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【今日のぼやき】「SAPIO」誌1996年5月22日号の「エイズと生物兵器そして731部隊の「魔の連環」」を転載しました。
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投稿者 エンセン 日時 2004 年 1 月 26 日 03:39:49:ieVyGVASbNhvI
 

 
「525」 「SAPIO」誌1996年5月22日号の「エイズと生物兵器そして731部隊の「魔の連環」」を転載しました。2004.1.25


SNSIの奥村哲也と申します。 今日は、2004年1月25日です。

(3)「SAPIO」誌1996年5月22日号の「エイズと生物兵器そして731部隊の「魔の連環」」の転載

「SAPIO」1996年5月22日号に掲載されました「エイズと生物兵器そして731部隊の「魔の連環」――日米の「軍」と「医」にまたがるミドリ十字の影の人脈」を転載します。
この記事につきましては、著者のグレン・デイビス氏と訳者の森山尚美さんに転載許可をいただいています。

(転載貼り付け始め)

エイズと生物兵器そして731部隊の「魔の連環」――日米の「軍」と「医」にまたがるミドリ十字の影の人脈

UPI通信東京支局長 グレン・デイビス

中国人やロシア人捕虜ら3000人を人体実験し、虐殺した731部隊の秘密を、苦難の末に暴いたのは、1人の米国人ジャーナリスト、ジョン・パウエルだった。今号では、その真実追求に賭けた闘いの日々を彼本人の口から聞くとともに、旧731部隊員たちと深く関わり合ってきたミドリ十字の暗黒部分をレポート。さらに、米国で根強く残る「エイズ=生物戦兵器」説を追った。


731部隊の秘密を最初に世界に知らしめたのがだれであったか、特定することはむずかしい。しかし、日本軍が戦前、戦中を通じて実行した細菌戦と人体実験について本格的に執筆してきた人であれば、かならず、あるジャーナリストに辿りつく。ジョン・W・パウエル2世――痩せて眼鏡をかけた76歳の米国人で、現在、サンフランシスコに住み、妻と骨董店を営む。

夫妻は巨大権力に押し潰されそうになりながらも信念を貫いた。夫妻の前にたちはだかり、猛攻撃を加えてきたのは、CIA、FBI、税関、裁判所、保守派上院議員など、アメリカのパワーエリートであった。

事の発端は、亡き父、ジョン・B・パウエルから引き継いだ上海の英字誌『チャイナ・ウィークリー・レビュー』にみずからが書いた記事――米軍が朝鮮戦争の際、731部隊が開発した生物兵器を使い、北朝鮮を攻撃したとして祖国を非難する内容――だった。

当時、米国には反共旋風が吹き荒れており、パウエルが台北を中国政府と承認した米政府を批判したことや、彼が中国生まれの中国育ちだったこともマイナスに働いたようだが、この記事により、パウエル夫妻は朝鮮戦争の直後、煽動罪に問われ、裁判に付された。朝鮮における米国の軍事的努力を批判し、共産主義者を煽動したというのが容疑内容だったが、その後にさらに重い国家反逆罪に変更された。

「ご存じのように、煽動罪とは国家反逆罪の一歩手前です。国家反逆罪になれば死刑になりかねない」
電話の向こうでパウエルが語りはじめた。
「煽動罪で連邦裁判にかけられたとき、検察官のひとりが最初の起訴状を損失してしまった。そこで彼はこんどは国家反逆罪で告訴しなおしたのだが、裁判所に有罪を認めさせることができず、審理無効となったのです」

結局、1959年に裁判は打ち切られ、夫妻は自由の身になる。だが、パウエルは「好ましからざる人物(ペルソナ・ノン・グラータ)」の烙印を押され、ジャーナリストとして活躍の場を奪われてしまった。夫人もまた、54年の最初の告訴問責の直後に職を失った。

54年から60年までつづいた裁判で、パウエル夫妻は精根尽き果て、資金も底をついた。しかし、ジョン・パウエルは真実を突きとめようと決意を固めており、腰を据えて米国の軍事文書を探しにかかった。

米国の「情報公開法」にもとづき決定的証拠をみつけたのは、それから10年以上も後の70年代末期、メリーランド州フォート・ディートリックでのことだった。膨大な資料の山の中に、米占領軍が731部隊の実験データと引き換えに部墜局官を戦犯免責したことを示す文書があった。フォート・ディートリックとはワシントンDC近くの軍事基地で、731部隊の実験データを取得した施設にほかならない。

パウエルは、知りえた事実を著名な学術誌『ブリティン・オフ・アトミック・サイエンティスツ』に発表。81年10月号の特集「日本の生物兵器−1930年〜1945年」の「歴史における隠された一章」である。

パウエルの論文は完ぺきな証拠で固められていたために、世界じゅうの関心が731部隊の問題に一気に集中することとなった。
パウエルはCBSテレビの人気番組「60分(シックスティ・ミニッツ)」に出演したほか、大量部数を誇る『ピープル』誌でも特集が組まれた。ほぼ時を同じくして、日本では作家・森村誠一が、「丸太(マルタ)」の虐殺を詳しく描いた『悪魔の飽食』を発表し、センセーションを巻き起こした。

しかし、それより先に(76年という早い時点で)TBSの吉永春子が旧部隊員やアメリカの関係者の取材にもとづくテレビ・ドキュメンタリーを製作していたことは注目に値する(「魔の731部隊」76年11月に放映)。これについては、『ワシントン・ポスト』がすぐに追跡記事を掲載したが、日本でもアメリカでもほとんど反響を呼ぶことはなかった。

よりリベラルな風潮になった80年代には状況は一変し、731部隊の史実はすっかり明るみに出た。日本政府でさえ80年代初期には、部隊が事実、存在したこと、また公式の委託を受けて実行したことを国会で認めるところまで追い込まれた。

パウエルが部隊の罪業を米国が隠蔽したことを報じてから、すでに35年以上もたっていた。パウエルの報道は米国人の耳にさぞかし辛辣にひびいたにちがいない。残虐な人体実験の犠牲者に米国人捕虜が含まれていたことが判明したのだ。


<戦火の朝鮮半島で石井は何をしていたのか>
50年6月、朝鮮戦争勃発の後、パウエルは、米国が北朝鮮に生物兵器爆弾を投下し、米軍機が中国国境に侵入したと中国から非難されていることを知る。実際に、奇病に罹った中国人がいるという証拠を見せられ、米軍機目撃の証言を聞かされたパウエルは、それらの情報をもとに『チャイナ・ウィークリー・レビュー』に記事を書きつづけた。当然、祖国の敷居は高くなった。

「1940年に、731部隊は生物戦兵器用の病原体に汚染されたいろいろな物質を中国の小さな町に投下した。
同種の物質が朝鮮戦争でもみつかった。区画に分けられた薄板金の容器まで、まったく同じだった。感染した虫を入れる爆弾のような形をしていた」
とパウエルは言う。

生物兵器爆弾について中国はレポートを発表し、早春で中国北東の地面がまだ凍っていたにもかかわらず、大量の虫がうごめいていたのは奇妙だと指摘した。これに対し米軍は、その地域でナパームが使われたので地面が人工的な春を経験したにちがいないと反駁。しかし、それ以外の公式報告では、米国機が中国国境を越えたことを否定していた。パウエルはこの矛盾に気がついた。

「石井(731部隊長)式」に似た爆弾について中国の新聞が報道したため、ニュースは写真とともに香港経由で米国に渡り、『ニューヨークタイムズ』の眼にとまった。保守的なタイムズは、記事を掲載する前に国内の専門家数名に意見を求めた。生物学者だけではなく、陸軍兵器部隊にまで問い合わせている。

「爆弾のような物質は宣伝ビラ・投下用の宣伝爆弾に似ているが、一体何だと思うか?」
軍は、そうしたミサイルは「現実的に可能ではない」から宣伝爆弾にちがいないと答え、生物兵器の可能性を全面否定した、その翌日には、ある下院議員が、宣伝弾に生物兵器用の病原体が使えるわけがないとの見解を発表した。一連の否定発言に、パウエルは「米軍が細菌爆弾の投下を認めたも同然だ」と確信を深めた。

50年から53年までの期間に、米軍が朝鮮と中国で731タイプの生物兵器を使ったという確証は得られていない。しかし、「強力な状況証拠がある」とパウエルは言う。
「アメリカは世界の七面鳥の主産地だ。その羽が炭疽菌の胞子を運ぶために使われたことを考えると、状況は著しくクロに近い。炭疸菌胞子は地上で40年以上も生きつづけることができる。中国当局が発見したと報じられる生物兵器のひとつに炭疽菌が入っていたのは、おそらくそこに理由がある。その数年前に731部隊が好んで使っていたというのも同じ理由からにちがいない」

「私がワシントンで入手した極秘レポートに、胞子によって繁殖する病原体、とくに炭疸菌を運ぶために、羽がしばしば使われていたと書かれていた」
「羽を顕微鏡でみると、胞子が連結しやすいような鉤がついているのがわかる。だから羽は細菌兵器の絶好の輸送手段なのだ。長距離輸送も可能だし、胞子の保持レベルはきわめて高い」
とパウエルは説明する。

このパウエルの説については、多くの著名な科学者から異論が出された。しかし、彼の主張を支持する者もいる。
そのひとりは、ガバン・マッコーミックというオーストラリアのジャーナリスト。80年にソウルと平壌を訪問した後、調査結果を本にまとめ、発表した(Cold War, Hot War :An Australian Perspective on the Korean War−『冷戦・武力戦――朝鮮戦争にかんするあるオーストラリア人の見解』ヘイル・アンド・アイアモンガー刊、83年)。

同書の細菌戦についての章に、「米国が石井部隊の秘密を取得し、非人遺的な極悪犯罪を犯した者を守るために、25年間、世界に対して嘘をついてきたことは、もはや明白である。したがって、1952年になされた中国と北朝鮮による非難についても、米国が嘘をついている疑いは免れず、その点を十分、検討する必要がある」
とマッコーミックは書いている。

パウエルは「朝鮮戦争に日本が関与したという証拠は状況証拠でしかない」と認める。しかし、「生物兵器攻撃があったとされた時に、石井四郎が現地にいたことは知られていますよ」と付け加えた。
これについては複数の研究者が確認ずみだ。たとえば、シェルドン・ハリスの著書には次のような記述がある。

「中国で1952年10月に発行された『朝鮮と中国における細菌戦調査のための国際科学委員会報告』に、1952年初めと同年3月の2回、石井が朝鮮にいたと記されている」(Factories of Death :Japanese Biological Warfare 1932-45 and the American Cover-up『死の工場』ラウトレッジ刊、94年)。
戦火の燃え上がる朝鮮で、日本の生物兵器(とくに細菌爆弾)の大御所はいったい何をしていたのだろうか?
彼らが戦犯免責の取引に応じたのは、そのわずか2年ほど前のことであった。

ともに人体解剖を行なった仲間たちはといえば、追い風を受けたように出世を果たし、戦後、各界でそれぞれの位置を占めた。
パウエルは皮肉を込めて言う。
「戦後すぐに東京で石井と石井の家族が米軍将校と一緒に食事をしている写真が何枚かある。いまでもよく思う。もし戦争の流れがほんの少し変わっていたら、あの将校たちだって石井の餌食になっていたかもしれないってね」


<旧部隊員を擁して急成長したミドリ十字>
45年春にはドイツが、また夏には日本が連合国軍に降伏し、第2次世界大戦は終結した。が、ニュールンベルクと東京で開かれる軍事裁判のために陪審員が選定されるやいなや、また別の一大闘争がはじまった。

各敗戦国の戦犯容疑者の一部を戦争中の秘密ファイルと引き換えに戦争犯罪の罪から救おうとする米国内の水面下の運動である。ドイツ関係の運動は「オペレーション・ペイパークリップ(紙ばさみ作戦)と呼ばれ、秘蔵の資金と秘密に近づけるSS(ナチス親衛隊)将校と秘密国家警察ゲシュタポ将校をドイツから(大半は南米へと)出国させる地下ルートをもっていた。この作戦は当然ながら、ドイツ軍に迫害されてきたユダヤ人社会などから激しい反発を引き起こした。

一方、日本では、かかる秘密工作は、米占領軍の情報担当、参謀二部(G2)が思うままにコントロールしていた。45年秋、米占領軍幹都と石井四郎軍医中将との間で、石井ほか同部隊関係者に戦犯免責を与えるかわりに人体実験にもとづく生物兵器が人体におよぼす影響を示すデータを提供するという、取引がまとまった後は、すべて参謀二部の思惑どおりに進んだ。

人体実験を通して得られた経験をたっぷり掌中に収めた若くて優秀な医学者たちは、たとえ占領下であっても、二国間協定に守られ、容易に医学界の要職につくことができた。かの悪名高き裏取引の直後に、石井都隊のもうひとりの部隊長、北野政次(軍医中将)はワクチン・メーカーを設立したが、ただちに倒産。しかし、50年には、やはり部隊幹部であった内藤良一(軍医中佐)により、「日本ブラッド・バンク」が設立された。6月末の朝鮮戦争勃発の直後である。

この内藤は、731部隊の調査を任ぜられた占領当局の幹部、マレー・サンダース(軍医中佐)の通訳をつとめたことで知られ、後に日本の医学界の重鎮になった。
「朝鮮戦争の最中に、日本に血液銀行を作るとは、内藤は参謀二部と完ぺきなコネをもっていたにちがいない」とパウエルは言う。
「なにしろ、当時の日本は朝鮮半島で戦闘中の米軍のための巨大な血液調達基地となっていたのだから」

内藤は「日本ブラッド・バンク」を今日の「ミドリ十字」へと発展させる一方で、731部隊の旧部隊員に職を提供することに余念がなかった。70年代と80年代には同社はとくに多数の旧部隊員を擁していた。日本が米国から濃縮血液製剤、いわゆる非加熱製剤の輸入を開始した時期である。

これら旧731部隊員が大いに活躍したせいか、急成長を遂げた「ミドリ十字」は、インターフェロン、血漿、人工血液の製造で世界的な有名企業にのし上がった。78年には、アメリカの大手製薬メーカーの血漿部門を買収し、ロスアンゼルスにアルファ・テラピゥティク・コーポレーション(Alpha Therapeutics Corp.)を設立。「ミドリ十字」は米国に製造拠点を得た最初の日本企業となった。偶然のことか(それとも必然的にか)、当時、他に1社しかなかったアルファ社の支社は西ドイツにあった。

では、創業者はどうか? 内藤は73年に「ミドリ十字」の社長に就任し、78年には会長になった。北野は早くも59年に、同社取締役、東京プラント長に収まっていた。米国ではよく知られているが、「ミドリ十字」のロスアンゼルスの社屋にはいまも内藤の名をとった施設がある。

63年、内藤は、先駆的な「血液製剤の開発」に対し、科学技術庁から科学技術功労者顕彰を受け、77年には、日本政府から勲三等旭日中綬章を受けた。731部隊について学んだ者であれば、中国の平房(ピンファン)(ハルピン郊外・731部隊の本部があった所)での部隊の主要目標のひとつが血液の代用品をみつけることであったことを忘れるわけがない。

「ミドリ十字」は、とりわけ人工血液の実験に関しては醜聞と無縁ではない。82年、同社が通常は健康体のボランティアに行なわれる人工血液の試験の第一段階を、重病患者に生体実験していたという疑惑が浮上した。
79年1月に胆のうがんで入院中の女性(72)に人工血液の生体実験を行なったが、これを隠すために、厚生省へ提出する人工血液の製造承認申請書の日付を改ざんし、「ミドリ十字」の役員らに2月に試験を行なったという虚偽の報告をしたと新聞で報道されたのだ。
報道内容はまもなく確認されるが、その後で厚生省が行なったことといえば、製造承認申請を差しもどし、もう一度提出を求めただけだった。ミドリ十字に対し、いかなる懲戒措置も取られなかった。

場面は一転して、96年。今年初め、厚生省は80年代半ばの非加熱血液製剤の回収状況を確認するため、「ミドリ十字」を立ち入り調査した。同杜は当初、85年11月から86年5月のあいだに回収は行なわれたと報告していた。
しかしその後、回収が行なわれたのは上記の日付よりほぼ2年も後であったことがわかり、岡杜幹部も認めるに至った。政府も日本のマスコミも言わぬことだが、731部隊の旧部隊員の(とくに「ミドリ十字」に職を得た者が)戦後の医学界におよぼしてきた影響力がピークに達したのが、この80年代なのである。

この時期には、また別の、より個人的な関係が開花していた。87年11月、「ミドリ十字」関係の財団「内藤医学研究振興財団」は前帝京大学副学長、安部英(たけし)を表彰した。ご存じ、厚生省エイズ研究斑の初代班長である。内藤の個人的友人でもあった安部は、82年の同財団設立以来の3名の理事のひとりで、今日も理事をつとめる。

今日、「ミドリ十字」と安部はともに薬害エイズの被害者たちから告訴されている。安部は強引に加熱製剤の治験と導入を遅らせたとされている。帝京大学関係筋によれば、82年の内藤の死後もずっと安部は「ミドリ十字」からVIP待遇を受けていたという。


<エイズは対黒人用に開発された生物兵器?>
45年に、アメリカはどうして日独の生物戦資料をそれほど欲しがったのか。ソ連との冷戦に突入したところで生物兵器技術でライバルよりも一歩、優位に立ちたかったのか?

アメリカの一部の学者は(とくに陰謀説を好む面々は)、米国は30年代から米国内や第三世界において独自の生物戦兵器の試験を行なっており、この技術向上のために秘密の実験データを欲しがったのだと言う。

たとえば、CDC(米国の国立防疫センター)以前の政府機関は、32年にアラバマ州で黒人の米国人200名に対し、病気の性格を告げずに梅毒研究を行なった。66年には、陸軍がニューヨークの地下鉄全体にバチルス(胞子をつくる好気性桿菌)をバラまいた。さらに、69年には、CIA(中央情報局)がワシントンの食品医薬晶局(FDA)の水道に化学物質を注入し、飲料水に毒を入れることができるか調べるための実験を行なっている。

72年、ニクソン大統領が生物兵器禁止条約に調印した後は、このような実験はアメリカで行なわれなくなった。
それでも、81年にキューバで、82年にエルサルバドルで、また85年にはニカラグアで、米国が生物兵器を使ったという疑惑が報じられた。

陰謀説を好む学者のなかには(とくに米国のアフリカ系研究者には)、きわめて陰険な説を唱える者もいる。その最たるものが、エイズは、じつは70年代後期にアメリカの研究所で生物兵器として開発されたというもの。
研究所とはメリーランド州のフォート・ディートリックで、日独の生物戦データを取得した軍事基地。パウエルが米占領軍と731部隊高官とのあいだで戦犯免責取引を示す決定的証拠を発見した所でもある。

95年11月、米国の5都市で教会へ通う習慣のある黒人市民1000人を対象に調査したところ、3分の1の人が、HIV(エイズウイルス)は「米国の黒人を集団虐殺するための一手段として」政府が細菌戦研究所で製造したという説を信じている、という結果が出た。彼らは、他の人種グループと比べて自分たちの免疫システムが弱いのでエイズ攻撃の標的にされた、攻撃はいまも続いていると信じている。

91年に活動家のデイブ・エモリーはラジオ番組でこう語った。
「エイズ発生の真相はこうだ。アメリカが731部隊の実験データを活用して、第2次大戦末に作ったのだ。…わが国は731部隊から実験データと研究者を取り上げ、フォート・ディートリックにもってきた。フォート・ディートリックは当時も現在も、陸軍最局の化学・生物兵器研究センターなのだ」

エモリーなどの活動家が好んで引きあいに出すのは、69年下院歳出小委員会におけるマッカーサーという陸軍軍医の証言である。このとき軍医は、人間の免疫システムを破壊することができる生物兵器を開発するための資金として今後の10年間に1000万ドルを要求したとされる。最初のエイズの症例は、79年、すなわち先の軍医の証言からちょうど10年後に、ニューヨークで報告された、と彼らは言う。

陰謀説に傾いている人びとが拠り所としているのは、東独の医師ヤーコフ・シーガルの研究だ。86年にシーガルはみずから創刊した新聞紙上で次のような説を発表した。
「HIVはそもそも、ビスナのウイルスとHTLV1(ヒトT細胞白血病ウイルス1型)を合成し、HIV1(すなわち今日、HIVと呼ばれるもの)を作って生まれた(ビスナとは、2、3年以上の潜伏期をもつレトロウイルスが引き起こすヒツジの脳脊髄炎で、ヒツジには致死性だが、人間には無害とされる)。HIVのU型であるHIV2が後にアフリカで発見された。これら2種のウイルスの合成は、1970年代後半にフォート・ディートリックで行なわれた」

さらに、
「HIVは、1年以内に兆候が出なければ釈放するという条件で実験台になることに同意した刑務所の囚人たちから蔓延した。1年以内には発病しなかったが、釈放後、ニューヨークヘ行った者がおり、かくして80年代初めに最初の症例が出たのだ」

シーガル説の信者たちは、従来のミドリザルの説(HIVはアフリカのサルから人間に感染したという説)はまったく無意味だと断言する。アフリカで発見されたエイズの最初の症例はニューヨークの症例よりも後だ、というのがその理由だ。動物のHIV(すなわちSIV=サル免疫不全ウイルス)は、人間にみられるHIVとは本質的に異なっている、と彼らは言う。

しかし、断わっておくが、これらはあくまで“論”であり、事実関係を裏付ける“材料”はひとつもない。だからシーガルのこの説は米国では一切、まともに取り上げられなかった。エイズの専門家の前で口にしようものなら、ただちに「コミュニストか、それ以下だ」と言われ、完全に無視されてきた。
しかし、それをそのまま信じるわけにはいかない。忘れてならないのは、かつて、731部隊の隊員が政府の庇護を受けて免責されたと主張した者も、当局から「アカ」呼ばわりされた。その当局がじつは事実を隠蔽していたことは、後年、パウエルの調査であばかれた。

まだ、これだけの疑惑がある以上、米国も日本も731部隊の実験データが実際にいかなる用途に使われたのか情報を開示してはどうだろうか。文部省はどうして731部隊に関する記述を教科書から削除しつづけるのか。日本政府も、アメリカ政府もまだなにか隠しているのではないだろうか。
(翻訳・森山尚美、文中敬称略)


(転載おわり)

「SAPIO」誌 1996年5月22日号 小学館
「エイズと生物兵器そして731部隊の「魔の連環」」
著:グレン・デイビス
訳:森山尚美


2004/01/25(Sun) No.01

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