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神々も幼児の涙をあがなうことはできない
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/323.html
投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 7 月 16 日 16:27:33:xnvpUXgHxuDw6

(回答先: すみちゃんへのレス 投稿者 アルファンド 日時 2003 年 7 月 15 日 20:07:58)

   神々も幼児の涙をあがなうことはできない

   アルファンドさん。 こんにちわ。

   やっぱり普通の投稿でレスすることは無理みたい。
   
   おっしゃられることは、とても私にわかるようなものではないですね。
   あっしらさんに交代して頂いた方がいいかな。


   (俺は「天皇」を「人格的存在」とは考えちゃいないんだが、それとは逆に「神々」は「人格的存在」だと考えている。もう少し言うと「日本人それぞれの高次意識体」の集合として「八百万の神々」をとらえているってことなんだが)


  「カミ」とはアイヌ語(たぶん縄文語)でして、上(カ)のヒトないし実体(ミ)という意味です。 おそらく人類正統の文明を受け継ぐ言葉です。

  従って、八百万の神々は、実際に日本列島に居住していた人間であると思っています。 高次意識体というグノーシス風の用語が正しいかどうか自信を持てません。
  我々は過去の人間と交信できる、また過去の人間は現在に輪廻転生できるという意味なら、ある程度うなづけます。 それがカミです。

  「神」は、「申」(サルです)に示す(示申)というとんでもない当て字です。 (サルに示されるもの)です。  詐欺師のねじ曲がった精神が感じられます。
 カミ以外に神があるのか、疑っています。

  「人格的存在」ではない「神」。 これは私には良くわからんですね。 失礼ですが。  それはカミと呼ぶべきではない何者かだと思います(わからないので、否定するつもりもありません)。

(俺が「神々の躊躇」を実感する理由は、どうも“神の視点”から見た場合、この国の民、日本人ってヤツらはあまりにも可愛すぎるんだよな。それこそ目の中に入れても痛くないくらい可愛くて、それはもう猫っ可愛がりにしてきた。しかし一方で「日本」の総体としての役割を果たさせなきゃならず、維新以後の右往左往の果てに『奴ら』のワナにはまるカタチで大戦に突入した。この血みどろの戦に、多分耐え切れなかったと思うんだ、神々が。日本人一人一人が傷つけ、傷つけられするたびに発する魂の悲鳴に耳を塞ぎつつ、何とか本土決戦の段階にまで来たはいいが、もうそれ以上は無理になった。それでも進めようとした数少ない神に対しては、多分相当の「泣き落とし」があったと思う。そして、それで落ちた。結局「日本」は、あんたの言う「世界史をはるかに大きく本質的に変える」ための永い永い戦いをキャンセルすることになった。そして俺はその戦いにおいて、本来なら一千万できかない数の国民が死んでいたと思うんだ。)

   西洋列強を駆動してきた植民地勢力から見れば、本土決戦を避けた理由は明らかに思います。 1945年8月時点における本土での殺戮は、戦後処理の点からみて不利と考えたからに違いありません。
   もう勝負がついているのに、本土で多数の非戦闘員を殺戮することで、連合国の正当性が一層揺らぐことは不利益との認識でしょう。

   カルタゴ−ローマを日米と対比する
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/675.html

   中東大戦のもう一つの標的−日本(新−妄想陰謀説)
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/502.html

   上の投稿で書いたように、日本国を緊縛した上で次の処分の機会を待っているという状況だと思います。 
   この理屈は、カルタゴ支配層遺民が現在も英米中枢にあるという仮説に基づくと、必然的に出てくるものです。 この関係の著者はたくさんいますが、皆さんこの当然の結論になぜか到達できていません。
   大日本帝国は、この「植民地勢力」の虎の尾を踏んだという認識です。 彼らはドイツについては戦後処分を許しましたが、日本は許していない(未決)という認識です。

    (大日本帝国が悪魔の真似事をしてドツボにはまったってのには同意できる。しかし一方で「一度気が済むまでドツボにはまってみるってのも良い」と言う風にも考えている。「ドツボ」をじっくりと体験して「ドツボ」だと確信できなけりゃ、多分空疎な思い込みで判断しただけに留まったと思うんだ。そんなんじゃ、この「ドツボ」を打ち破ることは出来ない。「歴史」は、“今”、“ここ”にある。「大日本帝国」を救うためには、そのおかげで俺たちが確信できる「ドツボ」から、俺たち自身が這い出さなけりゃいけない。)
    (「日本は戦争にそぐわない」。「日本には戦争は似合わない」。日本人は命の奪い合いをするようなガラじゃない。北朝鮮だろうが、中国、ロシア、アメリカだろうが、もう戦争はできっこない。無理にやってもどこまでも“摩り減る”だけだ。)

    同感です。 戦争による事態の打開が無理なことは国民に浸透していると思いたいです。 
    植民地経営が引き合わないことについても同様です。

    しかし、戦争については、なんか怪しくなってきました。

    植民地の時代はすぎましたが、中国等の大規模な生産設備および人員の移転は、戦前の大陸進出プロセスと実質的に同じものではないかと疑っています。 植民地が(個別の悪行ではなく)世界的普遍的に罪悪視されるようになったのは、英米支配層が植民地が儲からなくなって撤退してから後だということを忘れてはいけません。

    本当にドツボから学んでいるのか疑わしいです。
    こうした点については、改めて皆さんのお考えを教えていただきたいと思っています。


    大東亜戦争に意味づけを見るお気持ちはわかるのですが、私はやはり避けるべき失策だったと思っています。 植民地勢力は終戦の時点で次のプロセスまで考えているはずですから。
    そして、今回も、避けるべき失策を犯しつつあるような気がしてならないからですね。

    それになんだか無慈悲な神々もあったもんだなあ、という思いを禁じ得ません。
    大人はまだいいんです。  どのような神神であっても、まだ戦争それ自体の概念すら理解できない幼児の涙をあがなうことはできません。
    戦災孤児にとって、神々の不在はあまりにも当然の前提です。
    私も彼らに共感します。 

    かくして、私は戦後の無責任体制の根幹には、むしろ19世紀ロシアのドストエフスキーが書いたような「神の死」を感じています。 20世紀初頭にニコライ一家が処刑されているのも、なんか気になっていますね。
    

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