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GLA(パナウェーブ成立に影響あった教団)高橋信次の著作を疑う
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投稿者 罰 日時 2003 年 8 月 24 日 02:51:41:WUtEigDcGruYM

GLA(パナウェーブ成立に影響あった教団)高橋信次の著作を疑う

☆高橋信次の『心の発見・現証編』を疑う

 1980年代前半から90年代初頭にかけて、それまで入会していた宗教法人GLAを
退会したのち、私梅仙人はこれまで次のような分野で知識を集めました。聖書や
古事記のような正統的な聖典から、お筆先、内外のカルト、新宗教、霊能者、性格
改造セミナーに至るまで、いわゆる「宗教業界」「オカルト業界」について、色々
な情報を得てきました。自分の「盲信」からの離脱を確かならしめるためには、
どうしてもそういった「業界」の実態を知る必要があったのです。

 そして、GLAと高橋信次についても、「業界」の通弊があるだろうと、強い疑念
を抱くにいたりました。意を決し、焼き捨てた筈の高橋親子の著書を、古書店
やGLAの地方本部におもむいて再び入手しなおしました。『真創世記』のあとがき
や内容に、事実と異なる記述があったのだから、信次の著作にもどこかあるはずだ
と踏んだのです。

 検証は、まず信次の代表作『心の発見(現証編)』からはじめました。この十年
間に蓄積したデータや知識の数々に照らして、ページを繰っていったのです。その
調査の結果は、予想をはるかに越える「矛盾」「あやまり」「虚偽」のモザイク
でした。

 信次の著作に、どのような誤りや偽りがあると判明したか、まず『心の発見
(現証編)』(三宝出版)でも目立つ事例をあげながら、次にご紹介してゆきます。


☆信次の不審な「守護・指導霊」(1)

 昭和43年7月より、信次には「ワンツスリー(以下123とする)」(実は十戒
で有名なモーゼだという)なる指導霊と「フワイ・シン・フワイ・シンフォー
(以下フワイとする)」(実はイエス・キリストだという)なる指導霊が、霊媒
にした信次の弟の体にかかって現れ、悟達をせまるという事件が起こりました。

 そして同年9月、フワイは信次の霊視の中で「123」の正体を、こう紹介します。
『心の発見・現証編』P90〜91/(A)〜(D)とも

「こちらの方は、BC百三十年ごろ、エジプトで活躍されたモーゼという方です」
(項目A)
(注:「現証編」より前に出版された「神理編」のP46には「123はBC1300年代
のエジプトのスタイルであった。本名はモーゼと呼ばれている」とある)

 そしてフワイの方も自分は、
「紀元前三ニ年にイスラエルに生まれたイエス・キリスト」といいました。
(B)

 フワイは、彼らがなぜ偽名で現われたかという信次の疑問に対してこう答えます。

「おまえにイエスだのモーゼだのといえば、聖書やユダヤ経や十戒を読みあさり、
塵と埃にまみれた現代版をそのまま暗記してしまうことを恐れたからだ」
(C)

 それに対して、信次はこう納得します。
「なるほど、私の性格ならおそらく聖書や十戒をよみあさったことであろう」
(D)

 さて、この信次の人生の大転換を決定づけた「123」「フワイ」の両名の言葉の
真偽を、史実や聖書の内容などと比較して、確認しましょう。

 まず(A)「モーゼが活躍したのはBC百三十年ごろ」はあきらかにまちがいです。
 現在の定説では、モーゼが生きていたのは、紀元前1250年ごろとされています。
「BC130年頃」は、史実をいえばイスラエルの「ハスモン王朝時代」であって、
どう考えてもモーゼの時代ではありません。(注)の「神理編」の記述の方が正しい
のです。なぜ、同一人物の霊につき、「神理編」と「現証編」で1000年も異なる
のでしょうか。

 BC130年は、ダビデ王・ソロモン王の時代から見ても、千年も新しい時代に
あたります。モーゼといえば、映画『十戒』でも有名な「出エジプト」ですが、それが
起こってから、千年以上後の時代です。
 ユダヤ人だったイエスの霊ともあろうものが、こんな千年もちがう基本的な誤りを
犯すのは、まったくおかしいのです。「フワイ」は実は、イエス・キリストの霊では
ない、という疑いが、まずここで一点、確認できます。

(B)「イエスが生まれたのは紀元前32年」もまちがいです。現在は「紀元前4年」
ごろと推定されています。もっとも生まれの早い想定でも「BC7年ごろ」であって
「BC32年」ではありえません。

 なぜならBC32年は、のちに赤子のイエスを殺そうとするヘロデが、王になって
から5年後位のことです。乳児のイエスが父母に抱かれてエジプトに逃れ、ヘロデが
まもなく死んだという新約聖書の記述を正しいとすれば、BC32年ではありえませ
ん。ヘロデ大王の死は「BC4年」と『ユダヤ戦記』などの史書に書かれているので
す。イエスが乳児であった頃にヘロデは死んでいるのですから、生まれたのは、その
ほんの少し前ということになります。
 ですから、このフワイの信次への説明もまちがいです。本物のイエスの霊ならば、
自分の過去について、こんな史実と合わないことを言うでしょうか。

(C)「聖書やユダヤ経や十戒」という信次の言葉は、おかしな表現です。なぜなら、
「ユダヤ経」典とは「旧約聖書」の事であり、「十戒」とは「旧約聖書」の中の「出
エジプト記」における記述をいうものであって文書の名ではありません。

 つまり「旧約聖書=ユダヤ経>出エジプト(十戒)」であって、これらはすべて
「聖書」もしくは「旧約聖書」という一語で説明できるものです。別々の文書のごと
く表現されるものではありません。
 フワイが、まことにイエスの霊か関係者の霊なら、本当はこういうべきです。
「聖書、とくに出エジプト記など」と。ますます、このフワイがイエスの霊である
ことが疑わしくなります。

(D)でも「聖書」と「十戒」を別々のものと認識しています。信次自身の聖書知識
の無さがあからさまです。信次が無知なのは仕方ないとして、霊として聖書や過去の
イスラエル宗教の知識を持っているはずの「フワイ=イエス・キリスト」までもが、
信次と同じまちがいと無知をさらしています。フワイは、信次の守護霊です。それな
のに、なぜ信次のまちがいを、指摘も訂正もできないのでしょうか。
 これでは、「信次=フワイ=イエスの霊の演技」とみなされても、抗弁できないの
ではないでしょうか。

 そもそも、実在したイエス・キリストは、存命時、旧約聖書に通じており、その全文
を暗記している「ラビ」と呼ばれました。当時のパリサイ人たちも、同じく旧約聖書を
全部暗記していました。「律法学者」というのはそれが当り前だったのです。
 ですから、彼らと激しくやりあって舌戦をくりひろげたほどのイエスが、霊となって
二千年後の日本語をあやつるからといって、このような基本的すぎるまちがいをする筈
がありません。
 
 上記の(A)から(D)までの「あやまり」は、すべて基本的な「信次の無知」に
依拠しているとしか思えません。「フワイ=イエス・キリスト」と証明する根拠にも
なりえないのです。
 どう見ても、この「フワイ」は本当のイエスの霊ではないようです。彼が実際に現
われた霊だとしても、それを「キリストの霊」と信じてしまったことは、信次の大きな
ミスでしょう。
 もっと悪くとるなら「でっちあげ」「やらせ」の可能性すら考えざるをえません。


☆信次の不審な「守護・指導霊」(2)

「現証編」では、同一書の中で、また次のような矛盾した記述が見られます。
 
P194「(霊媒や自分にかかったりした霊は)威張りくさることは絶対にない
ということを知るべきだ。優しい安らぎのある言葉で、絶対に如来だ菩薩だ、
いわんや○○の神だなどとはいわないものである」(E)

P196「宗教指導者が、神だの仏だのとみずから名乗ったときは、すでに正道
をはずれているのである。(F)

 上記2件とも、それ自体は正しいことをいっていると思います。
 ところが、この基準にしたがうと、次のような矛盾が生じるのです。

1:まず、信次自身が「釈迦つまり仏の生まれ変わり=仏」と主張した点。また
ユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては、仏教での「仏・菩薩」に匹敵する人物
の「モーゼ」「キリスト」が「自分の指導霊」として出現したと述べたこと。
 更に、生前の信次は、信者に自著のサインを求められると「釈迦・高橋信次」
と書いていたといいますから、自他ともに「信次=釈迦=仏」と認めていたこと
は確かなようです。
 これらは(E)(F)に反します。

2:上述の「123」(自称モーゼ)が、初めて信次の前に弟の体を借りて現れた時、
言ったことば。

「私は上上の上の上の上の上に立つ神だ。おまえたちは、この男にひれふして私
のいうことを聞くがよい」そんな意味のことをいい、私(信次)に対してはもっ
とも厳しく叱るのだった・・・」(P57〜58)(G)。

 発音だけきくと「神神の神の神の神の神に立つ神」といったともとれるでしょう。
このような高飛車さは、(E)にあきらかに反します。また、この高飛車さは、娘
の佳子が、1977年当時、ミカエルを名乗ったとき「5年後に全人類がミカエル
の前にひれふす」と宣言したという傲慢さとも、通じるものがありそうです。

「霊媒にかかった霊が正しい霊なら、いばりくさることなど絶対にない」という
(E)に抵触する例がもうひとつあります。

 やはり「123」のあとに「フワイ」が初めて弟の体に入ったときのこと。聞き
取りにくく、長い名前だったので、信次はニ、三回くりかえして、霊の名前を聞き
ました。それに対する、信次の「守護霊フワイ」の答えはこうです。

「この馬鹿者め、おまえのような愚か者と語るのはやめだ。馬鹿者め」(H)
と中国人が文法を度外視して片言の日本語を使うような言葉で私(信次)を叱った。
それはとりつくしまもない状態だった(P60)

 しかし、前世でイエスだった霊が、このような叱責をするのは解せません。しかも、
その後、中国に僧として生まれて、中国風「イエス・キリスト霊」として立ったと
いうのは、先述のあまりにも不正確な聖書知識・ユダヤの年代認識とあわせると、
まことに不自然かつ異様でさえあります。

 実は、この「私は上上の上の上の上の上に立つ神だ」とか「この馬鹿者め、おまえ
のような愚か者」などと、まったく同じ言葉づかいで語るキャラクターが、信次の別
の著書『人間釈迦・第一巻』にあるのです。見てみましょう。

「魔王はふたたび居丈高となった。
『何いってるんだ。俺様は、上上の上の上の魔王様だ。宇宙で一番偉い王
なのだ。おまえごときに屈服する俺様だと思うか。バカめ。とっととこの
ウルヴェラから出ていけ』」(『人間釈迦1』P151)

「魔王」のいいまわしと「123=モーゼ」「フワイ=イエス」の言いまわしが同じです。
これはどういうことなのでしょうか。「魔王」と「守護霊・指導霊」が同じ罵り方を
しています。(E)(F)の記述に反しないのは、「魔王」のセリフの方です。信次
の「守護霊・指導霊」は実は「魔王」だったのでしょうか? それとも、イエスやモ
ーゼも実は「魔王」だったのでしょうか? 理解に苦しむ自己矛盾です。

(E)(F)にかかわる記述はまだあります。

3:信次の妹にかかった彼女の守護霊・前世がこう発言します。
「私は観世音菩薩と呼ばれているものでございます。しばらくでございます」(P79)

4:信次の妻(GLA会長)高橋一栄にかかった彼女の守護霊・前世がこう発言。
「私はマイトレーヤと呼ばれたインドの時代、ゴーダマ様のお弟子でございました」
(P85)

「観世音菩薩」とは俗に言う「観音さま」であって、個人名ではありません。それな
のに、なぜ前世が「観音」だったと名乗れるのでしょうか。マイトレーヤもいわゆる
「ミロク」であって、高橋一栄がそうならば、とっくに「ミロク下生」で、この世は
仏国土になっていなけばならないはずです。ただし、それは釈迦の死より56億7千
万年後ということになっていますが・・・。

 自分と自分の妻や妹は「仏」「観音」「ミロク菩薩」と名乗ってもよかったのでし
ょうか。それは(F)に明確に触れることでしょう。「自分や自分と関係ある人間は
別」という「条件つき」の「基準」だったのでしょうか。
 自分のことを棚上げにして、会員に説教をたれ続ける佳子の姿勢を見ていても、そ
のあやまりは糺されることなく、信次から佳子に受け継がれているように思えます。

 信次がよくいった「アボロキティー・シュバラ(観自在菩薩)」こそ、「観音」の
語源です。したがって(F)によるなら、信次も妹も妻も最初から「正道をはずれて
いた」事になってしまうのです。
 
 さらにいうなら、後年、1976年の死の直前に「信次=エルランティ」とした
ことも、ひっかかります。なにしろ「エホバ=ヤーウェ=アラー」などの一神教の
神も、実は自分のことだと主張し、「太陽系霊団の最高指導霊」を堂々と名乗った
のです。それこそ(F)そのものの現象ではないでしょうか。

 ちなみに、高橋佳子は『真創世記(地獄編)』で、こんなことを書いています。

「彼ら(悪霊)は物真似に関しても、実に巧妙なテクニックを弄し、人々をだまして
いきます。心身をのっとった悪霊たちは、「我は神である」と詐称し、如来、観音、
菩薩、大明神などという称号を用いて人々を信じさせます。(中略)口先では、気高
く、条理の通った道徳的な教えを説くでしょう。しかし、そこに本当の心を見いだす
ことはできません。彼らに乗っ取られた人間は、口先とは裏腹の行動、醜い言行不一
致で、自らの正体を暴露してしまいます。(P223-224)

 高橋親子の「言行の不一致」からすれば、彼ら自身が「悪霊たち」であることを、
明白に「白状」していると見られても仕方がないでしょう。


☆信次の不審な「守護・指導霊」(3)

 同書の本文にくりかえしあるように、「フワイことイエス」は信次の守護霊です。

 ならば、信次の潜在意識と同通する存在なのですから、信次ともども不正確な知識
は奇異でしょう。顕在意識の信次に正しい知識をさずけない「守護霊」とは、いかな
る存在なのでしょうか。

 そのくせ、このフワイは信次が昼間に何をしていたか、こまかく信次の行状を言い
当てて、いいわけをゆるさない正確さでやりこめたりしています(P61-62)。つまり
この「守護霊フワイ」は「霊的真理」「過去世の真実」を知っているのではないよう
です。むしろ、「信次の顕在意識が経験・記憶した情報に通じている」だけではない
でしょうか。

「守護霊フワイ」自身は、「実在界」からきた「光の天使」であり、「実在界と現世
の間の輪廻転生の真実」を、信次にこまごまと教えて「神理」の解説をしたと、同書
にはあります。

 しかし、それとて、それまで信次が「少年時代の幽体離脱の経験の理由」「もう一人
の自分」を、30年以上ももとめて色々と学んだことの「集積データ」を利用しアレ
ンジすればできないことではありません。信次自身の知識の集積だけで、創られたとし
ても不自然ではないようです。

 少なくとも、「守護霊」の力や直接的介入がなくとも、いずれ信次は「神理」に
目覚めて、説法できるだけの知的蓄積は、そのときすでにあったはずです。その証拠
に、日本大学だか東大大学院だかの卒論が「神的生命は小は微生物、大は大宇宙まで」
というものだったと書いてあります。

 信次はまた、こうも書いています。

「1954年12月結婚。このころから不思議な現象が起こりだし、予言がほとんど的中し、
それ以来、20年間、神仏のことが話題にのぼらない日はなかった。それは執念のよう
に心のなかを占領していた」(P48-49)(I)

 信次は、このように宗教(仏教関係が中心だろう)や神仏・自然科学について、相当
に勉強したと思われます。「守護霊」を名乗ったものがいたとしても、それをデータベ
ースにして勝手にひとつの理屈を構築するなど、造作もないでしょう。なにしろ、相手
は人間の記憶をのぞきこんで読める「霊的存在」なのです。
「神理」という教義の構築に、信次自身の経験と学習に依拠しない、「守護霊自身の独
自の発想・知識」はどれだけあったのか。かなり疑わしいのではないでしょうか。

 信次自身は「神理」を公表するにあたって、こんなことがあったと書いています。

「123は、正しい人生のありかたと、神の子の証について私に本を書くことを指示した
ものであった」(P75)。

 聖書知識の確かでない「フワイ=イエス」霊の友人である「123=モーゼ」霊に命じ
られて、『心の原点』をはじめとする著作群を、世に問うことにしたというのです。
 信次は、「霊感・ひらめき」は「守護霊・指導霊」の賜物と信じていたようですが、
別に「守護霊・指導霊」が名乗り出て面前に現れずとも、「インスピレーション」なら
誰にでもあります。

 また、信次自身が、さまざまな宗教団体やそこから出版された著作群と接触し、知識
を蓄積していった可能性もあると思います。「神仏への執念のような関心」を30年以
上も持ちつづけた人間が、さまざまな宗教団体の門をたたかなかったなど、考えられる
でしょうか?

 この「フワイことイエス・キリスト」の「守護霊」にはまだまだ疑問があります。
 たとえば、信次は自分の守護霊を、先述した妻や妹にとりつかせて、「同一の守護霊
であることを証明する実験」をしています。

「すでに、私の中で守護霊の存在は動かしがたい事実であった。また私の守護霊が、妻
や妹の意識を支配しても、まったく同じ結果が出てくるというのだから、否定はできな
ことであった」(J)P89.
 
 これは容易ならぬ記述です。人間の顕在意識と霊的世界の住人の交通は、たいてい
は「同じレベルものどうしの交通」「似たものどうし」「類は友を呼ぶ」の場合が多い
と信次は説明しています。憑依する場合でも、似たりよったりの霊が憑くと著書でいっ
ているのです。

 とするならば、信次も妻・一栄も妹・洋子も「イエス・キリストと同類なので、その
支配を受けることができた」ということになってしまいます。
 また「守護霊」が「別の肉体を持つ人間を支配する」などということがありえるでし
ょうか。あるとすれば「とりつく相手を変えることができる憑依霊」ではないかと思い
ます。

 つまり、「フワイ」は「守護霊」ではなく「憑依霊」である事、あるいは信次の創作
であることこそ、「動かしがたい事実」なのではないでしょうか。

 子供のころの「幽体離脱」体験の日々から「もうひとりの自分」を、30年以上に
わたって求めてきた信次ですが、それが「悪霊」を、おのれに呼びこむ結果となって
しまったと思えます。邪推をたくましくするならば、子供のころのその話も、守護霊と
の会話もぜんぶ創作で、本当は彼の予言や当てもの、いささかの除霊能力だけが、事実
だったのかもしれません。

 ある種の「霊能力」はあったが、それを「理由づける理論」「説明する根拠」が、
当時の信次にはなかった。そのために創作されたのが「神理」だったのではないでし
ょうか。こうした「宗教的あとづけ」の例は、珍しいことではありません。

 何より、娘の佳子が「真創世記地獄編を天上界の命令で10日間で書いた」という大嘘
をついている以上、信次の「守護・指導霊」との出会いと覚醒のドラマも、どこまで信
じうるか、信憑性は限りなく低下するばかりです。

<関連掲示板>
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧(15年6/13版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/358.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧2(15年7/1版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/530.html
GLA(高橋信次と高橋佳子)の異言等に関する『文芸春秋』特集記事(1977年)
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/228.html
GLA・高橋信次関連〜「異言」に関するアメリカ・カナダの専門学者の研究資料
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/233.html
GLA(高橋信次・高橋佳子)の「異言」は「演技性の伝染心理現象」の可能性有。
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/247.html

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