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ダイアナ妃
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 23 日 08:49:43:ieVyGVASbNhvI

(回答先: ダイアナ元皇太子妃 年譜 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 23 日 06:42:30)


ダイアナ妃

1997年の十大ニュースの第一位は、パリの高速道のトンネル内で死亡したイギリス王室ガイアナ妃の自動車事故であった。

皇太子チャールズと離婚したあとに死亡したので、この時点での彼女は、新聞などの表記に従えば元″c太子妃だが、ナポレオン元皇帝、元暴君ネロ、秦の始元皇帝とは言わない。元≠竍前≠つけるのは、文章の流れを阻害する悪しき形式主義である。正式な肩書としても、ダイアナ妃が離婚後も妃殿下≠フ称号を維持することをエリザベス女王が認めたと、当時の英紙が報道していたので、ダイアナ妃と書く。

この事故は、何年にもわたって皇太子夫妻がイギリス・ゴシップ界をにぎわせたあとに発生したのだが、不思議と怪奇と謎のかたまりのようなミステリー事件であった。

96年8月28日に正式離婚して、ほんの1年後(97年8月31日)に彼女が死亡したため、かなりの衝撃的事件となった。総じて言えば、死者のダイアナ妃に対して報道が好意的だったことは、人間の心やさしさとして当然であった。また、彼女が恋人と一緒に乗っていた自動車を、ゴシップ・カメラマンたちがオートバイで追跡し、そのパパラッチ≠ニ呼ばれる大金目当ての変質者的行動が、ダイアナ妃を死に追いやったと、全世界から非難が集中した。

大事件発生後、イギリス国民の中から、「エリザベス女王は、ダイアナ妃の死に対して冷たい」と、批判の声がわきあがったのだ。この批判は、どう考えても首をかしげざるを得ない。説明するまでもない。女王はチャールズ皇太子を産んだ実の母親である。ダイアナ妃が貞淑を絵に描いたような女性であれば、その批判も当たっている。しかし、自分の息子をはったらかして、ほかの男とべたべた熱愛中で、心中同然の形で最後を遂げた嫁さんに、思いやりを持つ母親が、この世のどこにいるものか。ダイアナ妃は勝手に死んだのに、エリザベス女王にとって合点のゆかない言いがかりで、とんだ災難であった。

さらに、ダイアナ妃の生前の善行が、洪水となってマスコミにあふれた。さまざまな施設を訪れて病人たちを励ましたダイアナ妃……地雷廃止を訴えてきたダイアナ妃……などである。それを、中傷するわけではない。が、別の視点もある。

皇太子妃の立場にあれば、全世界ほとんどの王室や皇室の関係者と同じように、本人の意思とは関係なく、そうした施設を慰問することになっている。むしろ、彼らが、訪問して初めて庶民生活の現状を知るのは、大昔の童話『王子と乞食』に描かれた通りで、まったく困ったことである。ダイアナ妃が所有した湖つきの大邸宅などは、庶民生活とかけはなれ、とんでもない貧富の差ではないか。

地雷廃止はどうだろう。地雷が問題になるのは、戦乱の終わったあとにも、畑を耕す人の脚を吹き飛ばしたり、罪もない子供を殺したり、すべての人の日常生活に支障をきたすからである。戦争当事者は、敵も味方も、自分たちがおこなった戦争の愚かさを、十字架として背負ってゆかなければならない。戦争批判は、当然、軍人たちに向けられる。そのわずらわしい地雷がこの世からなくなれば、軍人たちは今まで以上に「戦争をしやすくなる」、あるいは「地雷に代る新兵器が開発される」という危険性が指摘されているほどである。

地雷廃止運動や核兵器廃絶運動は、きわめて重要である。こんな危ないものは、国際会議など開かずに、早くなくせばよいのだ。ところが、過去の戦争の死者と負傷者の99パーセントは、その地雷と核兵器と化学兵器を使わない場合、つまり通常兵器によるものであった。

現在、戦乱が最も多いアジアと中東各国では、地球上の兵器輸入の大半を占めるまでに悪化している。それを販売する兵器商人と軍需産業のすべてに批判を向けなければ、意味もない。
そこで、ダイアナ妃にまつわる、気がかりな数々の事実に目が向いてゆく。

彼女の事故死とほぼ同じ時期、タイの通貨バーツの暴落にはじまって、香港株の大暴落が起こった。それが97年10月27日のウォール街の大暴落につながり、同時に、そのすべての余波を受けた兜町の大暴落が翌28日に続発し、一瞬、地球全土に深刻な影が落ちた。わが国では、その後、11月に入って三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、コ陽シティ銀行が続々と倒産し、一時は恐慌前夜かと思わせる金融パニック状態に陥った。

韓国とインドネシアもまた、国家が倒産寸前となる未曾有の経済崩壊に突入した。
そのかたわら、もはや見捨てられた国とさえ思われていたロシアへの投機熱が、突如として、盛んに燃え上がっていた。
ちょうどその暴落直前、10月末になって中国の江沢民主席が訪米し、クリントン大統領と首脳会議に臨もうという時期を狙って、いきなり、ハリウッド映画界をあげての中国叩きが、大々的にはじまった。

日本では、着々と、日米防衛ガイドラインの見直しという作業が進められた。日本国民の自覚がないまま、いきなり米軍が日本での軍事行動を拡大する国際的な政策であった。

いずれも、ほとんど前ぶれもなくはじまった現象であるところに、特徴があった。

これらに関する解説を読んでみればよい。どれも交通安全標語のように無味乾燥な評論がなされるばかりで、世界中、誰ひとりまともな解説をしていない。誰にも、何が起こったか分からなかったのである。

こうした場合われわれは、時間というものを、「正確な事実」と「ソクラテスの知恵」に置き換えなければならない。
まず、ダイアナ妃とは何者か、というところから、古い書籍の調査をはじめる。

ダイアナ妃とは何者であったか。

8代目ジョン・スペンサー伯爵と、ファーモイ男爵家のフランセス・ロシュは、恋に落ちた。やがて2人は結婚式を挙げ、女の子が生まれたのは1961年7月1日のことであった。
この世に呱々の声をあげた三女がダイアナ・フランセス・スペンサーと命名されたのは、フランク・シナトラにマイ・ウェイ≠捧げたポール・アンカが、このダイアナ≠ヒットさせた4年後のことであった。

さて、彼女の母フランセスは、ダイアナが7歳になると、早くもマイ・ウェイ≠歩みだし、スペンサー伯爵と離婚して、たちまち別の男ピーター・シャンド=キッドと、再婚してしまった。が、ダイアナの父スペンサー伯のほうも負けてはいなかった。レイン・マッコーコデールという女に言い寄ると、こちらも再婚したのである。ところが、ダイアナの継母となったこのレインは、伯爵の財産を売り飛ばして散財のの限りをつくす女で、みなから酸性雨と呼ばれるようになった。

散財する妻を嘆きながらスペンサー伯が92年にこの世を去ると、自由の身になった酸性雨は、1年後にたちまちフランスの女たらしジャン=フランソワ・ド・シャンブラン伯爵と結婚した。しかしこの55歳の伯爵は、そのとき別のアメリカ女性と離婚したばかりで、慰謝料の支払いに困り果て、金目当てに8歳年上の女、63歳の酸性雨をひっかけたのだ、と報じられた。

しかも当のダイアナの長姉セーラは、生まれた時からエリザベス女王が庇護者となって、この酸性雨が降り注ぐ継母の生家マッコーコデール家に嫁ぐ、という乱脈をきわめた一家であった。
このように立派な環境に恵まれたダイアナは、ある日、めでたく華燭の典をあげ、チャールズ皇太子妃となった。

さてダイアナ妃の弟も、同名のチャールズだったが、こちらはのちの9代目スペンサー伯爵で、アパルトヘイトが続く南アフリカで、父親譲りのダイヤモンドや金銀の利権をむさぼり続けていた。ダイアナ妃が事故死したときのことを、ご記憶であろう。弟のチャールズが南アフリカのケープタウンから悲しみの談話を語ったのは、そのためである。
そのあと、ロシア最大のダイヤモンド会社「サハ」が、同社の64カラットの巨大なダイヤを、事故死した悲劇の皇太子妃に因んで「プリンセス・ダイアナ」と命名すると発表した。さらにダイアナ妃の死のほぼ2ヵ月後、南アフリカから世界のダイヤ市場を支配する「デビアス」が、その「サハ」との提携を発表したのである。すべて、チャールズたち利権者の差し金であった。

世界最大のダイヤ業者デビアスを所有し、鉱物採掘のため黒人を地獄の労働にかり出してきたオッペンハイマー家、その一族と姻戚関係を結んでいたのが、ほかならぬダイアナ妃の姉と継母の一族、酸性雨のマッコーコデール家であった。

ダイアナ妃の実母フランセスは、ピーター・シャンド=キッドと再婚した、と述べたが、イギリス貴族の最も格式ある人名録を開くと、確かに彼女の履歴がシャンド家の一員として記録されている。シャンド家の人間は、そこに数人しか記載されていないので、ふと、彼女の前に目を落とすと、ロザリンド・シャンドという女性の名があり、さらにその前を見ると、ロザリンドの夫ブルース・シャンドについての記述がある。そして、この夫妻のあいだに生まれた娘の名前を読み取って、愕然としたものである。

──カミラ(パーカー=ボウルズ)──と書かれていた。

この名前には、誰しも聞き覚えがある。
ある日、妻ダイアナに興味を失ったチャールズ皇太子が、世紀のゴシップとして目を注がれた女性が、そのカミラ・パーカー=ボウルズであった。

ダイアナ妃の実母が再婚したシャンド家が、ダイアナ妃から夫チャールズを奪った恋人の生家だったことになる。
イギリス王室は、このようにわれわれと変わらず、普通どこにでもある恋愛をくりひろげてきた。
しかしこれは、世間が考えるようなゴシップではなかった。

ここから、全世界が震撼する物語が進行していたのである。チャールズの恋人カミラの母ロザリンドを調べてみると、事理の妹の父は、ピーター・キャリントン卿であった。彼はゴシップが報道された当時、国連代表として、目をおおうばかりの人殺しが続くユーゴスラビア内戦の調停人をつとめたヨーロッパ軍需産業の総帥だったのである。

97年8月31日、パリでダイアナ妃が交通事故で死亡したとき、恋人のドディ・アル=ファイドも同乗しており、共にこの世を去った。

ドディは、81年にアカデミー作品賞を受賞したイギリス映画「炎のランナー」の映画プロデューサーであった。そのため、ダイアナ妃との熱愛に陥る前には、女優のブルック・シールズとできあがり、その艶聞はあまねくビヴァリーヒルズに知れ渡っていた。

ドディの父モハメッド・アル=ファイドは、イギリス王室御用達のデパート「ハロッズ」のオーナーとして有名なアラブ人大富豪であった。彼は、54年にサミラ・カショーギという女性と結婚し、その兄アドナン・モハメッド・カショーギの義弟となっていた。そのあいだに生まれたのが、ダイアナ妃と一緒に死んだ恋人ドディである。しかしドディの父は、なぜ豪華デパート「ハロッズ」を買い取るほど巨額の金を持ち、大富豪だったのか。

ドディの伯父にあたるアドナン・カショーギは、66年、サウジアラビアのファイサル国王に同伴してアメリカを訪問した。ファイサル国王は、ニューヨークなどで重要なアラブ外交を展開したが、同伴者のカショーギは、さらに重要な非公式の昼食会に出席していた。

そこに、誰が集まっていたであろう。ロッキード社、マクドネル・ダグラス社、レイセオン社、クライスラー社、リットン・インダストリーズ社など、全米の軍需産業の社長・会長クラス、最高幹部がずらりと顔を揃え、カショーギを囲んで、ある世界情勢について、危険な会話をはずませていたのである。ライバルである彼らが一堂に会するのは、尋常な出来事ではなかった。


やがてモハメッド・アル=ファイドは、義兄カショーギの秘密事業で総支配人となり、全米を代表するそれらの軍需産業から、莫大なコミッションが支払われるようになった。ジュネーヴにあるスイス銀行のカショーギ口座に、大金が振り込まれるようになったのである。

軍需産業の代理人となったカショーギは、返す手で、ヨーロッパ全土と日本に大金をばらまいて世界的ロッキード事件をひき起こしたのち、フィリピンのマルコス大統領をワイロぜめにした。80年代には、イラン・コントラ事件で、主役をつとめた。そのころ、女優のブルック・シールズは、カショーギのメッセンジャー・ガールであることが全米に知れ渡った。彼女の当時の恋人は、まだドディではなく、カショーギの息子モハメッドだったのだから。

これらは、発覚した中のわずかな事実である。ほとんどは発覚せずに、アドナン・カショーギの名前は、全世界の戦乱の陰に暗躍する死の商人≠ニして、欠かせない代名詞となった。サウジの兵器商ではなく、アメリカとヨーロッパの軍需産業がひき起こす戦争の火付け役として、アル=ファイドと共に、数百万から一千万人単位の生命を、傷つけ、あるいは、この世から消す役割を果してきた。
その商品のひとつが、地雷だったのである。


兵器商人カショーギの親友は、国連のユニセフ幹部たちであり、彼の指一本で、ハリウッド映画の大スターたちも動かされてきた。
チャールズ皇太子の秘密の恋人カミラ・パーカー=ボウルズの母ロザリンドの近親者が、ピーター・キャリントン卿であった。国連代表として、ユーゴスラビア内戦の調停人を装いながら、実際にはカショーギと共に国連部隊を通じて戦場に兵器を送り込んだヨーロッパ軍需産業の総帥キャリントンだったのである。ダイアナ妃の実母が再婚したシャンド家である。

ダイアナ妃が、96年にチャールズ皇太子と正式に離婚するにあたって、彼女がエリザベス女王に請求書をつきつけた慰謝料≠ヘ、膨大な額におよぶものであった。

22億円を超えるケンジントン宮殿をはじめとして、年金5億円のほか、イブニングドレス120着、ドレス300着、靴350足、帽子320個、バッグ200個、無数の貴金属宝飾品、骨董品など、残念ながら知的なものはほとんどなく、ただただ値段のはる品ばかりが並んでいた。

フィリピンの独裁者フェルディナンド・マルコス大統領夫人イメルダが集めた靴やドレスは、全世界の怒りを呼び起こしたが、それとは比較にならないカタログであった。ダイアナ妃の死後、その遺産は45億円を越えることが明らかにされた。

ダイアナ妃の未来の夫ドディの父アル=ファイドと伯父カショーギが、ドディのハリウッド映画作費を生み出し、地雷をユーゴに敷きつめていたことは、彼女にとって、常識以前のことであった。
彼女が地雷をこの世からなくす運動を呼びかけたという根強い伝説は、これからも続く。
地雷廃絶運動をすすめてきた市民運動に、ノーベル平和賞が贈られた。

これだけの数々の事実を組み合わせた全体像が、ダイアナ妃の死後、一体どのメディアで正確に報道されただろう。

これは、一女性にまつわる王室ゴシップであろうか。

この人の葬儀に、200万人が参列したという。

これが、情報≠フ氾濫と呼ばれるものの正体である。200万人を動かした情報≠ニは、屑の山、ということである。

リビアの最高指導者ムアマール・カダフィは、「イギリス王室が、イスラム教徒を家系にとりこまないようにするため、ダイアナ妃を交通事故にみせかけて殺した」と語った。

しかし、イギリス王室がイスラム教徒を家系にとりこむのは、王室にとって重大な問題だ、と考えるのは、とんでもない間違えである。カダフィは、見当違いのことを喋っていた。

デヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』という大作映画があった。あの作品に登場したアレック・ギネス扮するアラブの王子たちは、イギリス王室によって認められて初めて、アラブの王室であることを国際的に認知してもらうことができた。その結果、イギリスの力でヨルダンやイラクの王室が誕生したのである。

その背後の真相を知るには、イギリスが獲得した全世界の貿易の要衡、スエズ運河の開拓史に遡らなければならない。この運河がなければ、ヨーロッパ人は、アジアへ行くのにアフリカ大陸をぐるっとまわらなければならない。フランス人フェルディナン・ド・レセップスによってつくられたと言われるスエズ運河を所有していたイスラム教徒のエジプト王室は、当時からわれわれが驚くほど、イギリス人の上流社会と婚姻を重ねてきたのである。

王室の権威が全世界で失墜したため、現代人は、ヨーロッパ王室を特別の目で眺めてしまい、王室がキリスト教によってがんじがらめになっているという誤った先入観に陥っている。しかし事実は逆であり、王室と貴族階級は自由闊達な存在で、男女関係は乱脈の限りをつくしてきた。

キリスト教は、単なる看板であり、彼らの国旗にすぎなかった。むしろ彼らは、その旗をふりまわしながら、インドの紅茶や南アフリカのダイヤと金、中国の銀など、海外の膨大な利権を獲得することに、実質的な欲望を見出してきたのである。
 
 
 
☆以上は「地球の落とし穴」の第2話からの引用です。

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