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再びリアルな歴史認識と裕仁の戦争責任(Ddog氏へ)
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/615.html
投稿者 たこ 日時 2003 年 6 月 26 日 19:57:44:KZLCEeqX13raw

「「勅令」「大権の発動」と「御内意」「御希望」との違い区別の認識について。たこ氏へのレス(http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/419.html)」でDdog氏が引いておられる文章について分析してみましょう。「大東亞戦争論:二六〇一/1941年大日本帝國政府(http://web.sfc.keio.ac.jp/~s01428ms/text/daitoua-1941.htm)」と称する文章です。内容は、対米開戦直前の1941年9月頃の記述です。

「9月6日の御前会議にて、昭和帝は戦争必至の現状を憂い「四方の海 皆同胞と 思ふ世に などあだ波の 立ち騒ぐらむ」と明治帝による歌を詠んだ。これを受け、軍務局の武藤局長は「此れは何がなんでも外交を妥結せよ、との仰せだ。一つ外交をやらなければならない。」とし、石井秋穂中佐も「もはや対英米戦争はありえず、仏印の兵力を北方に向けて重慶攻撃という事態になろう、作戦当局はぬかりの無いよう。」とした。しかし軍務局の服部作戦課長は「今の内にやっておかぬと動けなくなる。陸軍大臣は毎日毎夜でも参内して天皇陛下に開戦の必要を上奏することだ。」とし、結局は天皇の意思に反すると知りながらも、帝國上層部は差し迫った状況に「現実的」に対応せざるを得なかった。」

表題からは、一見すると1941年当時の文との印象も受けます。しかし、裕仁を「昭和帝」と称していることからわかるように、その死去後の造文らしい。日本政府の呼称として「帝國(旧字体)」を用いていることなどから、作者の政治的傾向も読み取れそうです。ちなみに、旧字体で統一するなら、「対英米戦争」なども「對英米戰爭」ですね。まあ、用字法から先入観を持つべきでもないでしょうから、この点は深く考えず、内容に注目しましょう。

書かれている内容は、以下です。
1. 裕仁が「明治帝による歌」を詠んだ。
2. これに対し、武藤局長は外交を必須と考えた。
3. 石井秋穂中佐は対米英戦を不可能と考えて、重慶攻撃を予想した。
4. 服部作戦課長は陸軍大臣の執拗な上奏が対米英開戦に有効と考えた。

なお、「軍務局の服部作戦課長」とありますが、軍務局は兵員の補充などを行う陸軍省の部局で、作戦を職掌としませんから、作戦課などありません。作戦課があるのは、用兵作戦を職掌とする参謀本部(陸軍省とは独立の部局)です。実際にも、服部卓四郎(当時陸軍大佐)は、この時期に参謀本部作戦課長です。

この文の作者は、裕仁を平和主義者と印象づけたいらしい。開戦の決断を、「結局は天皇の意思に反すると知りながらも..」と解説し、決断の主体を「帝國上層部」として、裕仁が関与していないように印象づけようとしています。しかし、この作者による解説は不当です。

石井は、対米英開戦に逡巡する裕仁の意思を知り、これを不可能としつつ、重慶攻撃(日中戦争の拡大)は可能であるとしています。少なくとも、石井にとっては、「四方の海..」の歌は、海戦も予想される対米英開戦への逡巡と受け止められているだけで、日中戦争拡大への抵抗とはなっていません。

一方、服部は、「陸軍大臣の上奏」が有効と考えています。この「上奏」は、詔勅や命令の原文に署名を求める正式の上奏ではなく、意見調整のためのいわゆる内奏ですね。執拗な内奏で、裕仁を翻意させれば対米英開戦が可能としているのである。そして、説得の論拠は、「開戦の必要」です。

重要なことは、武藤も石井も服部も、裕仁の意思を無視した対米英開戦が不可能であることを認識していることです。これは当時の通念にも整合します。そして、実際には、服部の意見にある陸軍大臣の内奏が行われている形跡はないが、現実に開戦した事実に照らすと、裕仁は翻意して開戦に同意したと考えるほかありません。

上記で析出した1から4について、正確に解説するなら、「裕仁は、対米英開戦に逡巡する発言をしたが、結局はこれに同意した。」であろう。現実には、その後、統帥部の無責任な上奏が原因するらしいとしても、裕仁は対米英開戦への自信を深め、その逡巡を解いた。対米英開戦は、裕仁の意思に基づく。

仮に、この段階において、アメリカが開戦決意を固めていて、上記の「武藤局長」のような「交渉妥結必須」が現実的でなかったとしても、この段階まで追い込んだ責任(当然ながら裕仁の意思に基づく)に議論が移るだけです(ついでに付言しますが、私はアメリカ指導者側に戦争責任がないとは申しません)。なお、服部の「今の内にやっておかぬと動けなくなる」との発言からは、当時の陸軍においても、交渉妥結が不可能とは考えられていなかったようです。

何度も申し上げますが、私は、決して裕仁を万能の独裁者と考えているわけではありません。時には逡巡しつつ、開戦、戦争の継続、そして降伏などの決断を行った政治家と考えるのがリアルな認識です。

裕仁免責論は、「輔弼に縛られた捺印機」とする論と、「平和主義者」との論を併用しているようです。そして、戦争の主因を「軍部独走」として一部の軍人のみに限定することを試みています。いずれも、裕仁や戦後に生き残った文官政治家を免責すべく幣原内閣で作られたロジックですが、明らかに事実に反します。伝統的な「天皇教」にも反する戦後の新作神話です。

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