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悪魔組織の犯罪04
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/558.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 12 日 00:01:46:

 次ぎに免田事件について見てみる。
 1948年12月30日午前3時すぎ、熊本県人吉市で祈祷師・白福角蔵夫婦が就寝中
に、何者かに鉈のようなもので頭をメッタ打ちにされ、刺身包丁で喉を突かれ、12歳と
14歳の娘たちも重軽傷を負っているのが発見された。
 翌1949年1月13日、人吉市警は免田栄さん(23)をピストルを突きつけて連行
、同月16日、強盗殺人容疑で逮捕した(逮捕状なし)。絶食2日間、不眠3日間の拷問
下に自白を取り起訴。刑事・検事に「地獄へ落とす」と脅迫されていた免田さんは、熊本
地裁八代支部で罪状を認めるが、1949年4月、第3回公判で全面否認、事件当夜のア
リバイを改めて主張した。しかし裁判官は自白調書を全幅に信用するだけで1950年3
月23日死刑判決。1951年12月25日、死刑確定。
 1979年9月27日、福岡高裁は「最高裁白鳥決定」を援用して再審開始決定。19
80年12月11日、最高裁で再審開始確定。1983年7月15日、無罪判決。死刑囚
として日本の行政史上初めての再審無罪。獄中34年6ヵ月、死刑確定囚として過ごした
歳月29年間。

 「最高裁白鳥決定」とは、1975年5月20日に出された白鳥事件(1952年)の
再審請求に対する決定である。この中で、最高裁判所は、再審請求を認めるか否かの判断
の際に、「疑わしいときは被告人の利益に」の原則が適用されるべきである、という画期
的な判断を示した。以後、弘前事件、米谷事件、免田事件、財田川事件、松山事件、徳島
ラジオ商殺し事件などの再審へ道を切り開くことになった。

 免田さんは取り調べの様子について、次のように述べている。

 やがて夜になりました。否認し続ける私は、いつの間にか、冷える床板の上に正座させ
られていました。夜が更けるにつれて寒さは厳しさを加え、シャツ一枚の私の肉を突き破
って骨までしみ通るばかりでした。おまけに、不眠四日目の夜です。体の硬直が、頭のて
っぺんと足の両方から体中に広がって、声もでない状態になりました。
 意識が次第にもうろうとなって、倒れそうになったりすると、刑事たちは、いきなり私
の耳を引っ張ったり、頭を殴ったり、膝に両足をかけてゴリゴリとゆすったりしました。

 「こんなにして取り調べられるのは、おまえも苦しいだろう。早く白福殺しを自白して
、悪かったとあやまれ」「馬鹿な奴だ。さっさと白状すれば、楽になるんだ」
 次第に遠くなるような意識の中で、私は刑事達が口汚くまくし立てるのを、いく度か聞
きました。そのへんが、私の耐えられる精神的、肉体的限界だったようです。

 いやはや、凄まじい拷問である。ところで筆者は冤罪の研究をするうちに、二人の大極
悪人とも言える存在に気づいた。国警静岡県本部刑事課の警部補・紅林麻雄(1908〜
63年)と「法医学界の天皇」古畑種基である。この両名こそ正に死刑判決に相応しい。

 「拷問王」紅林警部補は、幸浦事件(1948年)、二俣事件(1950年)、小島事
件(1950年)で被疑者を拷問で責め落として、自白をとっている。この3事件、1審
2審はいずれも有罪であったが(幸浦事件、二俣事件は死刑、小島事件は無期)、最高裁
で差し戻しとなって、後に無罪が確定した。
 幸浦事件では、被疑者は焼け火鉢を手や耳に押しつけられたと訴え、その火傷の跡が医
師の鑑定によっても裏付けられている。二俣事件では、二俣町署の刑事・山崎兵八が、捜
査主任の紅林麻雄らが少年に対し過酷な拷問をした事実を新聞談話と法廷で内部告発して
いる。その代償は高いものについた。山崎刑事は偽証罪で逮捕され、精神病のレッテルを
貼られて免職、自宅も不審火で焼失したのだ。
 古畑種基は弘前事件(1949年)、財田川事件(1950年)、島田事件(1954
年)、松山事件(1955年)で依頼された鑑定を誤って、被告に有罪判決をもたらした
。このうち、財田川事件、島田事件、松山事件は死刑判決である。ごめんなさいで済む問
題ではない。もっともその謝罪もしていないが。

 以上、列挙した事件は、1940年代、1950年代の過去の事例であるが、現在に至
るまで暴力的取り調べが後を絶っていないことは、先に述べた宮崎事件を見ても分かるだ
ろう。
 このことを例証するものとして、佐藤友之編著『代用監獄33人の証言』から、その手
口を拾いあげてみよう。

 大声で罵倒する。足を蹴る。机をぶつけるように押しつける。椅子ごと蹴り倒す。壁に
向かって長時間座らせる。顔を机に打ちつける。手足をネジりあげる。壁に押しつける。
ボロ椅子に同一姿勢で座らせる。物差しで手の甲や腕を叩く。髪をむしる。両膝を打ちつ
ける。煙草の火を押しつける。目に物を入れる。首を絞める。拳で殴る。線香でいぶす。
膝蹴りで腹を蹴る。パイプ椅子で頭を殴る。

 また、東京三弁護士会合同代用監獄調査委員会が30人の冤罪者を対象に行った調査に
、取調べ時に味わった生理的苦痛に関するものがある。

 手錠のままの取調べを受けた                     7
   うち片手錠での取調べ                      4
   同、両手錠での取調べ                      3
 腰縄つき取調べを受けた                      11
 縄で机などにつながれた                      10
 取調室のイスのため苦痛だった                   23
 机で壁に身体をおしつけられるようにされながら取調べられた     10
 取調べ中まっすぐに坐っているように言われ、疲れて背をまるめたり
  下を向いたりするとどなられた                  22
 大勢の取調官に囲まれて取調べられた                24
 耳もとで大声でどなられた                     25
 わざと顔を近づけてきた                      17
 体にふれないが手をふり回すなどしてビクッとさせた         12
 机をたたくなど体以外の物に暴力をふるっておどした         25
 体にふれる暴力行為があった                    20
 取調べ中トイレになかなか行かせてくれなかった           12
 取調べ中入浴時間なのに入浴させなかった              11
 取調べ中運動時間なのに運動させなかった              16
 取調べ中食事時間に食事させなかった                16
 取調べ中食事を取調べ室でとらされた                21
 取調べ中水が飲みたくても飲めなかった               15
 長時間の取調べで疲れて眠りこみそうだったが、休ませてくれなかった 23
 病気中も取調べられ苦しかった                   14
 その他の生理的苦痛をこうむった                  15

 そしてこの暴力的取り調べを可能にしているのが、悪名高き「代用監獄制度」である。
代用監獄制度とは、被疑者取り調べ権をはじめとする捜査権限をもつ警察が、本来は泥酔
者の保護など行政的措置のための施設としてもつ留置場を、逮捕・勾留された被疑者を収
容し拘禁する施設として代用することを許す制度である。
 代用監獄制度と呼ばれるのは、逮捕・勾留した被疑者を拘禁する本来の場所として刑事
訴訟法が定めているのは「拘置所」であり、留置場を用いるのは例外的な代用的措置に過
ぎないからである。
 拘置所は、逮捕・勾留された者(未決拘禁者)と死刑言い渡しを受けた者とを拘禁する
場所であり、法務省が管理している。留置場は、警察署の建物の一劃にあり警察庁が管理
している。言うまでもないが、拘置所の方が留置場よりもはるかに処遇がよく自由がきく

 被疑者が逮捕されると、検察は23日以内に起訴するか釈放するかしなければならない
。多くの被勾留者は、起訴前は代用監獄に収容されて同一建物の警察取調室で取り調べを
受け、起訴された後に拘置所に移監されるのが実情である。そうすると、勾留下の被疑者
は一つの事件につき最大23日間警察・検察の取り調べにさらされることになる。だが現
実には起訴後勾留の下でも代用監獄で取り調べがなされることがあり、別件逮捕の反復に
よって23日を越える期間の取り調べがなされた事件も少なくない。
 土田・日石事件(1971年)で被疑者となったEは、最初の別件逮捕から総計で11
1日間を警察署の留置場に留置・勾留された。その間ほとんど毎日、警察・検察の取り調
べを受けている。
 拘置所の勾留は、取り調べから解放される時間がある。代用監獄での取り調べにはそれ
が実質上ない。この違いが、虚偽自白をするかしないかの違いになっているのだ。警視総
監公舎爆破未遂事件(1971年)に連座したIは、代用監獄での取り調べについてこう
述べている。

 警察の捕虜というのが正しい。食べ物を与えること(官弁、自弁とも)、運動、入浴な
ど留置場生活の衣・食・住のすべてが、取調警察官の意思で決定される。彼らの機嫌を損
ねる(屈服しないこと)と、最低の生活が続く。長期、長時間の取調べによる睡眠不足(
朝6時起床、取調べ終了夜10時〜11時)。休けいもなく、食事は取調室でとる。屈服
(自白)すると、ガラリと待遇が変わる。代用監獄とは、拷問の延長である。不自由な生
活による精神への圧迫、肉体の磨耗を狙ったものでしかない。

 土田・日石事件や警視総監公舎爆破未遂事件の被疑者は過激派だから、こんな取り調べ
を受けても仕方ないんだ。いくら警察とはいえ、一般市民に対してこんな酷い仕打ちはし
ないだろう。私には関係のないことだ、と思わないで頂きたい。彼らは特殊な例外ではな
い。明日は我が身かも知れないのである。
 犯人を特定できないと、捜査当局はあやしいと思う人を逮捕し(その際、別件逮捕する
ことが多い)、先に述べたやり方で拷問的に被疑者を問い詰める。あやしいとされる根拠
は、アリバイがはっきりしないとか、日頃の素行が悪いとか、無職であるとか、村のはず
れ者であるとか、ゴミをきちんと出さないとか、前科者であるとか、精神病であるとか、
精神薄弱であるとかいったものである。
 取り調べは頭から犯人視するやり方で、アリバイ等確実な無罪証拠を出さないかぎり、
犯人だという前提で自白を迫る。厳しい取り調べに被疑者が耐えられず、その場しのぎの
虚偽の自白をすると、それにあわせて証拠固めがおこなわれ、起訴される。公判で自白は
嘘だったと主張しても、裁判所は耳を傾けず、自白をもとに有罪を言い渡す。
 ある者はそれでも無実を主張して上告するだろう。だが被疑者の中には裁判に疲れ果て
て無実を叫ぶ気力もなく、あきらめて有罪判決を受け入れてしまう者がいるだろうことは
想像に難くない。
 一般の人は例え逮捕されても、警察で無実をどうどうと主張すればよい、話せばきっと
自分の正しさが分かってもらえる、と勘違いしている。それは大間違い、警察は逮捕した
被疑者を犯人であるという前提で取り調べる。「有罪判決までは無罪の推定を受ける」と
いう「無罪推定」の法理念はあくまで建前に過ぎない。

 ここで誤認逮捕された被疑者の心境を推察してみて欲しい。ある日突然逮捕され日常生
活から切り離されて留置場という非日常的空間に閉じ込められ、そこでいつ終わるともし
れぬ過酷な取り調べを受ける。頭ごなしに犯人と決めつけられ、いくら無実を主張しても
警察はまるで取り合ってくれない。正に悪夢である。こんな悪夢が何時間も続くうちに、
被疑者はこの苦しみから逃れるためには「自白」する以外にないと思い込まされてしまう

 「3日」で自白した、「4日」で自白したと聞けば、ああ、あっさり犯行を告白したな
、と我々は思う。しかし被疑者にとってのこの「3日」「4日」というのは、我々の日常
生活における「3日」「4日」と同じではないことはお分かり頂けるだろう。我々も苦痛
を味わっている時には、1時間が何日間にも感じられるものだ。警察の取り調べで被疑者
が感じている苦痛も、ちょうどこのようなものなのだろう。しかも彼らは、いつ取り調べ
が終わるのかという時間的見通しも持てず、この苦しみが永遠に続くのではないかと思っ
てしまう。そしてこの苦しみから逃れる唯一の方法として被疑者に提示されるのが、自白
なのである。彼らが虚偽自白に陥ってしまうのも無理はない。
 また、取り調べる側も被疑者のこのような人間的弱さを熟知しているのだ。あるベテラ
ン刑事は言う。

 人間はな、そんなに強いもんではないよ。細かな所はどうでもいい、キメ手などは出さ
んでもいい、ただ殺しを自供させてくれ、と被疑者をあてがわれれば、3人でも4人でも
同じように自白させてみせるよ。今どきそんなことが、という顔をしているナ。何ならや
ってみるか。お前さんでもいいよ。お前んとこは刑事の手の内を多少聞きかじっているか
ら、少しゆとりを見て、そう3日でいい。3日あったら、お前に殺人を自白させてやるよ
。3日目の夜、お前は、やってもいない殺人を、泣きながらオレに自白するよ。右のとお
り相違ありません、といって指印も押すよ(『自白−冤罪はこうして作られる』風煤社)


 優秀な刑事ならば被疑者を落とすのに3日あれば十分、というわけだ。一度落ちてしま
えば、後は被疑者を誘導して取調官の思い通りの自白を引き出すことは容易だ。この場合
に絶対に間違ってはならない点は、取調官が自白内容を一方的に被疑者に押しつけるとい
うわけではない、ということだ。自白内容とはあくまでも取調官と被疑者の協同の産物な
のである。
 つまり取調官は自白内容そのものを被疑者に明示するのではなく、自分の欲する答えに
向けて被疑者を心理的に誘導し操作していくのである。被疑者は圧力に屈して「私がやり
ました」と言ってしまったあと、さらに犯行筋書にまで想像を及ぼして自白を展開させる
のだ。単に「私がやりました」と言うだけでなく、そう言うことで「犯人になる」ことを
選択するのである。犯人を演じるのだ。虚偽自白の形成過程には、被疑者自身の主体的な
かかわりが欠かせない。

被疑者はどうして犯人を演じるようになるのか?

 では犯人を演じるとは具体的にはどういうことなのだろうか。ここに分かりやすい説明
がある。

 「私がやりました」と言った以上、被疑者は犯行の具体的中身を言葉にしていく以外に
ない。幸か不幸か、被疑者は、自白に追い込まれるまでに、自分がやったのではないその
事件について、かなりの情報を得ている。それは一部にはラジオ、テレビ、新聞などのマ
スコミ情報であろうし、また一部には隣人、知人からの噂であろう。さらに逮捕され取調
べの場におかれてから取調官の口を通して知らされた事実もあろうし、突きつけられた証
拠から類推できることもある。さらには取調官の尋問、詰問の背後に、取調官たちの描い
た事件筋書を透し見ることもできる。否認段階では、これらの事件情報が、自分には無関
係なものとして、ただモザイク的に散在しているだけかもしれない。しかし、ひとたび「
私がやりました」といい、取調官から「どうやったのだ」と問いつめられて、逃れようが
なくなったとき、被疑者はこのモザイクをひとつにまとめて、自分がやった犯行として筋
書を構成せねばならなくなる。誰も教えてくれないとすれば、自分からそうせざるをえな
い。とはいっても、自分がやった行為でない以上、それまでに与えられていたモザイク状
の情報を過不足無く、ひとつのスト−リ−にまとめあげるなどということは、卓抜な推理
小説家でも容易ではあるまい。おまけに、身に覚えのない犯罪を不本意にも自分がやった
と言うところまで追い込まれているのだから、心理的にも穏やかでいられるはずはない。
はなはだしく動揺したなかでモザイク情報をつなぎ合わせる作業は、そうそううまくいか
ない。矛盾につきあたるたびに、取調官の追及をうけ、追及の結果、矛盾を訂正して、あ
らたな供述を行う。そうして、やがて他の客観的証拠と大枠において一致する供述にまと
められていくことになる。(浜田寿美男『自白の研究』三一書房)

 さてここまで読み進められた読者は、一つの疑問を抱いていることだろう。いったい警
察は被疑者を無実と知っていて、意図的に犯人に仕立て上げているのだろうかと。ごもっ
ともな疑問である。もしそうなら、これはフレ−ム・アップ事件(でっち上げ事件)であ
る。もちろん、冤罪がフレ−ム・アップ事件である場合もあろう。だが犯人をでっち上げ
ようとする捜査官の中には、確実にオカルト秘密結社の回し者も含まれている。この場合
は犯罪は黒魔術の儀式として行われ、警察は真犯人を逃がしスケ−プ・ゴ−トを逮捕・勾
留する役割を担わされている。検察はスケ−プ・ゴ−トを起訴して、裁判官は無実のスケ
−プ・ゴ−トに有罪判決を下す。マスコミはその成果を宣伝し、世論操作に役立てるとい
うわけだ。こんな恐ろしい超国家的な陰謀も現実に存在しているのである。マスコミが書
き立てない犯罪の真の動機については、最後に分析することにする。
 もちろん筆者は、警察官のすべてがオカルト組織の回し者だと言うつもりはない。だが
一般の人が想像しているよりも、警察組織における秘密結社員の数は多いだろうと考えて
いる。スコットランド・ヤ−ド(ロンドン警視庁)におけるフリーメーソンの影響力には
計り知れないものがある。一般の目に触れないところで、日本の警察組織(だけではない
が)もオカルト秘密結社に浸食されているのだ。
 そうは言っても、ほとんどの警察官がそんな悪魔的な陰謀とは無縁であることも確かだ
ろう。それでは警察が被疑者を「有罪推定」のもとに厳しく追及するのは何故なのか。答
えは簡単、そうでなければ被疑者の取り調べなどできないからである。取調官の側に、相
手は罪を犯した者であり、あやまるべき時にあやまるのが本当に犯罪者のためになること
だいう信念がないと、相手を懺悔させることができないからである。ひょっとしたら相手
は無実かも知れないなどという弱気は、取り調べにおいては絶対に禁物なのだ。

 この道徳的正義感にもとづいて被疑者から謝罪を求めるという自白追及のパタ−ンは、
極めて日本的である。もし被疑者が自白し謝罪して更生を誓えば、取調官は温情を示す。
そして「面倒見」が行われる。面倒見とは、取調官が被疑者の面倒をみるという意味であ
るが、具体的には、取調官の見込み通りの自白をする協力的な被疑者に対し、取調室で特
別待遇を施すことである。
 好きなものを飲んだり食ったりさせるとか、家族や友人に電話をかけることを許したり
、配偶者と二人きりにして会わせたり、外出させたりするなど、面倒見の内容は様々であ
る。煙草も吸えるし酒も飲める。署長が一緒に風呂に入って背中を流してくれたりもする
。否認していた時の畜生扱いとは大きな違いだ。
 ところが否認を続け謝罪しようとしない被疑者に対しては、取調官は容赦しない。この
野郎、極悪非道な罪を犯しておいて、この後に及んでまだのうのうと言い逃れしようとし
やがる。ふてえ野郎だ、その腐った性根を叩き直してやる。かくして取調官は被疑者に「
真人間」になるように説教することになる。ではこの「真人間」の説教とは一体どんなも
のなのか。

 仁保事件から例を引く。
 仁保事件とは、1954年10月26日朝、山口県吉敷郡大内村仁保の農業・山根保一
家6人が惨殺死体で発見された事件である。6人とも布団の中で、鈍器様の物で頭部を殴
られ、鋭利な刃物で頸部などを何カ所も刺されていた。

 仁保事件の元被告、岡部保さんの取り調べの録音テ−プから引用する。

 刑事 僕もよう話して聞かしてあげようか、よし、そういうことじゃいけないよ。そう
いうふうじゃ世の中というものは、特に人間の社会というものは、人間というものは、そ
れじゃ通らない。本当の、まっしんの、真人間はそれじゃ通らないんだから、こないだも
言うたでしょう。真人間になろう、真心のある人間になるということをこないだも再三私
が、説いたつもりだ。またほかの刑事さん達からも聞いたじゃろう。ね、真の人間になる
人間性のある人間になるということについては、これはまあ、簡単にはなれないかもわか
らん。精神の修養もせにゃいけんかもわからん。これは、まあいよいよ、簡単に誰しも、
そういう状態にはなれないもんだけど、それをどうしても、気を落着けて、ようく考えて
、また考えに考えて、自分が言うことが間違っておるかどうか、自分が言うことが正しい
かどうかということをよ−く考えて、本当の人間にならなくちゃいけないよ。ええか、今
すぐという。
 岡部 ほいじゃ係長、係長さん、係長さんもほいから主任さんも、部長さんも、あの今
、まあ自分が話したことが間違うちょると、ま、こういうふうに言われるわけです?
 刑事 思うね。

 結局、岡部さんは取り調べに屈して虚偽自白を行うことになるのだが、彼が犯人を演じ
ることを決意した瞬間のテ−プ録音は圧巻である。

 よし、おりゃ犯人になったろ、犯人になったろ、犯人だ、犯人になったんや、おれがや
ったんや思うて、ものすごい自分で犯人になりすましてこう、とってみたんですけど・・


 この岡部さんの発言からは、犯人を演じることを決意した被疑者の心理的葛藤が窺える
。我々は虚偽自白を行った被疑者を、意思が弱かったとして責めることは決してできない
。むしろ、そうせざるを得ない状況に追い込まれた被疑者の心境に思いを致すべきなので
ある。「権力にとって1人や2人の人間を葬るのは、虫をぷしゅっとつぶすようなもん」
と、岡部さんは「無実の死刑囚」の体験を述懐している。

 ところで筆者は様々な殺人事件を調べている時に、この「真人間」という奇妙な単語に
よくぶつかった。多くの凶悪犯たちは、罪を悔い自白したきっかけとして取調官に真人間
になるよう説教されたことを挙げている。吉展ちゃん誘拐事件の小原保しかり、連続婦女
誘拐殺人事件の大久保清しかり、である。小原は、取り調べ担当刑事の平塚八兵衛に「真
人間になって生まれ変わります」という書き置きを残して処刑された。「真人間」になる
よう説教された被疑者は取調官の真情にほだされて、「犯人になる」ことを引き受けるの
だ。自白の瞬間に取調官と被疑者とが手を取り合って泣いたりする場面は、そこにある種
の真情の交換があることを示している。
 再び仁保事件の岡部さんの録音テ−プから例を取ってみよう。ここにA、Bと記したの
は取調官である。

B 邪念を捨てようで、邪念をの。素直に真実を話さにゃいけんで。(30秒位沈黙、鼻
 すすり)どうか。
岡部 やっぱり子供の顔と親父の顔が一番さきに浮かぶなあ(−自分の子供と父の)。
B うん、浮かぶけど話をしてしまわにゃ、の、そりゃ人間じゃからの、君の気持ちはよ
 うわかる、ね。
A 今迄犯した不考というものの償いはじゃね、君がしなくちゃいけないで、君が話すこ
 とによってだね、いいか、君が話すことによってだ、今迄の不孝の万分の一でも、ええ
 かね、事実を話すことによってだ、今迄君が不孝の数々をやったことそのものがで、の
 、万分の一でもそれが報いることができる。うん?そうだろう?それじゃったら君がせ
 んないけれど自分の心のうちをさらけ出して話さなくちゃいけない。ね、赤裸々な気持
 ちにならなくちゃいけない、な。
岡部 話します。主任さんと部長さんがおられるから、手間はとらせません。(20秒位
 沈黙、鼻すすり)
B うん、つらいつらいつらいけど話さにゃあで、のう、の、力や元気を出して、の、す
 がれ、こっちへのう、うん、うん、話をせにゃあねえ、あんた一時も早う楽になるんじ
 ゃからのう(鼻すすり)どうか?
A 僕の手でもね、すがりついて話しなさい。話しなさい。そうしたら力が入るだろう。
 うん、さっき言った、いよいよ純真無垢な精神にならなくちゃいけない。(30秒位沈
 黙、鼻すすり、ため息)

AB 思い切って話しなさい。
A 思い切って話しなさい。
B うん?ね、手間かけたら、またあの感慨がそれるからの、今の気持ちの上で話してし
 まえ、うん?の。
岡部 意気地がないのう、おれは。
B 意気地がないから、こういうことになるのう。意気地を出して話をせにゃあ、のう。
 うん?のう、わしの手の温もりがわかろうが、のう、のうや、血が通うとるんじゃ。せ
 いやから君が言うこともようわかる。

A 心の動揺を静めにゃいけんで。
B 静めにゃいけんのう。
A 静めて話をせんにゃあのう。
 (22秒間、沈黙、水を飲む)
岡部 寒うなった。
B 寒うなったや、ちょっと待て。
 (20秒間、毛布を出すような音)
B 下、敷いちゃろうか、うう、ええよ。うう、ええよ。抱いとっちゃろう、のう、のう
 。わしが抱いとっちゃろう。のうや、こうやってきょうは抱いて寝ちゃるで、わしがの
 う。よし、のう、話してしまおうで。わしがこうやって抱いとっちゃるからのう。どう
 や、安心して話をせいのう、心を落着けてのう、ずっと。
 (40秒間、沈黙)
B うう、何が。
岡部 ようなったのう。
 (5秒間沈黙)
A だんだん神の心になって来るわい、のう、だんだんと、のう。
B 落着いて来るのう、気が。気は落着けんにゃあ、のう。
 (23秒間、沈黙)

 何といういやらしさだろう。取調官は虚偽自白を促すために、被疑者に抱いて寝てあげ
ると言うのだ。そこまでして自白を取りたいのだ。これは善意から出た行為だろうか。犯
人と思い込んだ被疑者を落とすための、策略の一種というのか。あるいは自白を得て犯人
をでっち上げることができれば、例え被疑者が無実であろうと構わないというのか。筆者
は後者であると思っている。読者の皆さんはどうお考えだろうか。
 なだめすかしと脅迫、飴と笞は尋問の普遍的スタイルである。良くも悪しくも取調官は
被疑者にある種の人間関係を押しつけ、同じ土俵に乗せることで、自白を引き出していく

 そしてこの取調官と被疑者の奇妙な人間関係は、拘留中、裁判中、服役中、さらには処
刑の時まで続くことがあるのだ。処刑の時まで犯人を演じる元被告の心理は、通常の感覚
では理解しづらい。今までの過ち多き人生を反省した。取調官の人間性に感銘を受けた。
死刑判決を受けてもいい、生まれ変わって人生をやり直そう。例え私が無実であったとし
ても、運命を素直に受け入れて犠牲となることで人生の花を最後に咲かせよう。それによ
って社会に一石を投じることができるかもしれない。
 また、キリスト教牧師などの教誨師が果たしている悪魔的役割も見逃せない。彼らは被
告に殉教の美徳を説き、素直に罪を認めて処刑されることは崇高な自己犠牲的行為である
と言いくるめてしまう。牧師よ、だったらお前らこそ死刑台の階段を登ってみろ、と筆者
は言いたい。
 正直に言って筆者も、犯人を演じる被告の心のうちを推し量ることは難しい。だが現実
にこういう被告が多数、存在しているのだ。もちろん単に無実を主張するのを諦めてしま
った被告も大勢いるに違いない。ここにもう一歩の所で、取調官に屈しそうになった被疑
者の例がある。

 土田・日石事件から例を引く。
 日石事件は、1971年10月18日、東京・西新橋の日本石油本館内の地下郵便局で
2個の小包郵便物が爆発した事件。宛名は、当時警察庁長官であった後藤田正晴、今井栄
文新東京国際空港公団総裁あてとなっていた。この爆発で局員1人が重傷を負った。
 土田事件は、1971年12月18日、東京・雑司ケ谷の当時の警視庁警務部長・土田
国保宅で小包郵便物が爆発し、民子夫人が死亡、家人1人が負傷した事件である。
 捜査当局は1973年3月12日、赤軍派系の活動家であった増淵利行(27)をはじ
め、4人を殺人・殺人未遂容疑で逮捕し、のちその交友関係などから10数人を逮捕した
。しかし、捜査の過程での捜査当局のでっち上げが、公判中に明らかとなり、1985年
、相次いで全被告に無罪が確定、戦後最大のフレ−ム・アップ事件となった。

 土田・日石事件の元被告Eは、諦めの心境を手記にこう書きつけている。

 ほとんどの者(共犯とされた被疑者たち−筆者注)が認めている以上は事実を言った所
で裁判には勝てる訳がない。だいいち今までの例のように何十年もの裁判にはとても耐え
る自信はなかった。まして何十年も裁判をしてそれで有罪になったらそれでもう人生はお
しまいだ。争うにはあまりに相手が強すぎる。それにあまりに世間の風当たりが強すぎる
。警察のPRは強力だ。今さら無実を叫んだところで誰も信じないだろうし、過激派の連
中はとんでもない事を言い出すと思われるのが精々だと思った。

 「今さら無実を叫んだところで誰も信じない」と被告が諦めてしまうのはマスコミにも
責任がある。センセ−ショナルに事件を報道していたずらに世間を騒がし、被告(まだ有
罪と決まったわけではない)やその家族に対する集団リンチを煽る。人権も何もあったも
のではない。裁判で有罪が確定するまでは被告を犯人と見なしてはならない。こんな当た
り前のことを、世間の人は分かっていない。

 土田・日石事件の元被告Rは言う。

 事の重大さに気付いた時には、もうどうにも身動きできない状況になっていた。あまり
に多くの自白調書が積み重なると、よほどのキッカケがない限り否認することはかなりの
勇気が必要になってくる。

 被告が無実主張を諦めてしまう背景には、自白してしまったという事実の重みが存在し
ていた。一度自白してしまったら、公判でいくら無実を主張しても単なる言い逃れだと思
われるのではないか。自白は本意ではなかったと証明することもできない。今さら無実を
叫んでも誰も信じてくれないだろう・・。自白は警察や検察、裁判官だけでなく、自白し
た本人をも縛りつけて身動きできなくしてしまう。
 そしてこの自白を短期間に引き出す取調官の高等技術に、アリバイの追及というものが
ある。取調官は被疑者にアリバイを執拗に要求し、その証明ができないことは自分が犯人
であることを認めていることと同じだという絶望的心境に陥れる。
 本来、被疑者が無実を証明する必要などはさらさらない。取調官の側が被疑者の有罪を
立証しなければならないのだ。だから被疑者が黙秘を貫き取調官の土俵に乗らなければ、
自白に陥ってしまうことはない。しかし現実的には、被疑者が最後まで黙秘を貫くことは
大変難しいと言える。
 そもそも被疑者は警察という組織をまるで理解していない。警察を単なる法の執行者、
市民の下僕であるとは見ず、ある種の道徳的権威を有するものだと思っているのだ。ここ
に被疑者の落とし穴がある。アメリカ人の対応はこれとはまったく異なる。アメリカ人が
捕まった時は現行犯でも時に否認し、悔恨の情を見せず、ただちに法的防御体制を取りは
じめる。戦争で独立を勝ち取ったアメリカ人には、権力に対する反骨精神があるのだ。
 アメリカ人と比べると、日本人のお上に対する態度は江戸時代の百姓のようなものであ
る。強い者には逆らわず弱い者には大きな顔をする、それが日本人的気質なのであろう。
西洋白人には媚へつらい同じアジア人には威張り散らす。日本人が世界中の嫌われ者であ
るのも頷ける。
 左近の警察不祥事で、日本人の警察に対する見方も厳しくなってきたではないか、とい
う意見もあろう。だがこれはあくまでマスコミが主導しているものであって、市民の側か
ら自発的に生じた現象ではない。読者はマスコミに騙されてはいけない。警察の体質は何
ら変わってはいないというのが、筆者の感想である。本当に警察機構を改革したいと思う
なら、代用監獄を廃止せよ!別件逮捕を止めろ!そうすれば市民に対する警官の態度も自
ずから変わってくるだろう。暴力的取り調べができなくなるからである。

 アリバイの追及に話を戻す。逮捕された当初、被疑者は警察の正義を信じている。警察
の正義を信じている被疑者は、容疑を否認し無実を主張する。話せばきっと自分の無実が
分かってもらえると思っている。それに対して取調官は被疑者のアリバイを要求する。ア
リバイが証明できれば、嫌疑は晴れるよと言う。そこで被疑者は身の証を立てるために、
必死になって事件当時の行動を思い出そうとする。アリバイさえ証明できれば、無実が分
かってもらえ、釈放されると思い込む。

 甲山事件を例にとろう。
 甲山事件とは、1974年、兵庫県西宮市甲山町の精神薄弱児収容施設「甲山学園」で
起こった2園児溺死事件である。3月17日、12歳の女児が行方不明になる。その女児
の捜索の最中、今度は19日夜8時過ぎ、12歳の男児が行方不明になった。二人は園内
の浄化槽から水死体で発見された。兵庫県警は内部の者による殺人と見て捜査、保母の山
田悦子(23)さんを逮捕した。

 元被告、山田悦子さんはアリバイに関して取調官にこう言われたという。

 人間が三歩、歩く間に、地上の石がころび、それから空には鳥が飛び交い、そういう状
況すらも説明せなあかん・・わからないことをわからないと言ったらだめだ・・ちゃんと
一分一秒刻みに証明していくのがアリバイの証明だ。

 常識的に考えても、特定の日の特定の時間帯の行動や出来事を分刻みで思い出すことな
どできるわけがない。仮にその日その時何をやっていたか漠然と思い出すことができたと
する。だが自分のやったことを細かく思い出して、一つ一つにかかった時間をどれほど正
確に計算したとしても、それらを積算した後に確実に何分か、あるいは何十分かの空白の
時間が残る。山田さんが攻められたのはその空白の時間だった。
 山田さんにとって問題となったのは、彼女が夜7時半に園に戻って、男児行方不明の報
せを聞いた8時過ぎまでの間のアリバイであった。その4、50分間のうち、どうしても
埋められない時間帯が残った。山田さんはそれを「空白の15分」として追及されること
になる。男児を殺害するのに、理論的には5〜10分あれば足りる。もちろんこれはあく
まで理屈の上の話であって、現実的には不可能なのであるが。山田さんはこの「空白の1
5分」をびっちり埋めることができなければ、アリバイは完成しないと取調官から思い込
まされたのである。そこで山田さんはアリバイを完成しようと必死になった。

 山田さんの供述調書から、その時期の彼女の心境を窺い知ることができる。

 私の19日の行動について、どうしても思い出さない15分ぐらいがあり、気持ちが動
揺しておりました・・19日の行動について、どうしても思い出さないあの15分ぐらい
の時間について、疑われるのも無理ありません。・・私も一生懸命思い出すように努力し
ておりますので、よろしくお願いします。

 これでは本末転倒である。山田さんがアリバイを証明する必要などさらさらない。彼女
が無実を証明しなければならないのではなく、取調官が彼女の有罪を立証しなければなら
ないのだ。だが精神的に追い込まれた山田さんには、そんなことに考えを巡らす余裕もな
かった。強迫観念に駆られた山田さんは、やがてどうしても埋めきれない「空白の15分
」のあいだに、ひょっとして無意識のうちに自分がやってしまったのではないか、と自白
するに至るのだ。
 無意識のうちに自分がやってしまった、とは言っても、彼女は実際にやってもいない殺
人行為をやったかのように思い込まされたのではない。問題の空白の時間に、自分が知ら
ないところでやってしまったのかもしれない、という取調官の論理に抵抗できなかったの
である。アリバイが証明できなければ疑われてもしかたがない、という取調官の視点から
事件を判断してしまったのである。
 こういう例があるから、被疑者は決して取調官と同じ土俵に乗ってはいけないのだ。警
察の取り調べにおいては、相手が何を言おうがどこ吹く風、まともに相手にしてはならな
い。そうすれば虚偽自白などするはめに陥らずに済む。しかしまあ、言うは易し行うは難
し、かもしれないが。
 かくして山田さんはアリバイの証明ができず、どうしようもなくなって自白してしまう
。彼女がもう誰も自分のことを信じてくれないと思って泣き崩れて自白した時、逮捕後や
さしく接し、親身に感じていた補佐役の刑事も涙を落としていたという。うう、いやらし
い。

 ここに孤立無援の状況下に置かれた被疑者の不可思議な心理がある。相手は無実の自分
を捕らえて自白を強要する、憎んであまりある敵なのである。しかしまた取り調べの場で
すがる相手も、当の取調官しか存在しないのだ。被告は取調官に嫌悪と依存のアンビバレ
ントな感情を抱いている。否、そうなるように追い込まれたのだ。
 アンビバレントな感情と言えば、ナチスの強制収容所に捕らわれていた囚人の中には解
放後、またその収容所に戻ろうとした者がいるという話を何かで読んだことがある。常識
的に考えれば、嫌な思い出、苦しい思い出、悲しい思い出しかない強制収容所に戻ろうと
する囚人などいるはずがない。しかしこの世には、常識で割り切れない出来事も存在する
のだ。この点を理解するのに参考となるような心理学の専門用語がある。ストックホルム
・シンドロ−ムである。『イミダス』にはこう書いてある。

 1973年8月23日から28日まで131時間にわたって、スウェ−デンのストック
ホルムにある銀行で、男性の犯人たちが女性職員を人質に立てこもった。この事件の間お
よび終結後、人質が銀行を包囲する警察に対して、恐怖と敵意を抱く半面、犯人に対して
同情、愛情等の親和性を生じさせたことから、同様の現象がストックホルム症候群とよば
れるようになった。
 この現象が起きるのは、・犯人と人質が閉鎖された空間で非日常的体験を共有する、・
両者にとって軍隊、警察の攻撃は死の恐怖をもたらす、・人質の側の無力感が犯人への服
従をもたらすという仕組みによるものであろう。

 以上の3点は、被疑者の代用監獄での取り調べ状況とよく似ている。・の非日常的体験
の共有(被疑者にとっての非日常的体験。取調官は夜になって仕事が終われば家族の待つ
マイホ−ムに帰れる。被疑者は臭い代用監獄でいつ果てるともない夜を過ごす)。・の無
力感というのも分かるだろう。問題は・である。被疑者の取り調べでは、本来は自分の身
の潔白を守るべき警察が、罪を認めなければ死刑になると脅すのである。被疑者の味方は
弁護士(オカルト組織の回し者でない限り)や友人、家族であるはずだが、警察は欺瞞を
用いて被疑者と弁護士の信頼関係を裂き、家族はもうお前のことは犯人だと思って諦めて
いる、と嘘をつく。共犯関係で逮捕された友人はすっかり白状して、お前が主犯であると
言っているぞと友人間の敵意を煽る。こうして被疑者に残された唯一の相談相手は、取調
官しかいないという状況を作るのである。

警察によるアリバイつぶし

 ところで警察は被疑者にアリバイ証明を求めると同時に、アリバイをつぶすという卑劣
な手段も行使する。免田事件ではこのアリバイつぶしが行われた。

 免田さんは事件当夜の12月29日の行動について、「同夜は特殊飲食店Mに泊りIと
一夜をすごした」とアリバイを申し立てた。それに対して取調官は嘘だと言って暴力を加
え、本当のことを言えと追及した。
 それだけでなく取調官は、免田さんが当夜一緒に寝ていたと主張するIを誘導して、免
田さんが店に来て泊ったのは12月29日夜ではなく翌30日夜であったと言わせた疑い
がある。Iはその時の事情について、次のように証言している。

 私は警察で栄が来たのは30日であると述べたことがある。私は最初29日といったら
刑事さんが本人は30日といっているといわれたので、それではそうかもわからないと思
い、その頃は年も若いし「ハイ」といいました。

 アリバイが証明できなければ有罪、アリバイがあったらそれをつぶす。これでは被疑者
が取調官の追及から逃れる術はない。こうして被疑者は、取調官の追及から逃れる唯一の
道は犯人であることを認める以外にはないという絶望的心理にまで追い込まれるのである
。そして遂に被疑者は虚偽自白するに至る。

 一度自白してしまった被疑者が犯人を演じることを引き受けて、犯行スト−リ−を構成
していく過程は先に述べた。しかしどれほど苦労して考えても、所詮犯人ならぬ人間が事
件を最構成しようというのであるから無理がある。あらゆる証拠を矛盾なく織り込んだ筋
書がすっきりスマ−トに出来上がるわけはない。そこで取調官は、なんとか自白が真犯人
の自白らしくなるように配慮し、工夫することになる。被疑者もまたそれに同調する。こ
うして、大枠において客観的証拠と一致する自白にまとめられていくのである。

 自白がより真犯人の自白らしくなるためには、いくつかの条件がある。
1.自白の犯行筋書が客観的事実と合致しなければならない。
2.犯行筋書に真犯人しか知りえないものが含まれている。いわゆる「秘密の暴露」があ
 る。
3.犯行筋書に不自然な変転がない。
4.共犯者がいる場合、各共犯者の自白が相互に矛盾せず、互いに支え合う関係にある。


 逆に言えば、虚偽自白には信憑性を疑わせる次のような特徴が見られるということにな
る。
1.客観的事実と矛盾する点がかなりある。
2.「秘密の暴露」がない。
3.合理的説明の困難な変転が随所にみられる。
4.自白相互間の食い違いがある。
 さらにあと二つ付け加えるとすると、
5.実際に体験したことの供述としては、異様なほど詳しすぎる部分と簡単すぎる部分と
 があり、また当然言及されるべき点が欠落している。
6.不自然、不合理なつじつま合わせがある。

 前記のオウム真理教事件を例にとると、井上証言の変転と、井上被告と飯田被告の証言
の食い違いは、虚偽自白の特徴の3と4に当たる。さてここでは、1の客観的事実との矛
盾について、オウム真理教事件と幼女連続誘拐殺人事件とを取り上げて検証してみたい。


 まずは坂本弁護士一家殺害事件に関して、実行犯の一人である岡崎一明被告の証言の矛
盾点について、再び「麻原裁判 これだけの問題点」から引用してみる。

    坂本事件の三ヵ月後、岡崎被告は金を持ち逃げして教団を脱走した。ところが金
を取り返されたので、龍彦ちゃんを埋めた長野県大町に行って現場写真を撮り、警察など
に投書して、麻原被告を脅した。警察は投書をもとに捜索したが、龍彦ちゃんは見つから
なかった。岡崎被告は更に坂本さんや都子さんを埋めた場所についても投書を投函したが
、麻原被告が退職金として金を払うことに同意したので、二つ目の投書は郵便局で回収し
た、ということになっていますね。
 渡辺 この尋問の狙いは「平成二年二月二十日午後に岡崎証人が坂本夫妻の遺体に関す
る投書を東京駅で投函した」という証言を十九日以前の投函という話にならないように押
さえたかったということです。二十日夜、その投書を脅しに使って麻原被告と交渉し、八
百三十万円の“退職金”を受け取ることが決まり、翌二十一日朝に投書を回収した、とい
う。なぜこの流れが重要であるかというと、岡崎証人は自分の法廷での被告人質問で、「
回収した翌日に、龍彦ちゃんの遺体捜索のニュ−スを聞いた」と述べているわけですが、
実際に捜索が行われニュ−スが流れたのは二十一日なんです。二十日午後の投函では回収
の時間的余裕がない。他の理由もあり「坂本夫妻の遺体に関する投書を投函した」のが事
実であるか、大変に疑わしいと言わざるを得ないことになる。
    なるほど。・・

 お分かりになっただろうか。岡崎被告は「21日に投書を回収し、翌22日に龍彦ちゃ
んの遺体捜索のニュ−スを聞いた」と述べているのだが、実際に捜索のニュ−スが流れた
のは21日だったのだ。岡崎証言は客観的事実と矛盾しているのである。

 客観的事実と被告証言の矛盾点は、幼女連続誘拐殺人事件にも見られる。宮崎勤は切断
した幼女(綾子ちゃん)の遺体の胴体部分を埼玉県飯能市の宮沢湖霊園へ捨てた。問題な
のは、その胴体の発見時刻である。

  それでは胴体部分はどうだろうか。
  埼玉県飯能市にある「宮沢湖霊園」は宗教法人光西寺(浄土真宗本願寺派)の経営す
る墓地で、1980年に完成している。ここで、89年6月11日、胴体が見付かった。

 発見者は、この日、光西寺へ法要に向かう途中、墓参りのため宮沢湖霊園に立ち寄った
。墓参りの後、用をたそうとして、簡易トイレの横で、ぬいぐるみのような物体を見付け
た。最初は人形かとも思ったが、人形にしては首も手足もなかったので不審に思い、管理
人に連絡した。軍隊経験から死体を見たことがある管理人は、検視のことを考え死体を動
かさずに、警察に通報した。このときちょうど午前12時ころだったという。
 管理人によれば、死体には、死臭は全くなく、きれいな肌で生ゴムの人形のようだった
。また前日雨が降ったにもかかわらず、泥なども跳ね上がっていなかった。10日午前5
時ころ帰る際に確認したが、遺体には気付かなかったともいう。「現場の駐車場付近は霊
園の管理人が10日午前9時ごろ、掃除したが遺体には気付いておらず、犯人は10日以
降遺棄したとみられている」(共同通信89年6月12日配信)などの報道もあることか
ら、死体が遺棄されたのは11日未明ころだと考えるのが妥当であろう。
 ところが、検察側冒頭陳述には、被告人が胴体を遺棄した時刻は「〔6月〕10日午前
零時ころ」とある。これでは死体の状態が不自然である。
  「ちょうど前の晩に雨が降ったのだから〔それ以前に死体が捨てられたとすれば〕、
うんと体が汚れていてもいいような気がしましたね」
と管理人も言う。
 さらに冒陳では、死体を遺棄した理由として次のようにある。
 「〔被告人は89年6月6日に綾子ちゃんの遺体を自室に運び込んだ後〕死体を電気こ
たつ台上に放置していたが、同月8日に、死体からの臭気が強くなり始めたため、死体を
遺棄しようと考えた。」
 確かに3日も放置しておけば、臭気も強くなろう。同居していた家族(とくに、同じ棟
に居室のあった二人の妹)が気付かなかったのは不思議である。そしてこれも、管理人の
見た遺体の様子(死臭は全くなかった)と矛盾する。(「M君裁判を考える会」会報・第
2号より)

 10日の晩に雨が降ったが遺体は汚れていなかった、しかし検察によると遺体の遺棄時
刻はそれ以前(10日午前零時ころ)というのである。確かに証言と客観的事実が矛盾し
ている。

 次ぎに、2の「秘密の暴露」について検討してみたい。虚偽自白の特徴として、この秘
密の暴露が見られない点があげられることは先に述べた。逆に言えば、自白供述を本物ら
しく見せるには「秘密の暴露」を偽装すれば良いということになる。
 「秘密の暴露」は次の二つの要件を満たさねばならない。
1.供述内容があらかじめ捜査官の知りえなかった事項であること(供述内容の秘密性)

2.その供述内容が、当の供述後捜査官によって客観的な事実と合致すると確認されてい
 ること(供述内容の確認)
 では、前述の二俣事件において行われた「秘密の暴露」について見ていこう。

 二俣事件とは、1950年1月6日夜、静岡県磐田郡二俣町で一家4人が殺された事件
である。両親は頸部を匕首で刺殺、2歳の女児は絞殺、嬰児は母の下で圧死。川の字に寝
ていた他3人の男児は無事だった。
 現場の6畳間の柱時計は11時2分で止まっていた。雪に27┰の足跡が残っており、
手製の匕首と手袋も血染めのまま発見された。
 警察は2月23日、奇術師一家の18歳の少年を別件逮捕、3月17日には殺人で起訴
した。しかし犯行時刻の11時前後には、少年には明白なアリバイがあった。それで警察
は、「実際の犯行は8時半〜9時であり、推理小説をまねて現場の時計の針を指で回し、
アリバイ工作した」という自白をでっち上げた。
 1950年12月静岡地裁浜松支部、1951年9月東京高裁とも死刑。しかし195
3年11月、最高裁は自白の真実性に疑問を呈し(少年の足は24┰、返り血が着衣から
検出されない不自然さ、匕首入手の架空性、柱時計の蓋にガラスがなかった事実、秘密の
暴露はでっち上げなど)、原審破棄、裁判のやりなおしを命じた。
 1957年10月26日、東京高裁で無罪確定。この事件で少年に対して過酷な拷問が
行われたことは前に述べた。

 誤認逮捕された少年は柱時計の針を指で回して犯行時間をごまかした、と自白した。そ
の時少年は、柱時計の文字盤の蓋のガラスが割れていてなかったと述べている。
 この点について取り調べにあたった紅林警部補は第1審法廷で「被告人は現場の時計の
針をアリバイ偽装の為廻した際、蓋をあけた覚えがないからガラスははまっていなかった
と思うと自供したので、その自供に基いて捜査した結果、右時計のガラスは去年8月頃か
ら割れてなくなっていた事実が判った」と証言した。
 この裏付けとして検察は、自供から11日後の3月16日付で「被害者方現場の柱時計
の蓋にはガラスがない」との実況見分調書を作成し、法廷に提出していた。時計の文字盤
の蓋がなかったという、捜査官が知りえなかった事実が自白により明らかにされ(第1の
要件)、その自白に基づいてその事実が客観的に確認された(第2の要件)ことになる。
すなわち、この自白は「秘密の暴露」の要件を満たしていることになる。
 だがちょっと待って欲しい。問題の自白が行われたのが3月5日、事件が起きたのが1
月6日夜である。その間約2ヵ月、警察が時計の文字盤を調べなかったなどということは
あり得ない。最高裁はこの秘密の暴露の要件を否定して、少年の自白の真実性に疑問を投
げかけて、事件を第1審に差し戻したのである。当然の事と言えよう。

 「秘密の暴露」の事例として、今度はこれまたやはり紅林警部補の関与した幸浦事件を
取り上げてみる。幸浦事件とは、1948年11月29日、静岡県磐田郡幸浦村で一家4
人が失踪した事件である。2ヵ月半後、「犯人の自供」に基づき絞殺され埋められていた
死体が松林の砂地から発掘された。
 1949年3月、別件逮捕中の同村の4人は幸浦事件の強盗殺人・死体遺棄等で起訴さ
れた。静岡地裁浜松支部は1950年4月、3人に死刑、1人に懲役1年。1951年5
月、東京高裁は控訴棄却、同死刑。しかし最高裁は1957年2月、重大な事実誤認を指
摘して原審を破棄、差し戻した。1963年7月、無罪確定。

 この事件では、主犯にでっち上げられた近藤勝太郎さんの自白により4人の死体が発見
された。しかし警察は、被害者の一人であった赤ちゃんのおむつが砂地に落ちていたこと
から、死体埋没箇所の捜索を既に行っていたのである。死体は砂の下1メ−トルほどのと
ころに埋められていたが、砂地は柔らかく、鉄棒を差し込むだけで突き当てることも可能
であった。警察はあらかじめ死体埋没現場を察知していたのだ。
 近藤さんは、1949年の2月13日に本件を自白し、死体を埋めた場所を供述して、
地図も描いた。ところが実際に現場に行ってそこを掘ったところ、とても死体を埋められ
るような場所ではなかった。場所が違うと再度の追及を受け、その夜、本当に埋めた場所
を自白した。翌朝現場へ行ったところ近藤さんは正しい場所を指示して、そこから死体が
出てきたのだと、捜査官は主張した。ところが、その夜の供述調書は作成していないし、
またその時作成したという地図は、捜査官たちが紛失してしまったという。何か怪しいと
思うのは、筆者だけではあるまい。
 この事件でも、取り調べで拷問が行われた。軽度の精神薄弱者だった近藤さんの場合、
焼け火箸を手や耳に押しつけられている。捜査主任は、前出の紅林麻雄。紅林が携わった
事件は、他にも二俣事件、小島事件とも最高裁差し戻しとなった。紅林はでっち上げられ
た被告たちが死刑、無期から無罪となることによって、逆に「拷問王」と呼ばれることと
なった。

 最後にもう一つ、「秘密の暴露」の偽装の例をあげておく。
 1974年夏、首都圏の周辺地域で女性への強姦殺人事件が多発した。その年の9月、
前科者のOが別件で逮捕される。別件逮捕の2ヵ月後の11月下旬、Oは千葉県松戸市の
OL殺しを自白する。
 松戸のOL殺し事件とは、1974年7月3日松戸市で行方不明になったOLが8月8
日、自宅近くの宅地造成地に埋められたのが発見されたという事件である。強姦・絞殺さ
れて全裸であった。
 Oの供述によって、OLの衣類や所持品が次々に発見された。まず最初がカサ(11月
30日)、次いで定期入れとサイフ(12月4日)、そして絞殺に用いたと目される被害
者自身のサロペットスカ−トの吊り紐(翌年1月21日)、最後にそのサロペットスカ−
トの本体とパンティストッキングや靴など(2月10日)。しかし、被害者の衣類・所持
品は、警察が既に大々的に捜索を繰り返していた場所から発見されたのである。何故か?

 第1審は「秘密の暴露」を認定していたが、第2審判決(確定判決)は、この点に正面
から疑義を提している。その判決要旨には「被害者の所持品や着衣が被告の指示により発
見されたというにしては、いずれもその指示状況が確たる供述調書などで裏づけられてい
ないのみならず、4回も機会があったいずれの場合も、発見されたときには、被告が立ち
会い、目撃していないという事実は、単に偶然の一致だとして看過できないと思われる」
と、偽装の可能性が示唆されている。
 では警察は何処から被害者の衣類や所持品を持ってきたのであろうか。何処かで新品を
買ってきて被害者の物らしく現場に放置しておいた、と考えてもよい。あるいは被害者が
本当に身に着けていた物を真犯人から預かってきた、とも考えられる。殺人事件で、被疑
者の供述した場所から被害者の死体が発見された、というニュ−スをよく耳にする。最初
は被疑者が犯人であることに疑いを抱いていた人も、ああ、やっぱりそうだったのか、と
納得してしまう。この場合もやはり要注意である。警察と犯人がぐるなら、警察が遺体の
埋めてある場所を知っていても不思議はないからだ。被疑者は誘導されて自白した場所か
ら被害者の遺体が出てきたので、初めはびっくり仰天、最後には諦めの心境になってしま
うだろう。こうなっては、もはや誰が何と言おうと無駄だ。自分の無実を信じてくれる人
はいないだろう、と絶望するに至る。だが一体全体、何故警察は真犯人とぐるになって無
実の被疑者を罪に陥れるようなことをするのか、その答えは最後のお楽しみに取っておこ
う。



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