|  
        | 
      
 
」日本人の深く考えるという「熟考」が薄れていき、政治も経済もICチップによりバーチャル化しつつあります。
 ファミコンはその走りで、その罪は重いものがあります。「ゲーム脳」に汚染された若者達は切れやすいといわれています。
 いますぐ、家庭からゴミ箱に捨てるべきでしょう。
                                            マリオが跳びはね、伝説の勇者たちが戦った舞台の幕が下りる。家庭用テレビゲーム機「ファミコン」の生産が九月
                                            で終わるのだ。登場から二十年、ゲーム産業は誰もが想像しなかったほどの規模になった。業界の繁栄を導いた“勇
                                            者”の退場に、かつての子どもたちは心を騒がせる。ファミコンとは何だったのか。 (中山洋子)
「一つの時代が終わったな、という気分です」
                                             日本中を旅してファミコンソフトを集めている会社員呉エイジさん(34)がつぶやく。「初恋だった人がお嫁に行
                                            ってしまったような。そんな切ない気分です」
                                             任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売したのは一九八三年七月十五日だった。“生誕二十周年”を祝うムード
                                            も勝手に高まっていただけに、先月末に報道されたファミコンと後継機スーパーファミコンの生産中止は波紋を広げ
                                            た。
                                             今年一月、二十周年を記念してファミコンの思い出を語るサイトを立ち上げたウェブプロデューサーの深田洋介さん
                                            (28)は「ファミコンは僕たちの世代の共通言語だ。全く違うバックボーンを持った人間でも、ファミコンの話なら
                                            一晩中できる」と説明する。
                                             深田さんは「うちには『一日一時間、十分プレーしたら十円』というルールがあった。すごくやりたいのに、みんな
                                            同じようなルールに四苦八苦していた」。
                                             呉さんも「ゲームセンターに近い映像で、家でゲームができるのがカルチャーショックだった。友達もファミコン一
                                            色。『ドラゴンクエスト』で初めてゲームで徹夜をし、ボタンが戻らなくなるくらい『ゼビウス』で連射しました」
                                             パソコンが一台三十万から五十万円、ソフトが五、六万円だった時代に、ファミコンは一万四千八百円で販売され
                                            た。ソフトは五千円前後だった。
                                             誕生日やクリスマスのおねだりぐらいでは足りないほど、魅力的なソフトが次々登場した。呉さんは「裕福な友人が
                                            毎月数本の新しいソフトを買うのを歯がゆい思いをしながら横目で見ていた。自分で稼ぐようになって、あのころ欲し
                                            くても買えなかったソフトたちを、何かに取りつかれたように買い集めるようになってしまった」と苦笑する。
                                             任天堂によると、これまでにファミコンは六千二百万台、スーパーファミコンは四千九百万台を出荷した。量産は打
                                            ち切られたが根強いファンも多く、受注生産を続けていた。昨年度でも出荷台数はファミコン約六万台、スーパーファ
                                            ミコンで約一万台に上るのだ。
■8ビット部品 時代に遅れ
                                             同社広報室では「五、六万台というのは小さな会社なら十分にやっていける数字でしょうね。最近のゲームは操作が
                                            複雑で、昔遊んだ方だけではなく、小さな子どもたちが、初めてのゲームとして今も楽しんでくれている」と説明す
                                            る。「8ビットのCPU(中央演算処理装置)の製造は、とっくに打ち切られている。部品が手に入るうちは出荷して
                                            いたが、今後の修理などを見越すと、もう続けることはできない。今日まで愛してもらっているのはありがたいことで
                                            すが…」
                                             八五年の夏は熱かった。“高橋名人”と呼ばれた青年が、全国を巡業して子どもたちをとりこにし、九月にはスーパ
                                            ーマリオブラザーズが発売された。
                                             ゲームソフトメーカー「ハドソン」の営業推進部マネージャー高橋利幸さん(44)が、当時を振り返る。ボタンを
                                            一秒間に十六連射した“名人”だ。
                                             「子どもたちが腕を競う大会で、一日に五百人が限度でそれ以上は参加できないと分かっていても並んでいるんで
                                            す。大阪では、阪急デパートを四周半する列になった」
                                             パソコンソフトをつくっていた同社は、八四年にファミコンに進出した。他のソフトメーカーから「なぜおもちゃの
                                            世界へ行くんだ」とあきれられたという。
                                             高橋さんは「パソコンソフトは一万本も売れればいい方だったときに、うちで最初のファミコンソフト『ロードラン
                                            ナー』が百二十万本売れた。それを見てみんな入ってきましたけどね」と振り返る。
社会現象となったファミコンの語り手を必要としていたメディアが、“名人”に殺到した。
                                             メディアは、超人気ソフトの発売日に学校をサボる子どもたちや、万引する子どもたちを取り上げ、まゆをひそめて
                                            みせた。ことあるごとに「ゲーム害悪論」が再燃した。「名人が逮捕された」という都市伝説まで生まれた。「一日署
                                            長で警察に行くよ、と子どもたちに言ったのが『逮捕された』といううわさになった。『十六連射がうそで詐欺罪だ』
                                            とか『腕に電極を仕込んでいた』とか、仕事にならないほど電話が殺到しましたよ」
メディアに露出するたびに、高橋さんが「ゲームは一日一時間」と呼びかけていたのは有名だ。
■「今では1秒13連射かな」
                                             「うまくなりたかったら一時間で集中しろ、という言い方をしたんです。問屋からは『ゲーム会社の社員がなぜ一時
                                            間しか遊ばせないようなことを言うのか』というクレームが来た。でも、父兄を意識しないと。この新しい業界をつぶ
                                            したくなかった。長くやっていこうと思ってましたから」
                                             現在は業者相手の営業を担当しているが、今年の夏は久々に店頭に立つ。模範演技も検討しているという。「今だと
                                            一秒間に十三発が限度ですよ」と笑った。
                                             かつて、ファミコンはゲーム機の総称だった。「当時出ていたセガの家庭用ゲーム機は、『セガのファミコン』と言
                                            われていた」。週刊ファミ通を発行しているエンターブレインの浜村弘一社長が説明する。「ファミコンが、ゲーム機
                                            という市場を生んだ」
                                             米調査会社NPDグループによると、昨年のゲーム市場は米国で百三億ドル(約一兆二千億円)。北米の年間映画興
                                            行収益をはるかに超える規模だ。
                                             ソフトの売り上げベストテンでは、九位に米メーカーのXbox用ソフトがランクインしただけで、後はプレイステ
                                            ーション2やゲームボーイ、ゲームキューブ用ソフトが占める。米国では毎年約10%ずつ成長しているという。ハリ
                                            ウッドをしのぐ巨大産業の主役が日本のゲーム機なのだ。
                                             はじまりの勇者はたたえられた。「そなたはでんせつとして、えいえんにかたりつがれてゆくであろう」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20030608/mng_____tokuho__000.shtml
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。