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イスラームにおける救済 [中田考氏] 【後期アシュアリー派神学の立場】
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投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 03 日 01:51:34:dfhdU2/i2Qkk2

イスラームにおける救済

「イスラームにおける救済 − 神の臨在と預言の歴史性」

1. イスラームにおける救済
「イスラームにおける救済」とは、アッラーフの恩寵による死後の復活と楽園の報償を意味します。スーフィズムの流れなどの中には、神智の獲得によって、将来の楽園の至福が現世においても味わえるとする考え方もあります。しかしその場合においても、死後の復活と楽園が単なる比喩として否定されるわけではなく、謂わば死後の復活の後の楽園の至福が現世において先き取りされているのです。

2.救済の条件
 イスラームには、救済の条件として、信仰と善行を対置させて、「あれかこれか」と選択を迫る発想は希薄です。むしろ「信じ善行に勤しむ者は楽園の報償を得る」というのが、クルアーン全編を貫く基調低音です。しかし「人が救済に与るのは、信仰か善行か」と、敢えて問うなら、信仰の方が重要なのは当然の前提です。
 もっとも以下の預言者ムハマドの言葉にあるように、むしろイスラームは、善行は言うに及ばず信仰ですらなく人が救われるのはアッラーの一方的な恩寵によることは強調しているのです。

「ムハンマドは言われた。『お前たちの誰であれその善行によって天国に入るわけではない』そこで人々は尋ねました。『あなたでさえ入れないのですか』『私も入れない。ただアッラーフが私を恩寵と慈悲でお守りくださっているのだ。』」(ブハーリーの伝えるハディース)

3. 善行、聖法、預言者
 イスラームにおける「預言者」、あるいは「使徒」とは「聖法を預かる者」、「人々に聖法の遵守を呼びかける者」を意味します。モーゼが授かった聖法が「律法(トーラー)」であり、イエスが授かった聖法が「福音」です。イスラームにおける「宗教共同体」(ウンマ、ミッラ)とは、ある預言者を奉ずる人々です。つまりモーゼの「律法」を奉ずる人々がユダヤ教徒、イエスの「福音」を奉ずる人々がキリスト教徒になります。
 そしてイスラームにおいては、善行とは預言者たちのもたらした聖法に従う行いであり、悪行とは聖法に背く行為です。

4. 救済の執成
 イスラームにおける救済は最後の審判により明らかにされます。そこでは先ず生前の善行と悪行が秤にかけられ、善行が重い者は楽園に入り、悪行が重い者は火獄に堕ちます。
 しかし火獄に落ちた者も、最終的にはアッラーはそこから引き出し楽園に入れ給う場合があります。預言者、聖者、義人たちによる執成しもそうした救済の手段です。
 
「・・・(復活の日)私(ムハンマド)が主にむかって平伏すると、主は『ムハンマドよ、顔を上げよ。言うことがあれば聞き届け、願い事があればかなえ、執り成すことがあれば受け入れるであろう』と言われる。
私が『主よ、我が民(ウンマ)を!我が民を!』と言うと、主は『行って、心に小麦種や大麦種の重さほどでも信仰を持つ者があれば、地獄から連れ出すように』とお命じになることだろう。・・・」(ムスリムの伝えるハディース)

5. 救済と信仰告白
 前節で引用したハディースは、ムハンマドの執成しにより、ムハンマドのウンマ(宗教共同体)の構成員、つまりムスリムが救済に与ることを示しています。しかしこのハディースには続きがあります。

「・・・主はまたこう仰せになるだろう。『ムハンマドよ、顔を上げよ。言うことがあれば聞き届け、願い事があればかなえ、執り成すことがあれば受け入れるであろう。』それで私が『主よ、アッラー以外に神はない、と告白した者に対する権限を私にお与えください』と申し上げると、主は『それはお前の役目ではない(もしくは、お前に課せられた仕事ではない)。ともあれ、私の名誉、栄光、威厳、そして権力にかけて申すが、アッラー以外に神はない、と告白した者を私は必ず地獄から連れ出すであろう。』と言われる。」(ムスリムの伝えるハディース)

イスラームの信仰告白は、イスラーム法学の多数説では、「アッラー以外に神はない。ムハンマドはアッラーの使徒である。」の2句からなります。
預言者ムハンマドの名前を唱えた者、即ちムスリムはムハンマドの執成しにより救済に与りますが、彼の名を唱えなかった者に対しては、彼には執成しの権限はありません。
しかしムハンマドの名を唱えていなくともアッラーの唯一性を認めていた者は、アッラー御自身が御救いになるのです。それゆえハナフィー法学派では、無神論者、多神教徒の場合は、ムハンマドの名を唱えなくとも単に「アッラーフの他に神なし」と唱えただけでイスラームに入信したとみなすのです。

7.聖法なしに罪なし
 イスラームにおいては善悪の基準は、預言者のもたらした聖法です。つまり人間は啓示がなければ理性のみによって善悪を知ることはできません。『われらは使徒を遣わすまでは罰を下さない』(クルアーン17章15節)とのアッラーフの御言葉により、預言者が遣わされず聖法が知られていない民は義務賦課がなく、したがって懲罰もなく楽園に入ります。

結論
 アッラーフが時空を超えて臨在するのに対して、預言者ムハンマドは7世紀のアラビア半島において宣教活動を行った歴史的存在に過ぎません。従ってイスラームの救済は、預言者ムハンマドの聖法に従う者、即ち狭義のムスリムを超えて、唯一の神を信ずる者全てに開かれています。また善悪の基準が理性ではなく預言者たちの齎した聖法であるならば、預言者と聖法を知らない者もまた、無知ゆえに義務賦課を蒙らず免責され、やはり救済に与ることができることになるのです。

(本稿は、後期アシュアリー派神学の立場からのイスラームにおける救済についての論じたものです)

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