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「パラドクス」ではありません。
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投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 11 日 14:39:58:KZLCEeqX13raw

(回答先: Re: たこ氏に最後にぜひお聞きしたいことがあります。 投稿者 通りすがりの一言 日時 2003 年 7 月 11 日 00:47:33)

私は、歴史的事実に基づいて、個人の責任を個別化し、それを議論すべきと考えております。このような戦争に至った意思決定のプロセスを解明するためにも、政策決定に関与した個人(裕仁を含む)の責任問題は回避できません。一方、「天皇の責任さえ明確にすれば、あの戦争の責任問題は落着するという誤解を招きかねません」は、戦後から現在に至る情勢判断の問題です。この点については、ほとんど議論がなかったようです。一応の私見です。

戦後しばらくは、「好戦的な陸軍軍人」を悪役にし、「親米英派」が戦争回避と降伏に向けて努力したとする説明が続いていました。裕仁は捺印機に過ぎなかったとしつつ、「親米英派」にも含められ、本土決戦を回避した「聖断」を積極的に評価するという奇妙な論です。日中戦争の視点がないという問題を別としても、この段階では、対米英戦争が悪であること、そして軍部がその責任を免れないことは当然の前提としておりました。このような説明は、吉田内閣あたりまで一貫しています。自らも戦争中から「親米英派」であった幣原や吉田の正当化を意図したものでしょう。

そして、その後、中曽根内閣あたりから、これを踏み越える説明が出てきます。「大東亜戦争」の肯定論です。同時に、「天皇」を戦争の装置として積極的に活用すべき論が出ます。戦争に至った意思決定のプロセスを批判するのではなく(この立場は最初に説明したように、歴史的事実に照らすと必然的に裕仁責任論に帰着します)、むしろ「世界を相手に戦争ができた」と賛美し、その処方箋として民族意識と天皇崇拝の教育を強調する論です。

裕仁の戦争責任論は、この「大東亜戦争」の評価と、論理的にも政治的にも結びつきます。当然ながら、裕仁責任論には、日中戦争や対米英戦争を否定的に評価する論が、これを否定する論には、「大東亜戦争」の肯定論が結びつきます。最も先鋭に対立するのは裕仁責任論です。パラドクスではありません。

「現在の天皇制を静かに見守るべき」に異論はありません。しかし、戦後においても、「天皇制」は変動しています。「帝国」とも「共和国」とも明示しない異例の「日本国」という国号を称した現憲法ですが、成立当初において、これを君主制とする論者はごく少数です。天皇は、世襲で形式的任命権を有するという君主の属性の一部は認められますが、国家を代表するという元首という君主の属性を有しません。現在の運用では、すでにこの枠をはみ出しています。

なお、「象徴天皇制」は通りすがりの一言氏の造語ではありません。前の書き込みの最後の段は、戦前(あるいはそれ以前)の制度まで含めて安易にこの呼称を用い、旧憲法体制との質的な相違を見失わせることに対し、「(象徴は)現憲法で初出の用語」としたものです。そして、象徴概念を濫用し、これを利用して天皇崇拝を拡大し、さらに実質的に君主化しようと論(前にも申し上げましたが、天皇に実質的な決定権を与えようとする論ではなく、これを君主として利用しようとする論です)にコメントしたものです。

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