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GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ4
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投稿者 罰天使 日時 2003 年 8 月 24 日 06:17:36:.cqmwk1ePLJyg


GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ4

<目次4>
☆「悪霊ばらい」も自己暗示劇
☆ 諸天善神、みなでたらめ
☆ 講演者としての高橋信次の汗
☆「悪霊ばらい」も自己暗示劇

 信次は、相手の悩みや生い立ち、現状を、何もいわないのに当てるという「当てモノ」
に優れていたといわれています。もちろん、異言をしゃべり、「過去世の言葉」で信者と
語り合い、悪霊・魔王の憑依霊を祓う、「現証(霊道現象)」なるパフォーマンスを、多
くの聴衆の前で何度もおこないました。

「現証」が、講演会という多数の聴衆の前でおこなわれた期間は、少なくとも1971年
(『心の発見・神理編』初版発売と同時期)から76年まで、5年以上にわたっています
。全国各地で開かれた「講演会」で、それこそ、のべで数十回は演じてみせていたはずで
す。

 これまで検証した「神理編」「科学編」「現証編」のまちがいから見て、その出版と同
時期におこなわれた「現証」も、おそらくは多くの誤りや虚偽を蔵しているだろうことは
、容易に推察がつくことです。本に書いていることが虚偽なら、当然のごとく、その元と
なった「現証」そのものも、疑惑の対象とならざるをえません。

「現証」では、信次と聴衆の信者、または信者どうしが、互いに異言で語り合い、それを
信次がマイクを通じて翻訳・解説するという形がほとんどでした。異言をしゃべりながら
、聴衆のひとりに憑依した「地獄の悪霊・魔王」を改心させたり、「前世の記憶」を取り
戻した者どうしで、前世をなつかしがったりする感動ドラマが、そこで演じられました。

 転生を超えた「霊魂再会」、「前世意識開眼」「エクソシズム」を、毎回、信次がたく
みな話術でとうとうと解説してゆきます。そして、前世意識になったとする信者は、日本
語の不自由な外国人のような言葉を発して、「ワタクシハァ、高橋信次センセエニ、オア
イデキテ、シアワセデゴザイマスゥ」と、涙ながらに感謝の言葉をくりかえすのです。

 そして、『心の発見』三部作でも、その「現証」の例が、心と体が不調和になると、こ
ういう霊に憑かれますよ、という内容で書かれています。それらを、文字の上のものです
が、チェックしましょう。

「神理編」P230
「信次の友人」右肩痛。
原因:肩に竜吉という「憑依霊」がいた。
対処:憑依霊を星洋子に入れて「対話」し「除霊」

「科学編」P212
「50代女性」(手から電気が出て人を治療する)。
原因:動物霊にやられた。

「現証編」P203-212
「福島の造り酒屋の36歳の夫人」足腰しびれて動かない。
原因:腰に大蛇霊が二重、頭に白狐。
対処:説得除霊。竜王と信次の守護霊が、天上界へ連れてゆく。

「現証編」P218-227
「千葉の○○教団の闘士、30歳前のOL風」
原因:腰に大蛇霊が二巻き。
対処:説得除霊。竜王が天上界へ連れてゆく。

「現証編」P240-260
「神奈川の49歳夫人」
 肩こり神経痛、頭重、耳鳴り。15年、病院を転々。
原因:肩に白い狐ポン吉。
対処:稲荷大明神まで、不空三蔵に連れていってもらう。3ヶ月後、魔王パアピアス
・ マラーと新しい白狐が再憑依。それを説得、除霊。

「現証編」P302-309
「30代の青年」 ノイローゼ。
原因:白髪の老婆が憑依。
対処:説得、天上界へいかせる。

 以上6件の除霊リストを見ると、サンプルは少ないながら、さまざまな特徴が見てとれ
ます。

 まず、6件のうち4件は「女性」。ここがひとつのポイントです。「現証」の例を見て
も、異言を出して過去世意識になってしまうのは、女性の方が多いようです。もともと女
性には「被暗示性」の高い人が、多い傾向にあります。つまり「悪霊ごっこ」をやると「
悪霊に憑依された自分」を、無意識に演じてしまう傾向が強いと考えられます。催眠術に
かかりやすいということです。

 そうでなくとも、最初から信次を「霊能者」と見ているのですから、悪霊憑依劇に、は
まるため、心理的にスタンバイに入っているようなものかもしれません。「霊能者・高橋
信次」に遭うと認識した段階で、「霊がかり」を潜在的に期待するケースも多かったので
はないでしょうか。

 上記6件の分析をします。まず、憑依霊の名前が「竜吉」「ポン吉」。個性がありませ
ん。似ている名前で、いかにもとってつけたような印象がぬぐえません。また、憑依の状
態が「腰に大蛇霊の二重巻き」だの「狐がついてる」だの、これもとってつけたような、
思いつきやすい形です。もっといえば、もともと憑依霊など存在せず、信次が「除霊劇」
の形で「精神的ストレスの発散」すなわち「浄化作用(カタルシス)」をやったから、治
ったように感じた場合の方が多いのではないかとも考えられます。

 まともな霊能者や占い師なら、信次ほど軽率なことはやらないでしょう。彼らは、「霊
障かもしれない」と相談に来る人の問題のうち、八割は「霊障ではない別の原因による」
ということを知っています。場合によっては、人生相談に乗ったり、適した医者などを紹
介してくれたりします。「霊障」の可能性におびえる相談者に、「その通り、だから除霊
しましょう」と答えるのは、良心的ではない部類ではないでしょうか。

 果たして、信次がやった「異言」「霊道」による「除霊」は、霊的に危険な行為ではな
かったのでしょうか。「心霊治療師もどき」の行為が、「現証」における「悪霊祓い」だ
ったのではないかと、疑念を消せません。
 上記6件の「除霊」された人々や、信次がその他にも「除霊」した人々が、その後、ど
うなっているか、できるなら追跡調査でもしてみたいものです。

 なぜなら、信次の「悪霊=魔王」認識にも、まちがいがあるからです。
 信次は、釈迦時代の記憶という前提で、悪霊の説明をし、よく「魔王」のことを「パア
ピアス・マラー」とか「パピアス・マーラー」と呼んでいました。この「マラー」の語源
や由来を調べると、信次がまったく異なることを言っていたことが判明するからです。

 下記は、「マーラ」について説明してあるサイトの解説です。

「『マーラ』はサンスクリット語。仏教では代表的な魔物で、『殺す者』『生命を奪う者
』という意味がある。漢字では魔、魔羅、悪魔などと表し、もともと『魔』という漢字は
、このマーラを漢訳したもの。意味を表す『鬼』、発音を表す『麻』を加えて作られた。
意味は『魔中の魔』『魔物』がマーラ。
 仏典には、しばしば『パーピーマー』をつけて、『マーラ・パーピーマー』と表現され
る。『パーピーマー』には『悪』とか『悪しき者』という意味があるので、『マーラ』の
『魔』とあわせて、『悪魔』となる。『悪魔』の語は、本来は西洋の『サタン』や『デビ
ル』を表す漢字ではなく、マーラを表す」

 なんと、「パーピアス」ではなく「パーピーマー」が正しい発音に近いのです。何かの
本を斜め読みした信次が、誤解して「パーピアス」と思いこんでしまったのでしょうか。
いずれにせよ、信次が「悪霊・魔王」について熟知しているはずなのに、そのもともとの
発音さえ正しくなかったということは、はなはだ興味深いことです。

 たとえば、「現証編」P256の「除霊」のシーンにやりとりがこうあります。

「(信次)『おまえはパアピアス・マラー』
 この(女性にとりついた)魔王は、パアピアスという名前なのだ。
 私がそう言い終わったとたん、魔王は(女性の意識をのっとって)、
『俺は魔王様だ。魔王、魔王だ・・・』と叫んだ」

「パアピアス」が「パーピーマー」のまちがいなら「パーピーマー=悪者」という意味だ
から、「魔王」の「固有の名前」などではないことになります。先述した「竜吉」「ポン
吉」などの「名前」と同じようにいうのはまちがいでしょう。この相違ひとつ見ても、信
次の言っていることが、「魔王のパアピアス」氏が実在するという、あやまりを露呈して
いることになります。

 このような、本来なら無い「名前」で呼ばれて、魔王ともあろうものが「つっこみ」ひ
とついれないのはおかしいことです。人間の弱みにつけこんで見逃さないのが「魔物」の
習性のはずだからです。それが、「俺は魔王だ」と連呼するだけというのでは、あまりに
もお粗末です。

 もし、本当の悪霊なら「おれは、そんな名前じゃねー。クズ野郎!」と罵倒する位の内
容があってもおかしくありません。「魔王=極悪マフィア以上」の恐怖をもたらしても変
ではないでしょう。真の悪霊・魔王なら、映画「エクソシスト」のモデルになった実在の
憑依現象にあったような、極端な猛悪さ、下品さ、おぞましさがあるはずだからです。少
なくとも、荒々しい古代インド亜大陸の「魔王」が、こんなチャチでマイルドなわけはな
いと思います。

 この「除霊劇」も、私にいわせれば、どうも「患者側の自己暗示につけこんだ誘導尋問
」くさいと感じます。つまり、信次のオハコであったはずの「悪霊・魔王」の除霊も、そ
の実態は、たいした現象ではなかったのではないでしょうか。信次と、憑依されたという
相手の「知と意」を前提にした、「自己暗示劇」。その可能性は高いようです。


☆ 諸天善神、みなでたらめ

 さて、これらの「除霊劇」には、祓った悪霊・動物霊を引き受けて、ふさわしい霊界に
連れてゆく、「諸天善神」がついてまわります。「大黒天」に続いて「竜王」「稲荷大明
神」などです。ほかの場所でもよく聞く名前ですが、彼らを信次は、どう定義づけて「除
霊」していたのでしょうか。

「現証編」P207
「竜神(竜王)や稲荷大明神と称する者は、実在界にいます。光の天使の中で、上段階光
の大指導霊になるための修行として、狐や蛇や竜たち、霊的な力を持っている動物たちに
神理を教え導くための役職についている者たちを、仏教ではそうした呼び名で呼んでいま
す」

 では、本当に「仏教」では、そういう意味で「竜王・竜神・稲荷大明神」が定義づけら
れているのでしょうか。関連サイトで「通説」となっていることを調べ、まとめてみまし
ょう。

「竜王・八大竜王・竜神」
「これは、仏教を守護する八部衆の一つ。八部衆は、天(大黒天、弁財天など)・龍王・
夜叉・乾闥婆(ケンダツバ)・阿修羅・迦楼羅(カルラ)・緊那羅(キンナラ)・摩ゴ羅
迦(マゴラカ)。竜王は、釈迦如来の配下となった天龍八部衆もしくは龍神八部衆を言い
ます。その役目は、悪を除き、仏教とその信者を護る眷属です。
 もともとはヒンズー教やインド神話における「ナーガ」が起源。主に水中に住み、雲や
雨を起こす神通力を持つ水神とみなされます。この竜王の中でも、仏教では「法華経」に
出てくるのが「八大竜王」です。釈迦が法華経を説いたとき、列席して説法を聴いた竜王
が八体(八尊)いたとされ、それぞれの名が書かれています。
 ナンダ(難陀)、ウパナンダ(跋難陀)、サーガラ(沙伽羅)、ヴァースキ(和脩吉)
タクシャカ(徳叉迦)、アナヴァタプタ(阿那婆達多)、マナスヴィン(摩那斯)ウトパ
ラカ(優鉢羅)です」

 またも「法華経」という「日蓮正宗」「創価学会」に関わりの深い要素が出てきます。
信次が「八大竜王」といってはいるものの、「仏法・仏徒の守護神」「雨乞い神」以上の
意味は、どこにも出てきませんし、起源そのものが「インド神話」「ヒンドゥー」であっ
て、「仏教」ではありません。「実在界」に属する証拠や、「龍や蛇の霊を指導する」と
か「上段階光の指導霊になるための修行メンバー」とみなせるような言い伝えも、まった
く見当たりません。

 では「稲荷大明神」はどうでしょうか? 調べてみましょう。

「仏教における「稲荷」は、ひとつの大きな見方として、『稲荷=狐神=ダキニ天』『枳
尼真天(だきにしんてん)』または『茶枳尼天(だきにてん)』と見なされています。こ
れは、サンスクリットでは「ダーキニー」といいます。
「大黒天」と同じく、インド神話の「邪神」起源で、六ヶ月前に人の死を予知し、死者の
心臓を喰らう鬼女。生きた人間の血肉を貪っていたが、釈迦に死体の肉だけ食うように命
じられ、そのため人の死を六ヶ月前に予知する能力を与えられたといいます。
 しかし、もともとはドラヴィダ族の一部族の崇めた地母神だそうです。のちにシヴァ神
の妻「カーリー」の眷属「夜叉」の一人となり、更に後代、仏教に取り入れられて大黒天
の配下の「夜叉」とされる。日本では、「稲荷大明神」「飯綱権現」などと同一視されて
います」

「稲荷大明神」も、つまるところ「仏教起源」ではなく、「実在界」とも関係ないことが
、これではっきりするわけです。もちろん、「キツネの霊を善導する」というような役目
も、微塵もうかがえません。

 ごらんになったとおり、信次がいったような「竜王・稲荷大明神」の「仏教における意
味」など、どこにもありません。「現証編」P207の説明は、ぜんぶ「証拠・根拠」の提示
できない妄説と見られても仕方ないでしょう。

 また、「諸天善神」の中には「天」として、大黒天と同じく「弁財天」も入っています
。信次は、この女神さまについて、なんと説明しているでしょうか。講演会の記録にこう
いうくだりがあります。

*高橋信次の講演「心と肉体の法則」(1976年1月「関西新年講演会」)より

「そもそも、「弁財天」というのは、どういうものかと言うと、「財産を貯めるための協
力者」じゃないんです。お金を儲けさせるために協力するものじゃないんです。「財」と
は、皆さんの心のなかにある、長い転生輪廻に体験された、「偉大な智慧」、「偉大な宝
物」を湧現する、これが「弁財天」と言うのです。その「心の窓」を開かして、協力させ
るのが「弁財天」なのです。
 まあ、ある所へ行きゃ、「弁天様」なんてね、言って、一生懸命、この中でも、ある何
人かの人は、それを、一生懸命拝んできた人がいます。「弁天様」だって同じです。あの
場所で、琵琶を持って、弾いて、しかも、裸になっちゃってるのは、そりゃ、「地獄霊」
がそういう風に見せたんです。しかし、彼女が奏でているところの、あの「弦」というの
は、弁財天の「中道」の道、強く締めても、弱く締めても、弦というものは、音色が悪い
。偏らない「中道」、弦の音というものを中心として、あの琵琶を持たしているのです」

 では、従来の「弁財天」はどのような起源と役割を、持っているのでしょうか。調べた
結果が以下です。
 
「弁財天」
「起源は、インド神話の創造神ブラフマー(梵天)の娘、同時に妻たる川の女神サラスヴ
ァティです。サラスは「水」、聖なる河サラスヴァティー河を神格化した女神です。土地
に豊穣をもたらす女神とされます。
 また、ヴア−チュ(言葉)なる女神ともされて、ブラフマーがヴァーチュに言葉を語ら
せて、その言葉が世界に現われて創造されたという伝説もあります。そこから学問、音楽
、芸能の神ともみなされるようになりました。
 インドでは、詩と音楽の女神とされ、弦楽器のビーナを持っています。琵琶を持つよう
になったのは、日本に渡ってきてから、ビーナに似た楽器として持つようになったもので
す。福の神になったのも、日本に来てからです」

 いかがでしょうか? 信次が言ったような「心の窓を開き、偉大な智慧を発見するのを
協力する」などという役目はどこにもありません。仏教起源でもなければ、もともと「福
の神」でも「財産の神」でもなかったわけです。川と言葉の神様が、どうして、釈迦の「
中道」を説明するものとして「琵琶」を持てるのでしょうか。

 だいたい、すべての弁財天が「裸」であるかのように書いていますが、そんなことはあ
りません。「裸弁才天」で有名なのは、神奈川県の「江ノ島弁才天」ぐらいです。だから
こそ、「裸弁財天」という通称があるわけです。
「江ノ島弁財天」が、裸になっているのは、どんな「地獄霊」のせいなのか、いつどこで
そうなったんだと、信次が生きていたら訊ねて見たいくらいです。
 このように、前述した「大黒天」もふくめて、信次の「諸天善神」の意味づけは、「根
拠のない想像の産物」としか思えない「珍説・奇説=思いつき」の連続です。

 また、信次の著書にある「如来・菩薩・諸天善神・神界・霊界・幽界・地獄界」などの
「実在界」についての「階層分け」「意味づけ」も、オリジナルではなく、下敷にしたと
容易に推定できる概念があります。

 さまざまな仏教の教えの中にある、「六道輪廻」です。「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人
間、天上界」という六つの世界を、人間の魂がそのカルマや行いによって、ぐるぐると回
るというものです。

 もちろんこの概念は、「日蓮正宗」「創価学会」でも学ばれています。信次の「如来〜
地獄界」は、おそらく、そこからヒントを得てつくった、彼流の「霊界観」なのでしょう
。その「霊界観」も、既存の知識と照らし合わせれば、なんの実証性も持たないことが、
これでよくわかるのではないでしょうか。

 信次の「実在界」の世界観は、決して「真実の姿」「実相」なのではなく、信次の「創
作」の部分が大きいということを、はっきりと認識した方がいいかもしれません。
 ここまで書けばわかると思いますが、信次が「光のドームを通って実在界」へ行ったと
いうような「霊的体験談」も、「想像による創作」「妄想による錯覚」の疑いが否定でき
ません。むしろ、それを信じても、一利ない「ホラ話」だと断じる方が、たやすいかと思
われます。

 こうなると、信次が幽体離脱して「天上界」へ行ったという話も、相当に眉唾であると
思わざるをえません。その一例をご紹介しましょう。

「現証編」P108〜111
「1968年11月24日。午前1時」に反省瞑想しているうちに、信次は「安らぎのある光明の
世界」へ幽体離脱していった。そこへ「私の指導霊123が迎えに来た」とある。
 そして、「万国の人々が、何万となく整然として並んでいた」その前で「指導霊の指示
にしたがって「物質と生命」という題で1時間半ほど講演をした・・・生まれて初めての
講演であり、私はただ驚いていた。・・・講演が終わると共に万雷の拍手をあびたのであ
る---私が肉体に戻るとともに、震度3ほどの地震があった・・・妻は『今、あなたの講
演を聞いていました・・・』
(妻だけでなく、霊道を開いた弟子たちやその守護霊たちも、「すべて」幽体離脱して信
次の講演を天界の現場で聞いたという)信じられない事実が起こったのである」
 
 同書では、すでに10月30日の時点で「123=モーセ」とわかっています。ですから、「
123が迎えにきた」はおかしいです。「指導霊モーセ」と書くべきでしょう。意識が肉
体に戻ると、震度3の地震が起こったと派手に書いています。昭和43年11月24日の深夜2
:30以降に、本当に地震があったのでしょうか? 気象台にたづねてみれば、虚実がはっ
きりするでしょう。

 この信次の「天上界講演」が本当だとすると、彼は「指導霊の指示」で「何万もの世界
各国の群衆を前に」講演をなしとげたことになります。肉体での講演会の人数などものと
もしない「オリンピック開会式のような数万人規模」のマンモス講演会です。こういう経
験をしたなら、普通、肝が据わって、次回は、聴衆が数千人程度だろうと、もはやへっち
ゃらのはずです。

 ところが、実際は、それ以後に現実世界でおこなった「講演」はこうなのです。

「現証編」P140
「1969年4月・・・(GLAの前身「神理の会」の発会式講演では)私もすっかり
あがってしまい、何を話しているのかよくわからなかった」 

 これは、高橋信次の「神理の会」の発会式のときの「講演」と「聴衆」のありさまを方
っています。このときの「聴衆」の人数は、古参信者たちの回顧(GLA誌1992年4月
号)によれば、「約80名」(1969年4月8日)だったそうです。
 さらに信次は、このときの心境をこう記しています。

「現証編」P140
「そこで、「私の指導霊123は、約1時間半、仏教の歴史的変遷ということで代弁してく
れたものであった・・・私は大衆の前でしゃべることはまことに苦手で、初めての講演で
は汗びっしょりであった」

「初めての講演」とは奇異です。天上界で、すでに「世界各国の数万人」を相手に、堂々
と初講演してきたはずです。その人間が、どうして現世の80名の前で、「あがって汗み
ずく」になるのでしょうか? まことに不自然です。

 しかも、「モーセ」たる「123」が「十戒」をさしおいて、しかも信次の替わりに「
仏教の歴史」について語るなど、どう考えても変です。その上、講演時間は、天上界でも
現世でも、どちらも「1時間半」。どうも、数字が合いすぎるのです。

 この不自然さを払拭できる可能性が、一番高いのは、「天上界での初講演」と、それに
まつわる「地震」「妻や弟子の霊道者たちも講演会を霊体で聞いていた」というエピソー
ドも、まるごと「ウソ」と断じることです。

「123」も架空なら「天界の講演」も空想。もちろん、現世において「神理の会」の初
講演を「モーセに代弁してもらった」というのも「ウソ」と思うのが、自然ではないでし
ょうか。

 信次の晩年の講演会で、このウソはさらなる「破綻」を見せています。「現証編」P10
8〜111で書かれたことと比べて見てください。

* 高橋信次講演「太陽系の天使達」(昭和1976年6月5日)より 

「今、皆さんがあげました「心行」を、ちょうど、私は、「昭和43年」の「11月」の
「22日」に完成致しました。そして、「23日」の夜、午前1時、今で申しますと、「
菩薩界」という所へ行きまして、初めて、「物質と生命」という講演をやりました。その
時の司会が、「モーセ」です。その前に、「ミカエル」が講演やりまして、約1時間半。
ですから、23日の午前2時30分は、ちょうど、地球上に、大きな地震、震度3の地震
がありました。それは、禅定のまま、私、行きましたものですから、側に寝ておった家内
が、「今、お父さんの講演を聞いておった。」ということでした」

「現証編」P108〜111では「11月24日」。講演では「11月23日」。しかも「現
証編」には1行もない「モーセの司会」「ミカエル講演」のエピソードが追加されていま
す。「現証編」とこの講演の間には、ほぼ3年の月日が横たわっていますが、3年もの間
、モーセの司会とミカエル前座講演を、信次はなぜ黙っていたのでしょうか?

 著書と講演との間にも、このような「矛盾」があり、「追加挿話」としか思えないずれ
が生じるのは、「創作のつけたし」と思わなければ理解できません。この講演会では「ミ
カエル=佳子」を定着させるために、3年前の自著の内容すら「改ざん」し、講演会で披
露したのでしょう。

 つまり「モーセ」「ミカエル講演」も、「天上界で、何万もの世界各国の群衆の霊を前
に、生まれて初めて講演をおこなった」と書いた1968年11月22日には、最初から無かった
ことなのでしょう。それなのに、8年後の講演会の場で、こういう風にでっちあげるしか
無かったとは、呆れるのを通り越して、かなしくなってきます。

「現証編」では「信次だけが1時間半の講演」をやったのであって、「ミカエルの講演」
こみではありません。しかも、1968年11月22日に「心行が完成した」などとは、『心の発
見』には見当たらず、「心行」が巻末に載っている『心の原点』にも、全くありません。
唐突すぎるエピソードのつけたしです。

 しかも、佳子の『真創世記・地獄編』では、信次は晩年になってから、はじめて「ミカ
エル」大天使の存在を知ったことになっています。1968年11月時点で「ミカエルが講演し
た」と認識できるわけがないのです。

 調べれば、これほどまでにみえみえの「付け足し」があります。これは、信次のごまか
しが限界に来ていたことを証しているようです。この講演の内容は、自分の著書とも、娘
の回顧談とも矛盾するものであり、なんとも、とりつくろいようも弁護のしようもない「
でっちあげです。
 
 あまりにも哀しい高橋信次。こんなさびしい人間が「最高指導霊、主、エル・ランティ
」などであるはずもありません。                 
「GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ5」に続きます。

<関連掲示板>
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧(15年6/13版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/358.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧2(15年7/1版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/530.html
GLA(高橋信次と高橋佳子)の異言等に関する『文芸春秋』特集記事(1977年)
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/228.html
GLA・高橋信次関連〜「異言」に関するアメリカ・カナダの専門学者の研究資料
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/233.html
GLA(高橋信次・高橋佳子)の「異言」は「演技性の伝染心理現象」の可能性有。
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/247.html
GLA(パナウェーブ成立に影響あった教団)高橋信次の著作を疑う
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/532.html
GLA高橋信次の著書『心の発見・現証編』にみる異言の虚妄
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/533.html


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