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近代化は(強欲)価値観、つ,まり人類の退化を必要とする
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投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 09 日 20:46:35:xnvpUXgHxuDw6

(回答先: イスラム世界が「近代化」に“失敗”したわけ − すみちゃんの問いを受けて − 投稿者 あっしら 日時 2003 年 9 月 08 日 03:57:23)

あっしらさん。 お忙しい中、ありがとうございます。


引用
(マックス・ウェーバー−大塚久雄学徒を自称されている小室氏の論述ということで想像できるように、「プロテスタンティズムの倫理」が醸成される余地がないイスラムから資本主義の精神が生まれ出ることはないという説明になっています。)
(宿命論を掲げるイスラム教からは、行動的禁欲(aktive Askese)は生まれっこない。 イスラム教の禁欲とは断食の類であるから、この点で日本の禁欲と同じである。 行動的禁欲がなければ、天職(ベルーフ)とそれが結びつき、「労働が救済である」という思想を生じることもありえない。 よって、資本主義の精神などが生まれるべくもないのである。 また、イスラムでは利子・利潤の正当化もありえない。」(小室)


ご推薦の本は未読です(ここ数年文系の本をあまり読めていません)。

大塚史学の学徒である以上、当然、行動的禁欲というエートスをもたない宗教の土壌からは、ファナティックかつ計画的に生産活動を行う産業資本は育成されないという説明になるのでしょう。

私は良く理解はできていません。
この説明は正しいのでしょうか?
古代バビロニアでは、起業と配当、投資ファンド、保険制度、フラクショナルリザーブ銀行システムなど、今日の資本主義を構成する主要要素はすべて見られるようです。

大塚史学ではこういうのも「投機的資本」に分類するんでしょうね。
妥当な考え方なんでしょうか?
産業資本と投機的資本を峻別することは歴史的妥当性があるのでしょうか?

ゾンバルトは、むしろ投機的資本がある地域に結集したときに市場取引が活発化し、産業が勃興すると述べていたそうです(本人の本は読んでいませんが)。
この説明の方が普通みたいな気がします。

最近、マックス・ウェーバーの肝心の論文「プロテスタンティズムと資本主義の精神」に重大かつ意図的な詐欺があるという説が日本人によってなされました(名前を忘れました)。
まさにその「ベルーフ」の部分に学問的欺瞞があるというのです。
そのうち読んでみたいと思っています。


引用
(ウェーバー的説明部分はともかく、「近代化を徹底しようと思えば、イスラム教そのものを捨て去るしかない」という結論部分は正鵠を射ていると思います。
 
(天職(ベルーフ)とそれが結びつき、「労働が救済である」という思想」で刻苦奮闘し、利潤を浪費せずに設備投資に回しても、“貨幣供給量=需要財量”という資本の論理を突破して企業家全体が利潤を獲得するためには、外部共同体への輸出の増大を通じて外部共同体から貨幣的富を手に入れるしかありません。)


ベルーフに目覚めたウェーバー的企業家が、利潤を浪費せずに設備投資を拡大したとき、誰がその製品を買うのかと考えれば、ご結論は自明に見えてきます。


(「近代」=資本主義を成立させるためには、内なる共同体を解体するだけではなく、外なる外なる共同体を崩壊させることをためらわない価値観が必須となります。
だからこそ、帝国主義時代というか植民地拡大時代は、砲艦外交と市場維持のための苛烈な支配を必要としたのです。)


なるほど。
思い当たることが多々あります。

確かに近代企業家には、ウェーバー的なファナティックな人間が多いようです。
しかし同時に、アルコール醸造販売業(後には麻薬)や近代奴隷貿易に勤しんだ「企業家」の行動原理は、近代企業家の行動原理とそれほど違うように思えません。
アルコール醸造関係には熱狂的プロテスタントやユダヤ教徒が多い。
新大陸を見ればよく分かります。
外なる共同体の崩壊を躊躇わない価値観が鍵であるというのはうなづけます。

ウェーバー的企業家が人々への奉仕のためにファナティックな努力を積み重ねているというのは楯の一面にすぎません。
同じ努力が、醸造、麻薬貿易、奴隷貿易、武器製造に費やされてきたのです。

この「矛盾」を不思議に思っていたのですが、あっしらさんのご説明を読むと、実際には何の矛盾もないことがよく分かりますね。


(イスラムの共同体性原理が、このような論理を孕む「近代」=産業力の近代的発展を志向したり許すと考えることはできません。
イスラム共同体構成員相互の関係性をそのとき限りの貨幣媒介的なものに還元してしまい、自分が所属する地域共同体の利益を拡大するために他の地域共同体の破壊をいとわないという選択を採ったなら、その時点でイスラムは放棄された(消滅した)と判断してもいいはずです。)


なるほど。 よく分かりました。
そういうことは可能性としてはあり得ますが、政教分離を必要とするが故にイスラムではなくなるということですか。

ところで、これを読んで思うのは、まさに政教分離を終えたキリスト教です。
中世には信徒に利子取得を禁じていますよね。
キリスト教が禁断の近代金融制度を認めるに至る過程には、十字軍、魔女狩り、異端弾圧、カタリ派の絶滅を含む宗教戦争を経ているわけです。

イスラム教徒はこのような凄惨な同士討ちの過程を経ずにすむのでしょうか?
その条件は何かあるのでしょうか?


(前近代の交易は、余剰・不足生産物及び奢侈品をめぐるもので、共同体の存続形態を壊してまで余剰生産物を売り込むものではなかったという押さえは重要です)


これもよく分かりました。
確かにイスラム商人の交易は欧州−インド+中国の間での余剰生産物を媒介するものにすぎませんね。

ウェーバーはこれを投機的資本であるがゆえに近代の礎とはならなかったと説明したわけですが、商人の行動は十分に合理的、理性的なはずです。
きちんとリスクとリターンとを図って行動している。
その点で産業資本家と何ら変わりないわけです。

そうではなく、前記した「強欲」価値観の有無の問題と考えると、すべてが氷解するようです。

ウェーバーは、この「強欲」を隠蔽するために研究をしていたんじゃないんでしょうか?
ふつふつと疑問が沸いてきます。


(イスラム世界は、「近代」が中東やイスラム世界にもたらした災厄を受け止めるのに精一杯で、「近代」に対する根底的な批判まで進んでいないと思っています。)


実際にはイスラム世界の多くは欧米の傀儡となり、貧富の差が巨大ですよね。
とても気になります。
もし「マホメット」が再臨すれば、このような傀儡国家群は当然許されない。
しかしマホメット再臨なきとき、方向性を失って凄惨な同士討ちに至るおそれはないのでしょうか?


(近代人は「近代金融制度」を当たり前のように受け止めてしまっていますが、保有貨幣を貸し出して利息を取得することすら禁止しているイスラムの原理が「近代金融制度」を見れば、悪魔の所業としか受け止められないはずです。)


近代金融制度!
利子(複利)取得と信用創造を支柱とする近代金融制度は、「外なる共同体の崩壊を躊躇わない価値観を鍵」としています。
強欲という点で、上記した産業資本家と変わりありません。

こう考えてくると、「価値観」の問題であるということが良く分かりますね。
ある意味、そら恐ろしい結論でした。

いったい人類は進歩しているのでしょうか?
人類は退化しているのではないかという疑問がふつふつと沸いてきます。

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