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身体と地球そして宇宙
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投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 11 月 26 日 20:44:45:WjxaaVdW72Wrk

(回答先: Re: 人間の地平 投稿者 如往 日時 2003 年 11 月 26 日 04:45:42)

如往さん、今晩は。


これが完成するより先にお返事を頂いてしまいました。
言うのが失礼な気もするのですが、拝読して、如往さんにとっての一つの大切な思索上の結び目が創られたのでは…とお察し致しました。

*

それまで、ご提起を受け、三島由紀夫に投象された如往さんの「呈上」を通してこの呈上とは何なのかを知ろうとしていました。
そして、それは私たちに果たして切実に関わり来るのだろうかという事を追求していました。三島由紀夫自身の事はもういいんで
すが、板内でこれからの「鍵」概念として共有されつつあると想われる「身体性」という言葉を、彼に関して使われており、いささか
気になりますので書き込ませて頂きます。

三島由紀夫の場合、身体性と言うより実は肉体性と表現した方が良いような気がします。(あるいは身体性の貧困)
身体という言葉を使うとき、私の実感としては、脳内の体性感覚が他者・世界との関係生成に向かって開かれて統合されている
時の自己経験であり、不分明に、時には融合して経験される他者・世界がそこには含まれています。

肉体性というときは、そこには観念的な次元での生体のイメージが、筋肉や脂肪などによる物量感と結び合った生体経験と外形的
イメージの連合を感じます。

このように軽く前提して三島由紀夫の身体性の貧困( 自己と関係生成し融合する他者・世界経験の貧困 )を照明するとしたら、
都合のよい作品があります。三島由紀夫自身が激賞していたレイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」と彼自身の「潮騒」です。
この二つを並べた時、私が上で述べた事は了解していただけるように想います。

ラディゲの「肉体の悪魔」はご存知のように、年上の人妻と主人公の若者が不倫に陥ってゆく話です。この流れを、くどく、重くなり
かねない題材にも拘らず、初々しさを失わず、そのくせ深い情の存在を見通した目で書いています。
これは主にマルトとの関係が紡がれ、意識化が避けられつつも寄り添って行くの中のエロチスムが、相手との関係の生成の魅惑と
して表現されているからだと想うのです。まさに身体…題名が肉体の悪魔であるにも拘らず…。
素直で純度ある若い才能でないと書けませんね。

一方で三島由紀夫の「潮騒」、白けてしまった。彼はお肉を書いています。
少年と少女の初々しい馴れ初めの時に、ゴム毬のような乳房といった表現、どうも表現として品下る。若造にも至らない頃にこれを
読んで違和感を覚えました。自己イメージに合わない舶来物のオーデコロンを使っていると解らないでいるようなものだ。(鼻が利か
ないようなもの?)

ここには肉体への観念的かつ肉感的拘りはあっても、身体の経験から来る生命感が、他者・世界に向けて自ずから展開し、深くか
ら魅するようなタイプの展開は無い。

これは本人には自覚できないのでしょう…。そしてこれは無意識の深みからも個の生命性を下支えするもの、すなわち如往さんの
仰る『命生み命育むMatrix』を内から次第に衰えさせ、彼が観念構築と修辞の天与の才によって支えていた外殻は、内的生命性
意識性の循環の秩序生成力を失い、内的には瓦解過程に入ってしまったのかもしれません。
人気が失われ、鉱物的風景を呈している大宮殿。


亡くなった三島由紀夫に対し、死者に鞭打つような事を書いてしまっていますが、この事が当たっているとすれば、自らを支えてき
た『命生み命育むMatrix』を、外からも内からも失い続け、ネットワーク等にある情報と凍結したイメージの仮構世界で生き続けて
いる日本人の危うさを、三島由紀夫の死は知らず語っているように想います。これは、日本と同じ過程を踏みつつあるアジアの各
国で、これから共通に抱える事かもしれません。その救済策は、アジアであればアジアの国土文化と身体そのものの中にあると
想います。


ps.
軍と天皇にこだわった三島由紀夫と石原莞爾、この二人を並べたとき、天皇と軍、日蓮宗を剥奪してもなお石原の基盤に何か掴み
切れない“こんこんと湧き続けるもの”を私が感じるのは、石原莞爾の根源に“それ”が生きていたからではないかと感じています。
彼が総てだとか一番だとか全く考えてはいませんが、日本人の可能性を見直す手掛かりの一つとして。天皇だ右翼だといった事を
抜きにして石原莞爾をみてみることは、今の日本にとってお薦めかもしれないと想っております。
敗戦後、彼が国の再創造への意欲を失わなかった事が不思議に感じるのですが、彼は深刻な挫折経験はしなかったのだろうか…

なお如往さんのおっしゃる『命生み命育むMatrix』と併行するような思考は私も書いてきたつもりですが、この言葉が指し示す事を、二宮尊徳翁は既に江戸時代末期に見つめ、生かしてきたように感じます。彼の世界観・生命観は私にとって不思議です。廃墟と申しますか、荒蕪地となった地域を無一物から豊かな地に再創造したのですから。
彼は土地の開拓ではなく人間の開拓なのだと言っていたようです。

まだまだ他にもお話したい事がありますね。
地球の持続的経営を可能にする“構造改革”(笑)はどうあるものか。呈上に対向となる動き(私はこちらの方が先でした)はどういうものか。そして覚有情→←‘ability obliges’の根源など…。
呈上に対向となる動きとは一つの循環路のうちにベクトルが正反対の動きが併行しているもので、贈与の動きの対を成している双
つの方向であり、上向と下向する動きの対です。
単なる思いつきなんですが、何かメビウスの輪の裏表のような運動性をイメージさせます。これは馬場さん(きゃべ爺さん)の通貨シ
ステムに関する思考実験に対し、インターフェースを求めて繋がってゆくような気がしています。


ゆっくりと育まれるものを待ちつつ…では、またよろしくお願いいたします。

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