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円の起源
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投稿者 リーマン 日時 2004 年 1 月 01 日 00:05:26:FagqpUDXKcu9o
 

やはり大晦日は、ずいぶんと投稿が減ってしまうのですね。

私の場合、イギリスのカレンダー通りですので、休みにならないのですが、日本がクローズしているため、これといった仕事は今日はありません。
今までほとんど根拠のない妄想ばかり書いてきましたので、今日は少し根拠のある妄想を書きたいと思います。

「円の起源」についてです。

1.ある日、小学生の娘を連れて大英博物館をぶらぶら歩いていたところ、HSBCがスポンサーとなっているコインの展示ブースにたどり着きました。暇に任せて一つ一つのコインを眺めていたら、アッと驚いて膝が崩れそうになりました。

まずその写真をご覧ください。
http://ccc.per.sg/collect/coins/jtd01.html
「えっ!日本が明治の初期に1ドル銀貨を出していたなんて!」
そしてその次に見つけたのがこれです。

http://ccc.per.sg/collect/coins/hktd01.html

そしてトドメの一発がこれ

http://ccc.per.sg/collect/coins/btd01.html

「香港やイギリスが一円銀貨を発行している!」


もうここまで読んだ皆さんには、頭の中に既に一つの予感が浮かばれたのではないでしょうか。
そうなんです。円(旧字体も同様)とは、ドルの漢語訳(ということは即ち日本語訳でもある)なんですね。

明治三年(or四年のどちらか記憶が定かではありません)日本が新貨条例を発布した際に国内の日本人に発表された「円」という単位は、実は海外向けには「ドル」を意味していたのです。(正確には当時銀本位制のもとでは標準サイズだったメキシコドル銀貨とほぼ同じ重さのものを発行することとしたものと推測されます)
なあんだ。それじゃ、当時の日本円って、海外では「ジャパニーズドル」って呼ばれていて、「香港ドル」や「オーストラリアドル」や「ニュージーランドドル」なんかと同じだったってわけ?
今の日本人が、経済大国の国民として最後のよりどころとする日本の「円」って純国産じゃなかったの?

残念ながらそうではなかったみたいなんです。


2.参照できる文献等も少ないので、以下の文章は、お粗末な金融史の知識と私の妄想の入り混じった物語です。

幕末に日本国内の金と銀の交換比率の違いを利用して異人達が日本から大量の金を持ち出したことは皆さんご存知の通りです。
18世紀の中ごろといえば、ヨーロッパではイギリスが金本位制を確立し、他のヨーロッパ諸国も争って金本位制へと移行しつつありました。金本位制が優勢となるにつれ金銀の交換比率は、銀安に振れる傾向にあったようです。
要は、ヨーロッパでは銀が余っていたんだと思うんです。
そこで各国が銀の処分場として目をつけたのが中国だったわけです。
当時の中国は銀本位制でした。そして海外との取引に際して使用する銀本位制下での標準コインはメキシコ銀貨(中国名:洋銀)だったようです。

当時は、銀本位制のもとでは銀そのものに価値があるわけですから、各国もメキシコ銀貨とほぼ同じ重さの銀貨を作って中国との貿易に使おうとしました。処分に困っている銀を銀貨の形にして中国人に引き取らせ、自分は中国からほしいモノを購入する、という目論見だったのでしょう。
ところが、中国人は「理屈からいえば、メキシコドル銀貨も他のドル銀貨も同じかもしれないけれど、やっぱり今まで見慣れているメキシコ銀貨のほうがいいな。」といったようです。

そこで、イギリスは、わざわざ本国から銀貨製造の機械を香港に取り寄せ、デザインも中国人が好みそうなデザインを施し、刻印の文字もローマ字(英語)に加えて、漢字を入れたコインを製造することとしました。そのときのコインが上記でもご紹介した
http://ccc.per.sg/collect/coins/hktd01.html
です。「香港一円」という漢字とHong Kong One Dollarという英語が読み取れます。
「さあ、これからこの銀貨を中国人に上手に押し付けてたんまりもうけるゾー」と意気込んだようですが、結果は芳しくなく、「漢字が入っていたって見慣れないものはやっぱりうけとりたくないヨ。メキシコドルのほうがいいヨ。」という反応だったようです。

そこで困ってしまったのは、わざわざ本国から高い金を払って機械を購入した香港植民地の銀貨製造担当者(香港上海銀行の奴らとダブっていたかもしれません)です。
「高いローンで購入してまだ全然償却してないのに、もう処分先を考えなきゃならないなんて、、、。どこかいい買い手はいないだろうか?」と関係者に相談したところ、ジャーディンマセソン社の社員のひとりがこういいました。
「ちょうど日本で体制変革が成功裡に終了し、社の上層部としては、日本を銀本位制の体制へ持っていきたいとの意向だそうだ。詳しい状況はこちらではわからんが、長崎支店のグラバーに問い合わせみて、新政府に売りつけられないか相談してみたら。」

出てきましたね、例の人。
ここでグラバーがどういう根回しをし、どういう経緯を経たのかわかりませんが、明治4年に大阪に造幣局ができ、香港から中古で買った例の機械が据え付けられました。
植民地当局・香港上海銀行・ジャーディンマセソン三者の関係者は損失の拡大を防ぐことができ皆喜んだことと思います。(明治政府もさすがに購入価格の妥当性の調査を行っていますが、イギリス人からすれば騙すのはチョロいものだったでしょう。もしかしたら新品の買値より高い値段で売りつけた可能性もあります。だとすればグラバーはコミッションもたんまり貰ったのかもしれません。)

ところで、当時の大蔵卿は大隈重信、次官が伊藤博文でした。(正確な職名を失念しました)
大隈は、関係者(貴族や革命グループ仲間)に対し
@体制が変わったのだから、それにふさわしい通貨体制の変更が必要であること
A銀本位制とすること
B銀貨の実物は丸くし、単位は元または円とすること(元も円も同じくYuenといったような発音になり中国ではどちらも洋銀(メキシコドル)を指した言葉)
〜等の了解を取り付けました。

このアイデアは勿論イギリス人からでていたものでしょう。但し、この変更の本質部分「銀本位体制(銀貨としてのドル本位制)を採用するということは、金本位体制に移行できない国やイギリスの植民地が主として採用する制度であり、日本はこの体制に実質的に組み入れられることになる」という肝心の部分は伏せていたようです。
ここに海外の実質的な統治者から命じられた内容であっても、日本語にして国内に伝達するに際して微妙に内容に変更を加え、ことの本質をそらす、という現在でも官僚や政治家達がやっていることの原型があります。

おいリーマン証拠出せよ、といわれてもこの部分は出せません。大隈が一番隠したかったことでしょうから。彼の日記にも出ていません。
但し、円という単位を押し付けられたことは言えないけれども、自分がその責任者となったことは自慢したいという気持ちは残っていたのでしょう。彼は、下記の内容を日記に残しています。
「一円の単位の千分の一は○割○分○厘の例に倣って「厘」にしたのに、なぜ、一円の百分の一の単位を「分」にせず、銭にしたのかって?それは、ちょうどドルの百分の一のCentの単位と江戸時代まで使っていた銭の漢字の発音が良く似ていたからじゃよ。わははは、我輩のセンスもちょっとしたものじゃろう。」

ここまで言うんだったら、もっと大事な「円」の由来もキチンとしゃべったらよいものを、そこをしゃべれず、銭の由来だけを書き残すというところが、ちょっと卑屈ですね。

但し、大隈は自分がイギリスの下請けをやらされているという自覚を持ちながら一方では、あんまり言うことを聞くばっかりでいいのだろうか、そもそも本当に銀本位制をとっていいのだろうか、と考えます。次官の伊藤がこういうことをいったのでしょうか?
「大隈さん、私がイギリスに密航したときは、確か既に金貨が中心だったような気がしますよ。アーネストサトウは僕達に何かを隠している可能性はオオアリです。イギリスに行って調べてもどうせ教えてくれないでしょうから、いつもイギリスの隠れた意図を解説してくれるアメリカに聞いてみてはどうでしょうか?なんだったら僕が行って調べてきましょうか?」
「そうしてくれるか。一方で、銀本位制として単位を円とすることは閣議で決まっておるし、列国の公使たちにもその旨伝えてあるから、この流れを今止めるわけにはいかんが、是非アメリカに行って実情をみてきてくれんか。」

伊藤はすぐ様アメリカにいき、実は欧州では銀本位から金本位への移行が進みつつあること、従って現在の計画は一旦中止するべきことを連絡してきます。

「新しい新貨条例は、各国に連絡済。香港の中古機械で作った一円銀貨のサンプルの伊勢神宮の奉納式も終了。大阪の造幣工廠の披露式の日取りも決めて各国に通知済。このような状態の中で、政府は、伊藤の報告を受けて先の新貨条例案を急遽廃案とし、金本位制を内容とする条例案を通過させて発布します。つまりできあがった法律をみると金本位制にするうようなことが書いてあるけれども、実際は銀貨のみが発行されるという珍妙な事態になったようです。

このとき、大隈がどう説明し、イギリス等が何を言ったのかはわかりません。しかし、ドタバタ喜劇が演じられたことは間違いないでしょう。
アメリカ大統領には「兵隊出します」といっておいて、国民には、「復興事業に行くんです」と二枚舌を使う現政権と同じ小手先だけの醜さがあります。

なお、もう一つ円の起源の証拠として明治初期にできたヘボンの辞書があげられます。そこには、Yen=Dollarと出ているそうです。
(話が前後してしまいましたが、「元」も発音はYuenと同じであり、ドルのことを指しました。(ちなみに韓国のウォンも出自は同じです。))

我々は為替の歴史を習う際にこんな文章を見かけることがあります。
「明治初年に一ドル:一円で始まったわが国の為替はその後長期的な下落傾向が続き、一ドル:二円or三円程度まで下落してしまう。
第二次時大戦により、さらに百分の一程度下がって一ドル:360円となる。戦後は、変動相場制を経て約3倍の120円まで上昇した。大雑把にいえばこんな経過をたどってきたわけだ。」
この微妙な言葉のすり替え「一ドル:一円なのではなくて、一ドル=一円なのだということ」は、今でもそこここに見られます。

どうしてはっきりと物事を見据えようとしないのか。

「ええ、実は日本円も実際上はドルとしてスタートしたわけでしてね。日本人にはなんとなく使いづらいんで円という言葉をつかっていましたが、、、。でも今振り返ってみると、ジャパニーズドルでも良かったんじゃないかって思うんですよ。我々日本人が一所懸命働いたおかげで我々が使う通貨を日本人が世界に胸をはれる通貨にしたという事実に変わりはないんですから。」
このくらいのこと言ったってなんら恥ずかしいことはないだろうに。

大英博物館にはなんのてらいもなくかざってあるものであっても、この英文刻印のある一円銀貨は日本銀行の博物館では絶対に陳列しないのではないでしょうか。日本人が、自分のたどってきた道を素直に振り返るようになるためには、もう少し時間が必要なようですから。


参考文献「円の起源」(作者は忘れました。和歌山大学の教授です。上の事実関係の類を事実のかけらとしては書きながら、大柄な構図からはなるべく目をそらそうとし、実は「円」という言葉が幕末以前から使われていたということをなんとか立証しようと涙ぐましい努力をされているところが、日本人らしくて、滑稽かつ痛ましく、また深刻でもあります。)

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