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国民管理(支配)のための装置「靖国」の限界と、今後のベクトル
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/1221.html
投稿者 縄文人 日時 2004 年 1 月 03 日 14:32:59:bfek92EqWeCqg
 

(回答先: 靖国の原点は慰霊ではない。戦死したテロリストの魂を招く宗教である。 投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 1 月 02 日 23:39:16)

「たけさん」に教えていただいた「グローバルアイ」のサイトを、
じっくり読ませていただきました。
「グローバルアイ」の主張は、実に一貫しています。
靖国神社が果たしている役割…それは、
「国家が戦死者を支配・管理するだけではなく、
 それを通して生者をも支配・管理し、
 遺族の怒り・悲しみを回収してしまう装置」なのだから、
「国家の首相」は、断固、堂々と参拝すべきだという主張です。

国家を管理する為政者にとって、国家の安寧こそ重要な課題でしょう。
それには当然、国民の感情の管理が不可欠です。
特に「お国のため」に息子や夫を戦地に送り出し、
戦争の犠牲者にしてしまった家族(遺族)に対しては、
その悲しみ、怒り、苦しみをあがなう何かが必要になってきます。
もしそういった感情を放置しておいたとしたら、
為政者は安定した「国家運営」も「国民管理」もできません。
そんな必要性から作り出された「装置」が「靖国神社」だったわけです。

これは「国家側」の都合だけではなく、
「国民」側からの要請でもあったと思われます。
「グローバルアイ」には、以下のようなくだりもあります。
  ………
田中伸尚は「靖国の戦後史」に遺族のこんな座談を紹介している。
「あの白い神輿が靖国神社へ入りなはった晩(招魂の御儀の夜のこと)な、
 有難うて、有難うて耐りませんなんだ。
 間に会わん子をなぁ、こないに間に合わしてつかぁさってなぁ。
 結構でござります。」
 お天子様のお蔭だわな。勿体ないことことでござります。」

「戦死した倅が靖国に帰ってきた」という信仰なくして
遺族が悲しみに耐えられなかったように、
われわれもまた愛と信仰なくしては、
一人の日本人として生きてゆくことも死んでゆくこともできない。
靖国神社に思いを致さないさむざむしさがいかに日本人を浅はかにしてきたか、
昨今の社会風潮をみても思い半ばに過ぎよう。
  ………
つまり靖国神社は「死者(戦没者)の慰霊」のためではなくて、
感情を持って生きている国民(遺族たち)の「心の慰め」のために、
誕生したとも見ることができるわけです。

しかし「靖国」が果たしている機能は、
「心の慰め」以上に「護国の誓い」を新たにさせることにあり、
それは「英霊」をして「いま生きている者」を戦闘の鬼へと変身させます。
これは非常にデリケートな深層心理的な作用かもしれませんが、
「ある空間」には「ある種の空気」がみなぎっており、
それが人の深層心理に働きかけることがありうることを考えるとき、
幕末の志士たちの「招魂」の儀式を根っこに持つ「靖国」に、
こうした無意識的な働きがあることは、決して侮れないものと思われます。

かくして「靖国」は、「戦没者の慰霊」ではなく、
幕末の志士たちに始まる「国家創建の闘志たち」の「招魂の場」として存在しています。
そしてその原理的起源は、「八幡神を源流とする男性原理」…。
これが「招魂」や「護国」のバックボーンとして息づいているわけですね。

だからこそ靖国神社には、一介の兵士の氏名が
階級、所属部隊、死没場所、本籍地、遺族、合祀年月日とともに和紙に墨書きされており、
その氏名の後には、神を意味する"命"の文字。
これは「天上から地上に降り立った霊の尊称」と言います。
かれらは戦地で散華したのちに靖国に祀られたのではなく、
生前に靖国神社への帰還を誓い、死して帰ってきた場所が「靖国」というわけです。

「グローバルアイ」には、こうしたことが縷々書かれています。
それを読みながら、つくづく思いました。
「国家」が「個人」を管理するには、こうした「装置」が必要かもしれないが、
そもそも「国家の個人管理(支配)」そのものに限界があるのではないかと…。

実際、長い人類史から見れば「国家の個人管理(支配)」はごく最近の出来事で、
1万年以上も続いたといわれる縄文時代の基本は「個」でした。
そしてその時代は、戦争はほとんどなく、平和な1万年が続いたことになります。
●参考↓
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=198

いまの世相を考えるに、一気に「国家解体」は無理だとしても、
集団主義の愚かしさがはっきりと見え出してきたいまの時代こそ、
「国家原理」を支えている「靖国装置」に代わって、
「共生原理」を機能させる新しいシステムの創出が必要なのではないか。
正月早々、「靖国参拝」のことから、そんなことを考えてしまいました。
このことに関しては、また改めて考えてみたいと思っています。
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=378

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