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拙訳『偽イスラエル政治神話』より「イスラエル国家は、いかなる意味でもユダヤ人の信仰や精神の延長線上にはなかった」Re: 私達はユダヤ人だから
http://www.asyura.com/0306/war36/msg/867.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 7 月 13 日 01:32:30:

(回答先: 【私達はパレスチナを支持する、何故なら私達はユダヤ人だからだ】 Because We Are Jews 投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 7 月 13 日 01:10:12)

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-6.html
『偽イスラエル政治神話』
(その6)著者はしがき2.

総説[以下は初版と同じ]
[中略]
政治的で、国家主義的で、植民地主義的な教義、これらが、一八九七年秋のバーゼル会議で採択された政治的シオニズムを定義する三つの特徴である。天才的でマキャヴェリ的な創設者としてのテオドール・ヘルツルは、この会議の終了に当たり、十分な根拠を持って、《私はユダヤ人国家を創設した》(前出『回想録』)と語ることができた。

 半世紀を経て、第二次世界大戦の直後、実際に彼の弟子たちが彼の政策を忠実に実行し、彼の方法と彼の政策の路線に従って、イスラエル国家を創建した。

 しかし、この国家主義的かつ植民地主義的な政治的計画は、いかなる意味でもユダヤ人の信仰や精神の延長線上にはなかった。

 シオニストの会議がバーゼルで開かれたのは、(ヘルツルが予定した)ミュンヘンでの開催にドイツのユダヤ人団体が反対したためだったし、同時期(一八九七年)に別のユダヤ人団体がカナダでモントリオール協議会を開いていた。そちらでは、当時のアメリカ大陸におけるユダヤ人の中で最も代表的な人物、アイザック・メイヤー・ワイズ法師の提案によって、シオニズムによる旧約聖書の政治的かつ部族的な解釈に根本的に反対し、精神的かつ普遍救済的な予言者の解釈を擁護する動議が可決されていた。

 それにはこうある。

《われわれは、ユダヤ人国家の創設を企むいかなる提案にもすべて同意しない。この種の試みは明らかに、イスラエルの使命についての間違った考え方に起因している。……ユダヤの予言者は第一に、こう説いている。……ユダヤ教の目的は政治的なものでも国家的なものでもなくて、精神的なものであることを確認する。……ユダヤ教が目指しているのは、地上に神の王国を築くために、すべての人々が、まったく一体の偉大な共同体への参加を承認する救世主の時代の実現である》(『アメリカ法師中央協議会年度報告』)

 このような最初の反応の声が、“ドイツ法師協会”にはじまり、“フランス普遍救済イスラエル同盟”、オーストリアの“イスラエル同盟”、同じくユダヤ人ロンドン協会に至るまでのユダヤ人組織から、一斉に挙がった。

 このような政治的シオニズムへの反対の声は、ユダヤ教の精神への愛着から発しており、第二次世界大戦以後もその発言が止むことはなかったが、イスラエル・シオニズムは、国連において様々な局面での各国間の敵対関係を利用し、なかんずくアメリカの無条件な支持を得て、支配的な勢力として他を威圧することに成功し、ロビーの力によって局面を逆転させ、世論においても予言者の立派な伝統に対抗して、イスラエル・シオニストの優勢を勝ち取った。しかし、それでもなお、偉大な精神に満ちた人々の批判の封殺は達成できなかった。

 マーティン・ブーバーは、今世紀のユダヤ思想界を代表する偉大な人物の一人だが、その生涯を通じ、イスラエルで迎えた死に至るまで、信仰としてのシオニズムから政治的シオニズムへの退化と転倒を告発して止むことなかった。

 マーティン・ブーバーは、ニューヨークで、つぎのように明言していた。

《六〇年前に私が、シオニスト運動に加わった時に経験した気持ちは、基本的に私が現在感じているものと同じである。……私は、この国家主義が他者の轍を踏むことのないように、つまり、偉大な希望から出発しながらも、次第に聖なるエゴイズムへと堕落し、ムッソリーニのように敢えて自らサクロ・エゴイズムと自称したり、あたかも個人のエゴイズムよりも集団のエゴイズムの方がより聖なるものだと主張しはじめることのないようにと願った。われわれがパレスチナに戻った時に、決定的な疑問が投げ掛けられた。あなた方がここへ来たのは友人や兄弟としてなのか、近東の共同体の住民の一員となるためなのか、それとも、植民地主義と帝国主義の代表としてなのか?

 目的とそれを実現する手段の矛盾がシオニストを分裂させた。一方は、列強諸国から特別な政治的特権を許されることを望み、他方の、特に若者は、パレスチナで隣人たちとともに、パレスチナと未来のために働くことを許されるよう、ひたすら願った。……

 アラブ人との関係は、つねに完全無欠ではなかったが、それでも、全体としては、ユダヤ人の村とアラブ人の村の間に、良き隣人関係が作られた。

 パレスチナにおける定住のこのような有機的な局面はヒトラーの時代まで続いた。

 パレスチナに向けてユダヤ人の集団を押し出したのは、ヒトラーだが、その集団は、現地で働いて未来を築く準備のある選り抜きばかりではなかった。そこで、選り抜きによる有機的な発展が、安全を保障するために政治的な力を備えることが必要な集団的移民に引き継がれるようになった。……ユダヤ人の多数派は、われわれよりもヒトラーに学ぶ方を選んだ。……ヒトラーが示したのは、歴史が精神の道理ではなくて力の道理に従うものであり、人々が非常に強い場合には人を殺しても罰せられないという事実だった。……以上が、われわれの直面する戦いの状況である。……われわれが提案したのは、“イェフーディ”、……すなわち、ユダヤ人とアラブ人が一緒に暮らすことに満足するだけでなく協力し合うことだった。……そうすることによって、近東の経済的発展が可能になるし、その結果として、近東は、人類の未来への偉大で、かつ本質的な貢献を成し遂げることができるのである》(『ジューイッシュ・ニューズレター』58・6・2)

 彼は、一九二一年九月五日にカールスバッドで開かれた世界シオニスト機構の第12回総会における演説の中で、つぎのように語っていた。

《われわれはイスラエルの精神について語り、われわれはほかの国民とは似ていないと信じている。……しかし、もしもイスラエルの精神がわれわれの国家的なアイデンティティの総合以外の何物でもないとすれば、それは同時に、集団的エゴイズムを、正当化するためのおめかし以外の何物でもないことになる。……これでは、世界の神以外の主人を認めることを拒否してきたわれわれが、偶像崇拝者に変身し、他と同じ国民集団になり、彼らを陶酔させてきたものと同じ盃の酒を飲むことになる。国家は最上の価値のものではない。……ユダヤの民は、国家以上のものである。信仰に結ばれた共同体の仲間なのだ。

 ユダヤの民の宗教は根こそぎにされているが、これこそが一九世紀の半ばに生まれたユダヤ国家主義を兆候とする病弊の本質である。この種の新しい形態の土地への欲望は、現代のユダヤ国家主義が現代の西側諸国の国家主義からの借り物であることを顕著に示す柱石である。……

 イスラエル人の“選ばれた”という観念は、これらすべてのことにどう関係しているのだろうか?

 “選ばれた”というのは優越の意識を示すものではなくて、天職の感覚である。この意識は、他者との比較からではなくて、天命の自覚と、予言者が呼び掛けて止まない仕事をやり遂げようとする責任感から生まれるものなのである。もしも、あなた方が、神に従って生きるのではなくて、選ばれた存在であることを自慢するようなら、それは反逆罪なのである》

 ユダヤ教の精神の腐敗現象としての政治的シオニズムにおける“国家主義者の危機”を思い起こさせながら、彼は、つぎのように結論を下していた。

《われわれは、人々を偶像崇拝に陥らせる誤りから、ユダヤ国家主義を救い出したいと願ってきた。だが、われわれは、それに失敗したのだ》(『イスラエルと世界』)
[後略]

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