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【今日のぼやき】生物化学(兵器)戦争は既に始まっている。
http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/686.html
投稿者 エンセン 日時 2004 年 1 月 23 日 09:00:39:ieVyGVASbNhvI
 

 
「521」 生物化学(兵器)戦争は既に始まっている。警戒しましょう。エイズ=中央アフリカ起源説の虚偽。アメリカ軍の細菌研究所で作られて流れ出している、最近の先端ウイルスたちのことも。警告を発している情報サイトに私たちも注目しよう。 2004.1.14 うしろに追加の情報文を載せます。2004.1.16


副島隆彦です。  今日は、2004年1月14日、早朝です。
 私たちの会員のYK(1044)君が、ここの学問道場の掲示板(BBS)のひとつである「ふじむら掲示板」に、非常に重要な知識・情報文を貼り付けてくれていました。

私は、一読して驚いたので、その内容を急いでこちらに転載貼り付けします。ぼやきの「520」でのおしらせ もよろしくお願いします。

以下の内容は、「エイズは、中央アフリカが起源だとする、世界中に流布されている定説は虚偽であり、本当は、アメリカ軍の施設の中の細菌研究所で作られたものだ」とするものです。

ということは、最近のSARS(サーズ)ウイルスや、鶏ウイルスとかの病原菌も、どうやらアメリカ国内の軍事研究施設から流れ出したもののようです。中国やベトナムの汚い不衛生な養鶏場で生まれたものではないようです。神の所業に手を染めた、政府の最先端の研究所の中の、マッド・サイエンティストたちがやってしまったのでしょう。

世界中の(従って、日本の)細菌学者たちは、お互いに共通了解事項として、こういう学界秘密をたくさん知っているでしょう。だから彼ら自身がビクビクしている感じが私たちにも良く伝わってきます。でも、彼ら専門学者たちは、それらの恐ろしい実験のことを、世界中の人々(私たち一般ピープル)に伝えることをしません。それには、思想・情報統制された各国のメディア(マスコミ)も加担して、自国政府の統制に従っています。

すでに、生物化学戦争( bio (bacteriological) -chemical warfare バイオ・ケミカル・ウォーフェアー)は、始まっていたのです。

私たちは、警戒しなければいけないのです。日本政府の専門家(お奉行様たち)にだけ任せてはおけない。

私は、以下のこれらの文章は極めて信頼できるものだと思います。YK(1044)君、どうもありがとう。

以下の文章の中に登場する、医師で医事評論家の永井明(ながいあきら)氏からは、私はこれまでに数冊、出版社経由でご本を贈呈されていました。ところが、私は永井氏のことを全く知らなかったので、お礼の手紙も出さすにほったらかしにしました。
永井明氏が大変優れた業績と先見の明のある人だと分かりました。今から、お礼のお手紙を差し上げようと思います。

では、ここから「ふじむら掲示板」から転載します。 副島隆彦記

(転載貼り付け始め)

jealous gay (ジェラス・ゲイ)サイトから。

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/index.html

( 副島隆彦注記。 この jealous gay 「ジェラス・ゲイ」という不気味なサイトには、一見して、実にたくさんの貴重な戦争情報が載っています。このサイトの主宰者がどういう人たちなのか不明です。これだけ優れた内容の情報なのに、このウェブサイト(ホームページ)の運営者(管理責任者)たちは、なぜ、自分たちの姿を表に出して責任ある言論をしないのだろうか、と私には不思議であり不満です。

このjealous gay 「ジェラス・ゲイ」 というサイトの名の意味は、おそらくラテン語が起源であり、「神による監視」「油断無く不正を見守る喜び(愉悦)」「不正への気配り」というような意味だと思います。 副島隆彦注記終わり)


[4247] 「エイズ=生物兵器説」の真相 - 投稿者:YK(1044) 投稿日:2004/01/13(Tue) 21:33:42

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/aids_genocide1.html より

江原元 という人の文章。

 エイズがなぜ今ごろ突如として出現したのか、それは未だに判然としていない。おおよそエイズの発生起源についてはいくつかの仮説が出されてはいるものの、どれも結局は仮説の域を出ず決定的とは言えないから、真相は未だヤブのなか、というのが現状認識であろう。

しかしながら昨今、すぐれて説得力のある仮説、それも論理的合理的整合性のある実証的な仮説として提起された書物がにわかに出版され、そのエイズ起源の真相に肉迫していると思われるので、以下それらについて詳述することにしたい。

この日本で、いち早く「エイズ=生物兵器説」を追及し、仮説として取り上げたのは、モントリオール大学国際ストレス研究所員・神奈川県立病院内科医長を経て、現在は医療ジャーナリストとして活躍中の永井 明(ながいあきら)氏である。彼が著した『仕組まれた恐怖−エイズは生物兵器だった!?−』(1986年、講談社刊)は、日本人として初めて「エイズ=生物兵器説」を論証的に記述したものであった。

そのなかで彼は、現在“定説”としてすでに広まっている「エイズ=中央アフリカ説」についてこう述べている──「しかしそれらのほとんどは、エイズは絶対にアフリカが起源であるという予断が先行し、論理の展開に強引さだけが目立つ。これらの論文を調べれば調べるほど、私にはむしろエイズはアフリカが起源ではないという確信が強くなるのである」。

彼は、1969年から1974年頃にかけてカリフォルニアの霊長類研究所とマサチューセッツのモンキーセンターの東西2カ所で、サルの間に相次いで奇病が同時集団発生し、そして免疫不全状態となって死んだことから、おそらく今日のエイズのようなものではなかったかと推察し、そうしたサルの実験を経ながら「生物兵器」として作られたエイズウイルスがやがてヒトに人体実験されていったのではないかと結論づけた。

この永井氏の仮説は、あくまでひとつの可能性を示したに過ぎず、仮説の域を脱してはいないが、その発想は的外れというよりはむしろ的を射たものと言ってさしつかえないかもしれない。なぜなら、その永井氏の仮説を決定的なまでに論証した書物がほどなくして世に出ることになったからである。

著者は、理論生物物理学を専門とするドイツ・フンボルト大学名誉教授のヤコブ・ゼーガル氏と生理学専門のリリー・ゼーガル氏ご夫妻で、『悪魔の遺伝子操作−エイズは誰が何の目的でつくったのか−』(原題は "THE ORIGIN OF AIDS"、徳間書店刊)というのがその問題の著書である。日本では1992年10月に翻訳出版されたが、原書の方は1989年に出版されている。そうしてみると、永井氏の主張にはいくぶん先見の明があったとも言えようか。

この本のなかで提唱された内容は、要約すると以下のとおりである。

エイズは、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の病原体が原因となって発症される。
HIVは、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の陸軍生物化学戦研究センターとして知られる、メリーランド州フレデリック市のフォート・デトリックにおいて人為的・作為的に遺伝子操作によって作り出された。
HIVは、ビスナウイルス(レトロウイルスの一種でヒツジに感染する病原ウイルス)とHTLV−1(ヒトT細胞白血病ウイルス1型)の2種類のウイルスを遺伝子操作によって人工的に組み換えた産物であり、すでに知られている何らかのウイルスが生物的な自然な仕方で変化したものではない。
HIVは、何よりアメリカに起源し(最初にエイズの症例が発見されたのはニューヨークだった)、そこから世界中へと蔓延していった。

ここで永井 明氏の仮説といくぶん食い違う点は、永井氏がHIVをSTLV(サルTリンパ球指向性ウイルス)の変異株としているのに対し、ゼーガル夫妻は、それがビスナウイルスとHTLV−1の2種の遺伝子組み換えによるものだとしている点である。その根拠としてゼーガル夫妻は、HIVとSTLVは「遺伝子配列(ゲノム)」の構造がまったく異なっていること、HIVとビスナウイルスはゲノムの構造がきわめて類似していること、そしてエイズとビスナ病との間にはともに似通った症状が見られること、をそれぞれ具体的に詳しく述べている。

フォート・デトリックでエイズが「生物兵器」として作り出されたという大胆な論証は、ともするとセンセーショナリズムに陥りやすい。しかし事実は小説よりも奇なりで、元来「生物兵器」はいみじくも日本の“専売特許”であった。

第2次世界大戦時において、細菌兵器研究・開発部隊として石井四郎軍医中将に率いられた旧日本軍731部隊が、当時中国のハルビン近郊で3000人にも及ぶ中国人・朝鮮人・ロシア人の捕虜(それを“マルタ”と呼んだ)を使って生体実験を行い、細菌をバラまいた話は周知の事実である。終戦後、その膨大な実験データは、石井をはじめとする731部隊メンバーの戦争犯罪を免責にする取引きとして利用され、GHQすなわちアメリカの手にそのまま譲り渡されることとなった。そうしてそれを受け継いだのが、かのフォート・デトリックなのだった。

永井氏もゼーガル夫妻もまた指摘するように、HIVは、生物兵器としては完全に失敗作であったと思われる。フォート・デトリックが刑務所の受刑者を使って生体実験を行ったことは想像に難くないが、予想外にもエイズが発症するまでの潜伏期間は非常に長く、それゆえに「効力なし」とうかつにも即断され、刑期短縮を交換条件にモルモットとなった受刑者たち(キャリア)をそのまま出所させてしまった。おそらくそのなかには同性愛者もかなり存在したであろうが、時すでに遅く1979年、最初のエイズ患者がニューヨークで発見されることとなったのである。

ちなみにアフリカで最初のエイズ患者が発見されたのは1983年のことだった。当初語られた(そして今も多くの人びとがそう思い込んでいる)、エイズはアフリカミドリザルのレトロウイルスが人に感染し、中央アフリカから世界中に拡がっていったのだという“エイズ=中央アフリカ起源説”は、よって何の信憑性もない。

では、なぜエイズの発生起源が中央アフリカで、その原因がアフリカミドリザルからの感染だのアフリカ古来の風土病だのと、何の根拠もないまま世間一般に流布されていったのだろうか? それをこの本ではこう指摘する、つまりエイズ=中央アフリカ起源説といったおよそ根も葉もない“作り話”は、きわめて人種差別に根づいたデッチ上げであり、HIVの「生物兵器」としての製造と偶発的な実験室からの漏出という本当の真相から一般の人びとの注意をそらさせ、責任の所在を覆い隠すために喧伝された、世論操作によるペンタゴンのデマゴギーであったと。 (以下省略)


(副島隆彦注記。 以上の文章には、江原元 という人の筆名が
ありました。私は、この紹介論文を書いた江原氏の能力と知性を
高く評価します。 副島隆彦注記終わり)

[4246] HIV・エイズの歴史(簡易版) - 投稿者:YK(1044) 投稿日:2004/01/13(Tue) 21:15:40

http://platz.jp/~iroiro/naka00-bin/sono07.html

(この「いろいろエイズ」という用語解説ウェブサイト  から  副島隆彦注記)

■1981年(昭和56年)
アメリカ・ロサンゼルスで男性同性愛者5名がカリニ肺炎を発症し、CDC(全米疾病予防センター・アメリカの感染症関連を管轄している所)に報告されました。
 カリニ肺炎は末期癌の患者さんや免疫抑制剤の投与を受けている患者さんなど、免疫機能の低下した状態の人に発症する病気であり、先天的な免疫疾患等もない健康体と思われる男性が同時期に5名も発症する事は非常にまれなケースでした。

 後に調査を行った結果、1979年1月から81年7月までの間に、ニューヨークやカリフォルニアで20数名、カリニ肺炎同様に免疫機能が低下している状態の人に発症する病気であるカポジ肉腫を発症していたケースがあった事が発見・報告されました。

■1982年(昭和57年)
 CDC(全米疾病予防センター) が「ヘルパーT細胞が減少するという免疫異常により、日和見感染症を起こす病気」として後天性免疫不全症候群(AIDS・エイズ)という名称を発表しました。

 その原因はウイルスまたは細菌によるものではないか?と推測はされしましたが、この時点ではエイズの原因となるウイルス・HIVは発見されていません。

 またこの間に男性同性愛者以外にも、麻薬常習者・血友病患者等に免疫不全の状態となったケースが報告されました。この為、精液・血液等が感染の原因になるのではないか?という推測も行われていました。

■1983年(昭和58年)
 アメリカでは異性間の免疫不全のケースも報告されました。

 2月にはフランスのパスツール研究所のモンタニエ博士が免疫不全の原因と思われるウイルスを発見し、「リンパ節症関連ウイルス(LAV)」(後のヒト免疫不全ウイルス・HIV−1です)と名付けました。

 また日本国内では厚生省がエイズ研究班を発足させ、日本のエイズ診断基準を作成しました。

■1984年(昭和59年)
 アメリカの国立がん研究所のギャロ博士が「HTLV3(ヒト白血病ウイルス三型)」を発見しましたが、実はこれは前年にフランスのモンタニエ博士が発見した「リンパ節症関連ウイルス(LAV)」と殆ど変わらないものである事が後に分かり、86年に「HIV」と統一して呼ばれるようになります。

 またこの年、ギャロ博士とモンタニエ博士が各々HIV抗体検査を発明しました (実はどちらが先にHIV抗体検査を発明したのか?などの問題で法廷にまで問題は広がったのですが、87年に「HIV抗体検査は両国の研究者が発明したもの」として和解したのでした)。日本国内では9月に厚生省エイズ調査検討委員会が設置されました。

(以下省略)


[4245] Re4241,Re4244 湾岸症候群 (再度抜粋転載します) - 投稿者:YK(1044) 投稿日:2004/01/13(Tue) 20:55:31

湾岸戦争疾病群(GWI)とその隠蔽【抄】

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/sk1102/090301gwi.html

(副島隆彦注記。 上記のホームページは、「紫霄閣(ししょうかく)  歴史の底流と人間の本質を探る」というサイト  http://www.bea.hi-ho.ne.jp/sk1102/index.html 
からです。   副島隆彦注記終わり)


■序 文
米国、英国、中東、および1990年〜91年の湾岸戦争に参戦した28カ国のうちの27カ国で、ある伝染病が発生している。この短期間の戦争において、サダム・フセインが米国およびその連合軍に対して生物兵器を使用したのである。

・・・これらの生物兵器は、米国で非合法的に製造され、1985年〜90年にイラクに非合法的に販売されたものである。その販売は、レーガン・ブッシュ両政権の承認と賛意を受けていた。

 これらの生物兵器は、イラクのスカッドミサイル攻撃により、米国および連合軍に散布された。

化学・生物兵器攻撃を集中的に受けた何人かは直ちに死亡したが、殆どは低濃度の被曝を受けて病気とともに帰国した。信頼できる以下の資料によれば、湾岸戦争に送られた70万人の兵士たちのうち10万人から20万人が、現在、湾岸戦争疾病群(GWI/Gulf War Illness)で病んでいるか、または死につつある。これらの若い軍人や女性兵士のうち、1万5千人がこの病気で既に死亡した。

さらにこの復員軍人たちの何万人もの妻子や家族たちが、緩慢または急速な伝染により罹病している。そしてこれらの復員軍人たちには、1950年代のサリドマイド児のような奇形児たちが何千人と生まれつつある。

(雑誌『ライフ』の特集号、「湾岸戦争の小さな犠牲者たち」1995年11月号<0-5>を参照されたい)

サダムが我々の兵士たちに使用した生物兵器は、米国政府がその製造に協力したものであった。しかし米国政府は、湾岸戦争においてはいかなる化学・生物兵器も使用されなかったとして、湾岸戦争疾病群(GWI)の存在をきっぱりと否定している。

また、何十万人という湾岸戦争復員軍人とその妻子たちが病み、または死にかかって治療を受けていることをきっぱりと否定している。

【編註:これは、ベトナム戦争終結後15年以上もの間、オレンジ枯葉剤(Agent Orange)の存在と、その恐ろしい後遺症を彼らが否定していたのと全く同様である。都合の悪い事に関して、我々の米国政府は結局は何も確証せず、公式に否定するだけだと言われている】

米国、ロシア、イラク、リビア、イスラエル、中共、北朝鮮などの生物兵器製造・研究施設は、人類に対するホロコーストを開始しようとしている。または既に開始した。それは人類の歴史上、過去に例を見ない規模のものになるであろう。事実、魔神はビンの外に出されてしまった。

パンドラの箱は開けられたのである! ジョージ・ブッシュの湾岸戦争の遺産、即ち彼の政府が敵であるイラクに販売した生物兵器は、米国の歴史を、そして我々が知っているような世界全てを本当に変えてしまいかねないのである。

そして、サダムが使用した15種類の生物兵器によって引き起こされた湾岸戦争疾病群(GWI)は、現在世界に出現しつつある多くの新たな致死性の疾病(英国の狂牛病、エイズ、ハンタ熱病、ザイールのエボラ熱、食肉病<0-6>、そして何十というさらに多くの病気)の一つに過ぎない。

1996年5月20日付けのロサンゼルス・タイムズ紙は、
 『地球的規模の健康危機を報告書が警告・・・医学の進歩にも拘わらず、何百万人もの人々が死につつある伝染病』という記事を掲載した。

『世界保健機構(WHO)は新たな報告書の中で地球的規模の危機を宣言し、いかなる国家も伝染性の病気から逃れることはできないと警告した。

 WHOによれば、エイズ、エボラ熱、ハンタ熱病、狂牛病、結核等の病気により、1700万人以上が昨年死亡した。この中には900万人の子供たちが含まれる。細菌性、ウィルス性、および寄生虫による病気を合わせると、相変わらず若年性死亡の最大原因となっており、全死亡者数の3分の1を占めるという。

 例えば第1位の結核により310万人が昨年死亡したが、この数字はWHOの1993年の統計値を40万人以上上回っている。WHOの報告書はまた、稀に見る率直さで以下の報告をしている。

 今日の地球規模的な社会では人々はかってない容易さで混ざり合っており、病原菌は国境を超えて猛烈な速度で蔓延する可能性を持っている。多くの伝染病がこれ程急速に広がりつつある理由の中には、抗生物質に  対する病原菌の耐性の増大と、飛行機による大量の海外旅行がある』

本報告書ではこれらの病気の中の一つを掘り下げてみたい。その一つとは、研究室で製造された兵器用細菌類が引き起こした病気である。それは米国で開発され、サダム・フセインに販売され、イラクで製造され、そしておよそ100万人の米国軍と西側連合軍の頭上で散布された。

本報告書は以下の疑問に答えるようにしよう。

@生物兵器は、湾岸戦争中に米国および同盟国の軍隊に対して使用されたか?
A我々の政府によって、米国および殆どの同盟国の兵士たちに強制された予防接種、および他の安全性が確かめられていない薬物がこれらの攻撃用細菌類と合わさって、湾岸戦争疾病群(GWI)と呼ばれている死に至る一連の衰弱性症候を引き起こしたのであろうか?
B米国の企業は米国政府の是認の下に、これらの生物兵器をサダム・フセインに販売したのであろうか?
Cこれらの生物兵器攻撃が行われることを米国政府が知っていたとしたら、政府は自分の国の軍隊を何故防衛しなかったのであろうか?
D我が国の軍隊に対する生物兵器攻撃、および現在広がりつつある湾岸戦争疾病群(GWI)に関して、米国政府による大規模な隠蔽工作が進行中なのか? もしそうだとしたら、それは何故なのか?
E復員軍人およびその家族たちの治療を行い、また、まだ健康な彼らの家族や一般大衆を守るために、何ができるのであろうか。


[4244] Re4241,湾岸症候群 - 投稿者:会員番号2003 投稿日:2004/01/13(Tue) 15:50:47

産経新聞から転載します。
(転載始め)

「湾岸症候群」原因はワクチン 裏付けの報告入手と英紙

http://www.sankei.co.jp/news/040112/0112kok040.htm

産経新聞  2004年1月12日(共同通信が、情報元)

 12日付の英紙タイムズは、1991年の湾岸戦争に従軍した兵士が体調不良を訴える「湾岸戦争症候群」は、イラク軍による各種の生物兵器使用に備えて兵士らに接種された混合ワクチンが原因であることを裏付ける英軍医療専門家の秘密報告の写しを入手したと報じた。
 
 報告をまとめたドイツ駐留英軍の医療専門家は、湾岸戦争に従軍を予定しワクチンを接種された元兵士のケースを調査したところ、元兵士は湾岸戦争を経験した他の退役軍人の間で発症率が高い骨粗しょう症を患った。 しかし元兵士は結局従軍せず、同紙は従軍経験者らと共通しているのはワクチンだと指摘した。 湾岸戦争症候群をめぐり英国防省は、ワクチンとの関係を一貫して否定している。
(共同)

(転載終わり)

参考まで

(副島隆彦記。2003番黒岩くんも情報転載ありがとう。)

[4241] 最近驚いた話題、2つ - 投稿者:YK(1044) 投稿日:2004/01/11(Sun) 22:51:27

■世紀の大発見 フォトニックフラクタル
http://www.asahi.com/science/update/0107/001.html
■湾岸戦争(91年)は実際に生物化学戦争の側面を持っていた
http://www.asyura2.com/2us0310/bd30/msg/156.html より

http://www.asyura2.com/2us0310/bd30/msg/156.html
投稿者 HAARP 日時 2003 年 10 月 09 日 03:07:26:oQGUNb5q8hjD.

これは、紫霄閣(ししょうかく)http://www.bea.hi-ho.ne.jp/sk1102/090301gwi.html というサイトに掲載されているものですが、アメリカの会員制レポート誌の記事の全文訳が読めます。
湾岸戦争時のイラクの生物化学戦技術とロシアの関係、生物兵器開発に関するアメリカとイラクの関係などが暴露されています。

湾岸戦争症候群がHIVの皮膜を組み込んだマイコプラズマ病原によるものが多く、この症候が「感染」するものであること。臭化ピリドスチグミン http://www.asyura.com/2003/war23/msg/907.html の新生児催奇性が疑われること等々、昨今のイラク帰還兵の間に見られる症状や世界の生物化学兵器を取り巻く環境などを理解するのに膨大な記述があります。

サイト自体は馬野周二氏および太田龍氏の「系統」と思われますが、この内容はDL保存する価値があると思います。

(すべての転載貼り付け終わり)

上記の文章群から分かるとおり、「エイズは、中央アフリカが起源だとする、世界中に流布されている定説は虚偽であり、本当は、アメリカ軍の施設の中の細菌研究所で作られたものである」なのです。
生物化学兵器戦争は、既に始まっています。警戒しましょう。

副島隆彦拝 



副島隆彦です。 今日は、2004年1月16日です。

上記の問題についての追加の情報文を載せます。この文章も私たちの「ふじむら掲示板」に2003番君が載せてくれたものです。2003番君、どうもありがとう。

(転載貼り付け始め)

 [4250] Re: [4247] 「エイズ=生物兵器説」の真相 - 投稿者:会員番号2003 投稿日:2004/01/15(Thu) 15:09:46

[4247] 「エイズ=生物兵器説」の真相 - 投稿者:YK(1044)とぼやき521の中で紹介されている『悪魔の遺伝子操作』から目次と内容の一部を転載します。

(転載はじめ)

『悪魔の遺伝子操作』
ヤコブ・ゼーガル、リリー・ゼーガル 著
川口啓明 訳
徳間書店 発行

目次
エイズは生物兵器として開発された−訳者まえがき

第T部 エイズウイルスは遺伝子操作でつくられた

第一章 エイズ遺伝子の謎

1、エイズはニューヨークから広がった
 エイズの最初の臨床例はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のM・S・ゴットリーブによって1981年の春に見いだされた。ゴットリーブは、それまでは極めて稀な病気であった間質性肺炎の患者に4人も出会ったことに驚き、このことを米国防疫センター(CDC)に報告した。CDCにはすぐに同様の患者の情報が送られてきた。
 これらの患者の発生源はすべてニューヨークまで跡を辿ることができた。
 ニューヨークでは1979年の春にエイズが初めて出現しており、患者のほとんどは、男性同性愛者と薬物常用者であった。薬物常用者については殺菌されていな注射針の使用によって病気がうつるのではないかということがすぐに疑われた。
 エイズはその後、ニューヨークから他の都市へと急速な拡大をみる1980年には米国の同性愛者の首都であるサンフランシスコに、18ヶ月後にはシカゴに出現した(『ラージ・シュレール』誌)。
 米国外では、いくぶん後になって出現した。西欧の最初の患者は1981年と82年に報告された。南アフリカ共和国と南米のトリニダードトバゴには1983年に出現した。
 日本では、まだ臨床的なエイズに至っていないリンパ腫脹の最初の患者が1984年に報告された。さらに、赤道アフリカでの最初のエイズ患者が1982年12月に報告された。
 これらの感染例の多くは、米国まで感染経路を辿ることが可能であった。西ドイツでの最初の6人の患者は1981年12月に報告された。へールマンらは、これらの患者が多数回の国際的な接触、とくにニューヨークの男性同性愛者たちとの接触があったことを強調している。これらの研究者たちは、感染源はニューヨークにあると確信を持って表明した。
 南アフリカ共和国の最初の2人の患者は、両者ともに、白人の男性同性愛者で発病前に米国を訪れていた(ラスら)。
 メルビー、ビガーらは、ニューヨークとサンフランシスコで休日を過ごした男性同性愛者たちによって、デンマークとオーストラリアにエイズが持ち込まれたことを立証した。
 米国市民によるエイズの拡大は、米軍基地の周辺でのHIV(エイズウイルス)の感染率の高さによって的確に示される。その一例をあげよう。
 フランチェスキらは、北イタリアのユーディーネイ地方とパルデノン地方という二つの地域で、血液検査でのHIV抗体陽性社の出現率を比較した。二つの地域は、似たような住民数、風土、人口構成である。にもかかわらず、パルデノン地方では、ユーディーネイ地方に比べると八倍も高い出現率であった。
 原因は、パルデノン地方には米国の空軍基地があることであった。

 保存血液と血漿分離成分の輸出入もまた、エイズの拡大の大きな原因となった。

 ―以下省略―

2、エイズの起源への疑問
 最初のエイズ患者が見いだされてからわずか二年後の1983年5月に、パリのパスツゥール研究所のリュック・モンタニエが率いる研究グループは、米国からやってきた患者から病原ウイルスを分離したと発表した。
 この患者は臨床的エイズにしばしば先行する症状であるリンパ腫の腫れ(リンパ節腫脹)を示していたので、この病原ウイルスをリンパ腺症関連ウイルス(LAV)とこれらの研究者たちは呼んだ。
 一年後、米国ベセスダのロバート・ギャロと彼の研究チームはエイズの病原ウイルスをHTLV−Vと命名した。ギャロはこれより少し前に、免疫不全は引き起こさないが血液のガンである白血病/リンパ腫を引き起こす、T細胞を攻撃するまた別のヒトウイルスを報告していた。このウイルスは、ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV)と命名されていた。またその少し後に別の種類のリンパ腫を引き起こす極めて近縁なウイルスを見いだし、これをHTLV―Uと命名していた。ギャロは新しく発見されたエイズウイルスがこれら二種類のウイルスに近縁であると考えて、これをHTLV−Vとしたのだ(現在では、これが間違った考えであることが分かっている)。

 さらに少し後になって、サンフランシスコのジェイ・A・レビと、アトランタのD/フランシスは、米国西海岸のエイズ患者から、彼らがエイズ関連ウイルス(ARV)と命名したウイルスを分離した。しかしすぐに、分離された三種類のウイルスが同一のものであることが確認され、混乱と先取権争いを避けるために、この病原ウイルスを、あまり目立たない名称であるヒト免疫不全ウイルス(HIV)と呼ぶことが、国際的なウイルス命名委員会によって決定された。

 ギャロがエイズウイルスを分離した時、彼は、このウイルスが自分が以前に発見していた発ガンウイルスであるHTLV−TとHTLV−Uとに極めて近縁であることを確信していた。ギャロは「どこかで、いつの時にか、HTLV−Tが一連の突然変異を経てHTLV−Vに変わった」と述べて、科学界を驚かせた。
その当時、両ウイルスの優れた電子顕微鏡写真がすでに撮られていて、HTLV−TはC型、HTLV−VはD型という2つの異なるタイプに形態的に区別されていたので、この主張は実際に驚くべきことに思えた。

 これら二つのタイプは、ウイルスの大きさ、ゲノムを含むコアの形、突然変異に関係するいくつかの性質、ビリオン(一個のウイルス粒子)の出芽の仕方などによって、明確に区別することができる。(図1)。ギャロはこの様な発言をしたものの、その主張を真面目な科学雑誌には公表せず、西ドイツの雑誌『ツァイト』誌(1984年5月4日号)のレポーターに、そして他のマスメディアなどに語っただけであった。
 ギャロのやり方は上手かった。なぜなら彼の主張はすぐに、有名な科学雑誌である『ネイチャー』誌においてアリゾンとモンタニエによって打ち破られたからである(アリゾン、モンタニエ、1984)。
これらの研究者たちは、二つのウイルスのゲノム地図を作成し(図2)、ゲノムの構造の違いがあまりにも大きいので、突然変異やその他の自然な生物な手段によって、これらの一方のウイルスから他方が進化することはあり得ないと述べた。
 そうしている間に、もっと詳細で複雑なHIVのゲノム地図が作成され、HTLV−TとHTLV−V(HIV)との基本的な構造の違いはさらに明白になった(図3)。
 アリゾン、モンタニエはHIVの残された唯一の出現方法、すなわち遺伝子操作によるHIVの人工的な製造については言及しなかった。しかし、他の研究者たちは、この結論を引き出していた。
 同年(1984年)末の米国科学振興協会(AAAS)の年会で議論された主要なテーマは、新しい病原体、とくに病原ウイルスを人工的に製造できるかということと、この製造のために軍事目的での病原体の培養を禁止している1975年の国際条約の規制を逃れることができるかということであった。
 米国科学振興協会の機関誌である『サイエンス』誌に公表された年会報告には、エイズという言葉は明確には述べられていないが(スミス、1984)われわれ著者二人は個人的な情報によってエイズウイルスの人工的製造が実際にすべての議論の中心にあったことを知った。
3,遺伝子レベルでエイズを分析する
4、エイズウイルスの誕生日   (P25)
 さまざまなウイルスのヌクレオチド配列が完全に決定されて、コンピューターを用いたゲノムの直接的な比較が可能になった。このような比較は、とりわけゴンダら(1986)によってなされた。この研究チームは、ギャロをも含む広く名が知れた研究チームである。
 HIVとビスナウイルス(レトロウイルス科レンチウイルス亜科に属する、ヒツジに脳脊髄炎や肺炎を起こす病原ウイルス)のゲノムのヌクレオチド配列の直接的な比較によって、約60%のヌクレオチド部位が同一であることが明らかになった。
 これは、ビスナウイルスが、レンチウイルス亜科の他のいかなるウイルスよりもHIVに近縁であることを示している。
 60%しか同一性がないということは専門外の人にとっては失望するような値に思えるだろうが、これはまさしく予想されることである。ウイルスは一般に高い突然変異性を示すこと、そして、HIVは他のウイルスと比べると突然変異率が約100万倍も高いことが広く知られている。これは、逆転写が遺伝情報を正確に複製するのにあまり信頼できない仕方で行われることによる。
 ギャロの研究室のハーンら(1986)は、1年から2年の間隔をおいて同一の患者からHIVを分離した。これらの研究者たちは、HIVのゲノムのヌクレオチド配列が2年ごとに10%まで変化することが見いだされ、またゴンダは1986年に比較を行ってHIVとビスナウイルスのゲノムに40%の違いを見いだしているので、1984年では30%だけ、1982年には20%だけ、1980年には10%だけの違いでなければならない。
 ゲノムがほとんど同一であった時期、すなわちHIVとビスナウイルスがそれぞれ独立の進化を始めた時期は、1978年の初め頃であったに違いない。
この時期がHIVの“誕生日”である。あるいは、もっと正確に言えば、遺伝学実験室でHIVが製造された後に人間の体内で増殖を始めた時期である。
 エイズは1979年の春に初めて出現したことが知られている。
著しい感染の場合には潜伏期は1年よりいくぶん長い程度であるので、HIVは1978年の初頭に初めて人間に感染したに違いない。
これは先に計算した時期と極めてよく一致するのである。
 ―以下省略―
5、エイズは人造ウイルスである

第2章 エイズウイルスは米軍の微生物兵器だった
1,誰が新型ウイルスを必要としたか
2,エイズウイルスが人体実験された

第U部 エイズの起源をめぐる謀略

第3章 アフリカミドリザルの伝説
1,陰謀に使われたアフリカミドリザル
エイズ、アフリカミドリザル伝説の提唱者=ハーバード大学のマックス・エセックス
提唱時期と場所=1985年4月米国アトランタで開催された第1回エイズ国際会議で、正式なプログラムにはない招待講演において、アフリカミドリザルのことを初めて喋る。
エセックスらが調査したサルのこと=エセックスと彼の研究チーム(カンキら)は、104頭のアフリカミドリザルを調べたが、後に、これらのサルはアフリカの森林で捕獲されたものではなく、米国の霊長類センターによって提供されていたことが明らかになった。
メディアの状況=1985年8月半ばから、テレビと「ニューヨーク・タイムズ」、「シュピーゲル」などの雑誌において一斉に始まる。)

2,伝説を打ち破る科学的証拠
 WHO(世界保健機関)は、アフリカミドリザルの伝説に直接言及することなく、1985年の疫学レポートで公式な声明を発表した。
このレポートでは、サル類のTリンパ球指向性ウイルスについて、これらのウイルスの一部のものと人間由来のLAV/HTV-V(HIV以前の呼び方)との類似性は大きくないと述べられている。
 エイズ、アフリカミドリザル起源説を否定するWHOの見解の根底はエセックスがアフリカミドリザル起源説を発表するよりも前の1984年秋と85年春に日本人研究者たち(小室ら84年、渡辺ら85年)のグループが発表した研究結果と、同じ時期に発表された他のいくつかの研究結果によって。(2番目の論文は85年1月に専門誌「バイロロジー」に発表。)
 エセックスの研究チームが、アフリカミドリザルに関連して、いやいやながら敗北を認めたのは1986年12月。
 極めて専門的な論文(ハーシュら、1986)の中に、巧みに隠された次のような文章を見いだすことができる。
STLV―VAGMとHTLV―V/LAV(HIV)との間の中適度の相同性によって、最近の進化的な時間では、どちらも直接的な先祖とはなっていないことが示唆される」
 
 この言葉は、アフリカミドリザルの伝説を十分に深く葬り去る。

注:アフリカミドリザルのウイルス=STLV-V(サルTリンパ球指向性ウイルス-V)
注:エイズウイルス=HIV(ヒト免疫不全ウイルス Human Immunodeficiency Virus)

3,事実を隠そうとするトリック
4,新型エイズが出現した

第4章 エイズはアフリカの風土病ではない
1,アフリカでエイズは爆発的に拡大したのか
2,アフリカで最初のエイズ患者は誰だったのか
3,不正確なエイズ検査法
4,赤道アフリカの特殊な気候条件
5,高級売春婦にエイズが多い理由

第5章 エイズウイルス生物兵器への反論
1,生物学的疑問への回答
2,告発を阻止しようとする政治勢力
3,最終的な結論

第V部 エイズとはどんな病気なのか

第6章 エイズという病気の特徴
1,免疫系ヲ破壊するエイズウイルス
2,免疫はどういう働きをしているのか
3,エイズが感染するメカニズム
4,巧妙なエイズウイルスの仕組み
5,致死的な日和見感染
6,カポジ肉腫とナチュラルキラー細胞
7,エイズはこうして進行する
8,ヒツジのビスナ病に酷似するエイズの症状

第7章 エイズは治療できるのか
1,治療はいつ始めるべきか
2,HIV感染に伴う症状の変遷
3,エイズはマクロファージに感染する
4,マクロファージの免疫機能
5,胸腺が破壊される末期エイズ
6,エイズは治療不可能なのか
7,エイズによる死亡者数

第8章 エイズは予防できる
1,どうすればエイズになるのか
2,エイズウイルスの培養法
3,HIV抗体でエイズ感染が分かる
4,エイズワクチンは可能か
5,より安全なセックスの方法

第9章 社会問題としてのエイズ
1,家庭、学校、職場におけるエイズの受容
2,妊娠とエイズの関係
3,政府もエイズを恐れる

資料1 エイズウイルスは米国陸軍のモンスター
資料2 米国国防総省の生物化学兵器予算(1970年)
資料3 経済動向財団からフランク・C・カールーチ国防長官への請願資料4 世論の圧力のもとに陸軍は生物兵器実験室の計画を縮小する 

(転載おわり)

副島隆彦拝
 

http://www.soejima.to/boyaki/diary.cgi

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