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アメリカが「失われた10年」を迎える可能性
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投稿者 転載 日時 2003 年 6 月 09 日 21:36:47:

イラク戦争の終結は実に後味の悪いものだった。
アメリカの意図は「帝国の建設」にあったのではないかと、
あちらこちらで指摘されているが、アメリカ経済の状況を鑑みると、
筆者は、帝国を建設し維持できるとはとうてい思えないという。
はたして、21世紀最初の10年は、
アメリカにとって「失われた10年」になるのだろうか。

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一橋大学大学院商学研究科教授
伊丹敬之 = 文
text by Hiroyuki Itami
いたみ・ひろゆき●1945年、愛知県生まれ。一橋大学商学部卒業、カーネギーメロン大学経営大学院Ph.D。73年より一橋大学商学部に勤務。75年から83年にかけて、2度スタンフォード大学ビジネススクール客員准教授。
著書に『場のマネジメント』『経営の未来を見誤るな :デジタル人本主義への道』などがある。
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三つのルビコンを渡ったアメリカ

 この5月1日、ブッシュ大統領はカリフォルニア州サンディエゴ基地に戻ってきた空母エーブラハム・リンカーンの上で、イラク戦争の実質上の終結宣言をした。演説の状況設定としては、演出効果満点であった。空母リンカーンはアフガンへの攻撃に出撃してその後イラク戦争にも参加し、10万マイルを超える長期航海任務からサンディエゴに帰港したところだった。その空母へ、大統領は飛行服に身を包んで戦闘機に乗って着艦したうえで、兵士たちを前に演説を行ったのである。
 演説の最初の言葉は、「イラクでの主な戦闘行為は終わった」という慎重な言い回しだった。もちろん、テロとの闘いにアメリカが勝利したことを語り、兵士たちの勇敢さを賞賛する言葉が続くのだが、しかし、イラク戦争の公式の理由であったはずの「大量破壊兵器問題」については、語るところの少ない演説であった。ただ一カ所、「テロリストたちがイラク政府から大量破壊兵器を手に入れることはもうないことは確かだ。なぜなら、その政府はもはや存在しないからだ」、と言うのみである。
「なぜなら、その政府はもはや存在しないから」ではなく、「なぜなら、我々がそれをイラクで発見して、すべて処分したからだ」と言えないのが、つらいところであろう。大量破壊兵器は、いまだに発見されていない。地中深く埋めたりして見つからないようにしているからまだ発見できないのだ、というアメリカ軍の説明の報道を読んだりすると、本当はそもそも大量には存在しないのではないかと疑ってしまう人も多いだろう。あるいは、もしそれだけ入念に隠してあることを知らずにいたのなら、なぜ、大量に保持していることは確かで戦争突入の理由にするだけの情報がある、と開戦前にいえたのか不思議にも思える。
 私はこの連載の前の記事(2003年5月5日号)で、アメリカはルビコン河を渡ってしまった、と書いた。予防戦争という名のルビコン、国連中心の国際秩序という名のルビコン、という二つのルビコンである。大量破壊兵器が見つかるとしてもルビコンを渡ってしまったことだけは確かだと思ってそう書いたが、大量破壊兵器が見つからないとなれば、それはもっと深刻な第三のルビコンを渡ったことになってしまうように思える。内政干渉というルビコンである。「イラクの自由」というのがアメリカ側の今回の作戦名であるが、ある国の国民を自由にするために時の政府を外国が転覆させるというのであれば、それを内政干渉といわないのだろうか。もちろんフセイン政権を支持するつもりはないが、アメリカが取った手段の国際的正当性には大きな疑問を感じる。だから、アメリカの意図は「帝国の建設」だ、とあちこちで言われてしまうのである。
 三つのルビコンを渡り、帝国の建設に邁進しそうなアメリカが、その意図通りに長期的に歴史の流れをつくれるのだろうか。
 私には疑問に思える。帝国の建設ということ自体が、世界の国際政治秩序の中で長期的に維持可能かどうか疑わしいし、経済の面でもアメリカ経済が根本的な脆弱さを抱えていることは、すでにこのコラムで1年以上前から私は指摘し続けている。帝国建設に必要な資源をアメリカは十分には持っていない、と思えるのである。
 その脆弱さとは、2002年にはついに5000億ドルを超えてしまった経常収支の赤字であり、個人の家計の貯蓄率がマイナスになってしまうという問題である。03年からはこれに政府の赤字が加わる。国の経済の国際収支、家計の収支、政府の収支、この三つの赤字を巨大な規模で抱えたままで、帝国の建設が維持可能とはとうてい思えない。世界的にも突出している現在のアメリカの国防予算の規模は、アメリカの経常収支赤字の7割程度。つまり、世界中からカネを集めて国防費に使っている格好になっている。この状態を継続することが、どのような構造的なメカニズムで長期的に可能になるのであろうか。
 そのうえ、デフレの波がアメリカをも襲い始め、モノの物価ではすでに16カ月以上物価下落が続いている。金利ももう下げる余地があまりないほど下がってしまっている。株のバブルの後に起き始めた不動産バブルは崩壊の兆しがある。個人の自己破産も急増し始めている。イラク戦争後も消費も回復せず、もちろん設備投資は弱いままである。このうえ、住宅価格の下落が急速に進めば、その資産価値をベースに借金漬けになっている家計の多いアメリカでは、大変な逆資産効果が発生するだろう。
 経済構造の多くの側面で、アメリカの歪みはかなり耐えきれない状況に来ているように思われる。日本も深刻だが、アメリカも深刻なのではないか。それは、帝国建設の可能性を論じるよりも、経済破綻の可能性を論じるべき状況に思える。

「甘えの10年」と言われた20年代

 21世紀の最初の10年は、アメリカにとって再び「失われた10年」になる可能性がかなりある、と私には思える。「再び」という理由は、そもそも失われた10年という言葉は、アメリカの1930年代を表現する言葉として広く使われ始めたものだからである。
 その30年代の前の20年代、アメリカ経済は活況の極みであった。バブルといっていいだろう。それがアメリカの株価を極端なレベルに押し上げ、そのバブルが29年のニューヨーク株式市場での暴落で崩壊し、そこからアメリカは大恐慌とその後遺症の30年代へと進んでいった。GDPは4割失われ、失業率は25%にまでなった。だから、「失われた10年」なのである。
 それに比べれば、90年代の日本の「失われた10年」なぞ、よほど深刻さは小さい。日本がバブルの崩壊で被ったキャピタルロスは1000兆円を超す(GDPの2倍程度)が、アメリカの大恐慌後のキャピタルロスが唯一、歴史的に比較可能な規模のキャピタルロスだそうである。しかし、その後の結果は、日本のほうがはるかに影響軽微である。90年代の日本のGDPは平均約1%強の成長をしたし、失業率も5%台である。
 失われた10年の前の20年代を、アメリカでは「甘えの10年」というそうである。とくに外交政策の分野での言葉らしく、アメリカがその経済力の巨大化にもかかわらず、外交上は国際連盟の設立に参加しないなどの孤立的政策・単独行動主義を取った時代で、外交政策がぬるま湯だった20年代、というのである。それが30年代のヨーロッパでファシズムと共産主義の隆盛の危機を招き、第二次世界大戦へとつながった。アメリカ外交上の空白の10年だったという。
 その表現を私は、2001年10月半ばのロンドンのホテルで、CNNのアフガン特集の中で聞いた。私の泊まったホテルはたまたま、ニューヨークのテロの直後で警戒厳重なアメリカ大使館の隣にあった。番組の中で記者が、アメリカの1990年代の外交を20年代の外交と重ね合わせ、十分な世界的構図をアメリカが持たないままに内向した10年と総括し、「90年代もまたアメリカ外交甘えの10年」と言うのである。主に中東政策の甘さを指していると思われる。そして、その甘えの結果が、9月11日のテロ事件、それに続くアメリカによる先行き不透明なままのアフガン空爆、というアメリカにとっては厳しい21世紀の幕開けだという。
 経済の面でも、20年代はアメリカがバブル的といえるほどに繁栄・膨張した10年であった。経済的な放縦の10年であったといっていいだろう。その20年代が、「甘えの10年」と表現されている。そして、その「甘えの10年」の後に、30年代の「失われた10年」が来た。経済での破綻ばかりでなく、第二次世界大戦がドイツのポーランド侵攻で始まったのは、30年代末の39年9月1日であった。

グローバル資本主義が生んだ大きな歪み

 日本でも、じつは歴史的状況は類似している。80年代の日本は、後半に起きたバブルに象徴されるように、成金がカネを無駄遣いした10年であった。まさに、甘えの10年であった。その後に、「失われた10年」と揶揄される90年代が来た。
 そして、アメリカの90年代が、外交分野に限定しての話であれ、いま再び「甘えの10年」と呼ばれている。しかし、その呼び方は、経済面にも当てはまりそうである。アメリカの90年代は20年代と同じように市場主義万能へと振り子が振れた10年であり、また株式市場がバブル的な膨張を見せ、それが不動産にも波及した10年でもあった。
 アメリカにとって、2001年9月11日の世界貿易センタービルへのテロ攻撃は外交政策、国防政策の大きな転換点であった。そして、同じ01年年初、ナスダックは急降下を始め、ITバブルが崩壊した。そのうえ、秋にはエンロンの崩壊が始まり、翌02年にかけてワールドコムなどの不正事件が多く表面化し始めた。アメリカ国民の安全とアメリカ型資本主義の健全さ、という二つのアメリカの基盤への攻撃からアメリカの21世紀の最初の10年は始まったのである。
 それは、1990年代とは様変わりの時代の始まりを予兆していたように思う。
 90年代のアメリカは、ソ連は崩壊し日本経済ももたついて、政治と軍事では共産主義の脅威から、経済では日本の脅威から解放され、向かうところ敵なしの一国覇権の時代を築いたかに見えた。グローバル資本主義の旗手としてのアメリカの時代が来たように見えた。
 しかし、グローバル資本主義は世界の圧倒的多数の人々の生活に大きなプラスだけをもたらすのではない。歪みも生まれる。その歪みの一つの表れが、アメリカへのテロ攻撃だという声も当時から高かった。それは、経済中心ですべてを律しようとする世界の流れに対する人間社会の悲鳴あるいはその警告と受け止めるべきかもしれない。それは、決してアメリカ一国への警告ではなく、市場経済諸国全体に対する警告かもしれない。
 その警告に対するアメリカの答えがイラク攻撃であったとすれば、世界の流れはますます深刻な方向へと進んでしまう危険が大きい。
 2001年9月11日のニューヨークの世界貿易センタービルの崩壊の画面を見つめながら、私にはその崩壊がベルリンの壁の崩壊と重なって見えた。一つの時代の終わりを感じたのである。
 その日から、すでに1年半以上の月日が経った。アメリカは三つのルビコンを渡り、しかも経済の基本的な脆弱さが表面化してきた。歴史は三たび、甘えの10年と失われた10年を繰り返すのだろうか。アメリカの1920年代と30年代、日本の80年代と90年代。そして再び、アメリカの90年代と2000年代?


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