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(故)高山登久太郎氏(博徒任侠):拝啓 池田大作殿/創価学会を暴く
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/524.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 30 日 20:45:46:


拝啓
 一言申し上げる。
 はびこる拝金主義、幹部の堕落、そして一生懸命に努力する者が何も報われない現実 ―― 。学会で今、何が起こっているか、貴殿はその現状をご存知か。一度、水戸黄門よろしく、お忍びで全国を廻って直接、その目で見てみるがいい。
 腐敗幹部は、純粋無垢な学会員から金を集めることにばかり専念する挙句、宗教心を忘れ、その結果、勤行の集会は本来あるべき姿をなくし、規律を失い、厳粛さを欠いたものになっている。
「大衆の為に死ねる人を選びなさい」
 そう言った第二代会長・戸田氏の意志は消え、権力の座にぬくぬくと安住する政治家。
 利害や打算にまみれた政治家たちの"選挙の道具"とされているにもかかわらず、組織の末端に甘んじながら、このような無能な者たちを政治の場に上げるため、「あの人に投票をお願いします」「この人に協力して下さい」と寝食を忘れ、苦労を重ね、懸命にブロックを守る学会員。
 この現実を、貴殿は一切知らない。否、知っていながら見過ごしている、とするならば、その罪は腐敗幹部と同等、もしくはそれ以上に重い。その責は一に貴殿にあり、即刻、現在の職を辞すべきである。

                ◇     ◇     ◇

 最近の公明党議員の堕落は、地方、国政を問わず目に余る。
 定年制を導入したにもかかわらず、藤井富雄・東京都議会議員は80歳に手が届こうとする今もなお、その職に恋々としている。このことは、どれほど公明党に人物がいないか、これまで後継者の育成をしてこなかったかを党内外にさらす汚点となっている。
 一方、国政では与党にくみし、その座に恋着する代償として数々の汚職を目の当たりにしながら見過ごしてきた。憲法も人権をも無視した戦後最大の悪法たる暴力団対策法に一言の異議も唱えることもなく、また「ヤクザとは何か」といった根源的な分析をすることもなく、易々と法案成立へと導いた。これこそ人権政党を語りながら、権力政党に成り下がったことの証拠であり、歴史に残る大罪である。
 このような愚か者を政治の場に上げるため、信者を道具とする宗教などどこにもない。

                 ◇     ◇     ◇

 かつて斉藤隆夫という一人の政治家がいた。彼はこう言う。「政治家たる者、わが身を焦がして世を照らすべき」と。戦時中は反戦政治家として運動し、議員資格を剥奪されてもなお志を変えることなく、その生涯を全うした。
 ヤクザとして任侠道に身を置いた私の人生ですら、生涯を権力との闘いに費やして来た。ましてや学会ならなおさらのこと。この教えこそ、常に野にあって、時の権力に疎まれながらも、命を賭して民を救おうとした日蓮上人が導かれたことではないのか。
 初代会長・牧口、第二代会長・戸田の両氏は、貧困児童の多かった三笠尋常小学校に赴任した際、教師として慈悲の心で学童と接し、私財をなげうって日本で初めてとなる給食制度を創設した。戦争中は政府権力から弾圧を受けながらも、屈することなく戦争反対の意志を貫き通した。
 貴殿はなぜ、世界を訪問するより前に、もっと身近なものに学び、志を受け継ごうとしないか。貴殿が真に"人物"ならば、また"人物"たらんとするならば、なぜ日蓮上人に学び、なぜ牧口、戸田両氏ら先達の意志を継いでその道を歩もうとしないのか。

                 ◇     ◇     ◇

 去る平成三年、学会は宗門から破門処分を受け、翌年、貴殿も信徒除名となった。それ以後、貴殿のとった行動は不可解極まりない。
 まず、日顕上人をはじめ宗門からどのような指弾を受けても、自ら信じるところがあるならば正々堂々たる論議によって宗門に戦いを挑み、その志を全うすべきであった。しかるに除名直後からはじまり、今日に至ってもなお聖教新聞および公明新聞紙上でなお続く日顕上人への"不正"に対する攻撃は、見苦さの極みと映る。
 まるで宗門を挑発するかのような日顕上人への攻撃は、あたかも "負け犬の遠吠え"を思わせるかの如くであり、また些末なスキャンダル暴きに似た攻撃は、下劣さえある。
 このような所業は、真の"王者"の姿ではなく、"御大将"たる者の執るべき道ではない。カリスマを気取り、聞く耳を一切持たず、すべてを一喝して、部下が何も言えぬまま、物事が決まって行くような組織の恐ろしさ、愚かしさをを貴殿は知らない。
 これこそ隣国・北朝鮮に見る金正日体制そのものである。純粋、無垢な学会員に、自らを「神である」と信じさせようといった邪心に思いを馳せつつ学会指導者であろうとすることは間違っており、もはやその資格はない。
 ご本尊ひとつに三千円、五千円と値をつけ、「すべては金、金、金」とばかりに、寄付金の多寡で功徳や信心深さを測るような姿勢。すべては学会員が爪に火を灯すようにして貯めたものだ。こうして集めた金で、贅の限りを尽くした施設を次々と建て、それに『池田』の名を冠し、あたかも自分を神のように祭り上げる …… 。いまだ国内ですら折伏できていないのにもかかわらずインドや中国、ヨーロッパを廻る意義はいったいどこにあるのか。
 日蓮上人に金があったか。牧口氏が、そして戸田氏がそんなに金や名誉に執着したか。

                 ◇     ◇     ◇

 私の妻や娘は、これまでひたすらお題目を唱え、純粋に奉仕の精神から、長く学会活動に身を投じてきた。先日、妻はその精励振りを評価され、貴殿が書いたとされる『家内安全』のお札をもらった。それを手にする妻子の喜びようは、ひと通りではなかった。
もとより「報われようなど思ってもいない」といった気持ちで活動を続けてきたことは、そばにいる私自身、よく承知している。
 しかし、少し距離を置き、客観的に見る私の目には、幹部連中が、貴殿が、ただ彼女らを利用しようとするだけにしか見えない。その純粋さにつけ込み、ただ利用された挙句の紙切れ一枚。健気に、献身的に活動を続けてきた者たちを見ていると、なんとも言えぬ哀れみといとおしさを感じる。
 そしてその思いは、幹部、そして貴殿に対する言い知れぬ憤りと化す。

                 ◇     ◇     ◇

 学会員あっての池田大作であることを、いま一度、思い返すべきである。そしてもう一度、法華経の教義に帰れ。石川島播磨、東芝と、数々の再建を成し遂げ、行政改革に辣腕を振るった土光敏夫の清貧さに学べ。物質の豊かさに背を向け、無私の人となることで彼の偉業は成し得たものであることを知れ。
 金を集めることに没頭してきたこれまでの来し方、その結果、学会全体が拝金主義に染まり、その中で幹部連中が堕落し、学会が本来の姿から逸脱する今の姿に、これから先、坂道を転がり落ちる前兆を見る思いがする。
 この意見に反論があれば、貴殿と刺し違える覚悟をもって、いつでも受けて立つ所存である。【了】


創価学会を暴く @

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 先の池田氏への書簡に続き、補足の意味も含め、重複を承知で、いま一度、創価学会の現状を明らかにしていきたい。読者諸兄には、このバカげた組織の愚かさ、汚さについてもっと知っていただきたい。また、特に学会員の方々には「客観的に見る学会はこれほど堕落している ・・・・・・ 」という事実に目覚めていただきたい。これこそ創価学会が、その原点に戻るきっかけとなることを願いつつ、再び筆を進めることにする。

                ◇     ◇     ◇

 問題は大きく三つある。
 まず第一に、金への異常な執着、拝金主義に陥った学会の現状である。
 入信してきた者にご本尊と称して、明らかに大量かつ粗製されたものを三千円、五千円と売りつける。そしてことあるごとに寄付を募り「一万円より十万円の方が功徳がある」と信心を金に絡めながら、十万円より百万円、百万円より一千万円、一千万円よりも一億円 ・・・・・・ と、その値を吊り上げていく。
 こうして学会員から搾り取るように集めたお金は、不要と思わせるほど絢爛豪華な施設に変わり、そこに池田の名を付け、さらには自身の名誉よく追求のためだけに、莫大な外遊費となり、世界各国で名誉博士号や名誉市民を買いあさるのだ。
 いま、九州地区が大分で手掛ける広大な墓地建設は、三井をはじめ大手ディベロッパー、大手建設会社との癒着を生んでいる。リベート、キックバック、縁故による工事参入、そしてそこから入る謝礼。一部幹部が走る利権構造によって生み出された金は、決して末端の学会員に還元されることなくどこかに消えていく。
 そして何も知らされぬまま善良な学会員たちは、その墓地を「功徳を積める」と吹き込まれ、ありがたそうに買っていくのである。

                ◇     ◇     ◇

 第二に、権力と迎合する公明党の姿勢である。
 いま、公明党所属の議員は、衆参合わせて54人、地方議員3351人、さらに選挙協力で当選した者、推薦した首長を含めると約5300人にも及ぶという。彼らを当選させるために末端の学会員たちは、選挙シーズンともなると、それこそ仕事も私生活もそっちのけで、寝食を忘れ活動する。この苦労が「修行となり、功徳となる」と信じながら ・・・ ・・・ 。こうして議席を得てもらったにもかかわらず、彼らは選挙のときだけ題目会に現われ、「自分たちが学会員を守っている」という思い上がりを隠さない。
 その一方で彼らがしていることは何か。
 地方議会ではほとんど例外なく多数与党の一角をなし、馴れ合い自治の温床となっている。その結果、首長選挙は常に"多数党対一党"という図式を生み、それがさらに政治離れ、地方自治の停滞を生んでいる。
 国政では、平成5年、細川連立内閣に参加し与党となって以来、多少の紆余曲折はあったものの、ほぼ政権の中枢に入っている。一度味わった権力の"蜜の味"こそ、公明党が人権の党、国民政党というテーゼを忘れ去るきっかけとなった。
 特に自民党と組むようになってからというもの、なだれを打つように盗聴法、有事法制、医療負担の増額、鈴木宗男の疑惑隠し ・・・・・・ と、プライドをかなぐり捨てて与党の座にしがみついた。
 この4月からはじまった医療負担増額問題では、一部自民党議員でさえ欠席という手段で対抗し、学会内部からは良心ある人たちや地方議会からも反対の声が上がっているにもかかわず、それらを封殺し、押し通していった。
 アメリカのイラク攻撃では、冬柴幹事長が「国連の議決なしの攻撃に反対する」と明言しておきながら、結局は傍観することで賛意を示した。
 学会はこんな人間を養っているのだ。

                ◇     ◇     ◇

 第三に、宗教法人の適格性の問題がある。
 平成3年の学会破門、その翌年の池田追放以来、創価学会の宗教法人の適格性を疑問視する声が各方面から上がった。それは「学会は日蓮正宗の信徒団体として宗教法人を取得しているのだから、宗門から破門され、拠り所を失った以上、もはや法人を名乗り、税の軽減など様々な恩恵を受けつづけるのはおかしい」というもので、ごく自然で当たり前の意見であった。
 日蓮正宗から破門され、本山も持たなくなった時点で、宗教法人以外の公益法人に変わるべきだったにもかかわらず、宗教法人の冠は決してはずさなかったのには、人集め、金集めといった狡猾な打算も働いたに違いない。
 平成5年、細川内閣で与野党の立場が逆転した自民党は、野党の立場から創価学会・公明党の政教分離や宗教法人問題を指摘。野中、亀井、加藤ら当時の自民党幹部が非難の急先鋒に立ち、ついに池田の証人喚問まで取りざたされるようになった。
 そんな学会の窮状に助け舟を出したのが竹下登といわれている。
 まず非難の声を上げ、追い込んでおきながら、その同じ組織の者が救いの手を差し伸べ、恩を着せる。こんなやり方はヤクザならぬ"暴力団"の手法だ。
 こうして自民党が政権の座に返り咲くや否や、公明党は与党にくみし、以来、この問題はなりを潜めた。かつて攻撃で急先鋒に立ったくだんの3人は、いまや党内では右に出るものがいないほど創価学会・公明党のよき理解者になっている。
 昨年、学会の会則は変更されたが、宗教法人としての拠り所を失ったままであることにはいまも変わりはない。しかしこの会則には新たな項目が加わっている。第3条『三代会長』がそうだ。
 この条項で、牧口、戸田、池田の会長経験者を『永遠の指導者』と謳っている。前者のうち二人はすでにこの世にはいない以上、実質的な指導者は池田ということになる。日蓮に代わって池田を信じる宗教に変貌しようという意図を明確に打ち出したのだ。
 皮肉にも学会の宗教法人問題は、"池田教"となることで解決されようとしている。

                ◇     ◇     ◇

 最後に、宗門からの破門、追放以後にみる池田のとった行動について言及しなければならない。
 創価学会・公明党の宗門とりわけ日顕上人への批判は、いまなお聖教新聞、公明新聞紙上で続いているが、もちろんこれは池田の指示で行われているものだ。しかしこの行為自体、書簡でも申し述べたように「負け犬の遠吠え」の感が拭えない。
 もともと学会全体が破門されるに至った経緯も、池田の指導に端を発しているわけであるから、問題は宗門と池田個人にあるはずだ。池田は、真に信ずるところがあるのなら、学会全体を巻き込むことなく、ひとりで宗門と論戦を張り正々堂々と闘うべきだった。
 しかし論議を戦わすこともなく、シアトル事件に見るような日顕上人個人のスキャンダル暴きに終始するような低俗な攻撃を繰り返し、これまで外部からは嘲笑の的になって来た。このことによって学会員が恥ずかしい思いをしていることなど、思いもつかないのだろうか。
 創価学会は池田一人の私物ではない。学会の信用を彼一人の判断で落すような権利はどこにもないし、いやしくも人から尊敬を得ようとする人間のすることではない。
 これはリーダーとしての資質の問題でもある。 【了】

創価学会を暴く A

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 人が変わり、それによって社会が変わっていく ―― 。創価学会の前身『創価教育学会』は、昭和5年、後に初代会長となる牧口常三郎の『創価教育体系』に始まる。
 教員だった牧口は、教育者、そして日蓮正宗と出会った縁から、仏法を中心に据えた教育を通して、自分の理想とする平和と人間の価値創造の実現を目指した。これが『創価教育体系』であり、すべてはここが原点となっている。
 まず人を育てよう。仏法を基礎に据え、それに基づいた教育で人づくりをしていこう。このことが社会を変えることにつながる ・・・・・・ 牧口の教育への思いは、そんな純粋な人間愛に満ちている。それは、いまの学会に見る金銭欲や名誉欲、権力欲などとは対極をなすものだ。
 牧口が校長を勤める小学校に赴任し、同じく教員をしていた戸田とともに、創価教育学会ははじまった。戦時色が濃くなる時代背景の中で、仏法が戦争高揚に使われることを拒んだ二人は、獄中に繋がれ、牧口はそこで命を落すが、その意志は戸田に引き継がれた。
 戦後、信者は飛躍的に拡大したが、その一方で猛烈な折伏が非難を呼ぶ。政治への進出もこの時代からはじまるが、戸田にはまだ、牧口の残した人間愛がしっかりと根付いていた。
「大衆のために死ねる人を選びなさい」
 そんな戸田の教えは、いまの創価学会・公明党を想像だにしていなかったに違いない。

                 ◇     ◇     ◇

 それ以後も学会は、末端の学会員に血のにじむような努力によって、着実に信者数を伸ばし、いまやその数820万世帯にも及ぶという。
すべては日蓮上人の教えを信じ、牧口、戸田の意志を受け継ぎながら、爪に火を灯すように貯めたお金を寄付にまわし、人からは「ええ?創価学会?」と白い目で見られても、懸命に、純粋に活動を続けてきた証だ。
 一般的に言われているが、学会の信者たちの中には、危険な職業に就かざるを得ない人や、社会的に虐げられた人、そしてその家族が多くいる。社会の中で苦しみ、いじめ抜かれた人たちが、左翼政党のように怒りをストレートにぶつけ、社会変革を訴えるよりも、まず心の平安を求めたいと願っても不思議ではない。そんなとき仏法に接し、入信してお題目を唱えることで救われた人は実に多い。
 それだけに学会員の組織愛は、他のどんな政党や宗教団体よりも強い。ましてや外部からの批判に結束して立ち向かっていればなおさらのことだ。

                ◇     ◇     ◇

 しかし本当の敵は内部にある。これまで述べてきたように、功徳と信心を金に絡ませるようなやり方、権力に対する迎合は、すべて池田によるものだ。
 飽くことのない金銭欲と名誉欲。彼がどこかの国の名誉市民になったり、どこかの大学で名誉博士になっても、いまの生活にも心の平安にも何の関係もない。
「学会に入って本当によかった」
「学会だからこそ権力が弱いものいじめするのを見過ごせない」
と言えるような組織にすることが先決ではないか。
 華々しい外遊より、いましなければならないこと、牧口が理想とした平和と人間の価値創造のためにしなければならないこと、学会員自身のためにしなければならないこと ・・・・・・ 。そんな急務がたくさんあるはずだ。
 現世での利益を求めるということではなく現実問題として、未曾有の不況のもと、倒産の憂き目に遭っている中小・零細企業はあとを絶たない。リストラされている者も多い。どれほど厚い信仰をしていても、老後の不安は等しくやって来る。足元がぐらついている中で、池田が世界を廻り、ノーベル平和賞を札ビラで買うようなムダな金はない。
 会員に低利で資金を回し、会員同士の連携で失業者を救い、礼拝施設を建設するのと同じように老人ホームを建ててやるべきではないのか。いまこそ、これまで身を粉にして、奉仕の精神で働いてきた学会員たちに、報いてやるべきではないのか。この人間愛こそ日蓮上人の教えであり、牧口や戸田が自分たちの教え子にやろうとしたことではないのか。

                 ◇     ◇     ◇

 これまでの学会批判は、とどのつまり池田批判に他ならない。
その池田は昨年の会則変更の中で、ますます個人崇拝の路線を固めつつある。
 そもそも学会員は日蓮上人の教え、法華経の教えをもって救われ、そして救われようとする集団ではないのか。歴代会長はその教えの実践者であり、事務屋にしか過ぎず、自らが教祖になるいわれはない。それを「日蓮の代わりに俺を信じ、崇め奉れ」といわれても、それは出来ないはずだ。また、出来るとすれば、その人にとって信仰とは何だったのか。自分の人生を否定することになる。
 盗聴法でも、医療費増額問題でも、有事法制でも、そしてアメリカのイラク攻撃でも、心ある学会員は「こんなに自民党に追随していていいのか」といった疑問が胸の奥底にあるはずだ。
 それだけではない。宗教人として、もっとやりたいことがあるはずだ。比叡山が毎年行う宗教サミットは、あらゆる教義の壁を乗り越え、世界平和を訴えるものだ。それは池田個人の名誉欲を満足させることよりももっと意義深いことではないのか。本当はどんな人物ともわからぬ公明党議員の選挙より、困っている人に手を差し伸べ、喜んでもらえる仕事がしたいのではないのか。

                ◇     ◇     ◇

 創価学会の精神は、常に野にあって権力を監視するもの。決して自らの利益のために魂を売り渡すようなことがあってはならない。しかし末端からその声を上げる勇気がなければ、学会幹部・公明党の権力への迎合を非難する資格はないことになる。
 聖教新聞や公明新聞、グラフSGI(前・聖教グラフ)ばかり読み、学会員だけと付き合う。しかもその新聞たるや、「池田名誉会長が名誉市民に」「名誉会長に名誉博士号授与」など、読んでいてこちらが気恥ずかしくなるような記事が紙面を飾る。また学会破門、池田追放以来、いまなお続く日顕上人への攻撃は、まるで宗門を挑発するかのようなスキャンダル暴きに終始し、その低俗さに辟易する。
 外部からの批判に一切耳を貸さず、金まみれ、権力への迎合の本質を知っていながらもなお、池田の無謬性を信じようとするのは、現実を直視しようとする勇気がないからではないのか。
 洗脳とも言える池田のマインドコントロールから解放され、狭い視野から脱却するときが来ている。これ以上、無知を装うことは罪悪だ。【了】


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