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イラン革命体制の終焉は近い? [フォーリン・アフェアーズ]
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投稿者 あっしら 日時 2003 年 7 月 11 日 21:24:06:


Iran's Crumbling Revolution?
ジャハンガー・アムゼガー/国際経済コンサルタント、元イラン財務相

 イランは、数カ月以内に大規模な憲政の危機、あるいはより深刻な事態に陥るかもしれない。イデオロギーの破綻と経済運営の失敗によって、イスラム神権政治は正統性をめぐる最大の危機に直面させられている。人々はより大きな自由と法の支配を求めており、市民とメディアはそうした社会におけるイスラムの役割を疑問視している。宗教的指導者たちの覇権が脅かされるなか、イスラム国家崩壊への道がすでにくっきりと見えてきている。


<目次>
・革命がもたらした憂鬱な現実 
・アメリカとイランの不思議な関係
・イランの国内政治力学は
・宗教と不況
・テヘランの春
・イラクとイラン
・国内の潮流に将来を委ねよ


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革命がもたらした憂鬱な現実

 イランが危機的状況にあると警告する欧米メディアの報道が目立ってきている。「イラン民衆はいまにも革命を起こしそうだ。政府は崩壊の瀬戸際に追い込まれている。イランではとかく大きな政治的変動が起きやすい」といった論調だ。これらは、未熟で極端な見方だが、たしかに、改革派が支配するイスラム諮問議会(国会)と、保守派が支配する護憲評議会の激しい対立ぶりをみれば、イラン政治の先行きに不安を感じてもおかしくはない(最高指導者と司法界幹部が指名する聖職者、法律専門家六人で構成される護憲評議会は国会の立法措置に対する拒否権を持っているほか、公選職の立候補者についても事前審査権を持っている)。実際、一九七九年のイラン・イスラム革命後の体制は、現状に失望を感じている「第三勢力」と呼ばれる新世代層の大きな挑戦にさらされている。革命後に生まれた彼らにとって、アヤトラ・ホメイニが約束した公平で自由なイスラム社会などもはや幻想にすぎない。二十五年近くに及ぶイスラム神権政治がこの国にもたらしたのは、政治的抑圧、経済低迷、そして社会不安でしかなかった。しかも、聖職者からなるイラン指導層は、こうした病に対する効果的な処方箋を持ち合わせていないことが、いまや明らかになっている。

 ワシントンは、この混乱が引き起こしている変化を踏まえた慎重な政策をとるべきだし、イラクとの戦争の余波を考えれば、なおさら慎重な政策をとる必要がある。ジョージ・W・ブッシュ米大統領が、「悪の枢軸」としてイランを名指しして以来、この国に対するアメリカの政策をめぐっては、先制攻撃から外交エンゲージメントの幅のなかでさまざまな提案がなされてきた。例えば、イラン政府を動揺させるための秘密工作、内外の反政府グループの支援、反政府系イラン在外メディアへの資金援助、保守派宗教指導層に対する国際的批判キャンペーンの展開などだ。しかしワシントンがどのような政策をとるのが最適かを判断するには、イランがどのようにして現在のような混乱にいたったのか、その経緯を理解しておく必要があるだろう。

アメリカとイランの不思議な関係

 一九七九年十一月に、アヤトラ・ホメイニを信奉する過激派学生グループがテヘランの米大使館を占拠して以来、アメリカはイランとの外交関係を停止している。しかし関係が完全に断ち切られたわけではなかった。外交関係の停止後も、凍結資産問題など、両国間の懸案を調停するための国際法廷がハーグに設置され、両国は国際法廷の場で批判合戦を演じてきた。それだけではない。アフガニスタン復興や麻薬取り締まりをテーマとする多国間会議の場では、同じテーブルに座り、公然と協力もしてきた。アメリカは、イランとの貿易や投資に一方的に制裁措置を適用する一方、人質解放のための武器取引にも水面下で応じてきた。アルカイダのテロ分子やイラクの石油密輸業者の取り締まり、その他をめぐっては、両国の共闘・協調路線が報じられることさえある。ただし、イランもアメリカもこうした接触を発表することは控えている。

 実際、過去二十五年間に和解を思わせる兆しは幾度も見られたが、それでも両国の関係は、いまなお膠着状態にある。アメリカとイランで行われた世論調査によると、双方において関係修復に反対する声はそう強くない。だが、少数の保守派の影響力が大きく、未解決の問題が数多く残されているために、両国の和解を求める努力も実を結んでいない。関係改善に向けたワシントンの意欲を察知したイラン側が、和解のための条件をつり上げつつあることも問題だろう。

 当初アメリカ政府は、国交回復の大きな障害として次の五つのポイントを指摘していた。イランの国際テロ支援、大量破壊兵器(WMD)の開発計画、中東和平交渉への反対姿勢、ペルシャ湾岸諸国に与えている脅威、そして国内での人権侵害である。最近では、近隣諸国への脅威と人権侵害の問題が追及されなくなる一方、イランにアルカイダ分子が潜伏しているのではないかという疑惑が浮上してきている。

 一方、イラン側は、アメリカがイラン革命の正統性を認めること、イランの内政に干渉しないこと、そしてイラン政府に「尊重と対等性」の原則に基づいて対応するように求めてきた。しかしイラン政府の安定基盤が強化され、国際的な孤立状況が和らいでくると、経済制裁の撤廃、在米イラン資産の凍結解除、米海軍のペルシャ湾からの撤退という新条件を加えてきた。クリントン政権が穏健な懐柔路線をとると、聖職者たちはさらに大胆になった。彼らは、イスラエルに対する偏った支援を停止し、過去の経緯をめぐってアメリカ政府に公式の謝罪を求めるようになった。だが、こうした要求で何が強調されるかは、イランの国内政治情勢を映すバロメーターでもあった。

 九七年にモハンマド・ハタミ師が大統領に選出され、その後、彼が二国間の「不信の壁」を取り壊すべきだと語ったのを機に、和解の機運は一気に高まった。クリントン政権末期にそのような機運は特に高まったが、ブッシュ政権に代わると両国の関係は一気に冷え込んでいった。ブッシュはイランをイラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と並ぶ「悪の枢軸」の一角に位置づけ、WMDの開発をはじめとするさまざまなイランの政策を厳しく非難した。ブッシュの発言は、米国内のタカ派を満足させ、対テロ戦争に対する国際的支援を呼びかけ、新たな「悪さ」をすればどうなるか、イラン政府に警告するのが目的だったようだ。

 当然ながら、こうしたブッシュ発言はイラン側の大きな反発を呼んだ。ワシントンがイランの呼び名を「ならず者国家」から「悪の枢軸国」へと変えたことに、イランの亡命反体制派グループは小躍りしたが、一方のイラン政府は憤慨を隠さなかった。テヘランは、ブッシュ発言は「世界規模でのアメリカの傲慢さ」を映し出す何よりの証拠だと批判し、イラン民衆の多くも、これを国家の尊厳に対する重大な侮辱と受け取った。ヨーロッパ諸国や日本などアメリカの同盟国は、こうした対立を前にひどく困惑した。そして、皮肉にも、アメリカの強硬姿勢はイランとイラクを歩み寄らせるという結果を招いた。

 アメリカ政府はこうした外交的痛手を挽回しようと、イラン国内の善玉と悪玉を区別する作戦に出た。ワシントンは、国会及び地方議会議員に「選出された」改革派と、権力を牛耳る「選挙の洗礼を受けていない」宗教指導者の間に線引きをした。ホワイトハウスは二〇〇二年七月十二日に、「自由と人権を求めるイラン市民にとって、アメリカに勝る友人はいない」という声明を発表した。しかしこの声明が、学生たちが民主化を求めて起こしたテヘラン大学での蜂起事件の三周年記念日という微妙なタイミングで発表されたため、再びイラン側の大きな反発を招くことになった。

 ブッシュが非難の矛先を向けた「選挙の洗礼を受けていない」指導者たちは、これを機に市民の反米感情を煽り立てた。強硬なイスラム原理主義勢力をバックとする最高指導者のアリ・ハメネイ、選挙で選ばれた改革派の旗手ハタミ、そしてテクノクラートの支持を集めるラフサンジャニ前大統領(現最高評議会議長)は、「ブッシュの声明はイランに対する内政干渉である」と言明する連名の非難声明を発表した。かつてはイスラム神権政治を厳しく非難し、アメリカの支援を受け入れると期待されていた反体制指導者のアヤトラ・タヘリでさえも三人に同調して反米デモを呼びかけた。実際、改革派の多くは、自分たちの愛国精神が本物であることを示そうと、保守派よりもはるかに強硬にホワイトハウスのメッセージをはねつけた。その結果、テヘランをはじめとする主要都市では政府が後押しするデモが開かれ、ハタミ政権になってからはめったにみられなくなっていた憎悪に満ちた反米感情が噴出することになる。

 この時期、テヘランではある噂が広まっていた。それは、「アメリカの攻勢を口実に、保守派が非常事態宣言を出し、国会を解散してハタミ政権を崩壊に追い込もうとしている」というものだった。噂は現実にはならなかった。しかし、保守派が支配する裁判所は新聞を発禁処分にし、反体制派を投獄し、西洋音楽の教育を禁じ、すべての商店やレストランを夜十二時に閉店させ、社会秩序の名のもとに広く反体制派の抑圧策に乗り出した。

 イランの改革派が挫折しつつあることに気づいたブッシュ政権は、「道義的明快さ」に基づく新たな「二重路線」を打ち出した。米国家安全保障会議(NSC)の高官であるザルメイ・カリルザードは、ワシントンの有力シンクタンクにおいてアメリカの新イラン政策を次のように説明した。今後アメリカは、イランに変化を強要することはせず、自らのイニシアチブで民主化を求めるイラン民衆を支援することに徹する、と。この二重路線政策を文字どおり解釈すると、「アメリカはイランの行動を、破壊的であり、容認できないと考えており、政権交代を要求する。ただし政権交代を実現するのはイラン民衆に任せる」ということになる。二〇〇二年十一月半ば、国務省当局者とアメリカの広報ラジオ局ボイス・オブ・アメリカ(VOA)は、「統治の変化を求める民衆の声に耳を傾けるよう」イラン政府に呼びかけた。だが、ハタミ政権は「内政干渉である」とこれに強く反発した。

イランの国内政治力学は

 こうした二重路線政策の枠内で真に有効な政策が何であるかを見極めるには、イランがなぜ扱いにくい国なのか、その理由をまず理解する必要があるだろう。強いナショナリズムと独立意識、国内政治の複雑なダイナミクス、シーア派教義の柔軟性、第三勢力の台頭といった諸要因がからみ合って、この国はますます対処しにくい存在と化している。制裁、封じ込め、外交圧力などといった、アメリカの過去の戦略でなぜイランを変えられなかったのかも、これら四つの要因の相互作用で説明できる。

 外部からの影響に対する根深い猜疑心と露骨な反発こそ、イランの強烈なナショナリズムの特質だろう。アヤトラ・ホメイニがイランの最高指導者の座についたのも、その宗教的リーダーシップからというよりも、アメリカの干渉からの自由を強く唱道したからだった。国王をワシントンの傀儡として描き出した彼の手法がイラン民衆に強くアピールしたのは、それが、過去二百年に及ぶイギリスとロシアの影響に対する不満と関連づけてとらえられたからでもある。実際、政府が組織したデモ隊が叫んでいた「アメリカに死を」というスローガンよりも、革命後にホメイニが語った「もはやアメリカも好き勝手にはできない」という言葉のほうが、より強くイラン民衆の心に訴えかけるものだった。つまり、アメリカがいかなる新戦略をとろうとも、それが外国による内政干渉という悪夢を少しでも想起させるようなら、それは、間違いなく失敗に終わる。

 イランへの政策を考える際には、こうした強烈なナショナリズム・独立志向とともに、国内の政治情勢にも配慮しなければならない。一般に考えられているのとは逆に、イランの「改革派」も「保守派」も実際には同じ基盤を共有している。いずれもイスラム革命の落とし子であり、非民主的で排外主義的な傾向を持つ一九七九年憲法を信奉している。改革派といっても、ジェファーソン流の民主主義者と呼べる人物はほとんどいない。実際には彼らも、イスラム教やイスラム国家による統合に強くコミットしている。改革派も保守派も、アメリカ的な人権意識は持っていない。したがって、アメリカがどちらかのグループを優遇したところで、意図した目的が実現されることはない。一方、内外の反体制派集団を公然と支持すれば、保守派は改革派に対して「アメリカの手先」という汚名を着せようとするだろうし、逆に少しでもワシントンが保守派に歩み寄れば、改革派はワシントンに裏切られたと感じるだろう。

 また、イランのシーア派聖職者を、近代化や西洋化を拒絶する一枚岩の保守勢力だとみなすのも戦略的に間違っている。シーア派の教義には厳格なヒエラルキーが存在しない。独自に弟子と資金源を持つ十人前後のグランド・アヤトラ(最高位聖職者)が、独自にファトワ(宗教見解)を出しているというのが実態だ。ハタミの「一体型の政治」や「文明間対話」という概念も、彼独自のコーランの解釈に根ざしている。したがってアメリカの戦略は、イラン国内の宗教的多様性を踏まえて、これをうまく政治的変革へと向かわせるものでなければならない。

 一九八〇年代初頭の政府の政策によって起きたベビーブームの結果、現在のイランには「第三勢力」という新世代が誕生している。彼らは、原理主義者が唱える「ベラヤティ・ファギ」(シーア派イスラム法学者による統治)も、ハタミが唱える「イスラム的民主主義」も、現在のイランの厳しい状況に対する解決策とはなり得ないとみている。政治意識の強いこの世代は、七九年の革命を知らないし、八年間に及んだイラクとの「聖戦」に敬意を払うこともない。むしろ彼らは、よりよい未来を手にしたいという夢が挫折していることを苦々しく思っている。この世代は権力からはかけ離れたところにいるあらゆる人々によって構成されており、政治家も少しはいるが、彼らが代弁している社会層はばらばらだ。だが、こうした多様な背景を持つ彼らも、「革命及び革命の余波に対する幻滅、聖職者の政治能力に対する不信」を共有し、これによってまとまりをみせている。第三勢力には、まだ目立ったリーダーもいないし、特別な綱領も持っていない。だが、法が支配する、自由で独立した繁栄するイランの実現という目的を共有し、連帯している。実際、第三世代のメンバーのなかには、国際的な監視のもと国民投票を行って、政教分離を定める新憲法をつくりたいと考える者もいる。

宗教と不況

 イスラム神権政治が大きな岐路に立たされている以上、ワシントンはこの期を逃さずに、イラン国内での政治的決着を促すような計画を考案すべきだろう。いまやイラン政府は、経済発展という「公約」を実現できずに、さらに弱い立場へと追い込まれている。

 ホメイニは独立、自由、そして「ベラヤティ・ファギ」を指導理念として支配的イデオロギーを構築したが、いまや最高指導者の絶対的権力を通じた政治と宗教原理主義の融合もほころびを見せ始めている。九七年には、指導理念を構築した張本人であるグランド・アヤトラのモンタゼリが、コーランは過ちを犯す人間に至上権を与えることを禁じていると表明して、最高指導者の絶対的権力を否定し、これによって秩序にひびが入った。ホメイニの正統性が攻撃されたことによって、中位の聖職者や神学生の多くも、神権政治が日常生活を縛ることを非難するようになり、本来許されない最高権力者のファトワを受け入れなくなったばかりか、ついには、コーランの新解釈さえ認めるようになった。モンタゼリら長老神学者の発言に意を強くした新世代の宗教家たちは、いまや絶対的な宗教権力の正統性に公然と挑戦するようになり、イスラムの宗教改革の必要性さえ口にしている。シーア派の聖地コムの若い神学生のなかには、政教一致が自分たちのためになるかどうかを疑問視する者も出てきている。イスラム政権の人気がないために、国会、地方議会に選出される聖職者が減少し、資金調達源も先細りとなっているからだ。

 最近でもアヤトラ・タヘリが体制批判を行った。二〇〇二年七月にイスファハンの金曜礼拝所の指導職を辞したタヘリは、「宗教的保守派たちは無能で腐敗している」と厳しく批判した。かつては熱心なホメイニの信奉者で、パーレビ時代から革命を唱えていた彼も、失業率の上昇、麻薬中毒者の増加、法律軽視の風潮など、イランを悩ます多くの社会的・政治的・経済的困難を前に、現体制下の統治に疑問を感じるようになった。イスラム神権政治に対する内部からの批判としては、彼の批判がこれまでで最も痛烈なものだった。指導層は当初、無関心を決め込んでいた。だが最高指導者のハメネイ師は、この種の反対論は敵を勢いづかせるだけだと牽制する一方で、自分もタヘリと問題認識の一部を共有していることを認めた。

 ホメイニが実現した政教一致が、繁栄と社会正義を実現できなかったことも、イスラム共和制への信頼を失墜させていった。革命後、年平均の石油収入は二倍に増えたが、経済指標はどんどん悪化していった。いわゆるミザリー指数(貧困指標)も、最悪の数字を記録した。七〇年代と比べて、革命後のイランの平均インフレ率は少なくとも二倍になり、失業率は三倍に増え、一方で、経済成長率は三分の二に落ち込んだ。このため、国民一人当たりの所得は七九年以降、少なくとも三〇%も減少した。さらに政府の統計によると、国民の一五%以上が絶対貧困ライン以下の生活を余儀なくされている(民間機関の調査ではその比率は四〇%に達する)。

 低成長、二ケタの失業率、インフレ、労働生産性の低下、そして石油収入への依存の高まりという状況を前に、政府の施策はほとんど焼け石に水だ。革命後十年間にみられた急激な人口増はなんとか管理可能なレベルへと落ち着いたが、一人当たり所得と所得分配は、ともに政府目標を下回っている。要するに、経済低迷が、イスラム共和制の正統性に対する疑問をますます大きくしているのだ。イラン内務省が最近行った調査によると、市民のほぼ九〇%が現政権に不満を抱いている。このうち二八%が政治体制の「根本的」な変革を求めており、六六%が「緩やかな改革」を求めている。現状に満足しているのは一一%足らずだし、しかも、その大多数は政府に生活を依存している人々と思われる。民間の世論調査では、政府に対する市民の不満がより鮮明に認められる。

 イデオロギーの破綻と経済運営の失敗によって、イスラム神権政治は正統性をめぐる最大の危機に直面させられている。人々はより大きな自由と法の支配を求めており、市民とメディアはそうした社会におけるイスラムの役割、とりわけイスラム法学者による統治概念を政府がどう教えているかを聞きたがっている。

テヘランの春

 いまやイランの保守派聖職者たちは、ゆっくりとした、しかし着実な民主化への流れを力なく眺めるしかない状況に追い込まれている。政治的弾圧を行っているにもかかわらず、国会は膠着状態に陥り、政変の噂が絶えない。宗教的指導者たちの覇権は脅かされ、イスラム国家の崩壊への道が見えてきている。

 国会が膠着状態に陥っているのは、成長した市民社会が、国家機構における政教一致原則を緩和させようと抵抗戦術をとるようになったことと大いに関連している。実際、家族計画、麻薬中毒、環境汚染などさまざまな問題を扱う非政府組織(NGO)が設立されている。労働者は独自に組合を組織し、学生もイスラム学生団体を組織している。新聞の発禁処分などのメディアへの弾圧にもかかわらず、認可出版物の種類は九八年以降二二%も増えている。さらに、ジャーナリストたちは当局の手の及ばないサイバースペースという新たな安全地帯に活動拠点を見いだしている。現在、インターネットにアクセスしているイラン人は百七十五万人に上るといわれ、政治的非主流派のアヤトラのなかには独自のホームページをつくり、信者と連絡を取っている者もいる。彼らが出すファトワが、反体制派の主張のよりどころにされることも少なくない。

 デモ行進、ストライキ、教師たちによるボイコット、非イスラム的衣装を身にまとって風紀警察を冷やかすといった、市民の抵抗運動は日常的な現象になりつつある。例えば数千人の労働者たちが劣悪な労働条件に抗議するデモを行った結果、二〇〇二年には政府が定める最低賃金が引き上げられた。教師のストライキも、教育予算の大幅増として結実し、人権活動家の活動によって、政府も外国の世論に耳を傾けるようになった。ヒューマンライツ・ウオッチも、イラン側が初めて外国の人権監視団と協力し始めた、と最近の報告書で指摘している。さらに、宗教界が認めていた「短期契約結婚」という不可解な制度を、女性団体や政治家、一部聖職者が「合法的売春」と非難したことを受けて、政府もこの制度を実質的に撤廃することに合意した。二〇〇二年十一月半ばには、学生たちの全国的な抗議運動を前にした最高指導者と司法府長官は、改革派学者のハシェム・アガジャリに対する死刑判決の見直しを進めるよう高等裁判所に命じた(もっとも最高指導者は、判事たちに市民の批判を評決の際に考慮しないように求めていた)。

 イランにおける第二の重要な変化は、少数の指導者たちの経済への影響力を弱め、石油依存型の経済を変化させてグローバル経済への統合を図るような、一連の経済政策が導入されたことだろう。保守派の資金源を取り締まれば、彼らの政治力は間違いなく弱まる。実際、イランの有力聖職者たちがこれまで権力を維持できたのは、イデオロギーや宗教的な理由というよりも、経済資源を牛耳ってきたからだ。敬虔なイスラム教徒からの寄付、主要産業の独占体質、コネをもとに下される許認可、特権階級だけに認められる低利の融資や外国為替へのアクセス、そして、広く報道されている銀行詐欺も、聖職者の資金調達を助けてきた。

 だが、ハタミが五年間繰り返し約束してきた経済改革の一部が、ここ数カ月間でついに具体化し始めた。この変化は、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、欧州委員会といった国際機関の圧力によるところが大きい。政府が引き続き外国からの融資を取りつけるには、これらの組織の承認が必要だからだ。一連の改革によって、保守派の資金源を一夜にして断てるわけではないが、多くの重要な領域で彼らは大きな打撃を受けるだろう。

 例えば、二〇〇〇年に民間銀行業・保険業が合法化されたことによって、市民の貯蓄上の選択肢が広がり、国営銀行の預貯金が政治的に利用される危険も低下した。二〇〇二年三月以降、複数存在した為替レートも一本化され、特権的な組織や個人が安くドルを入手できるという腐敗した環境もなくなりつつある。法人税率の引き下げと、宗教慈善財団に対する免税措置の撤廃を主眼に据えた二〇〇一年末の財政改革も、民間投資を促し、潜在的投資家に平等な投資環境を与えることになると期待されている。外国からの投資や著作権の保護を目指した法律の導入によって、最終的には、石油歳入への依存度も軽減されるだろう。二〇〇二年夏に、革命後初めて発行されたユーロ建て国債が大きな成功を収めたことも、石油価格の変動に左右されない新たな外貨収入源の登場を意味する。

 政府は今後数カ月内に、国営企業を民営化の促進と、保守派の経済支配を一段と弱める措置を導入する予定だ。イランの補助金の規模は国内総生産(GDP)の約二〇%にも達し、しかも、ほとんどが都市部の富裕層のために使われている。こうした補助金制度を家計調査に基づく社会保障給付制度へと改めれば、政府の財政負担は大幅に軽減される。さらに課税基準を一本化すれば、複数の省庁が製造や輸入に五月雨式に適用している五十種類以上の課税制度も合理化される。そうなれば、徴税のための無駄なコストが削減され、政治目的に利用されてきた助成金の資金源を断つこともできる。所得税が徴収できない状況にあるため、政府は、代わりに付加価値税を導入することを計画している。これが実現すれば、石油歳入への依存を弱めるとともに、官僚制もスリム化されるだろう。

 輸入に関する割当制度や特別認可制度を廃止して、関税制度に置き換えれば、政治的なコネを持つ集団による輸入部門の独占体質も打破される。時代遅れの一九六八年商法を包括的に修正すれば、小企業部門でのより透明性のある生産的な事業も盛んになる。現行の労働法は、左派のイデオローグが国会を支配していた一九九〇年に導入されたもので、反企業的な色合いが強く、これを改正すれば新たな雇用が創出されるはずだ。膨れ上がった官僚組織をスリム化すれば、貴重な石油歳入が、経済的に不健全なプロジェクトに政治的思惑から投入されることもなくなるだろう。さらにテヘラン証券取引所を政府の監督下にある自立的な組織にすれば、内外の資本を引き寄せることもできるようになる。

 最後に、イランが世界貿易機関(WTO)に加盟し、欧州連合(EU)と貿易協定を締結すれば、国際的な規律とルールが導入され、暗躍する経済マフィアを締め出し、イラン経済に革命的変化をもたらすことができる。WTOが標榜する自由貿易体制は、国家が支配する高度に政治化されたイランの経済システムとは相いれない。だが、WTOに正式加盟したいのなら、イランは貿易自由化から金融の規制緩和や著作権保護にいたるまで、数多くの経済改革を実施しなければならない。こうした新たな改革は、間違いなく既得権を持つ集団からの大きな抵抗を受けるだろうが、イランが、数百万人もの失業者に雇用を与え、国内投資の不調、非石油輸出部門の衰退、乏しい外貨準備という事態を打破したいのなら、グローバル経済への参加以外に道はない。そして、そのためには根本的な経済改革を断行しなければならない。

イラクとイラン

 イランの未来を決める国内の潮流は、地域情勢、とりわけイラクのサダム・フセイン体制が今後どうなるかによって影響を受ける。現在イランは、公式には「積極的中立」策(active neutrality)を打ち出し、国連抜きのアメリカによる先制攻撃は「危険な前例」になると反対している。いずれイラクと同じように自分たちもアメリカの標的にされるのではないか、とテヘランは懸念している。たしかに、サダム・フセイン政権の転覆はイラン政府にとって歓迎すべき事態だが、一方で、イラクに親米政権が生まれれば、イランは周りをアメリカの同盟国に取り囲まれることになる。これもテヘランにとっての懸念材料だ。宗教界の指導層も、民主的で自由なイラクの誕生には警戒感を隠さない。そうなれば第三勢力が改革圧力を強めてくるのが間違いないからだ。

 イラン民衆のほぼすべてが、イラクの分割や解体には反対している。国土の分割となれば、勢いづいたイラクのクルド人に刺激されて、イラン国内のクルド人が立ち上がり、独立国家の形成を求めるようになるかもしれないからだ。また、戦後のイラクが産出能力の限界まで増産できるようになれば、原油価格が下落するのではないか、さらに国際石油資本(メジャー)が、イランを素通りしてイラクの油田開発ばかりを進めるようになるのではないかとも懸念している。ただし現段階では、こうしたさまざまな要因がどうからみ合って事態が進展するかは余断を許さない。

  国内の潮流に将来を委ねよ

 政治的な行き詰まり、経済の低迷、社会の混乱、そしてイラク侵攻の可能性は、いずれもイランにおけるイスラム共和制の存続を脅かしている。とりわけ第三勢力の不満は、すでに覆されることのない大きな変化への流れをつくり出している。革命後において、イランが政治的、イデオロギー的にこれほど分裂した時期はかつてなかった。
 ハタミが大統領権限の強化策に乗り出したことで、政治もやや活気づいてきた。ハタミは、護憲評議会や司法当局が民主化路線をさらに妨害するようなら、自らの辞任もありうると示唆し、国会の最大勢力であるイスラム・イラン参加党の多くの議員も辞職をほのめかしている。

 イランは、数カ月以内に大規模な憲政の危機か、あるいはより深刻な事態に陥るかもしれない。二〇〇二年九月にハタミが国会に提出した二つの法案はいずれも審議中だが、これらは、護憲評議会の拒否権を大幅に制限するとともに、大統領が、イスラム保守派が強い影響力を持つ裁判所に対して憲法を守るように強制する権限を認めることを目的にしている。司法当局が改革派グループの弾圧を強化したのは、ハタミに両法案を取り下げるよう圧力をかけるためだったとみられている。しかし法案が実際に立法化されようとされまいと、国会に提出されたこと自体が、イラン国内政治のダイナミクスにおける大きな転換点となった。

 一時的には民主化に対する揺り戻しが起きる可能性は高いが、イラン民衆はすでに変化の種をまいている。イスラム神権政治の指導者たちが、その収穫の時期を永遠に先送りすることはできない。「イスラム法学者による統治」という独裁的で怪しげなイスラム的概念は、明らかに後退しており、すでに指導者の一部は、ここで折れなければ未来がないことに気づいている。二〇〇二年八月の国会議員百二十五人以上の連名による保守派を厳しく批判した公開書簡は、この点を一層はっきりさせた。

 だが、アメリカがイランの政治的混乱の結末を決めたり、そのプロセスに影響を与えたりできるわけではない。イランの国内情勢が、アメリカの姿勢を決めることになる。宗教的なドグマを遠くの国が打破することはできないし、外国の干渉には格別敏感なイランではなおさらだ。

 アメリカが真に近代的・民主的・平和的なイランの誕生を望むのなら、ワシントンは周到な「様子見」戦略をとるべきだろう。米大統領の怒りも、共感も、そして、民主派と友好関係を結ぶという約束をもってしても、イランに変革を起こすことはできない。したがって、アメリカの重大な国益が深刻に脅かされない限り、そしてイランが明らかに反米テロに関与しているのでない限り、ワシントンは、イランを訳もなく批判したり、恫喝策をほのめかしたりすべきではない。現在加速化している民主化プロセスの流れに任せることが、アメリカにとっても最善の路線となる。イランの国内潮流そのものが、イスラム神権政治の時代はもう長くないことを告げているのだから。


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Jahangir Amuzegar 一九七九年の革命前の王政(シャー)時代には、商務相、財務相、またIMFの役員を務めた。ミシガン大学、カリフォルニア大学などで教鞭をとった経験もある。現在は、国際経済コンサルタント。

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