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「北進論」と「南進論」 − 「空間をもって時間となす」戦略を打ち破らなければならない「北進論」 −
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/369.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 04 日 02:10:59:Mo7ApAlflbQ6s

(回答先: ノモンハン事件の正しい反省とは? 投稿者 書記長 日時 2003 年 11 月 02 日 19:03:14)


書記長、こんばんわ。

「北進論」と「南進論」は、武力に訴えても国策を遂行するという戦前の日本を前提にすれば、極めて重要な論議対象になる問題だと考えています。

私自身は、中国との協調関係を確立した上での「北防南進論」が妥当で合理的な戦略だったという思いを持っています。
北=対ソは防衛を第一義とし、南=英米蘭仏の植民地を解放し経済圏に組み入れるという戦略です。
そのためには、まず、陸海軍が分断されていた統帥権を統合する必要があったと考えています。

書記長が再考を指摘されている対ソ戦は、松岡外相が独ソ戦開始後強く主張した戦略です。
ですから、対ソ戦は考慮外であったわけではなく、国策として考慮に値する対象だったはずです。


戦前の日本は、「北進論」(=朝鮮半島及び満州での権益拡大と対抗関係にあるロシア牽制)を基本の国策としていました。

「南進論」は、アジア地域南部が既に英蘭仏米の権益として確保されていて、日本はそれら列強との協調関係を重視していたことから、海軍が仮想敵国を米国と定めた時点でも具体的な国策にはなっていません。

「南進論」は、シナ事変の泥沼化と米英蘭の経済制裁を受けて浮上して来た国策です。
蒋介石政権への支援ルートを断つという目的と資源確保のために英蘭との戦争に備えるという目的が一体となって「南進論」が国策化されます。

「北進論」の主体遂行勢力は陸軍であり、「南進論」の主体遂行勢力は海軍です。
ご存知のように、戦前の日本は、統合幕僚機構はなく、陸軍参謀本部と海軍軍令部がそれぞれ天皇に直属しているかたちで統帥権が機能し、せいぜい連絡会議がもたれるというものでした。

「北進論」は、既に満州全域と朝鮮を支配下に置いていた日本にとって、ソ連沿海州地域攻略を海軍に支援してもらう程度でほぼ陸軍のみで遂行できる国策でしたが、「南進論」は、陸海軍が一体となった作戦を立案し、陸海軍が一体となった戦いを進める必要があった国策です。

対米戦以降は「南進論」に拠った戦争ということになりますが、統合統帥部が存在しないままよくあれだけの戦争に踏み切ったことだと感心しています。
(戦史的に有名なガダルカナルに海軍が飛行場を建設しようとしていることさえ陸軍は知らなかったのです。そのツケは逐次投入された陸軍部隊が負うことになります)

戦争形態論としては、「南進論」は短期決戦になり、「北進論」は持久戦にならざるをえないものです。
それは、相手国の領土に侵攻する戦い(対中国・ソ連)と相手国の植民地に侵攻する戦いと(英蘭米仏)いう違いに拠ります。
日本は、シナ事変でそれほどの軍事力を持っていない中国との戦いを4年経っても決することができず、その処理をめぐる米国との対立のなかで対列強戦に踏み切ります。

中国は、その広大な領土を利用して、不利な戦いでは即座に撤退する戦術を採りました。
蒋介石は、「空間をもって時間となす」という軍事思想で日本軍に対峙し、日本を消耗著しい持久戦に引きずり込みました。

「南進論」は、ある意味での「北進論」が破綻するなかで苦肉の策で採用されたものです。


>満州とか東部シベリアの天然資源というのは近代市場経済では使いづらいものなので
>しょうか。「北進論」が退けられ「南進論」が採用された理由には、南方の資源の方
>が魅力的だった理由がなければならないと思うのです。

満州の資源は利用されています。(石炭・鉄鉱石・食糧など満州の資源は「大東亜戦争」に貢献しています)

極東シベリアの資源は、戦後50万の日本軍捕虜が労役に就かされたように、十分な開発はされておらず、緊急事態に陥った当時の日本にとっては使いづらいものだったと言えます。

南方の資源は、英蘭仏が既に開発して商業ベースに乗せていたものですから、即効性という意味で魅力的だったはずです。

>もし、日本がノモンハン事件あたりから対ソ戦争を中心に戦争計画を立案実行してい
>たら、ソ連は独ソ戦争に耐え切れずに崩壊し、そうしたら欧州で孤立したイギリスは
>ドイツに征服されたかもしれません。すくなくともドイツは2正面作戦を継続するこ
>とは避けられたはずです。

ノモンハン事件の戦況判断がまず重要なテーマになりますが、日本陸軍の戦争計画は、一貫として、対ソ(ロシア)戦争を中心にして立案されています。

満州事変そのものがその一貫として完遂されたものであり、シナ事変も国民党政権と防共問題が大きな争点となったように、対ソ戦略に大きな影響を受けた戦いです。

ご存知のように、日本軍は、独ソ戦でドイツが有利な状況で関東軍大特種演習の動員を掛け対ソ戦に備えたように、昭和16年(1941年)夏の時点でも「北進論」を捨てたわけではありません。
しかし、8月末時点で、独ソ戦は持久戦になるとの判断を持ち、「北進論」は捨てられ「南進論」が現実的課題となります。

日本は、常に極東ソ連軍の配備状況を精査しており、独ソ戦がソ連不利のなかでも増強される事態を知り、独ソ戦に乗っかった対ソ戦を断念しています。
この判断は妥当で、日本軍が対ソ戦に踏み切っても、「ソ連は独ソ戦争に耐え切れずに崩壊し、そうしたら欧州で孤立したイギリスはドイツに征服されたかもしれません。すくなくともドイツは2正面作戦を継続することは避けられたはず」という戦況にはならなかったと見ています。

うまくいったとしても極東ソ連にわずかに攻め込んだ段階で膠着状態に陥り、欧州戦線に影響を与えないとは言いませんが、それほどの影響を与えることはなかったと考えています。
独ソ戦開始後も、量的にも中国正規軍よりも大きな100万規模のソ連軍が国境線中心に駐屯し、兵器の増強が続いていました。

対ソ戦は、蒋介石の「空間をもって時間となす」という軍事思想がそのまま日本の重しとなってのしかかる戦いです。
ドイツでさえ、ソ連欧州部の範囲で兵站問題に悩まされ、わずか2ヶ月ほどで侵攻は膠着に陥りました。
たとえ、モスクワが陥落していても、日本が南京を陥落させても勝利できなかったように、ドイツが勝利することはなかったと推測しています。


日本は、中国との協調関係を確立するとともに対ソ連防備を図りながら、英蘭仏の植民地を解放する戦略を陸海軍一体となった「南進」政策を採るのが合理的選択だったと思っています。

海軍首脳の亡国的作戦が退けられたという前提で、シナ事変のために大陸中国に投入した100万ちかい陸軍兵力を占領した南方地域の防備に投入していれば、まったく違った戦況になっていたはずです。
それこそ、対米戦を避けながら絶対国防圏=大東亜共栄圏を防衛するために、太平洋島嶼を不沈空母&要塞とした戦いができたと思っています。

そのような戦術を採っていれば、米国が対日戦を仕掛けてくることはなかっただろうと推測します。


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