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悪魔組織の犯罪02
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投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 11 日 23:59:51:

坂本弁護士事件の怪

 坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の供述によると、犯行状況は凄惨なものだった。
 実行犯はオウム真理教の中川智正、岡崎一明、村井秀夫、新實智光、早川紀代秀、端本
悟の6人である。1989年11月4日午前3時頃、横浜市磯子区にあるアパ−ト2階の
自宅で就寝中の坂本弁護士一家3人を実行犯が襲撃した。

 まず、端本が、いきなり眠っている坂本弁護士(当時33)の身体の上に馬乗りとなり
、同弁護士が目をさますや、声を上げさせないようにするため同弁護士の顎を手拳で数回
殴打し、次いで、岡崎が、上半身を起こそうとした坂本弁護士の背後に回り込み、右手を
同弁護士の首に回して同弁護士の着衣であるパジャマの左奥襟辺りをつかんだ上、それを
右方向に引っ張り、パジャマの布地を使って同弁護士の首を絞めた。
 坂本弁護士は、背後から首を絞め付けている岡崎を振り払おうとして必死に抵抗したが
、岡崎を振り払うことができないまま、間もなく、その場で窒息死した。
 一方、新實は、寝室に入ると、すぐに、同室で寝ていた都子の身体の上に馬乗りとなり
、騒がれないように同女の口を両手で塞ぐなどして同女の身体を押さえつけた。都子は、
苦痛を押して「子供だけはお願い」などと龍彦の助命を哀願した。
 この間、傍らで寝ていた龍彦が、目を覚まして泣き声を上げたことから、同児の側にい
た被告人(中川)は、龍彦に声を上げさせないようにするとともに、同児を窒息死させる
ため、その場にあったタオルケット様のもので同児の鼻口を押さえ、それを数分間続けた
ところ同児がぐったりした。
 被告人(中川)は、都子の背後から、右手を同女の首に回した上、同女の首を絞め続け
、間もなく、その場で同女を窒息死させた。
 また、都子から離れた新實は、被告人(中川)の前記暴行によってぐったりし、けいれ
ん状態を引き起こしている龍彦を殺害するため、同児の鼻口を手で押さえ続け、間もなく
、その場で同児を窒息死させた。(『読売新聞』1996年3月12日夕刊)

 これが本当だったら余りにもむごい。裁判抜きで実行犯をリンチにして殺してしまえ、
というマスコミの論調にも頷けるものがある。しかしその前にちょっと冷静になって良く
考えてみて欲しい。人を3人も殺すことは大変な作業である。しかも犠牲者はおとなしく
殺される訳ではない。自分の身を守ろうと、愛する家族の命を助けようと、必死の抵抗を
したはずである。
 検察の冒頭陳述からも、その様子を伺い知ることができる。しかも事件の起きたのは、
夜中の午前3時である。閑静な住宅街はひっそりと静まり返り、坂本弁護士一家が暮らし
ていたアパ−トでも住民は眠り込み、しんとして物音一つしなかったに違いない。そこに
突然、こんなどたばた騒ぎである。事件に気づいた人がいないという方がおかしい。
 ところが、である。アパ−ト2階にある坂本弁護士の自宅の階下に住んでいた家族は、
4日の午前3時頃には坂本弁護士の部屋からは物音ひとつしなかったと証言しているので
ある。物音ひとつしなかった、これはすなわち事件が起きたのは、11月4日の午前3時
ではなかった、ということを示しているのではないだろうか。
 事件が起きたのが、『11月4日午前3時』ではなかったことを補強する材料として、
事件現場の流しには、夕食に使ったと思われる食器が洗われずに置いてあった、という事
実が挙げられる。
 清潔好きで几帳面だった都子さんは夕食後すぐに食器を洗う習慣があった。つまり、夕
食に使った食器を洗わずに寝てしまうということはないということだ。それが洗われずに
残されていたということはすなわち、犯行が行われたのは一家が寝る前、つまり4日未明
ではなく、3日夜だったということを示している。
 また、事件当日には坂本弁護士夫妻が着ていた服もなくなっている。ところが、2人が
使っていた寝巻は部屋にあった。つまり失踪時、坂本弁護士夫妻は普段着だったというこ
とだ。これまた、『4日午前3時』説が間違っていることの傍証となる。
 次に家計簿について。都子さんは毎日、家計簿をつけていた。結婚して以来、書いてな
い日はなかったという。その家計簿をつけるのは、旅行でもしない限り必ずその当日のう
ちである。それが11月3日から書いていない。もし犯行が『4日午前3時』に行われて
いたなら、3日の家計簿はつけてあったはずである。

 洗われずに置いてあった食器、部屋に残された寝巻、つけられずに残されていた家計簿
、以上の点からも、『4日午前3時』犯行説は明らかに誤りであることが分かる。実は犯
行時間についてだけではなく、坂本弁護士一家殺害事件にはまだまだ多くの謎が残されて
いるのである。

 その1。実行犯はどうやって坂本弁護士宅のドアの鍵を開けたのか。「鍵はすでに開い
ていた」「都子さんが鍵をかけ忘れた」と言われているが、本当なのか。
 坂本弁護士は、青山被告や上祐氏が事務所に訪ねてくるようになって以来、自宅の鍵だ
はかけ忘れのないよう都子さんに念押ししていたとされている。事件当日だけ都合よく鍵
をかけ忘れたというのは、出来すぎた話ではないのか。

 その2。事件現場に、実行犯が落としていった「プルシャ」と呼ばれるオウム真理教の
バッジがあった。犯行現場に自分たちの身元が分かるような証拠を残していく犯人がいる
とすれば、大馬鹿者である。オウム真理教の実行犯がそうだったのかも知れないが、それ
にしては、真夜中、誰にも気付かれずに坂本弁護士一家を殺害して、その遺体を運び出す
というマジシャンまがいの行為をやってのけた見事なお手並みは、どう説明したらいいの
だろうか。
 さらに不思議なのは、「プルシャ」が発見されたのが、鑑識の調査が済んだ11月8日
の午前中だということである。鑑識課員が見逃したのを坂本弁護士の母親が発見したのだ
。これまた、まずあり得ない話である。警察の捜査というものは、そんなにいい加減なも
のなのか。本当はオウム真理教の犯行に見せかけるために、後から誰かがこっそりと「プ
ルシャ」を部屋に落としてきたのではないのか。犯人は警察内部に潜入している秘密結社
のエ−ジェントかもしれない。

 ところで『11月3日犯行説』を裏付けるものとして、坂本弁護士宅の階下の部屋に住
んでいた家族が3日の午後8時過ぎ、坂本弁護士と、坂本弁護士を訪問したらしき人物と
が会話している声を聞いたと証言していることがあげられる。

   前回のインタビュ−の時、「坂本さんの自宅を訪れたのは、坂本さんに信用させ、
ドアを開けさせることができた女性の疑いがある」とおっしゃっていました。その女性が
、11月3日午後8時過ぎ、坂本さんにドアを開けさせ部屋に入った。だから、4日午前
3時頃に岡崎容疑者や早川被告が行った時はドアは開いていた、ということですか?
「そう考えるほうが、『都子さんがドアの鍵をかけ忘れた』と考えるよりは、はるかに自
然でしょうね」
   「3日午後8時過ぎ」の訪問者を「坂本さんを信用させた相手」と考える、その根
拠はありますか?
「湯呑み茶碗です。坂本さんは、ある人から贈られた来客用の湯飲みセットを使っていま
した。鑑識が調べた結果、全部で5つあるはずのその湯呑み茶碗セットのうち3つがなく
なっています」
   ということは、3日の夜に3人の来客があり、坂本家では彼らにその湯飲みでお茶
を出し、それがなくなっているということですか?
「そういう推察も成り立ち得るということです」(「週刊プレイボ−イ」95年10月3
日号の「現役・公安幹部の告白<第2弾>」から引用)

 それでは坂本弁護士一家は、どのようにして殺害されたのであろうか。一つの仮説とし
ては、11月3日の夜に自宅アパ−トで近所の住人に気付かれないように密かに殺害され
て、4日の深夜にこっそりと遺体が運び出された、というものがある。
 もう一つの仮説は、11月3日夜、坂本弁護士一家は自宅から外におびき出されて拉致
された、というものである。それを裏付けるような情報がある。「坂本弁護士一家救出の
ための懸賞金広告実行委員会」の木村晋介委員長(弁護士)が、「タクシ−運転手から寄
せられた情報」として公表した情報だ。
 それによると、坂本弁護士が姿を消した当夜、坂本弁護士一家に似た客3人がタクシ−
に乗車し、横浜市瀬谷区三ツ境付近で降り、そこに待っていた二人の男と共にライトバン
に乗り継いで行ったという。この情報は「注意を要する情報」として、わざわざ記者会見
を開いて公表されたものなので、信憑性は極めて高い。
 今となっては真実は闇の中である。だがどう考えてもオウム真理教=犯人説には無理が
あるように思える。それでは真犯人はいったい誰だったのであろうか。

 真夜中に何故か都合よく開いていたドアの鍵、そして3人の来客の謎。オカルトに精通
している者にはすぐ分かる。フリーメーソン神話において、ソロモンの神殿の建築者であ
る親方メ−ソンのヒラム・アビフを殺害した、3人の卑しむべき職人メ−ソン、ユベラ・
ユベロ・ユベラムが登場したのだ。

フリーメーソンとは何か?

 フリーメーソンとは自由(フリ−)な石工(メ−ソン)という意味である。フリーメー
ソン側がいくら否定しようと、フリーメーソンはれっきとした秘密結社である。秘密の儀
式を有している、秘密の教えを有しているから秘密結社であるというのではない。仏教の
教義の中にも、ステ−ジの高い修行者にしか明かされないタントラ・ヴァジラヤ−ナとい
う秘密の教えが存在している。何故秘密にされているのかというと、精神性の低い修行者
にとっては危険な教えであるし、世間にその秘密が漏れると誤解を招く恐れがあるからで
ある。
 だからといって、我々は仏教教団を秘密結社であるとは言わないだろう。仏教修行の目
的は、解脱や悟りにあることは自明のことだからだ。筆者がここで秘密結社というのは、
その達成されるべき目標およびそのための手段方法を部外者に知らせない組織のことであ
る。すなわち陰謀を働く結社であるということだ。
 従って共産党のような革命組織は例えそれが地下組織であったとしても、秘密結社とは
呼ばない。何故ならマルクスも言うように、「共産主義者は、自分の見解や意図を秘密に
することを軽蔑する」(共産党宣言)からである。しかしもし革命の本当の目的が共産主
義社会の建設ではなくユダヤのキリスト教破壊と国家経済の独占にあるとしたら、もし共
産党を背後から操る陰謀組織が存在しているとするなら、その組織は秘密結社であると言
っていい。それでは、秘密結社フリーメーソンの真の目標とは何なのだろうか。
 フリーメーソンの目標は世界支配、そのための手段はオカルトである。このオカルトに
は儀式殺人も含まれている。しかしフリーメーソン結社員は、フリーメーソンはロ−タリ
−クラブのような単なる社交団体であるとぬけぬけと言う。結社の目的は外部の人間には
秘密にされている。だからフリーメーソンは秘密結社であると言えるのである。

 フリーメーソンの起源に関しては様々な説がある。しかしここでは、アメリカのオカル
ト研究家、ジェイムズ・シェルビ−・ダウナ−ドの説を御紹介しよう。ダウナ−ドによる
と、中世の石工組合(スト−ン・メ−ソン)はその起源をロ−マ人設立の大学(ロ−マ・
カレッジ)に辿ることができるという。
 フリーメーソンの起源は高位神官と同じように神秘に満ちている。彼らは神聖な秩序の
もとに神聖な建物をつくっていたので、物理空間における測量、数、面積を特別に重要視
した。それはロ−マ神話の農耕の神、クロノス−サタンがこの建築の世界を支配している
とされたからだ。フリーメーソンは神を「宇宙の偉大な建築者」と呼んでいる。
 ゴシック大聖堂の発展の歴史を考察すれば、フリーメーソンが堕落して行った過程を伺
い知ることができる。もちろん当初は、メ−ソンも信心深く宗教的な男の集団であった。
その仕事は、真実と美の調和を石工において実現することにあった。しかしこれは長続き
せず、腐敗はたちどころに始まったのだ。
 大聖堂の聖母マリアの彫像を調べてみれば、このことがよく分かる。最初は聖母マリア
は、全ての女性にとっての理想像である清純な処女として描かれていた。しかしその後す
ぐに彼女の姿は、偉大だが自然な美を持つ、実在の母親の肖像へと変化して行った。信心
深い者は新しく出現した彼女の人間性の面を賛美するかも知れないが、そうすることで同
時に彼らは、別世界に存在するような彼女の神聖さというものを犠牲にしてしまったので
ある。
 次ぎなる段階は、彼女が「大地母神」へと変えられた時に起こった。メ−ソン好みの豊
穣の女神へと変化したのだ。最後の段階は13世紀と14世紀に、彼女の姿が余りにも人
間臭く成り過ぎた時に起きた。アミアン大聖堂の南入口のマリアの姿は、実際のところ浮
気女や今にも浮気をしそうな女へと堕落してしまっている。これは正にゴシック建築にお
けるメ−ソンの影響力を表しているのである。
 石工組合はこれらの秘密の唯一の保持者なのだ。この聖母マリアの変身の過程は、いつ
の日か現実の女性へと適用されるだろう。いやもう現実にそうなっている。馬鹿な浮気女
の大量発生、筆者が改めて指摘するまでもない。
 スト−ン・メ−ソンは神秘的な労働組合として、当時の労働者に対してある種の支配権
を持っていた。そしてフリーメーソン友愛組合と親密な関係を築いていた。余りにも親密
であったので両者を区別することは事実上難しく、また両者は一体となって発展した。両
者の結合は、ヨ−ロッパにおいて騎士道が廃れた時に起きた。現代のメ−ソンは、彼らの
祖先は騎士道精神を体現していたと言うが、これは嘘である。スト−ン・メ−ソンのまっ
たき崩壊は14世紀に始まっている。

 「騎士道の衰退は14世紀になって起こった。都市のマネ−・パワ−が古き農耕社会の
秩序と宮廷の伝統を破壊し、ドンキホ−テ(滑稽なもの−筆者注)へと堕落させてしまっ
たのだ」(−ゴシック彫刻)

 ドイツの友愛組合のメンバ−は、「シュタインメッツェン」と名乗った。グランド・ロ
ッジはシュトラスブルク、ウィ−ン、ケルン、チュ−リッヒに設立された。1459年に
グランド・ロッジが設立されると同時に、シュトラスブルクの大聖堂の親方がドイツのメ
−ソンのグランド・マスタ−になることが決められた。
 シュタインメッツェン(スト−ン・メ−ソン)とフリーメーソンの一般的な違いは、少
なくとも18世紀の初めまではシュタインメッツェンは「実践的」メ−ソンと考えられて
いたのに対し、フリーメーソンは「思弁的」と考えられた点にある。「実践的」メ−ソン
は実際に実在の石を扱うのに対し、「思弁的」メ−ソンは組織的な目的のために象徴的儀
式的な対象として石を用いるのである。最終的には、シュタインメッツェンは完全にフリ
ー(思弁的)メ−ソンへと溶け込んでしまった。
 石垣が単なる象徴に過ぎなくなった時、それは秘密と沈黙を表すものへと変化したので
ある。

 ダウナ−ドが明察したように、フリーメーソンの世界支配の陰謀は14世紀に始まる。
この時キリスト教精神が破壊されて、マネ−・パワ−がそれに取って代わるのだ。
 この14世紀の初めには、世界史的に重要な事件が起こっている。テンプル騎士団の大
弾圧である。1314年3月18日夜、テンプル騎士団の最後の総長であったジャック・
ド・モレ−は火あぶりにされて処刑された。筆者はテンプル騎士団が世界的陰謀の総元締
めであったと考えている。ではテンプル騎士団とはいったい何者なのであろうか。
 1118年−第1次十字軍がイスラムを破り、アンチオキアとエルサレムを占領して、
ゴドフロア・ド・ブイヨンをエルサレムの王に据えてから19年後−、ユグ・ド・パヤン
とゴドフロア・ド・サントメが率いる9人のフランス人騎士の一隊が、聖墓への巡礼者を
守るため修道会を結成した。
 時のエルサレム国王は、この修道会に対しソロモン神殿の広場に面した用地を与えたの
で、以来テンプル騎士団の名で呼ばれる。
 清貧を旨としたテンプル騎士団も莫大な寄付を集めた結果、12世紀末には裕福で強力
な団体になっていた。時のフランス国王、フィリップ端麗王はテンプル騎士団の財産に目
が眩み、それを横取りしようと陰謀を企んだ。
 1307年10月13日、フィリップ端麗王は異端の罪でフランス国内のテンプル騎士
団全員を逮捕させた。ジャック・ド・モレ−をはじめとする多数の騎士は、キリストの否
定や十字架に唾を吐きかけたこと、偶像つまり髭の生えた頭を見せられこれを拝むように
命じられたことを告白した。
 しかしこれらの告白は拷問により強要されたものだった。フランスでは告白を撤回した
54人の騎士が1310年5月12日、異教徒に戻ったとして火あぶりにされた。4年後
の1314年3月18日、ジャック・ド・モレ−も同じ運命を迎えた。
 テンプル騎士団はイスラムの暗殺教団「アサシン」と同盟を結んでいたと言われている
。アサシン(暗殺)という言葉は、この教団に由来する。組織の上級者は若者をハシシで
酔わせて様々な快楽を味わせる。自分は天国にいたと錯覚した新団員は、組織の命令を実
行すれば、永遠の喜びで報いられると信じ込む。こうして彼は殺人に命をかけるようにな
るのだ。アサシンは基本教義としてはイスラムへの忠節を公言していたが、少数の者にし
か明かされない秘密の教義を持っていた。その究極の目的は宗教の外套をまとった少数者
による支配であり、その手段は反対する者の皆殺しであった。アサシンの狂信を通じて機
能する組織的殺人システムが西洋に輸入されて、ヨ−ロッパの秘密結社のモデルとなった
のだ。アサシンは「東方のフリーメーソン」とも呼ばれている。

 以上はテンプル騎士団弾圧に関する「通説」である。だが、陰謀家どもの主張するテン
プル騎士団無罪説、フィリップ悪玉論は真実ではない。彼らは、騎士たちの告白は拷問の
結果なされたものだから真実とは異なる、という。しかし全ての告白が拷問の結果なされ
たわけではない。パリの教皇会議の審問では、多数の騎士が教皇を前にその陳述を確認し
たのだが、ここではいかなる拷問も行われなかった。
 また、テンプル騎士団の財産はフィリップ端麗王に接収されたわけではなく、王自らの
手でエルサレムの聖ヨハネ騎士団に与えられているという事実がある。
 テンプル騎士団異端説にはやはり根拠があったのである。彼らはバフォメと呼ばれる髭
面の両性具有の悪魔を崇拝し、セックス・マジックや首切り儀式に熱中していた。胴体か
ら切り話された喋る生首、これが彼らの本来の崇拝の対象である。おとぎ話ではない。猿
の首のすげ替え実験はすでに成功しているのだ。そのうち人間の首のすげ替えも行われる
ようになるだろう。テンプル騎士団とその後継者が目指している伝説的な目標は、髭面の
男の頭を肉感的な女性の胴体に移植することである。その時こそ、テンプル騎士団が崇拝
した両性具有の悪魔・バフォメが地上を徘徊することになるのだ。
 バフォメは単なる空想の産物などではない。この世に現実に存在している。加え煙草で
下品な言葉を吐き、男のような恰好で街中を闊歩している、それでいて胸とけつだけは張
り出している。こんな生き物を昔はおとこ女と呼んだものだ。筆者はバフォメと呼んでい
る。近年、男と女の性差がなくなりつつある。人類が中性化しつつあるのだ。男と女は対
照的であるからこそ互いに引き合うのである。男女の対照性が消滅してしまえば、陽と陰
の両極性が生み出すダイナミズム、生命力といったものも自然に消滅してしまう。自然の
生命システムが破壊され、残されるものはクロ−ン人間のようなロボット人間だけになっ
てしまう。昔ながらの豊かな自然風景は消滅し、無機的な死の街だけが後に残される。そ
の死の街を徘徊するロボット人間の群れ、これが陰謀家どもの究極の目標なのだ。

 我々の生命力を破壊するエイリアン集団、テンプル騎士団こそ、西欧キリスト教文明に
とっての疫病神であったのだ。彼らは最初に登場した国際銀行家のひな型であり、教会が
高利貸しに対する態度を転換させるのに大いに貢献した。どのような中世の組織も、テン
プル騎士団ほどに資本主義の台頭に力を貸したことはなかった。
 彼らは金融業務に関して優れた手腕を発揮した。これは中東のアレキサンドリアのユダ
ヤ人から学んだ可能性が高い。かくしてテンプル騎士団はユダヤ人を除いては唯一の資本
家集団となったのだ。
 筆者は、テンプル騎士団は魔術結社と同様に二重の組織だったのではないかと思ってい
る。つまり、一部の者は騎士団の秘密の教義を授けられたが、大多数は始めから終わりま
で何も知らされなかった。裏切る恐れがないと高位者が判断した者にだけ、口づてで秘密
が明かされたのだ。テンプル騎士団には顕教と密教があり、表と裏の両面を持っていたの
だ。テンプル騎士団の総長は表の長であり、その代理セネシャルは裏の長ではないかとい
われている。テンプル騎士団の印璽も一匹の馬に二名の騎士が乗るという奇妙な図案であ
る。これはテンプル騎士団が二重の組織であることを象徴していると考えられる。騎士団
は東方正教の信仰を持つと外部には完璧に見せかけた。分団長だけが行き先を知っており
、残りの団員は疑問も持たずついていくだけだった。テンプル騎士団はれっきとした秘密
結社であったのだ。

 そしてこのテンプル騎士団とフリーメーソンが合体しているのだ。フリーメーソンの「
親方」の参入儀礼がテンプル騎士団システムへと変えられた時、ジャック・ド・モレ−は
ヒラム・アビフに取って代わり、3人の暗殺者はテンプル騎士団の内部告発者、フランス
のベジエのスキャン・ド・フレキシアン、フィレンツェのノッフォディそして正体不明の
第3者に置き換えられた。しかしこの第3の男に関しては記録が残っていないので、でっ
ち上げの可能性が高い。フリーメーソン伝説の3人の暗殺者と整合性を持たせるためであ
る。3人の暗殺者とは、フリーメーソン伝説においてソロモンの神殿の建築者ヒラム・ア
ビフを殺害した3人の卑しむべき職人、ユベラ・ユベロ・ユベラムのことである。

 テンプル騎士団とフリーメーソンの繋がりは、フリーメーソン側も公認の事実である。
フランスでのテンプル騎士団裁判中、ピエ−ル・ドモンと7人の騎士はメ−ソン職人の手
引きでスコットランドに逃亡し、マル島に上陸したといわれる。1307年の聖ヨハネの
日(6月24日)に、彼らは最初の憲章を発表した。その後、スコットランド王ロバ−ト
・ブル−スに保護された彼らは、7年後の1314年(ジャック・ド・モレ−が火あぶり
にされた年−筆者注)の夏至・聖ヨハネの日(6月24日)に、スコットランド軍に加わ
って、騎士団を弾圧したイングランド王エドワ−ド2世とバノックバ−ンで戦った。

 エドワ−ドは強力な騎兵をふくむ、2万にのぼる大軍をみずからひきいてスコットラン
ドに侵入した。あと一日でスタ−リング城(イングランドの保持するスコットランド内の
最後の重要な砦−筆者注)に達するという6月24日早朝、スタ−リング南部のバノック
バ−ン(フォ−ス川の支流)に駒をとめていたイングランド軍は、兵力が3分の1に満た
ないロバ−ト軍に急襲された。沼地にはばまれたイングランド軍は戦闘がままならず、フ
ォ−ス川で溺死した者は数知れなかった。捕虜になったイングランド貴族の数も多く、そ
の身代金支払いのせいで「スコットランドは一日にして裕福となった」と、巷間うわささ
れたのである(『イギリス史1』山川出版)

 バノックバ−ンでの決定的な勝利の後、1314年6月24日に、ロバ−ト1世(ロバ
−ト・ブル−ス)は聖アンデレ・あざみ勲位を制定した。この聖アンデレ・あざみ勲位の
象徴は、ヘレダム(ヒアダム)儀式とテンプル騎士団に関係している。
 聖アンデレの祝日の11月30日は、スコットランドのグランド・ロッジの聖餐式の日
であり、聖アンデレ・あざみ騎士は、フランスのメトロポリタン・チャ−タ−(スコテッ
シュ・ライト・メ−ソン)の位階である。また、グランド・スコテッシュ・聖アンデレ騎
士はテンプル位階である。テンプル騎士団とフリーメーソンの密接な繋がりが御理解頂け
たと思う。

 ところで、オカルトの歴史にとって何より重要な世界史的転回点はルネサンスであると
言われている。そのルネサンスと十字軍とは密接な関係がある。
 十字軍の結果、北イタリアの諸都市は東方貿易で栄えた。東方貿易によって、ギリシア
・ロ−マの古典文化を保持していたイスラムとビザンチンから、古典古代の学問が流入し
た。1453年にビザンチン帝国がオスマン=トルコに攻撃されて滅亡すると、ビザンチ
ンの学者がイタリアに亡命してきたので、古典研究が盛んになった。この古典の文献研究
がルネサンスの口火を切ったのだ。
 ルネサンスはフィレンツェで最も早くしかもはなやかに展開した。ルネサンスの巨人で
『神曲』の作者、ダンテはオカルトの秘密結社員で錬金術や占星術に長ずるカバラ主義者
であったことがよく知られている。彼が入団していたのは、テンプル騎士団系のフエデ・
サンタである。イタリア・ルネサンスのオカルト哲学者、マルシリオ・フィチ−ノ(14
33−99)はフィレンツェのコジモ・デ・メディチ一族の中で育った。フィチ−ノはヘ
ルメス文書のギリシア語写本をラテン語に翻訳した。
 ヘルメス文書の著者とされるヘルメス・トリスメギストスは、エジプトの神トトとギリ
シアの神ヘルメスを融合した神話的人物で、その名は「3重に偉大なるヘルメス」を意味
する。紀元前3世紀から後1世紀頃に書かれた同文書は、西洋の神秘思想と魔術の発展に
大きな影響を与えた。
 ヘルメス文書の中で特に重要視されるのは「エメラルド碑板」である。これはフェニキ
ア文字の刻み込まれたエメラルド製の碑板で、アブラハム(あるいはアレクサンダ−大王
)の妻サラによって洞窟の墓場の中から発見された。エメラルド碑板はヘルメス・トリス
メギストスの死体の指でしっかりと握られていたという。
 魔術上の目的で特に重要な箇所は、エメラルド碑板のラテン語版の冒頭の一文である。
「上におけるごとく、下もしかり、下のごとく上もしかり、唯一なるもの驚異を達せんが
ため」これは占星術と錬金術の基礎となる原理で、人類と地上の小宇宙(ミクロコスモス
)と、神と天上の大宇宙(マクロコスモス)が照応関係にあることを示している。
 フィチ−ノの極めて優秀な弟子、ジョバンニ・ピコ・デラ・ミランドラ(1463−9
4)はカバラをグノ−シス主義、ヘルメス主義、新プラトン主義と同化させた。ピコは、
カバラはキリスト教の真理を確定することができる、と信じたのだ。このカバラとはユダ
ヤ神秘主義のことである。
 1492年にスペインからユダヤ教徒が追放されると、彼らの多くはイタリアに行き、
そこでヘブライ語に対する新しい関心と、ユダヤ教の神秘主義的伝統すなわちカバラに対
する熱意とを広めた。ピコの教師がスペインのユダヤ教徒であったことは疑いない。その
中で主だったのは、ピコにカバラ的な写本を提供したフラヴィウス・ミトリダ−テスとい
う謎の人物だった。

 さて、ルネサンスとカバラ魔術の関係が分かると、ルネサンスに対する我々の評価も自
ずから変わって来ざるを得ない。
 古典文化の復興、人文主義(ヒュ−マニズム)、美術の開花、真理や美の追求、キリス
ト教と封建制度にしばられた中世世界からの脱却。一般的には、ルネサンスは無条件で称
賛されている。ルネサンスを批判すると、野蛮人のように思われてしまうのが落ちだ。し
かし筆者に言わせると、ルネサンスの本質、それはずばり「魔術の復活」なのである。魔
術結社はルネサンスを隠れ蓑にして、悪魔的陰謀を企んだのだ。
 ルネサンスの表看板は自由の賛美である。自由の何処が悪い、人はこう反論するに違い
ない。言論の自由、表現の自由、報道の自由、好きなことを空想する自由、好きなことを
する自由(法律に触れない限り、あるいは法律に違反しても捕まらない限りにおいて)、
自由はすばらしい。それはその通りだ。権力者に個人の自由を縛られるのは、誰でも御免
被りたいはずだ。ヒトラ−、ムッソリ−ニ、スタ−リン。ロ−マ教皇、ラスト・エンペラ
−、天皇ヒロヒト。専制主義の悪玉には事欠かない。しかし本質的には彼らの存在は危険
な物ではないのだ。その暴力性があまりにもあからさまで、我々はそれに対して身構える
ことができるからだ。
 しかし、自由、平等、友愛を隠れ蓑にしたファシスト的な階級組織であるフリーメーソ
ンに対しては、我々は完全に無防備だ。自由幻想に酔い、影で邪悪な陰謀が進行している
ことに気付かない。一例をあげると、選挙がある。ファシズム体制下では自由な投票はあ
りえない。デモクラシ−社会では自由で公正な選挙が保証されている。すばらしい。だが
実は、大衆は選挙が公正に行われていると錯覚しているに過ぎないのだ。得票数などは、
裏で完璧に操作されていることに気付かない。一抹の疑いを抱くことすらしないのだ。
 疑いを知らぬ大衆の心理操作、これこそリアル・ポリティックス、真実の政治力学なの
である。その手段は物理的暴力ではなく、詐欺やペテンである。腕力ではなく頭の勝負な
のだ。この時代の悪魔との決戦場は物理的次元にはなく、霊的・精神的な次元にあるのだ
。目に見える暴力と目に見えない暴力、どちらがより危険かお分かり頂けたと思う。

 ルネサンスの魔術師の話を続けよう。黒魔術師の評判の高い、ハインリクス・コルネリ
ウス・アグリッパ(1486−1535)は『オカルト哲学について』の著者である。『
オカルト哲学について』はフィチ−ノのヘルメス主義的魔術とピコのカバラ主義的魔術を
結びつけた集大成である。アグリッパはまたヨハネス・ロイヒリン(1455−1522
)のキリスト教カバラにも影響されている。
 アグリッパは宇宙を3つの世界、つまり元素世界、天空世界、叡智世界に分けている。
彼は「魂の戦車(乗り物)」として、ランタンから漏れる光のように肉体を離れ、あらゆ
る時空を理解し、不思議な領域を探索し、天球層と精神的階梯を通って原型あるいは神へ
とのぼりつめるための、星気体の能力についても言及している。アグリッパは、肉体から
の星気体(アストラル体)の分離、すなわちアストラル・トリップについて述べているの
である。
 このアグリッパに影響されたのが、エリザベス朝イングランドの高名な哲学者、数学者
、占星術師、魔術師、スパイであったジョン・ディ−(1527−1608)である。ア
グリッパのように、ディ−は宇宙は自然界、天空界、超天空界に分かれていると考える。

 アメリカの歴史修正論者であるマイケル・A・ホフマン二世によると、ジョン・ディ−
は近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ−であったという。公の歴史では、近代フ
リーメーソンは1717年6月24日、聖ヨハネの祝日に、ロンドンにある4つのロッジ
が合同して創立されたことになっている。しかしこれはフリーメーソンが歴史の暗闇の中
から彷彿とその姿を現し、公然とエリ−ト階級をリクル−トし始めた時期であって、その
ずっと以前からフリーメーソンが存在していたことはすでに述べた。
 筆者はホフマンの「ジョン・ディ−=近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ−説
」を採らない。しかし、ディ−がイギリス史に果たした役割は非常に大きいと考えている
。そこでジョン・ディ−について簡単に触れておきたい。

 ディ−は1527年にロンドンの近くに生まれた。「妖術師」の悪名の高かったディ−
は、1553年、カトリック女王メアリのホロスコ−プを作成して、女王の薄命を予言し
た。この予言が当局の忌憚に触れて叛逆罪に問われ、ディ−はハンプトン・コ−トに投獄
されてしまった。ディ−の予言どおり、メアリ女王は短命だった。
 1555年、メアリ女王の跡を継いだエリザベス女王は、早くから、ディ−の占ったホ
ロスコ−プで王位につくべき運勢を保証されていた。女王になったエリザベスはただちに
ディ−を牢獄から釈放して、王室数学官に任命し、彼女の載冠式の日取りを占わせた。載
冠式はディ−の指定する1559年1月14日めでたく行われた。
 ディ−は協力者のエドワ−ド・ケリ−と共に、降霊術で天使を呼び出したと噂されてい
る。魔術師であり優れた数学者でもあったディ−は、『ユ−クリッド』のヘンリ−・ビリ
ングズリ−の英訳に寄せた序文にこう書いている。「数により、知られうるものすべての
探究と理解への道が得られる」
 ここには科学と官僚性の基礎となる概念が表明されている。これは西洋哲学における重
大なパラダイム・シフトであった。
 1583年にジョン・ディ−とエドワ−ド・ケリ−はイギリスを後にして、大陸旅行に
出発した。大陸で過ごした歳月の間、ディ−はある種の伝道活動をし、そのことでポ−ラ
ンドのクラコウそしてプラハへ行った。プラハにいた時にディ−はラビ・レ−ヴと接触し
た。
 ボヘミアのプラハはカバラの一大中心地であり、一人の極めて注目すべき魔術師、ラビ
・レ−ヴが16世紀後半のプラハで有名であった。彼はオカルト主義者の皇帝ルドルフ2
世と記念すべき会見を行ない、その際皇帝は実際にこのユダヤ人に精神的助言を求めてい
る。ユダヤの伝説では、レ−ヴは異教徒抹殺の人造人間「ゴ−レム」の創造者であるとさ
れている。
 エリザベス女王の密命を帯びたディ−はこのプラハで、ラビ・レ−ヴと重大な契約を結
んだのだ。その契約とは、イギリスの発展のために国際ユダヤの隠れた支援を取り付ける
ことであった。そのお蔭で、これまではちっぽけな島国に過ぎなかったイギリスが文字通
りの大帝国にのし上ることができたのだ。
 契約の見返りは、ユダヤ人のイギリスへの再入国であった。1290年にエドワ−ド1
世(バノックバ−ンでスコットランド軍と戦ったエドワ−ド2世の父王)はイギリスから
ユダヤ人をすべて追放していた。ただし隠れユダヤ(キリスト教への改宗者)は別である
。その後ユダヤは、エリザベス1世の治世にこっそりとイギリスに再入国することができ
た。ユダヤ人が公然とイギリスに帰還したのは、クロムウェルの時代になってからであっ
た。
 イギリスへの再入国という見返りを約束されて、ユダヤはディ−に協力して大英帝国の
基礎を築いた。そして西洋を支配することになるイギリスの秘密結社の育成をはかったの
である。
 密命を無事に終えた後、ディ−は女王の腹心サ−・フランシス・ウオルシンガムに宛て
て秘密報告を出している。彼は数学者らしく、名前の代わりに数字でサインをした。「0
07」と。オカルトによる世界の宗教改革、それがディ−の目指したものであった。魔術
師ジョン・ディ−こそ、世界史に大きな影響を与えた大英帝国の企画者、女王陛下の秘密
エ−ジェント、「007」であったのだ。

 大英帝国がオカルト秘密結社の前進基地であったことが分かった。そこで今度は、過去
から未来に目を転じてみよう。オカルト秘密結社の創始者、ジョン・ディ−はイギリスで
生まれた。そして新約聖書のヨハネの黙示録に描かれた獣、聖書に予言された反キリスト
もイギリスに生まれているのである。
 これはあくまで筆者の仮説であるとして聞いて欲しい。その反キリストは「ウィリアム
」という名前を持っているはずである。ヨハネの黙示録の獣の数字「666」はいくつか
の写本には「616」とある。ウィリアム「William」のWを二つのVに分解し、
二つのLをIと読む。これを並べ替えると,「I Am VI I VI」となる。ロ−
マ数字「VI I VI」はアラビア数字で「616」のことである。
 この「ウィリアム」という名前を持つ超有名人がイギリスにいる。チャ−ルズ皇太子と
故ダイアナ妃の長男、未来の英国王ウィリアム王子である。ウィリアム王子が即位すると
、彼はウィリアム5世となる。「William V」を並べ替えると、「I Am
VI VI VI」となり、ここに獣の数字「666」が出現するのである。
 チャ−ルズ皇太子とダイアナ妃の変態セックス(セックス・マジック)の賜物、ウィリ
アム王子は1982年の夏至の日、6月21日に誕生している。夏至とは、一年で一番日
が長くなる日である(北半球では)。古代密議宗教では太陽は神として崇拝されていた。
フリーメーソンのシンボルは左目と太陽である。黒魔術師アレイスタ−・クロウリ−が夢
見た「ム−ン・チャイルド(月の子供すなわちダイアナの子供)」であるウィリアム王子
は、未来のイギリスに太陽王として君臨することになるのだ。反キリストとしては申し分
のない血統であろう。
 余談になるが、この太陽王ウィリアムの子分とでも言うべき二人の有名人がいる。ウィ
リアムの愛称はビル(Bill)である。二人の高名なビル、誰あろう、ビル・クリント
ン合衆国大統領とビル・ゲイツマイクロソフト社会長のことである。

 オカルト秘密結社の歴史をおさらいした所で、話をオウム真理教事件に戻す。坂本弁護
士一家殺害事件で登場した3人の暗殺者は、フリーメーソン神話の3人の卑しむべき職人
、ユベラ・ユベロ・ユベラムであることが分かった。
 坂本弁護士一家殺害の目的はもちろん、オウム真理教に殺人者の汚名を着せることにあ
る。フリーメーソンはオウム真理教を潰してしまいたい、しかしそれにはそれなりの口実
がいる。現代日本は民主主義社会である。思想、信仰、結社の自由は保証されている。オ
ウム真理教を武力でもって無理やり解体することはできない。戦前、戦中の治安維持法み
たいなものは適用できないのだ。そんなことをすれば、宗教弾圧であると反撃される。殉
教者を作りあげること程、恐ろしいものはない。宗教とは、迫害をばねにして教勢を拡大
するものだからだ。
 しかし宗教団体が卑劣な殺人を犯した、となると話は別だ。殺人カルトなど、弾圧され
ようが解体されようが誰も文句は言わない。アメリカや日本で、宗教団体による殺人、詐
欺、児童虐待などの犯罪行為や、集団自殺行為が多発するのもそのためである。つまりこ
れは、でっち上げられた犯罪であり集団自殺なのだ。国家権力とは恐ろしいものであり、
その支配の手段が国民に隠蔽される時、とてつもなく危険なものとなる。そしてこの支配
の手段こそ、フリーメーソン秘密結社が部外者から隠してきた「王の技法(ロイヤル・ア
−ト)」であり、リアル・ポリティックス(真実の政治力学)なのである。

松本サリン事件の謎

 まず、図1をご覧頂きたい。これは、松本市地域包括医療協議会が行ったアンケ−ト調
査の結果である。調査対象は、有毒ガス中毒者がでた町内会すべての住民およびその他の
計2052名であった。アンケ−トは中毒事故発生から約3週間後の1994年7月14
日から18日の間に行なわれた。

 最初に自覚症状を感じた時刻
 自覚症状を6月27日の20時から21時の間に感じていた者が5名、21時から22
時の間に感じていた者が8名いた(図1)。自覚症状を感じた時間のピ−クは23時から
24時にかけてであり、全体の30.6%を占めていた。しかし6月28日の朝(6−8
時)にも小さなピ−クがあった。すなわち、自覚症状を感じた時刻は2峰性という疫学現
象を示した。(『松本市有毒ガス中毒調査報告書』より抜粋)

 ところがこの調査結果は、松本サリン事件の検察冒頭陳述と矛盾しているのである。冒
頭陳述にはこうある。

 村井らの乗車する噴霧車等は、平成6年6月27日午後10時30分ころ、前記鶴見方
駐車場に到着し、噴霧車は、同駐車場の東側のフェンスの側に前部を南側に向けて駐車し
、ワゴン車は、同駐車場の西側寄りに前部を同じく南側に向けて駐車した。・・
 そして、村井は、噴霧車の助手席で遠隔操作でサリン貯留タンクの下についているエア
バブルを開けるとともに、銅製容器の加熱及び有圧換気扇の作動をそれぞれ開始するため
、そのスイッチを入れ、噴霧装置を始動させた。
 すると、同午後10時40分ころから噴霧車の噴霧口から気化したサリンが白煙状にな
って噴出し、噴霧車の周りに立ち込め、同駐車場の東側にある池の畔に生えている木立の
上などを通って周囲に拡散された。・・
 村井は、同所で約10分間サリンの噴霧を続けた後、サリンの残量がなくなったと判断
し、端本に対し、噴霧車を移動するよう指示し、端本が噴霧車を発進させ、同駐車場の西
側道路を北方に向け逃走を始め、これを見た富田もワゴン車を発進させ、噴霧車に追従し
て同駐車場から逃走した。

 ここで、検察冒頭陳述の矛盾点を二つ指摘しておく。
1.6月27日の20時から22時の間に自覚症状を感じた人が存在するのに、検察冒
  頭陳述ではサリン噴霧は22時40分から行われたとされている。
2.6月28日の朝6時から8時にも、自覚症状の小さなピ−クがある。言わずもがな、
  6月28日の朝には実行犯はすでに逃走済みである。

 いったい何故、こんな矛盾が生じたのであろうか。これは警察が無理やり、嘘の供述を
松本サリン事件の被告から引き出したからであろう。つまり、オウム真理教=犯人説には
疑問があるということだ。では事件の真実とはどのようなものであったのだろうか。これ
を推測させる記事が存在する。

 なぜ、供述と時刻のズレがあるのか。国際基督教大学の田坂興亜準教授(分析化学)が
、こういう。
 「これは、8時台に少量のサリンを噴霧車を使わず、別の方法で発生させ、10時半過
ぎに大量のサリンを噴霧した。つまり、2段階行った。同じ日に、別の者が実行するのは
考えられず、同一実行犯が2回実行した可能性がある」
 しかし、別の見方もある。「考えられるのは、攻撃グル−プが2班いたのではないかと
いうこと。最初のグル−プが、午後8時台にサリン以外の、例えばホスゲンなどを撒いた
のではないか。その後、第2段階で噴霧車からサリンによる本攻撃を行った可能性がある
」(捜査関係者)(『週刊現代』1996年5月4日号より)

 この記事には、オウム真理教以外の別の真犯人の存在が暗示されている。閑静な住宅街
に毒ガスをばら撒き、罪のない住民を殺害するような凶悪犯が野放しになっているとする
なら、それは恐ろしいことである。こんな記事を書き恐怖のオ−ラを振りまくことが、秘
密結社の支配する日本のジャ−ナリズムの役割の一つなのである。

 地下鉄サリン事件の変

 不審物について

 まずは図2を御覧頂きたい。これは地下鉄サリン事件で、地下鉄日比谷線霞ケ関駅で目
撃された毒ガス発生装置である(『東京新聞』95年3月21日朝刊)。本文記事にはこ
うある。

 営団地下鉄日比谷線霞ケ関駅ホ−ムで至近距離から不審物を目撃した複数の乗客による
と、その“兵器”は透明ビニ−ル袋の中に茶色の箱の形をした紙袋があり、ガラスかプラ
スチック製の瓶の口のようなものが二つあった。この口から透明の液体が流れ出し、包ん
でいる袋に染み、列車の床に液体が広がっていたという

 あれれ、おかしいぞ。オウム真理教の実行犯が傘で突き刺したというサリン入りのナイ
ロン袋とは違うではないか。こう思った人は、催眠術から目を覚ます希望が残されている
。これはどう見ても、ナイロン袋と呼べる代物ではない。四角い箱の中に二つの瓶があっ
て、そこから液体が流れ出している。
 不審物の目撃例はこの他にもまだ沢山ある。

 東京・営団地下鉄の車内で有毒ガスが流出した地下鉄サリン事件で、車内に残されてい
た不審物は、複数の薬品をそれぞれ溶剤に溶かして試験管のようなガラス製容器に詰め、
容器を割って混合させるとサリンが発生する構造だったことが二十二日までの警視庁捜査
本部の調べで分かった。犯行後逃走する時間を稼ぐため、溶剤でサリンが揮発する時間を
調整しようとしたものとみている。
 調べでは、不審物のいくつかは平べったい弁当箱大の包みにおおわれ、内部から割れた
ガラス片が多数見つかった。形状から試験管大のガラス容器とみられる。また日比谷線霞
ケ関駅の電車からはガラス瓶を押収した。一方、別の日比谷線の電車では、異臭がする直
前に、乗客がガラスの割れる音を聞いていた。
 現場の残留物からサリン製造の際に出来るメチルホスホン酸ジイソプロピルエステルが
検出されており、捜査本部は、複数のガラス容器にサリン合成の最終段階の液体二種類を
溶剤に溶かして別々に入れ、倒すなどして容器を割って混ぜ合わせ、サリンを発生させた
と見ている。(『毎日新聞』95年3月23日朝刊)

 ガラス瓶が押収されたと聞いて驚かれた人も多いと思う。しかし警察は口が裂けてもそ
んなことは公言しない。真実が明らかになっては困るからだ。我々一般庶民には、本当に
大切なことは何もあかされないのである。
 このガラス容器が割れる音については、別の証言もある。

 北千住駅から日比谷線に乗り、前から三両目にいた。秋葉原駅で自分の後ろの方でパリ
ンという音がして、シンナ−のようなにおいがした。(『毎日新聞』95年3月21日朝
刊)

 八丁堀−築地駅間では、網棚におかれていたビンが落ちて割れ、その瞬間に一人が倒れ
たという。(『産経新聞』95年3月20日夕刊)

 病院で治療を受けた足立区に住む会社員(32)は、「日比谷線の人形町の手前でびん
の割れる音がした。床が液体でぬれていてシンナ−臭かった。みんなせき込んでおり、け
いれんをおこした人もいた。目の前が真っ暗になった」と話した。(『産経新聞』95年
3月20日夕刊)

 不審物にはガラス容器が含まれていたことは間違いないようだ。犯人がガラス容器を使
ったのは、複数のガラス容器を割ることで中の液体を混合させ、現場で毒ガスを発生させ
るためである。これを専門用語で「バイナリ−方式」と呼ぶ。

 東京の地下鉄サリン事件で、犯行に使われたサリン発生源は、踏みつけるなど衝撃を与
えると容器が割れ、数分後にサリンガスが発生する仕組みになっていたことが二十四日、
警視庁特捜本部の調べでわかった。
 これまでの調べでは、包みの中には二つの密閉された容器が入っており、容器を踏むな
ど衝撃を与えるとそれぞれの密閉パックに入った液体の化学物質が混ざって反応し、サリ
ンが発生する仕組みだった。
 専門家によると、化学防護服などを着けない限り、猛毒のサリンをそのままで持ち歩く
ことはできない。このため、犯人グル−プは、サリン生成の最終工程に使われる毒性の低
い化学物質を別々に溶剤に溶かして、二つの容器に分け、毒ガステロの目的地で混合させ
、サリンガスを発生させる方法を使ったとみられる。
 二種類の化学物質を使用する場所で混合するやり方は「バイナリ−方式」と言われるが
、これだと、サリンガスの発生までしばらく時間がかかり、犯人が電車から降りる直前に
容器を割れば、自分がサリンの被害を受ける危険性は少ない。(『読売新聞』95年3月
24日夕刊)

 一方、佐藤重仁・筑波大臨床医学系助教授(麻酔学)は「自分で容器を開けることは、
自身にも危険だ。サリンの前段階の二種類の液体を別の容器に入れてロケットで打ち上げ
、振動で混じり合わせるという兵器のアイデアを米国が持っていたと聞く。今回も、電車
の振動で液体が混じり合うようにしたこともあり得る」と話している。(『毎日新聞』9
5年3月21日朝刊)

 これまでの調べで、一部の電車内にあったサリンの発生源の容器は中が二つに分かれて
いたことが分かり、警視庁築地署特捜本部は犯人が現場で化学物質を反応させてサリンを
生成したとの疑いを強めている。目撃証言などによると、発生源となった容器は、中が二
つに分かれていたとみられる。(『日本経済新聞』95年3月27日夕刊)

 地下鉄サリン殺傷事件で犯行に使われた不審物は、別々の袋に詰めたサリン一歩手前の
物質とアルコ−ルの一種を車内で反応させてサリンを作る“二液混合方式”だった可能性
の強いことが、二十七日までの警視庁築地署捜査本部の調べで分かった。
 捜査本部は、犯人が新聞紙に包んだ袋に何らかの方法で穴を開け、二種類の薬物を流出
させて混合、サリン発生前に逃走した疑いがあるとみて目撃情報などから容疑者の割り出
しを急いでいる。
 長野県松本市のサリン事件では、容器は見つかっていないが、白煙が上がるなど、現場
でサリンが発生した形跡があり、捜査当局は同じ方式だった可能性が強いと見ている。
 調べによると、地下鉄事件でサリンが発生した五車両のうち、少なくとも二車両の不審
物は、複数のビニ−ル袋を新聞紙で包んであり、袋から液が漏れ出しているのを乗客が目
撃している。

 さらに(1)サリンと一緒に、サリン合成時に副生成物として生じる「メチルホスホン
酸ジイソプロピル」が検出された(2)二車両で不審物から白煙が出ている(3)被害が
出るまでの時間やサリン発生の規模が各現場で異なっている−などの状況が、二つの液体
を混ぜてサリンを発生させた際の特徴と一致しているとみている。

 専門家によると、サリンの生成方法は何通りかあるが、この方式は、生成の最終段階で
、三塩化リンから作る「メチルホスホン酸系化合物」と「イソプロピルアルコ−ル」を混
ぜ合わせ急激な化学反応を起こす。この際「メチルホスホン酸ジイソプロピル」が発生し
、白煙が上がるという。
 被害が出た五本の電車のうち、北千住発の日比谷線では急激にサリンが発生したことを
示す白煙が車内に充満、五本の中で最も被害が大きかった。
 中目黒発日比谷線では、男が不審物を置き去ってから約五分後に異常が起きた。これに
対し、丸ノ内線の一車両では不審物が見つかってから四十分以上経過してから被害が出て
おり、捜査本部は混合スピ−ドの差で被害に違いが出たとみている。(『共同通信』95
年3月27日)

 白煙が出たこと、被害発生までの時間や被害の規模が各車両で異なっていることなどが
、「バイナリ−方式」の特徴と合致しているのだ。隠蔽されたのはガラス容器だけではな
い。事件直後の乗客の目撃証言はさらなる多様性を示している。

 乗客の話では、列車の座席の下に新聞紙に包まれた箱が置いてあったり、ガソリン容器
のようなものが倒れたりしていた。また車内に透明の液体がまかれたという証言もある。
(『朝日新聞』95年3月20日夕刊)

 調べでは、不審物は五本の電車に、それぞれ一つずつ置かれていた。捜査本部が密閉し
て保管しているが、二十五日までに中身を確認したところ、三つは弁当箱くらいの大きさ
の容器が、二つはビニ−ル袋がそれぞれ新聞紙に包まれていたという。(『朝日新聞』9
5年3月26日朝刊)

 日比谷線小伝馬町駅−電車が駅に着いた時、車内に直径、高さとも35センチ位の筒状
の物が二重のビニ−ルに包まれて置いてあった。乗客が「これは危ない」とホ−ムにけ飛
ばした。(『読売新聞』95年3月20日夕刊)

 丸ノ内線池袋駅−午前8時30分ごろ、2両目に乗ったところ、ドア付近に新聞紙に包
まれたものがあった。円柱状で人の頭大だった。(『読売新聞』95年3月20日夕刊)


 不審物の多くは、二十−四十センチ四方の弁当箱状のもので、中には直径約三十五セン
チの筒状のものもあったという。(『読売新聞』95年3月20日夕刊)

 日比谷線−新聞紙かチラシのようなものでくるまれ、ビニ−ルのひもで十文字に結わえ
られた縦、横二十センチぐらいの紙袋が床に落ちているのに気付いていた。(『読売新聞
』95年3月21日朝刊)

 これまでのところ車内にあった新聞にくるんだ不審物から液が漏れ出しガスが発生した
という。不審物は二十センチほどの大きさの弁当箱のような金属製の物体。(『毎日新聞
』95年3月20日夕刊)

 日比谷線−男が車内に置いたとみられる不審物は、直径・高さとも三十五センチ程度の
円筒形で、新聞紙やビニ−ルで包まれており、液体はサリンとみられている。(『東京新
聞』95年3月21日朝刊)

 千代田線国会議事堂前駅では、ホ−ムに居合わせた清掃作業員(65)が午前八時十三
分着の代々木上原行き電車の先頭の床に強烈な異臭を放つ、高さ約三十センチ、幅約十五
センチの白いプラスチック製の水筒のようなものを見つけた。布切れの上に置かれていた
ので、ホ−ムに持ち出し、警察が押収したという。(『東京新聞』95年3月20日夕刊

 車内にはシンナ−のような強い異臭が立ちこめていた。車内を探したところ、床に落ち
ていたビンのような容器に入った白いポリ袋からにおいが出ているのを発見。駅構内の管
理室内に運んだ。(『日本経済新聞』95年3月20日夕刊)



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