★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 戦争35 > 911.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
"War may have killed 10,000 civilians, researchers say" ガーディアン・オンライン版
http://www.asyura.com/0306/war35/msg/911.html
投稿者 TUP速報 日時 2003 年 6 月 19 日 19:30:17:DlnF7rlwhj5Xo

[TUP-Bulletin] TUP速報 112 号 03年6 月18日 
____________________________

今回のイラク侵攻で、どれだけの人達が亡くなったのか。米英
側は、市民の殺傷は最小限に留めたという建前の下、確認作業
を拒否しています。独立した調査グループからは、さまざまな
統計が出ていますが、IBC(イラク・ボディ・カウント)の発表
によると、最悪の場合は、市民の戦没者だけで、10,000人に達
する可能性があるそうです。この数字は、湾岸戦争時の4、5
倍に当たりますが、これら失われた人命については、米軍側が
「合法的な戦闘で発生した傷害や損害について補償する責任は
ない」(*下記参照)と言っているので、なんの補償もなく、
記録さえも残りません。わずかな死者の声だけが、西側のメデ
ィアを通して、聞こえてくるだけです。以下の記事は、そんな
稀な例のひとつです。

*
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,976392,00.html
"War may have killed 10,000 civilians, researchers say"

               (丸田由紀子 / TUPメンバー)
*******************************************************

イラク侵攻戦没者追悼集 (その1) − ある父親の死」

2003年6月5日
スヘア・ミケル
ガーディアン・オンライン版

私の父は、サミ・ミケル・アミン・アル・シャマス。4月7日の
バクダッド市アル・サイダ地区の空襲で亡くなりました。実家
の近くで爆発したクラスター爆弾の破片に当たったのです。他
にも、13人以上の方達が亡くなったそうです。

父は、1933年にバクダッドで生まれ、生涯そこを離れませんで
した。バクダッド大学で会計・財務の学位を取り、財務管理者
として3月開戦時まで働いていました。働くことが好きで、引
退後も仕事を続けていました。

1966年にバスラ市の教師だった母と結婚。1967年に私、1970年
に弟、1976年に妹が生まれました。

父と母は、私達をとても愛してくれました。暖かい家庭をつく
るため、全力を尽くしてくれました。我が家は、カトリックで
、友達の多くはイスラム教でしたが、宗教上の違いで嫌な思い
をしないよう配慮してくれました。

父は、学校や職場での私達の成功を、とても誇らしく思ってい
ました。彼の主な関心事は私達の将来で、1980年以来、イラク
のすべての人達が経験してきた苦難の数々から、なんとか私達
を救いたいと願っていました。

もちろん、父にとって、私達を手放すことはとても辛いことだ
ったと思います。それでも、父は、私達が学業を終えるとすぐ
、母国を離れるよう励ましてくれました。その結果、1991年に
私が渡米し、次の年に私の弟、最後に妹が渡米して、今はそれ
ぞれアメリカで働いています。

私達は、両親をなんとか国外に脱出させたいと思っていました
。しかし、戦争でその計画が遅れ、両親はバクダッドから動け
なくなってしまいました。開戦当初は頻繁に電話できたので、
なんとか出国するよう頼んだのですが、父は、私達の懇請を断
りました。どこか他のところで死ぬくらいなら、自分の家で死
にたいというのです。まるで、なにかを予感しているみたいで
した。

その後、連絡が絶え、次に父の消息が分かったのは、父の死を
知らせるバクダッドからの電話でした。とても信じられません
でした。信じたくない気持ちでいっぱいでした。特に、妹には
ショックだったようです。

父の死の顛末は、次のとおりです。4月7日夜、実家の近隣は、
空襲され、いつものように停電していました。近くで大きな爆
発音を聞いた父は、様子を見に飛び出しました。父は、隣家が
破壊されているのを見つけ、母に見に来るように呼びかけまし
た。母は、ろうそくを探し出し、玄関に出て、父の名を呼びま
したが、なんの応答もありません。母の叫び声に応えて、近所
の人達も駆けつけてきました。探し回ったあげく、彼らが見つ
けたのは、車庫の私道近くに倒れている父の姿でした。父は、
クラスター爆弾の破片に当たったのです。父は、戦争の最終段
階でこの地区に落とされた多数のクラスター爆弾のひとつで殺
されました。

私達の家も、めちゃくちゃで、ガラスはみな壊れてしまいまし
た。母や叔母も、外にいたら殺されていたでしょう。家の中に
いたので助かったのです。父の遺体は、家の前庭に埋められま
した。とても危険な状況なので、他所に運ぶことができなかっ
たのです。戦争終結後、やっと墓地に移動し、葬儀を済ませた
ということです。

可哀想な母。母は、たった一人で、これらの辛い後始末をした
のです。私達を帰国させて危ない目に会わせたくなかったので
す。父は、私達が戦火を逃れ、実家にいなくてよかった、と言
っていたそうです。「お父さんは、望みどおり、とても愛して
いた自分の家で亡くなったのよ」と、母は私達を慰めてくれま
した。

父の魂が安らかに眠りますように。戦争で傷ついた母国に平和
が戻りますように。父は、いつの日か自由なイラクを見ること
を望んでいました。しかし、それを見ないうちに、亡くなって
しまったのです。

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,967223,00.html
"Sami Mikhael Amin Al Shammas, 69"

               (抄訳 丸田由紀子 / TUP)
*******************************************************

 次へ  前へ

戦争35掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。