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投稿者 きゃべつ 日時 2004 年 6 月 28 日 18:29:07:Hgljwyg9GJUJo
 

以下は
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20030310MSDokUchihashiBassui.htm
に大きく拠っている。

  自分なりにあっしらさんの現在の一連の近代社会システムが終焉を迎えた場合に日本としてどう生き延びるかについてと考察したものである。途中非常に蛇足的な話になってしまっているが要するに言いたいことは後半3分の1である。

  現在の状況を考えると、どうしようもないような感じも受けるが、それはおそらく、人間は情報の質ではなく量に依存して内容を信じる存在で、また自分が大量にそういう無力感を煽るような情報を受け取っているからであるところ、この際単純に量的な問題だということにしておく。

  自分が思いついたのは、「彼ら」が富の収奪に向かう際にもっともやりいい手段の一つとして株式があると思われるが、『インサイダー取引を完全に無くすのは不可能ではないか』という事である。例えば自分でも、今後大変革を予定している企業に勤めている親や親戚や友人からなんらかの情報を聞いて多少売り買いすればそれで大儲けすることが可能だろう。昔から株は何か予定調和的なギャンブルのような気がしていた。1996年当時、ポートフォリオや多銘柄を買うことによるリスク分散等の新しい言葉がトレンドとなっていたが、自分は「絶対に上がる株がある筈だからそれを見つけ出して買えばよい」と考えていた。勿論、前者は善人向け(笑)、後者は悪い人向けの株活用法であろう。もっと悪い人になると、株を買い占めて、すると何故か企業の経営権も手に入るから、配当を可能な限り吐き出させて、暴落寸前で売り抜けてみようと考えるだろう。

  株式システムがなくならない限りこのような事は永遠に続くと考えられる。


  あっしらさんが仰る様に、グローバリズムを国民経済主義的なものにする事が可能であるとしたらどのようにすれば善いだろうか。

  自分は桜井章一という麻雀打ちの信奉者である。彼は20年間無敗であったという事である。また言うところによると、麻雀とは人間そのものであり、人間を追及すると麻雀が分かるが、逆に麻雀を追求した結果、世界に対する深い理解を得られたという事である。彼の書いた物は週刊誌から本から収集している。桜井さんの言う事は正しいだろうと「直感」している。

  桜井章一によれば、もともと「経済自体が悪そのもの」という事である。精確に分析しようとすればこんがらがってしまうが、ようするに一言で「分捕り合戦」ということである。政治や経済が始まる前の人間は働かなくても十分に食えたということであり、現在人間は生きるために仕方なく働いて悪の道に入ることを余儀なくされているという事である。シンプルにして非常に説得力のある言葉である。
  (ただ、問題はそれでこちらも悪い事をしているような気になって元気がなくなってしまう事である(笑)。)

  生れた時からよく働く事が善とされてきて、働いているお父さんに感謝しなさい(→あなたもそういう人間になりなさい)という刷り込みが為されてきた我々にとっては耳の痛い話である。

  しかしこれはこれでおいておく。何不自由なく育ってきた拉致被害者の子供にいまさらおまえの祖国は日本なんだよと言って逆拉致するようなものである。地球で生まれ育ったウルトラマンにいまさらM78星雲に帰れといっても拒否するだろう。昔には戻れないが考えようによっては行動の幅が広がったので一長一短だと考えなくてはならないと思う。

文明社会は、地に足の着いていなくても生きていける社会であり、非常にnarcotic(麻薬的)な契機を内包した社会である。われわれはほぼ麻薬中毒者であろう。そして気がつかないうちに、麻薬のために苦痛を感じずに生きている事を忘れてしまっている。

  この麻薬が切れたらどうなるか、という事であるが、第二次世界大戦では空襲や原爆投下といった終わりを迎えたわけであり、それまでは人々は麻薬中毒者のようであっただろう。山本夏彦等の語る所によれば、被害甚大であった都市生活者と異なり、農村生活者は戦中から敗戦にかけても実は生活水準は変わらなかったという事である。そして敗戦の中で、この世は麻薬でできていると割り切った人間たちが新興の西武や東急といった財閥を作る事に成功した。

  そして現在、外見上は若者の生き血を啜るような制度が支配し、その結果若者が老人を蔑ろにし、もともと金のある老人も余生は社会云々の事を嘆くより自分の好きに生きればいいわという相互信頼のデフレスパイラルが生じている。またの名をディバイドアンドルール(分割して統治せよ)といいこれも実は彼らの策略である。勿論善良な人々はこの世にそんな悪人がいるとは思わず、居ても自分たちの想像力の範囲内だと考えているため、またそれに自分さえよければいいという私欲も加わり、相も変わらず悪人に投票を続け、なんとなく胡散臭さを直感している人間は投票を放棄している。

  自分も経済活動に加わっていかなくてはならないという意味では『悪』であるが、それを深く自覚してしまうと一切の経済活動が不可能になってしまい(人から奪うことになってしまうため(笑))、自分の生命維持が覚束なくなってしまい、また自分よりもよっぽど絶対的にこいつは悪だろうというのがいる(基準:自覚的に人死にオーケーな人間(笑))ため、一応自分自身は「普通の人(中間付近でバランスを保っている人)」と見做すことにする。つまり「死んでくれないか」という暗黙の圧力に抗する事はするが、自分からさあ人間狩りにいこうかという事は心情的に積極的にしない人間という意味とも言える。

もっと言えば、普通の人達でも、想像力の範囲を広げる事によって悪人の思考および行動に対処できると考える。そのような人達は、まあ誰にでも人生山あり谷ありだとは思うが、結構、普通の人の中でも過去に色々あった部類の人々だろうとは想像する(笑)(自分もご多分に漏れず・・・)

  なのでまず、我々(?)自身は(一方的な悪人ではなく)ただ想像力の幅の広い普通の人間であると宣言したい。その為に一般の方々の想像力の範囲外である、とんでもない悪人の行為にも想像が及ぶという事である。
  (こうして正統性を主張するのは自分に言い聞かせる為と、後で「なんでこんな事やってんだ、一体お前はどうしたいんだ」といった余計な思考をなるたけ排除する為である)

  そして、「国民生活の水準を下げない」為に想像力を行使することは善であるという前提に立ちたい。これは人々への麻薬の供給を絶やさないようにしようという支配者側の考えるような論理ではなく、単純に普通の人が普通に生活していける状況を作り出す事は必要であるという我々側の信念に基づいている。

  (仮にこれから来るであろう状況に対して、「バブルの頃は散々踊っていい思いをしたんだから、こういったツケを払うのは自然の摂理として(笑)至極当然な事だ」という理論は反面は確かに正しいのであるが、自分はこういった具合に片付ける事はしない。戦争中も生活の安定している所はあったし、戦争で大儲けした人間もいたし、恐慌やバブルや今の経済状況でがっぽり儲けた人間もいたし、ここ数百年間安全な場所から世の中を高見の見物していた人間もいる筈だからである。そう考えると反面寧ろこれは騙し文句である。)


  グローバリズムの破壊しようとする伝統について

  特に、拝金主義的価値観を廃し、共同体主義的価値観を保ち続ける事が、未来にわたっては必要不可欠ではないかとどうしても考えてしまう。我々が普段あまり省みる事のない伝統や文化であるが、結局はこれらなしには人間は存続していけないからである。この点、支配者にとっては、伝統などは破壊してしまった方が好ましいし、アメリカの安っぽいミーイズムやヒロイズムのように都合のいい伝統的感情を作って与えた方が統制がしやすい事は彼らももう理解しているだろう。

  そう考えると、伝統を保持しようとする我々と、伝統を撹乱し破壊しようとする彼らという対立構造を見出す事が可能であると考える。最早我々は伝統をほぼ失ってしまったと言っても過言ではないだろう。小野田さんが1974年に日本に帰国したときに、日本人はいなくなってしまった、みんなアメリカ人みたいだといみじくも仰った言葉を忘れてはなるまい。そして敗戦と同時に過去の事実を罪といい、それを旧来の伝統になすりつけ破壊しようとしたのは誰だったかを今一度思い出す必要がある。


  そう考えるとここいらで一度「ルネッサンス」のような運動が必要となるかもしれない。いや勿論そこまで言うのは行き過ぎであろう。

  多少考えてみたが、

@ 伝統や文化から完全に切り離された想像上の100%都市生活者(利潤生活者)に望んでなった人間で、これからもそのようにして生きていく事しか望まないような人物を果たして救いたいか。
あなただったら積極的に救おうと思うか。逆に言うと、そんな支配者の真似事をして生き延びることしか望まないような人間は支配者の意向が変わると共にいじわる爺さんよろしく首を切られても構わないと思わないか。

A 田舎にはいい面と悪い面もちろん両方あるが、全員都会人は田舎に帰れ、というのも極端な話である事には違いない。

B 普段我々は伝統を蔑ろにしながらもアメリカ人をアホだな〜と眺めつつ生活しているが、過去の人間から見たら我々もアホの極みに見えるだろう。しかし人間の能力もバカにできないのでやる気をだせば我々も過去のレベルにキャッチアップできるかもしれない。

C なぜ彼らが世界中の伝統を破壊したいかというと、個人のレベルでのディバイドアンドルールが可能になるからではないのか。

D 伝統と近代というが単純に洗脳されやすいかどうかの話かもしれない。強固なパーソナリティーを持つ人間ならば伝統の存在に関わらず己の信じる道を行くだろうが、やはりそういう部類に属する人間は非常に稀であり、大衆の雰囲気をコントロールするだけでいいなら多少稀人がいたところで彼らから見れば大勢に問題はないだろうし、必要になったらマイケルムーアみたくピックアップして誘導に使えるだろう。彼が存在を許されているという時点で我々は何かが起こるだろうという事を予感できる。そういう意味でローカルな日本の政治家等は表ではグローバル化を進めても裏では伝統を保守するべきである(ある人間はその為にわざわざヤクザと繋がっているとも言える(笑))。
    
  以上は余計な考察である。


  自立した完全なサイクルを有する地域共同体を創造するのが急務ではないか?

  完全なサイクル、というのは、エネルギーを取り入れて不純物を出し元と同じ状態を保つ、という話であるが、かいつまんで言うと「衣食住」を内部で調達できるということである。住は竪穴式住居でもこの際住めれば構わない(極端だが)。衣はおそらく今は余っていてなんとか不足はしないだろう。人間は最低限衣食住があれば生存可能である。

  結局問題は食になると思う。「食」が圧倒的に足りない。それを補足するためのエネルギーも足りない。これはもっともっと恐れるべき事ではないのか。食料が余ってもいないのに、グローバル経済の原則に乗っ取って中国に米やリンゴを輸出してもいいのか。真剣だ。それを買った中国人は資本家であり、代わりに金をくれるが、彼らが代わりに食料をくれるわけではないのだ。

  勿論、最初は安価で質のいい食品が摂取できるかもしれない。しかしそれは対外経済的に黒字だからだろう。我々は海の向こうの競争力のない住民がどのような食生活をしているのか見たことがない。見たことがないが想像力を駆使してみよう。世界には日給1ドル以下で働いている人間がごまんといる。理想的なグローバル社会を想像してみると、一日だいたい110円で食えるものしか食っていないという事だろう。通貨に直すとカップラーメン一個分の栄養で生きている人間が世界には大量にいるらしいということになる。後はグローバル経済に乗らないあまったものをそれ以下の値段で互いに交換して食しているに違いない。彼らは大量生産以外に、生きるために必要な食料を周囲で生産している筈である。彼らはよもやそのような二足三文のものが世界で売れるとは思わないだろう。

  一つ逆説を言わせて貰いたいが、「途上国で、1円や5円で近くにある物が食えるというのは、彼らの方が我々より豊かであるということではないのか」という事である。本当に困窮の極みの国は除く。食料までグローバル化された経済を考えていくとあながち違うとも言い切れないのではないか。勿論、我々がそちらの国に行けば豪勢に現地食を頂けるだろう。しかしそれはあくまでも我々が行けばの話であり、我々は110円のカップラーメンを食べなければならない。そちらの国の人間からみれば毎月の食費3万円というのは哀れを誘うものかもしれない。勿論、日本が食に困窮すれば、現地人の抵抗を振り切って彼らの食料を日本に吸い上げようと考える不届きな輩も出るかもしれない。が、それには相当な抵抗が予想されるだろうし、実質無理であろう。当面は。

  世界中から水が無くなっていっている。日本は世界一の水輸入国といわれている。あっしらさんは日本の貿易黒字が無くなるだろうと予言している(つうか自分がそう思う)。結果食料が尽きるのは火を見るより明らかだ、と思うのは自分だけであろうか。勿論さまざまなアイデアを持つ人がいるだろうとは思うが来るべき将来に食料が不足する事態が来る事はだれしも想像できるだろうと
思う。現在でも、アルバイトをしなければ餓死する危険が常につきまとうのである。

  Japan Timesにこっそりと書いてあったが、CIAにより握りつぶされたDaug RandallおよびPeter Schwaltzの報告によれば地球温暖化により2020年ごろに主要国の都市が海中に没し、各地で環境の激変に伴った暴動が勃発するという事であった。これが表に出た事の真意は、もちろん見つかった振りをしてうまく人々を次の世界秩序へ先導する為の動機付けだろうが(現にアメリカでは環境ブームが煽られている)、あながち彼らもうかうかしてはいられない状況になっているのではないだろうか。悪魔は悪魔なりに物事が見えてしまうので、どうやら自分の仕掛けた近代システムで自分の首を絞めることになっているのも理解しているだろう。「彼ら」やもっと下っ端の日本の官僚にとっても、野蛮な一般人に「お宅訪問」されることが一番の恐怖であろうし、日々その恐怖に怯えながら暮らしているだろうからである。地球環境の変化が不可避であればあとは頼りになるか分からない宇宙人に助けを求めるしかない。或いはこれは彼らと一般人が一緒に手を組んで問題を解決できるいい機会かもしれない。

  自分が是非本気で議論して頂きたいのは、食料自給率40%弱から100%超の近代農業国に転換した場合、これがそのうち自動車や半導体よりも対外的な利益を生むようになるのではないかという事である。その前に当面の凌ぎとして自立サイクルを持つ共同体や、食糧備蓄を目指してもいい。もちろん、増やすべきはグローバルに対抗するアンダーグラウンド(MEATRIXのような規格大量生産でない)な自作農であり、グローバル資本のコントロール外で余った物を適当な値段で近所で交換する。これが取り上げられる事になったら生存権=抵抗権を行使するぞというレベルである。余ったらそれこそITを駆使して個人で勝手に売る。まあ大規模な生産基地を作ってもいいがあまり自分の心情的に感心しない。自然の摂理に反する事をやれば土地が疲弊し不作化することは経験上明らかなことが分かっているからである。より少ない水で収穫できる作物や、日照の悪いベランダで育つ作物の開発等を本気で始めたら、世界中が喜ぶだろう。向こうもまさかやらないだろうと思っているであろう、金融と経済での敗北容認である。彼らからすれば日本人はぐずぐずと近代システムにすがり付いてくるのが理想であるだろうが(というかそれ以上は軍事上の一拠点かリゾート候補地としか見做していないだろうが)、一部でもう経済も金利もいりません、その代わり自分達で勝手に作物作って暮らしますと言う人間が増加すれば、意外や意外に助かってしまったりするのではないかという事である。もちろんこれをスムーズにやる為のハードルも非常に高い。反対も多いだろうし失敗すれば多大な犠牲を払うだろう。色々な角度からの議論が必要である。まずは本当に水不足や食糧不足が起こっているのか、そしてそれがどのような関数に則ったスピードで進行しているのかという所からデータを出し合って突き詰めていく必要がある。そして穀物メジャーと呼ばれるグローバル化複合体の品種開発が世界の変容にキャッチアップできるのかということも絶対に推測する必要がある。

  過去に牛肉オレンジ自由化とTVが騒いでいたのを思い出す。今思えば余剰の処理と貿易差損を埋め合わせて漁夫の利程度の考えだったのかもしれないが(そんな単純じゃないか)、日本人は相当自分の食料に対して無頓着になってしまった。前述の小野田さんだが今ではブラジルで牧場を経営していて、自然の中での生活を大切にしている。衣食住が揃っていれば、何が起ころうと天候以外ではそれほどダメージを受ける事はないと考える。我々は今一度地に足の着いた人間が一番強いという言葉を思い出したほうがいいのではないだろうか。

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