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金持と富豪の違い
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 17 日 08:51:57:ieVyGVASbNhvI

(回答先: ヴァンダービルト家 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 17 日 08:50:36)


これも続きです。


金持とは何か。ハリウッドの映画スターになれば、1本の映画に出演するだけで、普通の人が生涯働いてもかせぐことができないほどの契約金を手にして、ビヴァリーヒルズの高級住宅街に家を構えることができる。それがアメリカン・ドリームだと語られてきた。

しかしハリウッド全盛期でも、1年で100万ドルをかせぐ映画スターはエリザベス・テイラーなど数えるほどしかいなかった。かしこい映画人は、マネージャーたちに金を盗まれないように独立プロを経営したが、実際に経営した人間たちは、ほとんど失敗している。億万長者と成金は、そうした部類にはいる。かせぎが大きいだけで、ヴァンダービルト家のように子々孫々にわたって資産を増やしていない。かつて金融王J・P・モルガンはこう語った。「100万ドルかせぐなら馬鹿でもできるが、頭がなければそれを持ちこたえられん」と。

アメリカでは1909年に、そうした不平等が生じないよう、5000ドル以上の収入に3パーセント、続いて10万ドル以上に6パーセントの所得税導入が提唱された。その過程で明らかになったのは、全米の資産の85パーセントを4000人が独占して、51人が40億ドルを独占していることだった。全米の資産総額が1400億ドルで、国民一人あたり1547ドルの時代に、大富豪はその7万倍だったのである。

それから十年後の1919年には、スタンダード石油によって全米の精油業界の9割を独占した石油王、ジョン・D・ロックフェラーが最大の納税者であった。所得税が初めて公開されたのは25年で、ジョン・D・ロックフェラーJrは628万ドル、自動車王ヘンリー・フォードは260万ドル、息子エドセル・フォードが216万ドルの税金を支払った。

さらに十年後の29年、ウォール街に大暴落が起こると、ほとんどの人間が金を失う中で、富の集中は一層加速された。二年後に開かれた下院商務委員会では、当時のアメリカ最大の資産だった鉄道の85パーセント近くを15の企業グループが専有している不平等が指摘された。そのグループとは、ヴァンダービルト、モルガン、ハリマン、ホイットニー、スタンダード石油の幹部たちであった。一方、35年に独身と世帯持ちを問わず、アメリカ人の47パーセントは年収1000ドル以下であった。37年に死亡したジョン・D・ロックフェラーの遺産が10億ドルと言われた当時である。アメリカ総人口の半数6400万人が懸命にかせいだ総額は、ヴァンダービルト一族、モルガン一族、ロックフェラー一族らの最高所得者、人口にしてわずか1.5パーセントの所得と同額であった。

当時の金額を98年時価に換算すると、ジョン・D・ロックフェラーの遺産は884億ドルにも達し、日本円で10兆円を超えるが、大恐慌時代の失業者の無産状態を考えれば、この金額でも大衆と比較するには甘すぎる。大暴落前後3年間のダウ工業株平均株価の変化を見れば、どれほど大変な悲劇がウォール街から全米に広がったか分る。

1929年 9月 3日 史上最高値 381・17ドル
     10月24日 暗黒の木曜日 大暴落スタート
     11月13日 年間最安値 198・69ドル
1930年12月16日 年間最安値 157・51ドル
1931年12月17日 年間最安値  73・79ドル
1932年 7月 8日 年間最安値  41・22ドル(史上最高値の10・8パーセント)


32年夏までのほぼ3年間で株式総額の9割近くが吹き飛んだのだから、金を持っている者は、ひと握りの富豪でしかなく、ほとんどの国民が金を失っていた。恐慌後、路頭に迷う者は300万人を数え、失業者と富豪の差は無限大であった。


29年にハーバート・フーヴァー大統領のもとで生まれた最高値381・17ドルの記録は、第二次世界大戦後もしばらく破られず、朝鮮戦争の終了後、54年になってようやく400ドル台を記録した。

こうして50年代に至るまでには、最高所得者の子孫たちが5000万ドル長者となって、全米に数百人存在するようになった。1000万ドル長者であれば、さらにその桁違いの数が誕生していた。彼らの資産は、ほとんど遺産相続であった。


大富豪デュポン・ファミリーは、ピエール・サミュエル・デュポンがフランスからやってきてアメリカ独立を支援し、軍需財閥を築いた。260年前の1739年生まれと古いため、1986年時点で彼の子孫が1700人にも増えている。火薬の製造によって南北戦争で巨財を成し、死の商人≠ニ呼ばれたデュポン家は、家族の持ち株会社クリスティナ・セキュリティーズを設けて個人資産を守ってきたが、1977年にその資産がデュポン社に吸収されたため、個人的には相当な損失を生じたかに見える。しかし現在も初代の子孫およそ300人がデュポン社の株を15パーセント、100億ドル分を保有している。

子孫1700人の一人ずつが、いかなる時代に移っても富豪として再生産されてきた。たとえば98年にデュポン社重役で、資産5億4000万ドル(648億円)と全米の億万長者に数えられたヒュー・ロドニー・シャープ三世は、姓名のどこにもデュポンの名はないが、祖母イザべラ・デュポンの血を引く一族直系子孫である。フォーブス≠ノよれば、ファミリー全体の資産は98年時点で130億ドル(1兆5600億円)である。この金額は、少数のデュポン姓の人間だけを対象にしているので、実際よりずっと少ないが、これを1700人全員に割り当てても、1人平均10億円近くになる。実際は、その数倍の50億円前後になるはずである。

これが、成金と億万長者とは異なる富豪の遺産相続の原理である。


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