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Re: インターネットとは人間のあらゆる現場と現実が出現する。
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投稿者 愚民党 日時 2003 年 12 月 29 日 23:27:52:ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 体内にICタグ、買い物を決済――米ADSが埋め込み型システム[日経] 投稿者 乃依 日時 2003 年 12 月 29 日 15:53:00)

http://www2u.biglobe.ne.jp/~mcva-jp/higai2.htm


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 私への電波の悪用を理解して頂くためにはイギリスでの経験を知って頂くことが不可欠であります。イギリスは東部にありますエセックス大学と中部にありますノッティンガム大学での経験であります。私は両大学の国際関係論学科から入学許可を得ておりました。初エセックス大学へ入学する予定で入学前にあります留学生のための語学研修コースに参加しました。そこで論文の書き方も教えてもらったわけですが、練習のために一つ仕上げることになり、“Third World Aid and DevelopedCountries”というタイトルの論文を提出したのです(1990年9月25日)。この論文を必死で仕上げていた前夜(24日)10時半頃、特殊銃による襲撃を受けたのです。背後からシュワッという大音響で一瞬身動きできなくなってしまったほどです。5分ほどたってからでしょうか、やっと心に落ち着きを取り戻しましたので、二階に上り恐る恐る外を見てみたのです。特別なものはなにも発見できませんでした。部屋に戻り窓ガラスを調べてみると1センチ四方の穴があいているのです。その回りにはひびが入り一部割れて床に落ちていました。石を投げたのなら正方形の穴があくことは考えられません。銃で撃ったのなら丸い穴があき私に命中していたかもしれません。私にあたっていなかったとしても壁にあたるなどして痕跡が残ったはずです。ところがそのような跡は全く見当たらなかったのです。あのシュワッという大音響に続いてシューという音、そしてポトリ下に落ちる音がしたのです。以上のことから、撃ち込まれた球が溶けて痕跡を残さない特殊銃が使用されたものと判断しました。そのようなことがありますと、どこか別の大学で受け入れてくれるところがあるならばそちらへ行きたくなるのは人情であります。ノッティンガムからも入学許可を得ておりましたのでそちらへ行く決心をしたのです。

 ノッティンガム大学に入学しひと月ほどたちますと、なぜか教授陣の私を見る目が変わってまいります。一目おいているような態度に変わってきたのです。当初はなぜか分からなかったのですが、私がエセックス大学で書いた論文に原因があるのではと思えてきまし。これは今考えると、電波によるイメージの挿入によるものであったと思われますが、教授陣の態度もそれを納得せしめるものであったのです。そのイメージとは、私が未熟な英語で書い論文を、どういういきさつでか英国のノーベル賞を受賞しているある物理学者が読み、その一説からアインシュタインの論文の一説を理解するヒントを得たというものでした。その箇所はそれまでだれも理解できなかったというのです。これによって私は天才ということになり、守るべき価値ある存在となったというものでした。実際翌年から私の身辺を監視していると思われる人をそこかしこで確認できるようになりましたので、それは英国警察が私を守ってくれるようになったのだと当時は思っていたのです。

 私を守ってくれている人がいることを感じるようになった一方、私を殺害しようとする動きも一方でひしひしと感じるようになりました。これも私にアインシュタインの一件を考えさせたと同じイメージの挿入によるものと思われますが、不安がつきまとうようになったのです。そして忘れもしない2月1日、前夜徹夜してノッティンガムで3つ目の論文を仕上げ提出した日、朝空を見ると黄色く異様な感じがし、しかも冬だというのに脂汗をかいていたのです。不吉な予感がしたのですが、取り敢えず論文を提出し、翌日からはまた新たな論文作製に取り掛からなければなりませんでしたので、せめてその晩だけばゆっくりしようと酒を買って飲んでいたのです。そこへその家の持主の姉婿が恐怖におののいた顔をして入ってきたのです。額に青筋をたてて震えているようでした。しかも帰り際に“All your best!”と言って帰ったのです。この言葉どこかで聞いたことがあるように思ったのですが、たぶん死の宣告として使われている言葉と思い、しかも前日だったと思いますが、この人の奥さんも同じ言葉を強く吐いて帰ったことも思い合わせて、いよいよ危険が迫ったと考え、その家をその晩に出ることにしたのです。それから3週間ほどスコットランドあるいはイギリス南部を放浪し一時戻るのですが、それでも危険を感じましたので、帰国する決意をしたのです(1991年3月14日帰国)。

 アインシュタインの一件以来、一方では私を守る者が現われ、一方では私を抹殺しようする動きを感じるようになったわけですが、私にはアインシュタイの一件は一切正式に語られてはおりませんし、警察が守ってくれていることも正式に聞いたことではないのです。危険を感じても警察へ行かなかったのはある意味では信じていたからなのですが、それでも正式に言われているわけではありませんでしたので、不安を払拭できなかったのです。論文責めされる英国の大学で集中できないようでは学業をまっとうすることなどできるものではありません。帰国する以外方法はありませんでした。この英国での経験を知って頂くことが、帰国してからの私の体験を理解して頂くために絶対に必要であります。

 さて帰国後、私は当初の目的政治家になるために、その職をまっとうするに耐えられる施政方針を確立すべく図書館へ通い独学を始めました。その年の中頃から尾行を感じるようになったのですが、警察らしき監視も感じるようになりました。警察らしき者の監視はアインシュタインの一件がなければ絶対に理解できないことであります。しかもイギリスでと同じように不安も同時に増してきたのです。1991年後半から1992年にかけて、帰国したにもかかわらずイギリスでと同じ不安状態が続いたのです。イギリス版から日本版へと変わっだけだったのです。警察らしき男の監視の様子は、1995年春からは、電波によって映像と意思として送られてくるようになりました。私が外出すると、絶えず私を守ってくれている警察らしき男の映像と意思が送られてくるようになったのです。このはっきりした映像と意思はその年の後半まで続きました。しかし、警察の映像と意思が電波で送られてくるようになったその頃には、警察を疑い始めていたことも事実であります。

 1991年暮から私は退社以来の経験をまとめ始めました。経験だけではなくある程度学習が進むとそれをまとめてもいたのです。ところがそれらが全て漏洩しているように思えてきました。それは私を監視している警察がやっているものと判断しました。警察が善用でやるのなら仕方がないと思い、私は逆にそれを利用することを考えたのです。私に迫る危険をそれで知らせることができると考えたのです。その私の書いたものは国内だけではなく世界に報じられているように思われもしました。私を世に出すことはなくても私の書いたものだけは世に出しているように思えてなりませんでした。それを決定付ける映像が1994年夏頃から送られてくるようになったのです。ある有名な学者二人が私を耐えず覗き込んでいる映像が送られてくるようになり、しかも私の書いたものに対する世界からの質問に答えるため、両学者が手紙を書いている様子を映像で送ってきたのです。この二人はその年の春断食修行をしたときにも覗いていたのです。その後何度か断食修行をしたのですが、私が手を合わせると後光が輝いて見え、その後光が断食修行のたびに立派になるという意思も挿入されてきました。この二人の映像は1995年暮まで頻繁に現われました。

 送られてくる映像で詳しく本に書けなかったものに皇族方の映像があります。一つは私の独学の結果が漏洩し、皇室にまで伝わり、その内容に付いて皇族方が学者から説明を受けているという設定の映像でありました。実際私は新たな天皇制論を書けるのではと思ようになっているのですが、それらのことも含めて皇室に評価されてもいいと考えるようになっているのです。皇室に関する別の映像に、それは新たな皇室観確立以前からでありましたけれども、私が紀宮妃のお婿さん候補になっているというものでありました。記録しております最初は、1994年3月末、長野県飯田市からの帰途のバスの中でありました。陛下の気持ちも決まり、私が無事帰るよう気遣ってくれている映像でありました。これの信憑性を増すべく逆の動きの映像も送られてきました。それは別の有力なお婿さん候補、中曽根泰弘の息子との関係からであります。皇室側近として働く女が私を監視し始めたのですが、一人は中曽根の近縁と思われました。紀宮妃を中曽根の息子と結婚させるべく、私のあらを徹底して捜し始めたのです。この紀宮妃のお婿さん候補になるなどということも、英国でのアインシュタイの一件がなければ絶対にあり得ないことであります。

 私を注目しているかのごとき動きはテレビ各局の様子からも察することができました。1993年頃からであったと思いすが、私がテレビをつけると、観ている局の者が分かる仕掛けになっていることに気付きました。私がチャンネルを回すと、ある局では、明りをつけてそれを知らせる仕組みになっているように思わせるものを画面で確認することができました。私はほとんどニュースかスポーツ番組しか観ないのですが、時とともにキャスターが嫌悪の表情を表わすようになったのです。それだけではなく、スポーツ番組を観ると、私がつけたと同時に八百町を始めることがありありと分かるようになりました。それだけではなく、逆に局からテレビを通じて私の部屋が覗ける仕組みになっているのではないかと疑い始め、1996年からは食事時以外はほとんどテレビを観ないようになっているのです。

 以上のような前提を経験して1995年5月からの電波の集中攻撃を受けるようになったのです。それは拙著『武器としての電波の悪用を糾弾する!』にも書きました水のベタつきに始まるものです。水を求めることに右往左往し振り回され、挙句の果てに映像と意思によりスーパーマーケットから病院回りを全国的規模でさせられるはめに陥ってしまったのです。このように私が動かされたのも、私を守ってくれているかに思わせる警察の映像があったからです。警察でなければ、飲食物へ薬物の混入が行なわれているとの意思が挿入されても、病院で殺人が行なわれているとの意思が挿入されても、私が動く意味が全く生じないからです。そのときは未だ警察らしき映像を完全には疑っておらず、なにらかの対策を立てている映像も送られてきておりましたので、それを信じて私は動いたのです。確かに私を動かす衝動電波があったことは確かですが、それは従たる要因であります。私が電波でいいように動かされていたことをはっきり認識したのは新潟へ行ったときでした(1995年12月11日)。全てが氷解し、その帰途映像が送られ、一人はNHKアナウンサー宮田修、一人は宮沢りえでした。宮田は狂う寸前のような顔をし、宮沢りえは顎がはずれんばかりに口をあけ、よだれを垂らしての発狂した姿でした。1995年5月からの一連の電波の集中攻撃は、私を発狂させることが目的であったようです。

 以上のプログラムで発狂しなかった私に対し、その年の暮、いよいよ第二バージョンに入るとの意思が送られてきました。暮から翌春にかけて、電波による私の脳への介入が著しくなり、しかも知覚できるように行なわれ始めたのです。私の考えていることが全て見破られていることがはっきり分かりました。嘘を一切隠せないほど完全に見破られているのです。しかも一気に狂気化できる電波も数回経験しました。これ以降四六時中電波を感じて生活するようになり今日に至っているのです。

 電波悪用主体、および電波支援部隊の実態を知る手掛りとして、私のお尻の異常を知って頂くことは有効と思われます。これこそあの中曽根近縁の女の知りたいことでありましょうし、実際この件はこの女だけではなく、日本の政治家、あるいはクリントン大統領まで知っているかの映像が送られてきたのです。それは私が医者に出した手紙の漏洩によるものです。その手紙を日本の政治家やクリントン大統領が読んでいる映像を送ってきたのです。この手紙を拙著に掲載しようと思ったのですが、控えをとっていなかったため、当の医者に連絡をとりましたところ、既に廃却してしまったとのことでした。あのときほど新鮮に書ける自信がありませんでしたので掲載することはやめたのです。あの映像が本当に事実であるならば、未だ存在するはずです。しかし電波とお尻の異常を結び付けることに納得して頂くことは難しいでありましょう。そこで私がそれを確信した体験をお話ししなければなりません。お尻の異常に対し、医者に相談するだけではなく、自分なりに対策を講じていたのですが、ある本に左右の筋肉のバランスが崩れると排泄異常につながると書いてありました。私はかねがね自分の体が非常に堅いこと、しかも左が特に堅いことを認識していましたから、アメリカ滞在時から柔軟体操を始め帰国しても続けていたのです。そしてある朝便意を感じましたのでトイレに入る前に立ったまま前屈を二度したのです。すると下腹の筋肉の存在を感じそれからトイレに入りました。するとお手本のような見事な排泄ができたのです。拭いとる必要がないほどの見事な排泄でありました。翌日も同じようにしたところ、また同じように見事な排泄ができたのです。その日一日なんとお尻の締りがいいのだろうと感じておりました。そこで前屈運動が効果があるのだと思い三日目も続けたのですが同じような効果は得られませんでした。三日目からは元の状態に戻ってしまったのです。それまで20年以上異常を感じていたお尻が急に正常に、しかもお手本のような排泄ができるものでしょうか。私のお尻が本当に異常であるならば、あの時電波によって正常な排泄をさせたとしか思えないのです。あるいは私のお尻は正常であって、あのときは電波を解除したのでしょうか。今思いますと、あのときの状態はあまりにも機械的であったように思え、電波で操作しての見事な排泄であったように思われます。私のお尻はそれほどに異常でもなく、見本であるほどに正常でもないというのが私の考えです。これまで経験したあらゆる体調操作から考え、排泄操作が可能であると考えざるを得ないのです。私のお尻の異常が小学校5学年に始まりましたことも注目して頂きたいのです。これを電波の悪用で行なっていることが確定できれば、電波の悪用もそこまで遡れることになるのです。しかもそれを行なえる者もある程度狭められる可能性があります。この点は長くなりますのでここでは控えます。事実のみ述べることに致します。

 続いて重要なことが電波支援部隊の動きであります。帰国以来警察の監視とは別に私を尾行監視する組織があると思えてならなかったのです。電波の悪用に気付く以前からの動きですから電波支援部隊と称するのは不適切であるかもしれません。電波の悪用があって電波支援部隊があるのではなく、電波の悪用はそのやからの手段であるかもしれないのです。しかしどちらにしても日本全国に張り巡らされた電波支援部隊が存在することはこれまでの経験から断言できることであります。

 電波支援部隊の動きとしてまず渋滞の演出、(交通)信号操作を1992年から経験するようになりました。私の車へ集中してくるための連絡網、あれだけの人数を動かす組織力、そしてその機敏性から、私一人のためにやるには訓練がいきとどいているように思え、私に対する以前から徹底して行なってきたため、訓練が十分になされていた結果として、私に対してもすぐ対応できたものと判断しました。よってたかって私の車の回りに集まり、ある者は助手席から振り返り、ある者はバックミラーで、あるものは後ろから、あるいは対抗車から私をにらみつけてくるのです。信号待ちしているとき、前の車の運転手がドアーを開け唾を吐くこともしばしばありました。私の前をモクモクと排気ガスを出して走る車も再々経験しております。また私の前には決まって大型トラック、清掃車、バキュームカー、ワゴン車等前方を見えにくくさせる車を走らせるのが常であります。前をゆっくり走ることで追い抜きをさせての事故の発生等あらゆるタイプの事故の演出が今日でも続いています。その際たるものが拙著に書いた高速道路上での落下物による攻撃であります(拙著p68〜69)。

 運転中と同じことを歩いていても頻繁に経験します。駅の改札口付近や買物時のレジの前などでは必ず私の前に人を並ばせ、通路では私の前をゆっくり歩いたり急に引き返してぶつかりそうになったりと、なにも知らないかのごとくやってくるのです。レジでは「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を私の前の人には大きい声で言い、私には言わないか聞き取れないほどの小さい声で言い、あるいは釣銭の札を裏返して出してくることもあります。札の裏返しは1996年9月頃から頻繁になったもので、私の両親が文具店を経営しているため手伝っていると、客が次から次へと札を裏返して出してくるのです。またデパートの売場では、店員全員に指示できるシステムを完成しているらしく、私には絶対挨拶させないよう指示を出しているようです。この組織的動きも特筆すべきものです。狙った人間を徹底して軽蔑する態勢が整っているということです。

 犬を使うことも電波支援部隊の常套手段となっているものです。私が運動へ行くと決まって犬を散歩に連れてくる者がいたのです。最近ではその運動場は犬の散歩禁止となりましたので見かけなくなっていたのですが、昨年末犬を連れて首輪まで解いていた男がいたのです。その犬に足を噛まれてしまいました。私が来るのを気付かなかったと白々しく言っていましたが、知らないふりしていたことはよく分かりました。電波によって犬を吠えさせることも狂暴にすることも可能と思われますので注意要する必要があるのです。

 舞台上でのでたらめ演技、八百長試合も電波支援部隊の動きと考えていいでしょう。1993年末から能に興味をもち通うようになったのですが、行く度に信じられない恥さらしを舞台上から演じてくるのです。舞台上から私をにらみつけてくるだけではなく、能全体がぐちゃぐちゃです。とても観られたものではなく途中退席したことがしばしばでした。チケットは残っていましたが、どうせろくな能が観られないことはよく分かりましたので、半年ほど通い以後行くのをやめてしまいました。これと同じことをほぼ同じ頃からスポーツでも始めました。私は野球とサッカーに興味をもっていたのですが、私が足を運ぶと、あるいはテレビのチャンネルを回すと、それを察知して八百長を仕掛けてくるのです。テレビで放映されていても行なってくるこの異常精神をどう理解したらいいのでしょうか。公衆の面前で畜生を働いて平気でいられる、しかもとがめる人が出てこないという異常さであります。いかに畜生を働くことに自信をもっているかがこれで伺い知ることができます。電波支援部隊の実力のほどを思い知らされた次第です。

その他にも多々電波支援部隊の嫌がらせを経験しておりますが、これらの動きと電波の悪用を重ね合わせることでその効果を増し、より大きなダメージを狙った人物に与えることができるのです。例えば、札を裏返して出してくるときには必ず他の客を待機させてその様子を伺わせ、そこへ狼狽電波、赤面電波、手の震え電波、うつ電波等を発するのです。これによって倍以上の効果が得られるのです。あるいは図書館などで勉強しているとき、こう門弛緩電波、ガス発生電波、あるいはかすかな便意を催させその電波を継続させるのです。そこに電波支援部隊を動かし、私の回りに座らせ、私が席を立つときに臭いを確認させるのです。この方法で精神的苦痛を増すことができるのです。またマインド・コントロールの威力を私に知らしめるためにも電波支援部隊の動きはなくてはならないものであります。私の考えを読み、あるいは衝動電波を発して私を動かし、私が行く先々へと手を打ってくるのです。全て見破っており、それだけではなく電波悪用主体の意思で私が動かされていると思わせるためです。さらに電波悪用主体は、自分が電波で動かされているのではと疑いをもたせる電波も開発しているように思えてなりません。つまり電波悪用主体としてはなにごとも謀っていなくても、その種の電波を発せられると、自分がコントロールされているように自ら疑ってしまう電波を開発しているように思えるのです。主体性の喪失ほど嫌なこともまたないのです。

 電波の悪用も電波支援部隊の動きも善良な日本人には由々しき一大事です。この両者の動きにより抹殺され、あるいは狂人化させられた人が相当数にのぼるものと考えます。前者は後者ほど長年月にわたっているとは思えませんが、それでも私の経験から30年は経過していると思われます。帰国以来の7年間の経験によって、敗戦を知らなかった私が敗戦をつくづくと実感させられた次第です。電波悪用主体も支援部隊も日本人の心をもつ者では絶対にあり得ないからです。7年間にわたる嫌がらせから、日本は既に日本人の国ではなくなっていることも思い知らされた次第です。しかし、諸先祖の遺産は未だ私にも生きているわけで、いつか必ずその遺産が効果を発揮するものと信じております。電波の悪用の問題を暴露することで、諸先祖の遺産を蘇らせるために多少ともお役に立つことを願っている次第です。


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追記1 ブラウン管からの攻撃


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 昨年12月中旬ポケモン事件が発生しましたので、私の体験からそれに類似するものを付け加えておきます。テレビ画面を利用して観ている者に影響を及ぼす方法であります。 拙著(p66)に書きましたように、アレルギー化が一つ挙げられます。これはテレビ朝日(平成8年12月7日土曜日午後6時放送)の報道番組、ザ・スクープ「病原菌列島・オフィスに潜む新型感染症・レジオネラの恐怖」を観ていたときの経験であります。アレルギー問題を扱っていたのですが、それを観ていますと、画面に映っている症状が私に移ってしまうのではと思える異様な感じがしたのです。すぐに消してしまいましたが、あれを無理して観ていたらどうなっていたことでしょうか。はたして私だけがそのような感情を抱いたのでしょうか。それとも観ていた多くの人が同じように感じたのでしょうか。興味をひくところです。もしビデオに撮ってあって再度観ることができるならばはっきりするでしょう。

 狂気化も画面を通じて執拗に行なってきているものです。これはNHKですが、夜7時のニュースの後ドラマが20分入るようになりました。そのなかで演技と音楽と光を巧妙に使い、人を発狂させるのが目的ではないかと思われる場面を再々観ているのです(特に平成9年1月29日放送「木綿のハンカチ」は強烈でした)。私が食事時にしかテレビを観ないのを知っていて、この時刻にドラマを入れ、仕掛けてきているように思えてなりませんでした。この番組の場合は、再度観る必要など全くなく、特殊電波が発せられていなくても、精神異常を生じさせてしまう不安がかきたてられるものでした。私の場合はさらに特殊電波によってその不安が強められていたのかもしれません。画面を通じてそのような畜生演出が可能だということを知って頂きたいのです。ポケモン事件によって観ている人の多くが同時に被害を受けたことも考えて、不特定多数の人に、画面を通じて被害を及ぼす方法が開発されているように思えてなりません。私の体験がポケモン事件解明に多少なりとも役立つことを期待して付け加える次第です。


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追記2 祖母の死


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 1998年2月18日祖母が亡くなりました。死因は肺そく栓、享年86歳でした。祖母も電波に大きく影響を受けていたことは以前から分かっていましたので、本日はその点についてお話し致します。

 祖母は6年3か月の間寝たきりであったのですが、病院には絶対に入れないでほしいということでしたので、ずっと家族の者が世話していたのです。祖母は裏の別宅に祖父(15年前死亡)と住んでいたのですが、祖父が死んでからも、また寝たきりになってからも、そちらの方が気が楽だということで、一人でそこで暮らしていたのです。当然世話する者は通わなければなりません。裏にあるといっても土地続きではありませんので、ぐるっと回って祖母の家に行かなければならないのです。母と姉と私の3人で協力して世話しておりました。まず私が朝行き朝食の世話をし、その後母が行って食後の後片付け、紙おむつの始末等をし、昼には姉が昼飯の世話、そして夕方に母が夕食の世話にまた行くといった繰り返しが6年3か月の間続いたのです。

 注目すべきことは祖母がお下の始末を自分でしていたことです。祖母はちょっと動かしても痛いと騒ぎ、せめて椅子に座れば楽であろうと起こそうとすると痛くで駄目だというのです。寝たきりですから日に日に筋力は衰えるばかり、最後には骨と皮だけの状態であったのですが、それでも不思議とお下の始末は最後まで自分でしていたのです。もっとも紙おむつはパンツ式のものではく、長方形のあてがうだけの紙おむつを使用していました。小水の始末にはそれほど不思議を感じないことでしょうが、大便も自分で始末していたのです。どうするかというと、排泄したものをティッシュでまるめてポットの中に入れておいてくれたのです。母が行く頃にはすませていて、それをトイレに捨てればすむのです。水洗ではなく汲取り式のトイレであったこともこれができた理由であります。ティッシュペーパーをたくさん使って丸めていましたので、水洗では流れなくなってしまいます。これができたために祖母の希望通り病院に入れずにすんだことは確かです。お下の世話までしなければならなかったら遠の昔に病院に入れていたことでしょう。そして祖母のこの排便がまさしく電波の操作と私は考えているのです。(もっとも私自身電波の悪用を確信する1995年までそれは当然分らなかったことです。)母が言っていましたが、祖母は毎日卵のような排便をしていると、驚くやら感心するやらしていたのです。排泄したものが絶えず硬めの便でなければ丸めることは不可能であります。私の記憶では、祖母の排泄の失敗は数回しかなかったと思います。6年3か月寝ていてほとんど失敗せずそのような排泄ができたということは、絶対に自然ではないのです。電波による排泄操作であったと私は確信しております。しかし、それが間違いないとすると、祖母への排泄操作は電波の善用とも考えられるのです。(私に対するものは全く逆の悪用です。)

 おそらく食にも電波による操作があったと考えます。死ぬ前日までしっかりと食事をしていたのです。死亡した当日、朝私が行くと、顔色が悪く、胸のあたりをさすっており、食事を出してもいつものようにすぐ箸をつけなかったのです。それでも私が帰る頃には食べ始めていましたので、箸がつけられればそれほど心配はいらないと思って帰ったのです。ところが2時間もしないうちに母が行ったときには大分悪くなっていたようで、祖母の了解を得て、救急車で運ばれることになったのです。そしてその日の午後5時には息を引き取るという、まことに急な死でありました。この祖母の死にはどうしても疑問をもたざるを得ません。

 電波の悪用を知った私には、祖母の生にも死にも電波の影響があったと思わざるを得ません。どちらも自然ではないと思うのです。祖母は電波によって生かされ、その操作を止め、しかも死を呼ぶ電波を発せられて死んだように思えるのです。死を呼ぶ電波とは、私が初七日の頃体験した、みぞおちあたりまでじっと感じる強烈な電波であります。同じような電波の攻撃を受けていたために祖母はあの朝胸を擦っていたのかもしれません。健康な私でさえあの電波を続けられたらそれ程長く生きられないと実感したのですから、弱っていた祖母に耐えられるものではないのです。祖母はそれまで電波によって生かされていたことも事実だと思いますので、祖母の生存を維持し、そして2月18日、死の演出をしたように思てなりません。これは電波による老人管理および死の演出の典型的例であると思います。


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追記3 似た人間(電波悪用主体と電波支援部隊の関係を知るために)

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 似た人間はどこにでもいると言われるが、私の周りで展開されていることは普通ではない。ここで似た人間というのは私がかつて会ったことのある人々のことである。はっきり記憶しているもので最初に計画的に現われたと思われるものは広島勤務時代に通っていたあるクラブの女性のそっくりさんである。当の本人は水商売ということもあり当時から化粧が厚く化粧を落とした状態で会ったときには本人と識別するのに苦労したほどである。東京転勤後も一度東京で会ったがその時もすぐに分からない状態であった。本人に会ってさえこの調子あるから似た人間であったらますます迷うのである。場所は喜多能楽堂、舞台に向かって最前列の右端が私の席であった。その隣に座ったのが彼女に似た女性である。あれこれ迷った末帰り際に声をかけてみたがやはり間違いであった。広島の彼女が東京に来ることはあったとしても能を観にくるような子ではないのである。以来、子供時代、学生時代、サラリーマン時代、また外国滞在時に面識の会った人々に似た人が頻繁に私の前に現われるようになったのである。

記憶しているものを列挙すると、子供の頃からの友人・知人、学生時代の友人・教授、サラリーマン時代の上司・先輩・同僚・女性、広島勤務時代のクラブの女性、留学中のクラスメート等枚挙に暇がないほどである。そしてこれらは仕掛けられたものであることは間違いないことである。

 しかも驚くべきことに本会参加者のなかにも似た人がいるのである。まずH.M.さん。Mさんはサラリーマン時代の常務取締役東京支店長に似ているのである。またK.N.さんは同じ時代の先輩の奥さんに似ているのである。さらにはS.I.さん。Iさんは学生時代のクラスメートに似ているのである。しかも弁護士との話のなかでいわおという叔父さんがいるそうであるが、そのクラスメートの名が巌だったのである。被害者の会発足前から散々似た人間が私の前に現われていたところに今度は会で同じ経験をすることになったのである。

 ここまで書けば全て理由のあることとご想像頂けるであろう。しかし私は会の参加者を疑うわけではない。逆に信用できるのである。それは時間をかけて巧妙に仕掛けてきていることは他のもろもろの経験からよく分かっていることだからである。Mさんの場合電波により攻撃を受けているとはっきりと認識したのは平成2年であるからそれから8年がたつ。Nさんは3年が経過している。Iさんの場合電磁波と認識して2年を経ていないようであるが、認識してからは7年は遡れるようである。はたして将来私の前に出現させるためにそこまで手を尽くして仕掛けてきたものであろうか。私は子供の頃から何者かにマークされていたことは間違いないことであるので私の動きを予期してあらゆる対策が立てられたはずである。これが事実であるか今のところはっきりしないが、私からみて三名の方が狙われた理由をそこに認めることができるのである。

 さて似た人間の究極はどこに行き着くものであろうか。それは私に似た人間かクーロン人間であろう。思えば小一年前、海岸へ運動に行った時、私の若かりし時そっくりの若者が車を運転するのを見たのである。私よりも私らしい顔をしていたのである。私より私らしい顔というのもおかしな表現であるが、今の私の顔は電磁波に歪められた顔なのである。電磁波の影響を取り去った自然な顔と表現した方が適切であろうか。これまでの経験から電波悪用主体ならクーロン人間を作っていても不思議はないと思うのである。それができるほどの畜生であることをいやというほど思い知らされてきたからである。

 似た人間を出現させる理由として精神錯乱を惹起させることも考えられるが、私が過去に面識のあった人々をここまでよく調査し、しかもそれに似た人間を苦労して探し出し、それだけでなく私の前にわざわざ出現させるという手の混んだことをする理由はさらに深く求められるべきかもしれない。ここまでするからにはしっかりした理由のあることと思えてもくるのである。『アラン・ユー・リポート』にあった視角の研究(私が見たことをその通りに他の人間が他の場所で見ることができるようにする)をしているのであろうか。拙著『武器としての電波の悪用を糾弾する!』で説明した映像(イメージ)の伝送はフランスの生体倫理委員会でも専門の学者によって正式に認める発言がなされたのである。それと視角情報を適確に掴みコンピューターとつなげてまた返送するシステムを完成させればまさにコンピューター人間を完成できるのである。似た人間を接近させ識別反応のチェックをしていることが考えられるのである。まさに科学技術と一体となって似た人間を出現させている可能性が考えられるようになったのである。電波悪用主体と支援部隊の姿が一段とはっきりしてきたように思われる。


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追記4    受診報告

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 受診目的:頭部インプラントの有無確認ため

 頭部に何らかの異物が発見されれば電磁波の悪用を立証する大きな手掛りとなることか
ら受診を決意する。三病院、四医師の診察を受ける。

受診日時および場所
 1月23日:八街病院、脳外科にて頭部X線写真を撮る。(写真2枚)
       即刻異常なしとの診断を受ける。
       (X線写真の貸し出しをお願いし、外国の医者に検査を依頼する。)
 5月18日:東大付属病院、脳神経外科で頭部をCTスキャンにて検査する。
   22日:CTスキャンの結果異常なしとの診断を受け、診断書を受領する。
       (浅井医師)
   26日:成田日赤病院、精神神経科でMRI検診を受ける。(安田医師)
 6月 3日:MRI検診の結果異常なしとの診断を受け、診断書を受領する。
       MRI検診のフィルムをコピーしてもらう。
  同日  :東大付属病院にてCTスキャンのフィルムをコピーしてもらう。

*八街病院で撮った頭部レントゲン写真につき非公式であるが外国より解答を受領する。
 内容は次のようなものであった。

  「貴殿の頭部には複数のインプラントと電極が埋め込まれており、そのために前頭葉
   に激しい脱水、酸素・養分・血液循環の欠乏が生じています。」

 日本の医者が真剣ではないことは分かっていましたが、私に日々生じている現象から頭部に何らかのインプラントがあっておかしくないと思っておりました。ですからこのような報告を受けても今さら驚きはしませんが、現代の技術ではインプラントの有無は問題なくなっていることも考えられ、はたしてどちらの見解が正しいものか私には判断つきかねるものがあります。さらにCTスキャン・MRIのコピーを見てもらい、また複数の医者の公式証言が待たれるところです。電磁波悪用問題を社会的に認知させるために私にできる最も身近な費用が少なくてすむ方法であります。被害者の皆さんにも受診の検討をお願い致します。


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