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リチャード・ヴェルナー氏の言説を考察する。今日のぼやきより
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 24 日 15:53:27:ieVyGVASbNhvI

 
「489」 リチャード・ヴェルナー氏の言説を考察する。彼の著作『虚構の終焉』と『謎解き!平成大不況』、及び『なぜ日本経済は殺されたか』と『福井日銀危険な素顔』についての批評文。 2003.10.23


オランダ在住のSNSI研究員の吉田(Y2J)です。今日は2003年10月23日です。
最近リチャード・ヴェルナー氏が精力的に著作活動を展開している。このSNSIのサイトにもヴェルナー氏に対する問い合わせが来ている。直截には「副島隆彦はヴェルナーについてどう思うか?」という質問が寄せられている。本稿ではリチャード・ヴェルナー氏の理論の紹介とその言説が何を意味するのかを考察することを目的とする。

リチャード・ヴェルナーと言えば2001年に出版された『円の支配者』(草思社)で「日銀陰謀説」を唱えたことで有名になったのでご記憶の方もあると思う。あの本はもっぱら「陰謀論」の類いの本とされてしばらく忘れられていたが、最近「本格的な経済理論書」という触れ込みの『虚構の終焉』(PHP研究所)という本を出した。また、そのエッセンスを分かりやすく説明したという入門篇が『謎解き!平成大不況』(PHP研究所)として同時に発売されている。筆者は『円の支配者』は上記の理由により未読だが「本格的な経済理論書」ならば議論のためにも有用であろうと思い読んでみる気になった。

<著者情報>
リチャード・A・ヴェルナー Richard A. Werner
1967年ドイツ・バイエルン州生まれ。オックスフォード大学大学院博士課程を経て、東京大学大学院で経済学を専攻。ドイツ銀行証券株式会社(1989)、野村総合研究所経済調査部(1990)に勤務ののち、日本開発銀行設備投資研究所(1991)では初の「下村フェロー」に。91年末〜93年オックスフォード大学経済統計研究所の研究員として、日本銀行金融研究所および大蔵省財政金融研究所で研究を重ねる。94〜98ジャーディン・フレミング証券(アジア)のチーフ・エコノミスト。97年より上智大学講師。98年プロフィット・リサーチ・センターを設立し、取締役チーフ・エコノミストに就任。2001年より財団法人電気通信共済会の資産運用委員会委員。2003年の世界経済会議(通称ダヴォス会議)では Global Leader for Tomorrow の一人に選ばれた。
91年、処女論文 “The Great Yen Illusion” で、日本が「歴史的規模の不況型クレジット・クランチ」に移行し、日本の銀行が破綻しかねないことを指摘した。2001年に日銀の闇の部分を著した『円の支配者』(草思社)がベストセラーに。同書は “Princes of the Yen” として米国で発売予定。氏の論文は内外の専門誌でつねに大きな注目を集めている。
<以上、『虚構の終焉』巻末著者紹介より>

<書籍情報>
『虚構の終焉―マクロ経済「新パラダイム」の幕開け』 リチャード・A. ヴェルナー (著), 村岡 雅美 (翻訳)
単行本: 387 p ; サイズ(cm): 182 x 128 ; 出版社: PHP研究所 ; ISBN: 4569627145 ; (2003/03)
目次:
プロローグ 邪神崇拝
[第1部] 謎――フィクション経済学の破綻
第1章 効果がなかった財政政策
第2章 金融政策もまた無効だった
第3章 90年代以前の目覚しい経済実績の謎
第4章 構造改革無効の謎
第5章 予想外の景気回復の謎
第6章 貨幣の流通速度低下の謎
第7章 日本の資産価格の謎
第8章 日本の資本移動の謎
第9章 日本の銀行貸出の謎
[第2部] 解決――ノンフィクション経済学構築の試み
第10章 分解信用数量説とその基本モデル
第11章 貨幣の流通速度の謎を解く
第12章 成長率の決定要因
第13章 資産価格のバブルと崩壊の原因
第14章 日本の資本移動の決定要因
第15章 財政政策はなぜ効果がなかったか
第16章 こうすれば90年代に景気は回復できていた
第17章 80年代の銀行貸出はいかに決定されたか
第18章 ノンフィクション経済学構築に向けて
エピローグ 金融政策の目標と中央銀行が果たすべき役割

『謎解き!平成大不況―誰も語らなかった「危機」の本質』リチャード・A. ヴェルナー (著)
単行本: 222 p ; サイズ(cm): 182 x 128 ; 出版社: PHP研究所 ; ISBN: 4569623158 ; (2003/03)
目次:
第1章 日本の十年不況は世界最大の謎
第2章 現実とはかけ離れた「主流の経済学理論」
第3章 経済学理論のここが間違っている
第4章 謎は解けた! バブルそして平成大不況
第5章 日本経済は驚くほど簡単に回復できる
<以上、書籍情報>

――――――――――――――
吉田(Y2J)です。はじめに、ヴェルナーは経済というものを考えるにあたって、何よりも貨幣に注目し貨幣を中心にして考えていることに留意しておこう。この意味ではマネタリストであるが、いくつかの点で通常のマネタリストとは異なる。
まず、氏は近代経済学では前提となっている「数量方程式」の批判から始めている。数量方程式とは、以下の式のことである。

数量方程式: M × V = P × Y

「M」はマネーサプライまたは貨幣量をあらわし、「V」は貨幣の流通速度をあらわす。「P」は価格をあらわし、「Y」は産出量をあらわす。マネーサプライと貨幣の流通速度を掛け合わせたものは、価格と産出量を掛け合わせたものに等しいことをあらわしている。

ヴェルナーは上の式の「Y」とはもともとは、つまりアメリカが生んだ最高の経済学者(ミルトン・フリードマンの評)であるアーヴィング・フィッシャーが1911年にこの式を紹介した当時は、具体的な取引の数(T)であったことを指摘している。また、Pも具体的な、取引ごとに支払われる価格を指している「交換方程式」であったと指摘している。なぜPY(全ての価格に全ての生産量を掛け合わせたものだから名目GDPと等しい)のYをわざわざ取引の数という昔ながらの方式を持ち出したかというと、現実の取引にはGDPに含まれない取引があるからだとする。それは株や債券による金融取引や不動産の取引を指す。したがって、上の数量方程式は「GDPに含まれる取引」をあらわす数量方程式と「GDPに含まれない取引」をあらわす数量方程式のふたつをそれぞれ分けて(分解して)考える必要があるとする。

現に、1980年代から先進諸国で流通速度(V)が低下する減少が見られるが、GDPに含まれる取引と含まれない取引で分けて考えれば、問題は解決される。すなわち、GDPに含まれる取引では流通速度は変わっていないが、GDPに含まれない取引が増えて来たため、両者を区別しない従来の貨幣数量式MV=PYでは流通速度の低下となってあらわれる。

(『虚構の終焉』 151ページより引用開始)
取引全体(PT)と表すために名目GDP(PY)を利用できるとの暗黙の仮定から問題が発生していることは明らかである。GDPの取引はすべての取引の一部である。したがって、所得またはGDPを用いて取引を表している主流の数量方程式(MV=PY)は、資産取引などGDPに含まれない取引の価値が一定の期間のみ信頼性がおけることになる。しかし、価値が上昇した場合には、伝統的な貨幣数量説、MV=PYは、貨幣が名目GDP(PY)以外の取引に利用されることから、外見上、流通速度Vが低下すると予想しなくてはならない。
(『虚構の終焉』 より引用終了)

次に、ヴェルナーはマネーサプライまたは貨幣量(M)についても問題があるとする。例えば、マネーサプライをM2+CDで定義すると、その中には日本の郵便局が含まれていないため、貯蓄者が郵便貯金から銀行にお金を移しただけでもマネーサプライは増加してしまう。また、M1,M2,M3などの「Mの尺度」にははっきりとした境界がないという本質的な問題があることを指摘する。

(『虚構の終焉』 157ページより引用開始)
M1,M2,M3などの一般的なマネーサプライの尺度は、主に銀行などに預けられているマネーを指している。預金はまず引き出す必要があるため、これはいかなる時点においても、有効な購買力ではなく、単なる潜在的な購買力である。(中略) 次第に幅広くなる民間部門資産の定義がMの定義に利用されない先験的な理由はない。この点から見ると、定期預金、CD、債券、そしておそらく不動産でさえマネーとして定義することができよう。このアプローチに沿ったMの明確な定義がないという事実は、何かが間違っている可能性を示唆しているといえよう。ミルトン・フリードマン(1956)は「マネーとその他の資産のあいだには絶対動かせない境界線はない」と認めている。
(『虚構の終焉』 より引用終了)

ではどうするか?ヴェルナーは「信用(credit)」を用いればよいと言う。「信用」とは具体的には銀行の貸し出し高や融資の供与のことと解してよい。

(『虚構の終焉』 160ページより引用開始)
交換方程式において、Mはある期間の取引の支払いに利用されたマネーの量と定義されるため、銀行預金はΔM(引用者注:マネーサプライの変化量すなわち銀行の信用創造量)の正確な尺度とはならないことがわかる。預金はある時点で金融循環から退場したマネーの量であるのに対し、信用の変動は実際に利用されたマネーの量を示している。預金の伸びが信用の伸びと同じである場合、この二つは代替可能となる。
(『虚構の終焉』 より引用終了)

また、ヴェルナーは銀行の「信用創造」の役割および影響が無視されていると論じている。それには、経済学の教科書に載っている「信用乗数」的な見方が原因であるとしている。

(『虚構の終焉』 164ページより引用開始)
たとえば、銀行が100ドルの預金を受け取ったあと、1%の預金準備を残して、99ドルを貸し出し、1ドルを預かる。次の銀行が99ドルの預金を受けて同じことが行われて、100ドルの預金から始まった総貸出額は9900ドルとなるまで続く。各行は預金されたものを貸し出しているように見える。さらに、この例は預金からプロセスが始まったような印象を与える。そのため金融仲介者としての銀行のミクロ経済学と金融論の見方が維持される。
 しかし、より大きなくくりで銀行の信用乗数を示した方が正確で、有益であろう。銀行が100ドルの預金を受け取り、100ドルを預金として保有し、同時に同じ100ドルを99人の異なる人々に貸し出す。こうして100ドルの預金を受け取った銀行はこれをもとに9900ドルを貸し出した。
(『虚構の終焉』 より引用終了)

これがヴェルナーの主張の中心である。銀行は何も無いところからお金を「創造」できるという、信用の重要性と性質が分かった。また、信用の市場はまた「割り当て市場」であり、少ない方(この場合は供給側)が「人為的」に決定できる。企業は銀行に金を借りに行き、銀行は貸すかどうかを決定する仕組みになっていることを指摘する。

ここから賛否が分かれると思うが、中央銀行(日銀)は民間銀行に対して「窓口指導」によりこの信用の量をすべてコントロールしていたという。したがって、ハイパワード・マネー(民間銀行が中央銀行に預ける準備預金+現金通貨)やM2+CDなどマネーの量を調節しても、より重要な信用は日銀が把握しているので、効果がなかったことになる。ヴェルナーはそれを各種の新聞情報や実際のインタヴューからの証言で裏付けたとする。

(『虚構の終焉』 271ページより引用開始)
日銀はまた、経済における資金配分にも目を光らせていた。日銀はどのセクターが資金を得たかということだけでなく、資金を得た主要銀行の名前も知っていた。(中略)信用統制は八十年代にはきわめて有効だった。日銀職員によれば、銀行が窓口指導による彼らの貸出枠を超えることは実際には決してなかった。というのは、これを超えれば即座に制裁が下されるからである。(中略)インタヴューを受けた人々は明らかに、日銀の金融政策手段のなかで、信用統制が最も有効で重要だと考えていた。「窓口指導は金利よりも強力であり、公定歩合よりも強力である。直接効果があるのだから」(日銀職員五)。「ふつうは公定歩合の変更と窓口指導をワンセットにする。いちばん多いのはこのケースだ」(銀行職員五)「窓口指導は最強の規制なのだ...窓口指導が重要なのは、貸出はマネーサプライの大きな部分を占めているからである...貸出が増えれば、預金が金融システムに戻ってくる。貸出はマネーサプライにかなり大きな影響を与えるので、その量がインフレ率を左右する」(日銀職員七)
(『虚構の終焉』 より引用終了)

通常の新古典派経済学では、中央銀行が操作できるベースマネー(ハイパワードマネー:H)の量は貨幣量(マネーサプライ:M)と以下のような安定的な関係があるとされている。

M = (1+α) / (α+λ) × H    (α:現金預金比率、λ:預金準備率)

つまり、中央銀行が発表するベースマネーから、市中に出回る貨幣量は預金比率と預金準備率が決まれば機械的・自動的に決まるとされていた。しかし、ヴェルナーの考えに従えば、中央銀行が発表するベースマネーから市中に出回るおカネの量(信用)の間には機械的・自動的どころか人為的な操作の機会があることになる。このことは、日銀が大量の貨幣を作っているにもかかわらず市中におカネが出回らないことを説明する。従来の経済学の枠組みでこのことを説明しようとすると、ポール・クルーグマンが主張した「流動性トラップ」を前提にしなければならない。

(クルーグマン(It’s baaack! Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap, 1998 翻訳は山形浩生):2.8より引用開始)
もし経済が本当に流動性トラップにはまっているなら、広義の mametary aggregate (引用者注:M2などのマネーサプライの尺度を示す統計量)が拡大しないというのは、別に金融拡大政策が不十分だった証拠じゃない。中央銀行がそういう拡大を実現できないのは、追加のベースマネーが銀行のリザーブに追加されたり、銀行預金のかわりにたんす預金になったりしているからってことだ。一方で、この広義のマネー拡大が不可能だということは、別に根本的な問題が金融システムにあるってことにはならない。これは、銀行が完全に健康でも生じる。(中略)流動性トラップ条件のもとでは、通常期待されるのは、ハイパワーのマネー増大は広義の aggregate にほとんど影響せず、ヘタをすると銀行預金の減少と、それを上回る銀行与信(引用者注:信用, credit のこと)の減少につながる、ということだ。
(クルーグマン(1998)より引用終了)

ヴェルナーはクルーグマンの「流動性の罠」論については『虚構の終焉』第二章の金融政策の無効性を主張する箇所にて「実証的な裏づけが無い」として批判しているが、上にわざわざクルーグマンを引用したのは、預金比率や預金準備率が「異常」であっても、ベースマネーから、市中に出回るおカネの量は機械的・自動的に決まるという古典派経済学の信念を確認するためである。

「窓口指導」に戻るが、ヴェルナーは民間銀行の貸出増加枠と窓口指導によって決められた増加枠が「非常に近い」(『虚構の終焉』 275ページ、および292ページの表17参照)と結論付けており、「窓口指導」の効果の証左としている。一方、インターネット書店アマゾンの書評子(カスタマー, 東京都, 2003/03/26)によれば、以下のような反論もある。

(『虚構の終焉』のカスタマーレヴューより引用開始)
普通は、窓口指導は抜け道があって意味がなかったという主張が多いし、バブル時はインパクトローンを通じて民間銀行がどんどん貸した、というのが実際のところ。
(『虚構の終焉』のカスタマーレヴューより引用終了)

民間銀行が日銀の指導に従うと見せかけて、数字の帳尻は合わせつつも実は従わなかったというのもありそうなことである。また、副島隆彦も現在の日本の不景気の原因は「信用創造が働かない」からだとしているが、さらにその原因としてはBIS規制と時価会計の導入を主張する。こちらの方が常識的であろう。

(『「実物経済」の復活』 265ページより引用開始)
日本の大銀行は、BIS規制で自己資本を8%以上に維持しないと国際業務ができなくなってしまう。4%を割ると、国内銀行業務の基準を達成できないとされ、金融庁による実質的な公的管理の下に置かれてしまう。銀行はそれはいやだから、中小企業を中心とするリスクの大きな貸出先に融資することに臆病になり、さらには融資金の返済を強引に迫るケース(貸し剥がし)も出てきた。(中略)同様に企業サイドでも「減損システムによる時価会計」が導入されることで、不動産や株式が含み損(評価割れ)となっていれば、その分をバランスシート上の「資本の部」から差し引かなければならない。こうなると、反対側の「資産の部を圧縮」しなければならなくなるから、安易に投資活動を積極的に推進することができなくなってしまう。このようにして、現在の日本では信用創造機能が働かなくなってしまっている。
(『「実物経済」の復活』 265ページより引用終了)


以上、リチャード・ヴェルナー著『虚構の終焉』を見てきた。これが理論的な面であり、次には理論的ではない方を見てみよう。ヴェルナーは2冊の対談本を出していて、1冊目が元日銀マンで現在はコンサルタントとして独立している石井正幸氏との対談『福井日銀危険な素顔』(あっぷる出版社)であり、もう1冊は『マネー敗戦』の吉川元忠氏との対談『なぜ日本経済は殺されたか』(講談社)である。

<書籍情報>
『なぜ日本経済は殺されたか』 吉川 元忠 (著), リチャード・A. ヴェルナー (著)
単行本: 222 p ; サイズ(cm): 182 x 128 ; 出版社: 講談社 ; ISBN: 4062118688 ; (2003/07)

『福井日銀危険な素顔』リチャード・A. ヴェルナー (著), 石井 正幸 (著)
単行本: 190 p ; サイズ(cm): 182 x 128 ; 出版社: あっぷる出版社 ; ISBN: 4871772187 ; (2003/05)
目次:
1章 誰も書かなかった福井新総裁誕生の舞台裏
2章 米国の筋書き通りに動く福井傀儡政権
3章 私物化される日銀のゆがんだ現実
4章 日銀伝統のあきれた情報操作
5章 福井日銀の権力と景気回復のシナリオ
6章 福井日銀に緊急提言・こうすれば景気は回復する
7章 日銀に実績主義を導入し、罰則規程を作れ
<以上、書籍情報>

以下、『福井日銀』に沿って話を進めると、日銀の中でもこうした信用量の決定ができる人物がプリンスと呼ばれる歴代の日銀総裁たち(一万田尚登、佐々木直、前川春雄、三重野康、福井俊彦)であるらしい。戦後の日銀総裁はこのほかにも山際、宇佐見、森永、澄田、松下といるが、彼らは大蔵省からの出向であり、日銀内部にまで権力が及ばなかったという。前総裁の速水優は日銀出身だが傍流であり、実質的な権力はなかったとヴェルナーは主張する。

また、日銀の「素性」について、ヴェルナーはウォール街の金融財閥系だと主張している。その証拠を戦後最初の駐米大使に日銀総裁だった新木栄吉を選んだからだとしている。

(『福井日銀危険な素顔』 46ページより引用開始)
米国が日本の戦後最初の駐米大使に選んだのは、日銀の生え抜きのプリンス、円の支配者である新木さんだった。それ以来、ウォール街の金融財閥は日銀に対して強い影響力を持つようになった。戦後初の駐米大使の人選を見るだけで、なんでもわかってしまう。
(『福井日銀危険な素顔』 より引用終了)

ヴェルナーは、現日銀総裁の福井俊彦は90年代の初めから実権を握っており、ウォール街の意に沿ってバブルを計画的に作ったのも同氏だと断じている。また、それだけに景気を良くすることも福井氏にとっては造作もなく、簡単なことだとしている。

(『なぜ日本経済は殺されたか』 42ページより引用開始)
バブルも不況も彼の計画通りになってきた。計画の目的は、日本の構造改革をすること。それから、ウォール街金融財閥の日本でのマーケットシェアの拡大。さらに最終的には、もう少し大手銀行や大手企業を倒産させて、安くウォール街財閥に売りに出して、それで終わり。実際、銀行だって三井住友みたいに、ゴールドマン・サックスの出資を仰いだりしている。福井さんはゴールドマン・サックスの顧問だったのだから、まさに計画通りです。その計画は、もはや最終段階まで達しています。もうほとんど目的を達成してきて、あとはボタンを押して、景気を回復させる可能性が高いのです。もちろん福井さんは、そのやり方に一番詳しい。彼の5年の任期の間に、景気が良くなると思います。なぜなら、彼も歴史を考えていると思うからです。バブルを作り、不況を長引かせたわけですから、福井さんの評判は実に悪い。だからこそ、長い不況から日本を救い景気回復させた人だと、歴史の教科書に残してほしいと考えていると思うのです。それもあって、最後には景気回復させると思うのです。
(『なぜ日本経済は殺されたか』 より引用終了)

ヴェルナーは中央銀行万能説とでも呼ぶべき主張をしている。中央銀行が正しい政策を行い続ければ経済は悪くはならないとする。アメリカでは景気の良し悪しが焦点になるとすぐに連邦準備銀行(FRB)の報告を求める。テレビのニューズでも現在のFRB議長アラン・グリーンスパンが発言しているのをよく見かける。日本では中央銀行の役割や重要性については今まで軽視されて来たきらいがあるので、それを見直すには参考になると思う。また、新古典派経済学の論者らは中央銀行の独立性を主張するが、ヴェルナーはそれをとんでもないことだとする。通常、権益にまみれた政治家たちよりも、経済に精通した専門家が目先の利益に惑わされず、長期にわたって担当した方が経済にとって良いとされるが、ヴェルナーは国民の選挙も経ずに担当に就くのはおかしいし、また政策を失敗した場合にも民主的手続きによって辞めさせることが出来ないのは危険だとしている。

以上、リチャード・ヴェルナーのここ最近の著作について概観してみた。中央銀行の仕組みをあらためて解説したこと、また民間銀行の信用供与の仕組みに注目しそれを分かりやすく解説したことは特筆に価すると思うが、若干の疑問もある。

まず、日銀の素性についてであるが、ヴェルナーと実際に会って話したことのある副島隆彦は日銀の生い立ちを以下のように説明する。

(SNSIサイト 『気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板』 [3263] 会員読者からの素朴な質問メールでしたので、答えました。より引用開始)
日本の日銀は、創業以来=三井・第一銀行以来の背景、即ち、パリ(フランス)・ロスチャイルド系が早くも幕末に渋澤栄一を育てて、彼を通して、日本に種を植えた(プライマリー・インベストメントした)。
(『気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板』より引用終了)

そして、副島によれば日銀の基本性格は今現在でも基本的に変わっていないとする。ヴェルナーの主張では戦後あたかも日銀はニューヨーク金融財閥系(すなわちロックフェラー系)に乗っ取られたかのような記述である。いずれにせよ、現在日銀はニューヨーク金融財閥系からの圧力を受けているのは確かなことであろう。

筆者が不思議に思うのは、ヴェルナー氏は現日銀総裁の福井氏がゴールドマン・サックスの顧問であった事実を指摘し、ニューヨーク金融財閥系の手先であるかのように言いつつ、しかも福井氏が日銀の内部で独自に決められた「プリンス」であると主張することだ。単純に考えれば、その日銀の「プリンス」たちはアメリカから選ばれただけではないのか。

したがって、ヴェルナー氏の言説を真面目に受け取って現在の福井日銀総裁を非難する向きもあるが、本当の問題は「アメリカ」であることに気づく必要があるだろう。なぜ日銀はアメリカの圧力に屈せざるを得ないのか、なぜ日銀の総裁が外国からの圧力によって選ばれるのかといえば、それは副島隆彦がずっと指摘しつづけているように、日本がアメリカの属国だからである。日銀に限らず、政治指導者がアメリカの圧力を受けつづけていることは別に珍しくもない事実である。

ゆえに、本稿の結論としては、ヴェルナー氏の言論の「役割」は現在の日本の不況の不平不満の矛先がニューヨーク金融財閥ではなく、日銀に向かうことを助けるものである、ということになる。

吉田(Y2J) 筆

2003/10/23(Thu) No.01


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