかった」と喜一郎は微笑して頷いた。一
人ひとりの油に汚れた手を握りながら「すぐに今晩から、一号
車の本格的な組立てを始めてください」。

■7.今年中にはトラックの発売を開始する■

 5月下旬には乗用車の試作第一号が完成し、さらにトラック
の試作も6月には軌道に乗りかけていた。そこに喜一郎は「ト
ラックはすぐに本格生産を始め、今年中には発売を開始する」
と宣言して周囲を驚かせた。あと6ヶ月ほどしかない。

 当時、フォードが横浜で巨大な自動車工場建設を計画してい
た。それが完成したら、国産自動車の芽はつぶされてしまう。
そこで日本政府は実力と実績のある国産会社「一社、または数
社」に絞って集中的な援助を行い、その他の企業は自動車生産
を許さない、という法案を準備中で、翌年1月には議会に上程
されるとの情報を喜一郎は掴んでいた。

 政府の期待する筆頭候補が鮎川義介が設立した日産自動車で
あった。鮎川は「国家・民族のために、日本に重工業を始め、
すべての産業を打ち立てる」と宣言しており、アメリカのグラ
ハム・ページという自動車会社の工場施設をそのまま買い取っ
て、横浜の新子安海岸に大工場を建設しつつあった。

「国家・民族のために」という志こそ同じだったが、喜一郎は
「人のものを(そのまま)受けついだものには、楽をしてそれ
だけの知識を得るだけに、更に進んで進歩させると云う力や迫
力には欠けるものであります。日本の真の工業の独立をはから
んとすれば、この迫力を養わなければなりません」という考え
であった。

 しかし自前の技術開発にこだわっても、自動車生産・販売の
実績があげられなければ、自動車事業そのものの道が閉ざされ
てしまう。「今年中にトラックを販売する」と決断したのは、
そのためだった。

■8.現在のうちの車は一番劣悪なんだ■

 11月にはG1型トラックが完成し、東京で盛大な発表会が
開かれた。その後、地元での販売が開始されたが、セールスマ
ンたちには営業の責任者から風変わりな訓辞がなされた。

 ええか、車を売り込むのに、うちの車は他の車よりいい
などとは、決して言うてはならんぞ。世界のどこに比べて
も、現在のうちの車は一番劣悪なんだ。

 ただ、国産品だから買ってくれ、使ってくれと頼むんだ。
そうでなければ、自動車はいつまでもアメリカの独占物に
なる。日本の自動車工業は育たず、であるから日本の民族
工業全体が、二流三流のままで取り残される。

 皆さんが使ってさえくれれば、トヨタは必ず改善して、
やがて世界一の車にしてみせる。

 6ヶ月でろくな試作もせずに急拵えしただけに、無数の問題
があることは分かっていた。それを承知で買って貰おうという
のである。そのかわりに、故障したら、昼でも夜でも駆けつけ
て修理する、全力をあげ、誠意を尽くしてサービスすることを
約束した。

 果たして、納入した車は毎日のように故障を起こした。業界
紙には「豊田トラックまたエンコ」「国産豊田、またも座禅を
組む」などと書き立てられる有様だった。しかし客の中には怒
りながらも我慢強く使ってくれる人も少なくなかった。

 修理サービスの担当者たちは不眠不休で対応を続けた。喜一
郎もほとんど工場に泊まり込んで、「どんな些細な欠陥でも、
本質に立ち返って見直しなさい」と技師たちに改良を続けさせ
た。時には自らワイシャツ姿で車の下にもぐり込んで、顔も手
もシャツも油だらけにして、故障の原因究明に取り組んだ。

 こうして1年間で800点以上もの改良を行い、故障も目に
見えて減って、顧客の信頼をしだいに得ていった。そして喜一
郎の思惑通り、その過程で自前の技術が蓄積されていった。

■9.一本のピンもその働きは国家に繋がる■

 昭和11年5月、「自動車製造事業法」が成立。フォード、
GMは日本国内での生産をそれまでの実績から年1万台程度に
制限され、国産メーカーとしては日産自動車と豊田自動織機の
みが自動車生産を許可された。喜一郎はかろうじて賭に勝った。

 昭和13年10月1日、トヨタ自動車工業株式会社が設立さ
れ、11月3日「明治節(明治天皇の誕生日)」の佳き日を選
んで挙母(ころも)工場の竣工式を挙行した。約2年前に、喜
一郎がノートを引きちぎった紙片に走り書きで「挙母に乗用車
月産500台、トラック1500台を定時間につくれる工場を
建設してください」とまるで植木1本注文するような気軽さで
担当者に命じた工場が、ここに完成したのである。しかも喜一
郎は月産2千台とはとりあえずの規模で、近い将来月産2万台
の工場にすべく土地の手当てを行っていた。

 工場の設計に当たって、喜一郎は、部品メーカーから流れる
ように部品が集まって、よどみなく組立が行われる「ジャス
ト・イン・タイム」の生産方式をとるように命じた。部下が驚
いて、フォードの工場ではそんな事はしていません、と言うと、
喜一郎はきっぱりと答えた。

 フォードがどんな方式を取っておろうと、トヨタはトヨ
タでやります。フォードよりすぐれた方式を打ち立てねば、
フォードに勝てません。

 戦後トヨタ生産方式として世界を席巻することになる「ジャ
スト・イン・タイム」の考え方は、すでにこの時に芽生えてい
たのである。

 竣工式では作業服姿の喜一郎が神前で竣工の辞を読み上げた。

 皇国未曾有の非常時に際会し、我等の使命日に重く、こ
こに国策に順応して工場を挙母地方に設け、一大自動車工
業を確立せんとす。・・・

 各自受持の任務に満腔の誠を尽せ。集まりて偉大の力を
生ず。連鎖も一環の集まりなり、一個人の不注意を以て全
工場の努力を空しうす。一本のピンもその働きは国家に繋
がる。・・・

 今日の日本自動車産業の繁栄は、喜一郎という「一本のピ
ン」が、多くの人の知恵と力を集めて「偉大の力」を成さしめ
たものと言えよう。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(283) 人物探訪: 本田宗一郎と藤沢武夫の「夢追い人生」
「世界一の二輪車メーカーになる」との夢を追い続けて二人は
幸福な職業人生を生き抜いた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog283.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 木本正次、「夜明けへの挑戦」★★★、人物文庫、H14
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4313751602/japanontheg01-22
2. 佐藤義信、「トヨタ経営の源流」★★、講談社文庫、H11

■ 編集長・伊勢雅臣より

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