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弥生最大級の柱出土、首長の館か 奈良の唐古・鍵遺跡(朝日新聞)    
http://www.asyura2.com/0311/bd31/msg/266.html
投稿者 シジミ 日時 2003 年 10 月 18 日 05:28:54:eWn45SEFYZ1R.

http://www.asahi.com/culture/update/1018/001.html

弥生時代の大環濠(かんごう)集落跡、奈良県田原本町の唐古(からこ)・鍵遺跡の中心部で、弥生時代中期中ごろ(紀元前2世紀)に建てられた大型建物の柱穴跡23個と柱の一部18本が見つかったと同町教委が17日、発表した。大きい柱は直径80センチ余りあり、出土した柱としては弥生時代で最大級。床面積82平方メートルの高床式建物で高さ6メートル前後とみられる。大環濠が造られた後、同遺跡が最も栄えた時期の首長の館か、祭りや政治を執り行う場だった可能性があるという。

 柱穴跡は3列に並び、建物は正面13.7メートル、奥行き6メートル。18個の柱穴跡には、柱の根元部分が腐らずに残っていた。いずれもケヤキ材とみられ、最大の1本は直径80センチ余り、長さ1.5メートル余り。他は直径45〜70センチ(長さは埋まったままで未調査)。柱穴の深さは1〜1.5メートルとみられる。

 同遺跡では99年にも南西約200メートルで、直径約60センチのケヤキ柱を持つ高床式建物跡(弥生時代中期初め)が見つかった。弥生時代中期の遺跡では、武庫庄遺跡(兵庫県尼崎市)で直径80センチのヒノキ柱が見つかっている。

 町教委は、同遺跡を取り巻く大環濠が成立し、それまで三つに分散していた集落が一つにまとまって最も栄えた時期に、この大型建物が集落の中心部に建てられたとみている。

 古代建築に詳しい宮本長二郎・東北芸術工科大教授(日本建築史)は「柱穴の深さが1.5メートルなら建物は6メートル前後の高層になる。直径80センチという必要以上に太い柱は権威を象徴しようとしたのだろう」と話している。

 19日午前10時から午後3時まで、近鉄橿原線石見駅の東約1キロの現地で説明会がある。 (10/18 00:41)

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