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大西洋同盟の危機(防衛庁防衛研究所)
http://www.asyura.com/0306/war38/msg/823.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 8 月 30 日 13:04:42:KqrEdYmDwf7cM

大西洋同盟の危機(防衛庁防衛研究所)
http://www.nids.go.jp/dissemination/briefing/2003/pdf/200308.pdf
本欄は安全保障問題に関する読者の関心に応えると同時に、防衛研究所へ
の理解を深めていただくために設けたものです。

御承知のように『ブリーフィング』とは、背景説明という意味を持ちますが、
複雑な安全保障問題を見ていただく上で参考となれば幸いです。

本欄における見解は防衛研究所を代表するものではありません。

−大西洋同盟の危機− 第2研究部第1研究室長 金子讓

第2研究部第1研究室長
金子讓

■イラク戦争を巡るNATO諸国の対立

2001 年9 月に米国で発生した同時多発テロに際し、NATOは北大西洋条約の規定
に則り1949 年の創設以来初めて集団的自衛権を発動した。こうしてNATOは、米欧
の結束を内外に示したのである。ところが、それから僅か一年足らず後、大量破壊兵
器(WMD)保有疑惑の渦中に置かれたイラクに対する武力制裁の是非を巡り、国連
安全保障理事会を舞台に表面化した米・英と仏・独の鋭い対立は、NATOの将来に
暗い影を落とすことになった。
米国ではイラクに対する武力行使の必要を説くラムズフェルド国防長官が、2003 年
1 月、米国の姿勢に異を唱え、イラクへの査察継続や新たな安保理決議の採択に固執
する仏・独を新たな世界の現実を理解しない「古いヨーロッパ」と非難し、その苛立
ちを隠さなかった。だが、これ自体はNATOの問題ではなかった。ところが、2 月
にトルコ防衛を巡る両者の確執が表面化すると、一挙にNATO運営を巡る対立へと
発展したのである。起こり得るイラクからのトルコ攻撃に備えるために、この同盟国
の領内に早期警戒機や迎撃ミサイルを配備するよう提起した英・米に対し、仏・独が
これを安保理決議を経ないままに対イラク武力行使を正当化する措置に繋がるとして
難色を示したために、NATOの最高意思決定機関である北大西洋理事会が麻痺状態
に陥ったからである。その結果、NATOは同軍事機構から離脱状態にあるフランス
が参画しない防衛計画委員会にこの決定を委ねることで当面の危機を回避した。けれ
ども、問題はこれに留まらなかった。3 月には、米国がイラク攻撃の拠点と想定して
いたトルコが、議会の反対によって米軍への基地使用を拒否したからである。イラク
と同じイスラム教国とはいえ、トルコ軍部の国内影響力を恃みに、さらには、総額60
億ドルに上る無償援助と引き換えに、この対米協力要請が受け入れられるものと期待
していた米国の落胆は大きく、また、これによって米国は対イラク作戦の根本的な見
直しを余儀なくされたのである。

●米欧の異なる戦略観と役割

このようにNATOの行方が危惧される最中、米国で急速に擡頭し始めたネオ・コ
ン(新保守主義)の論客として知られるケーガンが、その著書(Robert Kagan, Of
Paradise and Power: America and Europe in the New World Order (New York: Alfred
A. Knopf, 2003))の中で、冷戦後の世界における唯一の超大国として立ち現れた米国
の力を背景に、米欧関係の将来を次のように展望した。
「今日のヨーロッパと米国は世界観を異にしている。ヨーロッパは、権力( power)へ
の関心を失うとともに、脱歴史的(post-historical)なカント(Immanuel Kant)流
の永久平和の実現に向けて、法や制度、伝統的な交渉や協調に基づく自制的な世界の
創造を目指している。これは美神ヴィーナスに喩えられる。これに対し、米国は、国
際法や規則は信頼に足りず、真の安全や防衛、さらに自由な秩序を獲得するためには
軍事力の保持や使用を必須と見做す伝統的・歴史的なホッブス(Thomas Hobbes)的世
界に留まっている。これは軍神マースに準えることができる。こうして見ると、米国
人とヨーロッパ人が世界観を共有していると考えることは幻想に過ぎず、両者の世界
観の乖離が修復されることはない。また、このために米欧の軍事能力較差が縮小する
こともない。その結果、ヨーロッパが米国と歩調を合わせる努力を払わないのであれ
ば、NATOは終焉するだろう。」
ヨーロッパ諸国は冷戦の終焉と時期を符合する形で誕生した欧州連合(EU)の深
化と拡大の過程を通じ、戦争のないヨーロッパの創造、つまり、「歴史の終焉」を目
指していた。彼らは制度化された統合ヨーロッパの実現がこれを保証すると考えてい
た。同時に、彼らはヨーロッパが昔日の国際的地位と発言力を取り戻すことを希求し、
このヨーロッパの復権と多極化世界創造の夢をEUに託したのである。反面、冷戦の
終焉が齎した平和の配当を享受する世界の安定を所与の前提と見做したことによって、
ヨーロッパの眼は内を向いたのである。
だが、外の世界では異なる状況が進行していた。ヨーロッパが迅速な解決方策を見
出すことに失敗したボスニア紛争に代表される民族紛争の頻発に加え、冷戦後の国際
秩序理念に掲げられた市場民主主義の歪みが徐々に表面化し始めていた。そこに同時
多発テロが発生した。また、これが米国で引き起されたことが爾後の世界のイメージ
を決定的に塗り替えた。この事件を契機に、米国ブッシュ政府は国際テロやWMD拡
散を新たな脅威と規定するとともに、こうした事態への単独対処の限界を意識し、多
国間枠組みを重視する政策に転換した。米国が同盟諸国の協力に期待を寄せたのも当
然であった。

●理念の共有と政策・手段の共有

ところが、ここに大きな問題が潜んでいた。自由民主主義の擁護や発展といった理
念の共有が、これを達成する政策と手段の共有には必ずしも繋がらなかったからであ
る。ケーガンの指摘からも窺われるように、米国は問題解決手段としての軍事力の共
有を同盟諸国に求めることになった。けれども、同盟諸国側から見れば、米国の標榜
する軍事的解決が根源的な脅威の解消に繋がる保証はなかった。また、米国が要求す
る軍事能力較差の是正に眼を移せば、パワー・プロジェクション能力を保持する米・
英と異なり、これまで領域防衛(territorial defense)戦力の拡充に尽力してきた多
くの同盟諸国が、その国力や国益を超えて、遠隔地で作戦展開する危機管理(crisis
management)ミッションのための戦力獲得に躊躇したからである。
さらに、同盟運営の観点から見れば、先制攻撃(preemption)や防御的介入(defensive
intervention)を選択しうるドクトリンを国家安全保障戦略に盛り込むことによって、
世界の軍事的安定を達成しようと企図する米国の方針が、紛争の平和的解決を謳った
北大西洋条約第1条や、国連憲章に基づく自衛権の行使を謳った第5条を超えて適用
されることに加え、この種の軍事行動が米国の主導の下でNATOの正規ミッション
として常態化してゆくことを警戒したからである。93 年6 月のイラク情報本部に向け
た巡航ミサイルの発射や、98 年8 月のアフガニスタンとスーダンのテロ組織に向けた
巡航ミサイルの発射の事例が示すように、その対テロ行動においてユニラテラル(単
独主義的)であった先のクリントン政府と対照的に、多国間枠組みを重視するブッシ
ュ政府が、逆に、その協力の在り方を巡ってユニラテラルと批判されることになった
のは皮肉な現実である。

●ヨーロッパの戦略環境変化と自律化への道

ところで、イラク戦争の是非を巡って深刻化したNATO内部の軋轢が修復の兆し
を見せないのは何故なのだろうか。それは冷戦の終焉と時期を符合する形で達成され
た軍事デタントの成果がヨーロッパに戦略的安定を齎したからであり、これによって
核抑止を始めとする安全保障面での米国への依存度が大幅に軽減されたからである。
90 年11 月、NATOとワルシャワ条約機構に加盟する諸国は欧州通常戦力(CF
E)条約に調印した。大西洋からウラル山脈に至る地域に展開する5 種類の攻撃的通
常兵器(戦車、装甲戦闘車輌、火砲、戦闘機、戦闘ヘリコプター)の低水準均衡を図
るとともに、その配備地域を詳細に規定することによって奇襲や大規模攻撃の脅威を
取り除くことに成功したこの軍縮条約によって、ヨーロッパは実質的に領域防衛問題
から解放された。そして、この条約の精神がワルシャワ条約機構の崩壊やソ連消滅後
も継承され、99 年11 月に新たにCFE条約適合合意が成立すると、ヨーロッパの戦
略的安定はさらに確固としたものになった。こうしてソ連(後にロシア)の軍事的脅
威から解放されたヨーロッパは、また、米国の影響力からも距離を措く機会を手にし
たのである。
この新たな戦略環境の下で、NATOは前方防衛態勢の解消を始め、その軍事態勢
の大幅な変更に着手するとともに、米国の核抑止力に依存する形で68 年1 月に採択し
た柔軟反応戦略を実質的に放棄した。同時に、NATOは自らの存続意義の一端を危
機管理ミッションに求めることになった。だが、危機管理ミッションの主体として立
ち現れたのはNATOだけではなかった。92 年2 月のマーストリヒト条約によって誕
生したEUもまた西欧同盟(WEU)を介し、ヨーロッパの軍事的アイデンティティ
の獲得を目指して危機管理ミッションを課題に据えたからである。
米国はヨーロッパの軍事的自立を懸念した。他方、この時点でヨーロッパも米国と
の対立を望んだわけではなかった。こうして双方の妥協が成立すると、領域防衛に関
しては従来通りNATOの専管事項とする一方、危機管理ミッションの遂行に向けて
創設の決まった統連合作戦部隊(CJTF)の運用については、戦力の重複を避ける
ために、米国が参画しないWEU独自の活動に対してNATO(つまり、米国)が軍
事アセットを提供するとともに、その作戦指揮を支援することになった。WEUが独
自の行動を採る際も、NATOからの支援を必須とする枠組みを残すことによって、
米国は実質的な影響力の確保を図ったのである。
ところが、これで一応の決着を見たように思われたこの問題は、98 年12 月に英仏
首脳が発表した緊急展開軍創設構想と、その直後に米国が呈示したNATO強化案に
よって、新たな局面へと発展してゆく。この英仏構想を受け入れたEU諸国がCJT
Fを離れた独自の道を模索し始めたからであり、他方、米国が危機管理を正規のNA
TOミッションに据えるよう同盟諸国に迫ったからである。
こうして見れば、イラク戦争を巡って表面化した米欧の確執は、既に、冷戦終焉直
後から始まった危機管理活動を巡る米欧の主導権争いの中にその萌芽があったのであ
る。


●NATOの終焉?

危機管理活動の主導権を巡る米欧の温度差が埋められない状況が続いた2001 年9 月、
米国で同時多発テロが発生した。そして、NATOが集団的自衛権の発動で対応した
ように、この争点が従来の領域防衛活動と危機管理活動の境界を曖昧にし、また、米
国がこれへの対処に積極的に乗り出したことによって、危機管理活動を巡ってもEU
ではなくNATOが優先される雰囲気を醸成した。こうして米国政府の強い要請に基
づき、2002 年11 月に1 個軍団規模のNATO緊急展開軍(NRF)の創設が合意さ
れ、各国の任務分担が定められると、2003 年10 月半ばには初期段階の作戦を可能に
する1個旅団相当の部隊が立ち上がることになったのである。
けれども、安全保障の主たる関心が領域防衛問題から危機管理問題へと移行したヨ
ーロッパにおいては、米欧関係の図式もまた、NATO内部における米欧の関係調整
からNATOを主導する米国とEUの関係の在り方へと変質していた。それ故、米国
が自らの意向に沿ったNATOの結束強化をヨーロッパの同盟諸国に要求するほどに、
逆に、ヨーロッパを独自の道の模索に傾斜させる危険を孕んでいた。社会学の伝統に
倣い、支配的な社会集団が刻印する指針に対して被支配者の側が自発的な同意を与え
た状態を「覇権」と定義するのであれば、同時に、米国がNATOの盟主であり続け
るためには、その政策に対する積極的な支持を同盟諸国から取り付けることが必須で
あった。とりわけ、米国が新たな規範の創造を試みるのであれば、同意の取り付けに
要する時間の重みに耐える寛容さを示すことも不可欠であった。
だが、これと裏腹に、米国では先に記したトルコ防衛を巡る北大西洋理事会の混乱
を教訓に、NATOの意思決定機関を防衛計画委員会へと変更する構想が囁かれ始め
ている。これは実質的なフランス除外案である。また、米国上院からは今日の混乱と
将来の加盟国の増加を見据え、NATOの意思決定をこれまでの全会一致方式から多
数決制に改めるよう提起されている。こうしたNATOの意思決定方式の変更は、危
機管理活動に関してはNATOの名を冠した有志国家連合の形成を容易にするだろう。
しかしながら、伝統的な同盟の根幹に据えられる領域防衛活動については、共同防衛
への誓約を無効にするばかりか、NATO自体を解体に追い込む危険を孕んでいるの
である。
ところで、米欧の対立を際立たせたイラク戦争が、統合を進めるヨーロッパ内部の
角逐を生み出したことも看過することができない。2003 年1 月末、スペインの主導の
下に、英国、イタリア、デンマーク、ポルトガルに加え、EUへの加盟を間近に控え
たチェコ、ハンガリー、ポーランドといった「新しいヨーロッパ」を代表する8 カ国
の首脳が、米国主導のイラク攻撃を支持する声明を発表し、これに反対するフランス
やドイツやベルギーとの対照を際立たせた。英国は例外にせよ、ヨーロッパもまた一
枚岩ではなかったのである。こうした状況の下で、米国によるヨーロッパの分断を危
惧したフランスとドイツとベルギーとルクセンブルクの4 カ国首脳は4 月末、EUの
結束を図るため、CJTFの枠組みから離れた欧州安保防衛連合(ESDU)の創設
を提起し、EU加盟諸国の参加を呼びかけた。けれども、米国の提唱したNRFが西
欧の同盟諸国に対するNATO への忠誠度テストのニュアンスを含んでいたように、この
構想も、EUのリーダーを自任するフランスがヨーロッパ諸国に性急に仕掛けた資格
審査の色彩を孕んでいた。
こうして見れば、EUが軍事面での統合を強化し、イラク戦争から連想される国連
の平和維持活動を超えた危機管理活動に踏み込んでゆく可能性も少ないに違いない。
米国が「覇権」を手にすることの難しさに遭遇しているように、EUにおいても各国
の同意に基づく意思統一が容易に図られるとは考えられないからである。自由と民主
主義を普遍理念に掲げ、世界の平和や発展を期すのであれば、これを達成する政策や
手段もまた自由で民主的な手続きに沿って定められねばならないのである。


(韋駄天:FPさん投稿より)

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