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今後の世界と日本 − 補足1 −    [如往さんへ]
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投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 11 日 22:07:49:Mo7ApAlflbQ6s


如往さん、レスありがとうございます。
示唆に富む後半部分に応えるのが本道かとは思いますが、順を追って思うところを書いていきます。


■ 経済理論

如往さん:「あっしら流経済原理の解明はマーケティング論的に言えばプロダクト・アウト(=供給重視)の基調に重心が置かれていると理解しています。無論、マーケット・イン(=需要重視)の発想によるフィード・バックを内包していないと断じることはできません。けれども、双方向を統合した、所謂(国家)経営論の提示までには至っていないと思われます。それは、そこまでの誘導に与しないとのあっしら氏特有の弁別によるのか、どこかに提示されていても見逃してしまっているのか、あるいは私の想像力不足によるものか、判然とはしていません。」
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 これまで書き込んできた経済理論は、あくまでも「近代経済システム」がいかなる論理に支えられて動いているのかを明かにするためのもので、前近代や後近代に在り様を推測したり、国家経営論を確立するためのものではありません。

 また、供給→需要(供給=需要)は、いわゆる供給重視や需要重視というものではなく、時間的経過はあるとしても供給と需要は不即不離であり、供給か需要かという措定そのものが誤りであるという主張です。
(経済学的素養がある方に向けて供給重視的な説明もしていますが、それは、供給→需要(始源が供給であること)を強調するとともに、異端的経済論理の理解を得やすくするためのものです)

 供給=需要はすなわち利潤なしを意味しますから、利潤獲得の現実性すなわち供給<需要が達成される条件を国民経済的枠組みのなかで説明しています。
(供給<需要は、貿易収支黒字によって実現され、短期的には財政赤字支出によって可能だという見方です)

 ほとんどの人が生存維持手段(生産手段)を持たず貨幣経済が普遍化している経済社会(国民経済)には、供給→需要(供給=需要)という根底的な論理が貫いています。

さらに私が主張している経済論理の基本は、マクロ経済=ミクロ経済という見方です。

とても目で追いかけることができないほどの交換が行われているのが「近代」です。
だからこそ、マクロとミクロという区分的発想が出てくるとも言えますが、マクロ(国民経済)はミクロ(経済主体=企業)の社会的分業(貨幣媒介の交換)の総合的把握であり、ミクロはマクロ(国民経済)の規定性から逃れられない存在です。
切り離されたミクロ経済論は経営論としては有効であっても、“経済学”としては二つは同じ不即不離なのです。

そして、それなりの時間を費やして書いてきた経済論理は、後近代においてはまったく無用の長物すなわちゴミになってしまうものです。

なぜなら、“彼ら”が企図している脱産業近代ではない後近代では、近代とはまったく異なる経済活動誘導因が貫き、交換はあっても貨幣媒介的交換はなくなるからです。


■ 合作論

如往さん:「合作論に関する氏の基本的姿勢が、「合作」を考察の梃子として重視する、もしくは共通の視点を仮設するためのたたき台として提示することにあるとは、私も含めてあっしら教信徒(?)の多くの人達は心得ているのではないでしょうか。私も“奴ら”が予め謀略を画しているとは考え難いのですが、歴史的に涵養されたエートスの基に貨幣的富の拡大の機会を探索し、必要ならば他者と謀議・合作し策略を遂行していくことは十分考えられ得る所作だと思います。」
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 経済学や政治学が成立していることから、経済社会や国家の動きを自然現象的なものとして見る性向はそれなりの支持を受けていると思っています。
(ある特定者の思惑で経済社会や国家が動いているとしたら、経済学や政治学は成り立ちませんから)

 「歴史的に涵養されたエートスの基に貨幣的富の拡大の機会を探索し、必要ならば他者と謀議・合作し策略を遂行していくことは十分考えられ得る所作」が、いわゆる陰謀論であり、「“奴ら”が予め謀略を画している」ことを意味します。
(それがどれほど実効性があるものでどれほど深く浸透しているかについての見方は様々でしょうが)

 ざっくばらんに言えば、「フセイン合作説」なぞはかわいいもので、ロシアや中国そしてマンデラ南アフリカやジンバブエそしてアラブ諸国の支配者も揃って合作者だと思っています。
 そんなことはないだろうという淡い期待もありましたが、9・11以降の世界を眺めてきて、なあ〜んだ、そんな世界だったんだと納得してしまいました。
(小国やぼんくら国家はともかく、主要国(政府もしくは特定機関)は、9・11が米国政権の“陰謀”であることはみな承知しているはずです。そうでなければ近代国家を統治することなぞできません)

 合作者でなければ国家の支配者になれないとは言いませんが、その地位を長期に安定的に維持することができないのが現在の世界だと思っています。
(反乱や内戦でさえ、自覚的かどうかは別として、“彼ら”の公認を得なければできないものです)

 9・11からイラク侵攻までの歴史は、このような世界の実態を晒してくれた貴重なものだとも思っています。

 だからと言って、悲嘆することも怯えることも落胆することも無用です。
 ただそういう現実だと踏まえればいいだけの話です。


■ 共同体論

 如往さんの「おそらく“奴ら”は共同体論には興味がなく彼らの追求するのは結社論ないしは結社連合としてのカルテル論であるのでしょう。彼らの寄生的性格から言えば、固より共同体の発想には疎く、重要視するのはより効率的で永続的な寄生状態の現出に有用な結社という個の結合だけだと想われます。しかし、“奴ら”でもなく“奴ら”の予備軍でもない我々は、迫り来る奴隷状態にたいする抵抗やそれからの解放のためには新たなる共同体論を模索してゆかざるを得ないでしょう」という考察は極めて示唆に富んだものだと思っています。

 寄生者である“彼ら”にとって共同体は宿主でしかないありません。
 共存共栄性が保たれた寄生者−宿主の関係であれば、“彼ら”も共同体論を提起することもできます。
 一時的に共存共栄性が可能であった時代・地域の産物が、国民国家論という共同体論です。
 逆に言えば、脇っちょで掠め取るのではなく、堂々と丸取りの寄生をめざすのであれば、共同体性を納得させなければ不可能ということであり、共同体性が完全に喪失した社会は成り立たないということでもあります。

 しかし、自己の実存性や経済論理を知悉している“彼ら”は、共存共栄の寄生者−宿主関係にある寄生者だという表明はできず、隠れ蓑として国民国家論を打ち出しました。
 国民国家は、吉本流に言えば、擬制の共同体です。
 共同体性の本質を持たず共同体性に“堕ちていく”こともできない“彼ら”は、寄生者であり続けるために、結社をつくり、制度や機構をつくり、擬制の共同体をなんとか維持しようとしてきました。
 それどころか、自分たちの寄生が剥ぎ取れられないよう、反対派になり得る層にも結社を促してきました。
(結社の魅力はトップによって組織全体が統率できることです。反対派になる可能性がある層を政党や労働組合に囲い込むことで、トップを取り込みさえすれば、多くの反対派を押さえ込むことができます)

 結社は、形式的な民主主義性をもっているとしても、ピラミッド的な構成員の支配形態です。
(民主主義的選択は、下からではなく上からの浸透の結果であることを考えればご理解いただけると思います。秘密結社であれ、政党であれ、労働組合であれ、新参者は、組織が持つ価値観・理論・規律・規則を教えられるのであり、地位が上がっていくに従い“秘儀”を手に入れるものです。そして、上から下に新たな政策が伝達され、その是非をみんなが判断するというものです。トップは側近に意向を伝え、側近は中間幹部に意向を伝え、中間幹部が下々に以降を伝えます。この仕組みを自覚しないまま、下々は、自分が判断して選択したと思い込んでいるだけの話です。仕組みを自覚した反対者は、結社から放逐されることになります)

 国家機構そのものが結社であるということは、このような仕組みの拡大版でしかありませんから説明は不要でしょう。
(国民とは偽りで、国家という結社の構成員だということです)

 「迫り来る奴隷状態にたいする抵抗やそれからの解放のためには新たなる共同体論を模索してゆかざるを得ない」という提起については、奴隷状態は迫り来るものではなく、既に奴隷状態にあるという自覚こそが、悪化するであろう奴隷の処遇に対抗でき、最終的には奴隷から脱する必要条件だと考えています。

 奴隷が別に悪いわけではありません。奴隷であるという自覚がないことが、悪であると同時に救いなのです。

(生存維持手段を持たない者は奴隷なのです。そして、一般的には、活動力の対価として生存に必要な物を供与してもらえる者が奴隷だと思われ、活動力の対価として貨幣を供与してもらえる者はそうでないと言われているだけの話です)


 如往さんの「70年代以降、「日本はブルジョア革命を経ずして変革のドライビング・ホースを形成し得るか。あるいは将来的にもブルジョア革命を経験しないであろう日本が変革のドライビング・ホースを形成するためには何に依拠すべきか。」と、同様に「新たなブルジョア革命の様態、21世紀におけるブルジョア革命の外貌はどのようになるか」は、左翼系知識人の問題意識の中核部分を構成していたと想います」という考察ですが、如往さんの“近代的自我”にも通じるもので、遅れて「近代」に入った日本では常に問い掛けられるテーマだとは思っています。

 “近代的自我から共同体性を捉え直す道”と“非近代的自我(共同体依存的意識状況)から自我を捉え直す道”があると思っています。

 ブルジョア革命は、ブルジョアの自由度を拡大するためのものであり、その他の人たちを国家という結社の下々の構成員に投げ込むものでしかありません。

 日本は、“非近代的自我(共同体依存的意識状況)から自我を捉え直す道”をめざせばいいだけだと思っています。
 日本の現実は立派な「近代」です。現実にある問題と諸条件をどうやって自分のために解決し生かすようにするのかを考えることでそれは達成できるはずです。


 如往さんの「「あっしら流経済原理を援用する共同体論とは何か。」と、すなわち「創設すべき共同体とは、その共同体を支える理念とは、共同体経営の原理とは。」一体何になるだろうかと、時々私は想いを廻らしています。同時に、上述の問題と重なりますが「共同体の建設を主導し担い手として核になるべき層ないしは群とは何か、それは現実に新たなる共同体論を構築し得るか」も主要なissueであると意識していますが、遺憾ながら今も尚答えを見い出せずにいます」は、“あっしら流経済原理”は共同体論になんら関わりがないものという前述の説明をまずさせていただきます。

 具体的なイメージは打ち出さず、理念的なものをぱらぱらと表明してきただけですが、それは、現段階では共同体論はそれほど差し迫ったものではなく、グローバリズム的新自由主義に対抗する国民経済論こそが重要だと考えているからです。

 そして、グローバリズム的新自由主義に対抗する国民経済論は、必然的に、めざすべき共同体(国家社会)がどのようなものであるかを浮かび上がらせることになると思っています。


 如往さんの「少し前の共同体論の立論公式(function)には、例えば「聖なるもの」、「プロトコル」、「物語」等のparameterが提起されたのですが、あっしら氏ならばどんなものを対置されるでしょうか。あるいは新たにどんなparameterが必要だと思われますでしょうか」は、「聖なるもの」・「プロトコル」・「物語」なども、支配−被支配という共同体構造を支えるための観念だと考えています。
 ここまで到達した「近代」が、高い生産力とグローバルな社会的分業を構築しています。それをどう自分(一人一人)の“快楽”に活かすのかという問いだけで十分だと思っています。
 「聖なるもの」・「プロトコル」・「物語」は、寄生者−宿主・支配−被支配という関係性を内包する共同体であるが故に必要とされるものです。
 必要なことは、「聖なるもの」・「プロトコル」・「物語」の手段性や虚妄を解き明かす作業かもしれません。


 如往さんの「また、氏は“奴ら”も我々(人間)の本性の一部を反映しているに過ぎぬと捉え、それゆえ“奴ら”と話し合うことも可能だと推察されているように見えますが、では彼らを話し合いのテーブルにつかせるにはどのようにしたらよいのでしょうか。彼らにその寄生的性向を払拭させることは難しいでしょうし、どんな条件提示をしたら少なくともテーブルにつく気になるのでしょうか」については、結社ではなく諸個人が強固な結合力を示すことで可能になると思っています。

 寄生者である“彼ら”がもっとも恐れる相手は、共同体性を自覚した自由な個人の結合です。

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