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その後の「週刊金曜日」:長崎事件犯人視ネットコラムは訂正されたが473号に不可解な投書(9.1)
http://www.asyura.com/0306/nihon7/msg/531.html
投稿者 エンセン 日時 2003 年 9 月 04 日 10:35:56:ieVyGVASbNhvI

 
最近「週刊金曜日」「創」が面白くない理由
http://www.asyura.com/0306/nihon7/msg/367.html

の続きのようです。以下転載。

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その後の「週刊金曜日」:
長崎事件犯人視ネットコラムは訂正されたが473号に不可解な投書(9.1)

 現在、週刊金曜日サイトでは、長崎事件について少年が「犯人」という前提で書かれた部分は訂正されている。

 私は、同誌を批判した内容を岡田編集長にEmailで紹介し、468号と、サイトに掲載されたコラムについては訂正か何らかの釈明を求めていた。その後岡田氏から返答があり、コラムに「不適切な表現」があったことを認め、ネットコラムの訂正を知らせてきた。しかし、468号の訂正については何も触れておらず、473号(8月29日号)の時点では訂正されていない。

 ただし、たとえ本誌では訂正されなくても中嶋氏の批判で誌面のバランスがとれているものと考え、私は473号を読むまでは追加の要求をしなかった。

 それよりも473号の問題は、『長崎幼児殺害事件に関する本誌記事に疑問』という投書が掲載されたことだ。

 鳥井吾朗氏(中学教諭)によるこの投書は471号の中嶋氏のコラムを批判したものだが、その内容には『推定無罪の原則は分かるとして、防犯ビデオに姿が映っていて、一日で少年は容疑を認めている。まず、少年が犯人である、という前提に立たなければ、議論も何もはじまらないのではないか』という記述が含まれている。しかも、その「前提」は鳥井氏にとっては、『今論ずる必要もあることかどうか・・・疑問を感じた』と、あたかも議論の必要もないほど明白であるようだ。

 岡田編集長からの返答とネットコラムの訂正に相反する投書の掲載に唖然とした。

(その隣には中嶋氏を擁護する別の投書もあるのだが、推定無罪原則については何も語っていない。その投書は中嶋氏の隣のページの粟野氏を批判しており、最後に「このような相反する二つの記事を並べる『週刊金曜日』の編集部の姿勢にも疑問を感じました」と締めくくっているが、その投書さえ「相反する二つの」投書を並べるのに利用されているのに思わず苦笑してしまった。

ちなみに私は以前の文章で『粟野仁雄氏(ジャーナリスト)が「長崎で一二歳の中学生が・・・投げ殺したとされる事件を取材して」と書き出したが、これは妥当な表現だ』と書いたが、粟野氏は別の箇所ではしっかり『加害少年』という表現を使っている。)

中嶋氏を批判する投書の誤り
 鳥井氏に対する批判はいずれ中嶋氏(あるいは「人権とメディア」の他のコラムニスト)によってなされるだろうが、ネット上では私が先に批判させていただく。

 鳥井氏は「少年は容疑を認め」たという事実をどのように知ったのだろうか。実のところ、警察の取調べ段階で取り調べられた事実を第三者が知ることはできない。少年が「容疑を認め」たという事実は、その時点で鳥井氏も含め誰も反証できない状態だった。その事実を証拠として提示して弁護側に反証の機会を与えるのが少年審判だ。反証不可能な事実を前提に議論をすすめるのは、司法とジャーナリズムがよって立つ合理主義に反する。だからこそ中嶋氏は次のように書いたのだ。

『少年が「事件を起こした」ことが間違いなく、「事件の背景」が「疑いが濃い」ほどに明らかにされているのならば、家裁はこれから何を調査し、審理するのか』

 少年は大人にくらべ警察の誘導や脅迫の影響を受けやすく、審判中ばかりでなく、「有罪」が決まった後でさえ自白の証拠が反証されることがある。

 その代表例である「草加事件」(1985年)では、少年審判で保護処分決定がなされた当時13歳から15歳の少年たち6人の親に対して被害者遺族が損害賠償を請求した民事訴訟で、03年3月に最終的に請求棄却すなわち少年たちの「実質無罪」の判決が確定しているが、審理の過程で、少年たちは警察の取り調べ段階で全員虚偽の自白をさせられていたことが明らかになっている。

 「防犯ビデオに姿が映って」いたという事実についても、鳥井氏が自身で裏付けたのかどうか私は知らないが、裏付けていないのならば事実を断定的に書くのではなく、「〜新聞の報道によれば」と情報源を明記すべきだ。

 「推定無罪の原則」は、思考の方法であり、ものの見方であり、道徳的原則でもある。この原則に基づき議論することは確かに難しく訓練を要するが、この原則は異端審問の時代を経て、そういう時代を反省して出てきた人類の教訓だ。残念ながら、マスメディアは現代の私的“審問官”として我々の社会に君臨している。その“審問官”に妥協して「犯人である、という前提に立たなければ、議論も何もはじまらない」と開き直る鳥井氏は「推定無罪の原則」が全然分かっていないように私には思える。

誤った議論をなぜ再提示するのか
 しかし、実のところ投書を批判するまでもなく、岡田編集長が一読者に「不適切な表現」と認め、ネットコラムを修正したことと相反する意図に基づく内容の投書を、週刊金曜日が掲載したこと自体が誤りといえる。

 岡田編集長がネットコラムの修正に応じざるを得なかったということは、「少年が犯人である、という前提に立」った記述が、例えば「“Aは非Aである”という前提に立たなければ議論は始まらない」、あるいは「米英が正義であるという前提に立たなければイラク戦争に関する議論は始まらない」という類の、議論を提示するにも値しない誤りであることを認めたわけだ。にもかかわらず、なぜそのような誤った議論をわざわざ再提示して「人権と報道」に関心のある人々を煩わせているのか。

 「週刊新潮」などのような“反人権”と名指しされることのあるメディアさえ、“容疑者が犯人という前提に立ってなぜ悪い”という類の主張をあからさまに提示したという事実は私の記憶にはない(もしあれば、誰か教えていただきたい)。名誉毀損訴訟を抱えるメディアがそのような主張を持ち出したら、裁判が不利になるに決まっているからだ。

 こうなった以上、週刊金曜日には、裁判前に罪に問われている者が「犯人」であることを前提とする議論についてのスタンスを誌面ではっきりさせてもらわなければならない。

「その後」のその後(9.3)
 その後、投書の掲載に抗議するメールを同誌岡田編集長に送った。その返事が来たが、『裁判前に罪に問われている者が「犯人」であることを前提とする議論についてのスタンスを誌面ではっきりさせ』ることについては、明確に断られた。

 その理由というのが、同誌が『「論争する雑誌」を創刊の趣旨の一つとしており、とくに投書欄には様々な意 見を掲載し』たいということらしい。

 「様々な意見」とはいうが、投書の掲載は、くじ引きで決めているのでなければ、何らかの見方に基づいて行われているはずだ。訂正には必ずしもこだわらないから、せめてその見方を明示してほしいという願いは完全に黙殺された。

 どうやら、私は同誌には読者として歓迎されていないようだ。そればかりでなく、私がメールの中で「人権とメディア」の3人のコラムニストとの関係を持ちだしてきたことに対しては、『コラムニストの出方によっては、こちらもそれなりの対応をする覚悟があります』と返事してきた。「対応」によってコラムのページが二倍になってくれるとうれしいのだが(笑)、岡田氏の態度から考えると、それ以外の好ましからぬ「対応」の可能性のほうが高そうだ。

 大人げないなあと思うのは、コラムニストが誌面で反論する前にそういう返事をしてくることだ。しかも、岡田氏と私とのメール交換の結果は、コラムニストに直接の責任はないのに。

 週刊金曜日編集部の体質が見え隠れする。読者を“顧客”とするならば、同誌の“顧客”対応は、私が日頃かかわっている製造業ではおよそ考えられないほどひどい。

 あるメーカーの“顧客”が、製品の不具合に対する苦情の中で、その会社と契約している有力な“客員研究員”と親しくしており、苦情が受け入れなければ今後その“客員研究員”に会う機会があるから不具合について話をするだろうと述べたとする。これに対して同社は“顧客”への返事で、苦情を突っぱねただけでなく、さらに“客員研究員”への「対応」について云々してきたとする。これが経済ニュースで公にされたら、そのメーカーの名声はかなり下がるだろう。これと同じ態度を岡田氏は「人権とメディア」のコラムニスト(客員研究員)や私(顧客)にしているのだ。それがおかしいと思わないのだろうか。

 とはいえ、同誌が今後、犯人視正当化の投書や記事を継続的に掲載することは考えにくい。

 現在の編集委員のうち少なくとも本多勝一氏と筑紫哲也氏は、同誌や他のメディアで、報道における人権擁護に少なからぬ貢献をしてきたことは誰もが認めるところだろう。有名人の報道被害を取り上げた同誌別冊「金曜芸能」は本多氏のほか、落合恵子編集委員も関与している。

 また同誌が今後、コラム「人権とメディア」に『それなりの対応をする』かどうかは、私の責任の範囲外であることをここにあらかじめ宣言しておくが、私の考えでは、そのようなことが起こっても、受けるダメージはコラムニストよりも同誌のほうがはるかに大きいのではないかと思う。

 「金曜日」に「人権とメディア」が連載され始めたのは1997年8月。当時は山口氏ひとりが隔週で連載していたが、のちに浅野氏と中嶋氏が加わり、毎週連載になった。

 連載開始当時は「神戸児童連続殺傷事件」が話題になっていた頃だが、松本サリン事件で犯人視報道がクローズアップされてから二年以上経っていた。同誌の歴史に比べれば、同コラムのこれまでの連載期間ははるかに短い。山口氏はそれ以前は月刊誌「法学セミナー」に連載していた。浅野氏はすでに「犯罪報道の犯罪」シリーズで知られ、様々なメディアにかかわっていた。中嶋氏は共同通信社の現役の記者だ。

 岡田氏のいう『それなりの対応』のうち考え得る最悪の事態が起こるにしても、コラムニストにとっては6年前の状態に戻るに過ぎない。ところが「金曜日」がこの6年間にコラムの連載だけでなく特集でも「人権とメディア」の分野にそれなりの貢献をしてきた事実は動かすことも消すこともできず、コラムに手をつけることは読者に「後退」の印象を与えることとなる。さらに本多氏ら編集委員はどう考えるだろうか。

 「人権とメディア」連載開始よりもさらにずっと後に編集長に就任した岡田氏の「覚悟」とはどの程度のものかは測りかねるが、その「覚悟」の結果が後に“過剰反応による軽率な行動”と評されないことを祈る。

 
http://www.aurora.dti.ne.jp/~osumi/d200309.html

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