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テルツィアーノとアジア すいか様
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投稿者 kamenoko 日時 2004 年 8 月 01 日 05:14:47:pabqsWuV.mDlg
 

すいかさま、みなさま はじめまして。
ひと月ほど前に阿修羅を知り、毎日読ませていただいています。

<すいか様 サイトの紹介をありがとうございました。おかげさまで「反戦の手紙」が
日本語で読めることを知りました。

以下は旅立ちの前にイタリアの雑誌に載ったテルツァーニの記事です。

・・・・・

 バニティフェア 04年4月

「最後のことば」Enrica Brocardo  ヴァニティフェア 04年4月

小さなベンチに座ってコンピュータに向かう。頭上の壁には白黒の
デッサン。ピサの斜塔の上にヨガの姿勢で座る髭の男。
「息子のフォルコの作品で、あれが私の生涯だそうです」
ティツィアーノ・テルツィ―ニが法学学位を取得したピサの
ノルマーレから、最後の著作”メリーゴーランドのあと一周”を書いた
ヒマラヤへ。 全ての意味で”最後の”。
「もう1行も書きません。署名もしない。必要なら拇印を押す」
「ファラチが再び挑んできてもですか?」 と訊ねる。
「書かない」 微笑みながら答える。
9.11の数週間後、オリアーナ・ファラチはイスラムを強い口調で
非難し、戦争を擁護する記事を寄稿した。
同じコリエレ・デラ・セーラ紙上で、彼はガンディーを引いて答えた。
「風に揺れる若草を眺め、彼の心に思いを馳せてごらん。君の怒りは
鎮まるだろう」
フィレンツェ出身の2人のジャーナリストの相反する見解は、02年に
書店でもぶつかり合う。 彼女の”怒りと誇り”、彼の”反戦の手紙”。
その2年後、ファラチとテルツィアーニはほぼ時を同じくして執筆に
かかった。マドリッド爆弾テロに触発された彼女の”理性の力”、
彼の”メリーゴーランドのあと1周”。
戦争、テロリズム、宗教、グローバリゼーションにも触れているが、
出発点は長い闘病の旅だ。
76年にある占い師が告げた。「93年にあなたの生命に危機が
訪れるだろう。飛行機に乗らないように」
彼はその飛行機とやらに乗らずにアジアを足で歩き、その旅行記
”ある占い師のお告げ”はベストセラーとなった。
「もちろん、あの予言師のお告げは言い逃れ」
むしろ7年前に告げられたガンが、再び執筆に向かう動機となった。
最後の最後になって、「残された時間を誰かのために使いたくなった」
「どのような方法で?」 質問。
「インドのことわざ。神さまをわらかしたい?お前の人生設計とやらを
語ってみせてごらん」 笑いながら答える。「わからない。ことばや
ジェスチャーだけでも、誰かの助けになりそうだ。インドの哲人いわく、
最良のコミュニケーションは沈黙である」。
テルツァーニは01年に書いたファラチへの手紙の中で、カール・
クラウスを引きながら、こう書いている。「言いたいことがある者は、
一歩前に出てまずは口をつぐむがいい」
今は「マドリッドで爆弾が炸裂した。誰もが同じことを言う。憎むべき
犯罪だ。ことば、ことば。一方通行のことば。翌朝にはカプチーノを
飲みにでかけ、思考を止める」

 ブロックノートと沈黙

内省と沈黙はよい手段だ。テルツァーニはほぼ1年を静寂の中で
過ごした。ヒマラヤ山麓の小さな小屋で、彼の著作の6年間を凝縮する
ために。「その日の予定を書き入れる小さなメモ帳をいつもポケットに
入れていた。晩方、寝床に入る前に日記をつけた。体の中の’金庫’
から引出しながら」。
そこから出た物語は、問いで溢れていた。誰も答えることができない
ような、願望でしか答えられないような。
「体の心底から自分自身になりきる。自我という殺人者に降伏しては
いけない。君を掴まえて、自己陶酔の空騒ぎまで引きずる自我に」
アイデンティティの放棄は、ときには自分自身のためになる。
「サンスクリットを学ぶために、インド人の導師を訪ねてアシュラムへ
行った時のことです。足に触れてアドバイスを求めるたくさんの女性に
囲まれて、導師は何時間も座っていました。’しかし、こうしている間
にも、たくさんのことができるでしょうに’と訊ねると、’もはや自分の
ための時間は必要ない’と答えたのです。これを聞いた私は、アナム
の再洗礼を受けることにしました。ここでは誰もが無名です。
生涯の大半を新聞の一面に記事を書くための見聞の旅に費やした
あとの選択としては、愉快なものではないでしょう?」
庭に目を移したテルツァーノは、オリーブ畑に立つシバ神に手を
伸ばす。その向こうはフィレンツェの街。
「私はあそこで生まれた。家族の中で一番先に読み書きを覚えた
 私を学校に通わせるために、両親はパンをあきらめた。最初に
 手にした長ズボンは、おそらく月賦で買ったのだろう。1年の間
 毎月洋品店に支払いに通った母を覚えている」

フィレンツェから10分の距離の丘の上の家。中国茶を啜りながら
語るテルツィアーニ。戦争特派員から平和のカミカゼへの転身の
道のりは、さしずめ栄誉のひな壇のよう。幾多の虹の旗が窓に
翻る光景は、イタリア中の都市でもいまやここだけかもしれない。
そして今ここに、ファラチが帰省している。
「ボディガードを連れて歩いている。あの手のことは巨大な自我が
 なければできない」 とテルツィアーニ。

 静寂の香

線香の香が漂っている。 「儀式的なものですか?」
「いやいや。だがへんちくりんなにおいより良いでしょう?」。笑い
ながら答える。壁を背に、金箔と漆で満艦飾の中国の天蓋ベッド。
「ブラックジャックで手にした5千ドルで買った」
彫像、置物、東洋風のラグが賑やかに周囲を彩る。旅人の家。
「むしろ探検家の家。母親、恋人、妻に手紙を書きながら、世界
中を旅した。私はまだ新聞が健在だった時代の人間で、彼らは
私が記事を書くためのお金を払ってくれました。実をいうと、逃避の
旅だったんだが・・・」 これはスクープ。
「私の人生は逃げの一手。逃げ出さなかった唯一のものは、
結婚生活」 テルツィアーノは作家のアンジェラ・シュタウデと
45年の結婚生活をともにしている。「共通の友人の家で初めて
彼女に会ったのは、18歳の時だった。服装のセンスがない
へちゃむくれ少女が、私のメートル(基準・ものさし)になった。
会ったその日に。結婚生活の秘訣?大きな存在と、大きな不在」
世界中を旅し、自己の探検家になった今も、孤独に陥ることがある。
探究心と政治への情熱は、過去のものとなった。
「生物学のように、人の生涯にも差異がある。そしてその差異だけが
集団文化を継続させる。広範な様式を飲み込んだ我々の文化的
生活は、足元を切り離してしまった。いや、翼を折られたというべきか。
インドのそれには全てが残っているが、足をくそ溜めに突っ込んでいる」
おそらく各々の集団社会が精神性の翼で羽ばたくことができず、
地面にがっしり足を着けているのが問題なのかもしれない。しかし
それを彼に言えば、お叱りを受けるだろう。
「大革命が起こるだろう。’stop the train I wanto to get out’式に
マリファナを止めた輩が2,3人ずつ降りていくヒッピー革命ではなく。
今のままでは前に進めない、これは確信を持って言える。
内省の時間を設ける者がいない。ガンとテロリズムの類似性を
例を挙げよう。どちらも現代の我々の生活を蝕む病気です。
どう対応するか? 原因を追求せずに、治療に走ると思う。薬、
新たな武器、防衛システムといった」テルツィアーニいわくの核心は、
観点を変えること。この点については、すでに出口がみつかった。
「欧米人なら、’テルツァーニが死んだ’と悲しい表情を浮かべる。
しかし死が辛いものや悪いことだと誰が言ったんだい?
私のヒマラヤの小屋に、あるババ(ヒンドゥー教導師)を路上から
連れてきたことがある。ある日男がやってきて、ババに懇願した。
’父が死にかけています。お願いですから何かしてください’。
追い払われても、また戻ってくる。とうとう最後に言った。’バナナを
買って病人に食べさせなさい。そうすればよくなるだろう’
男が言われた通りにしたのち、父親は死んだ。平和に満ちた最期。
ブッダいわく、蝋燭は消えても光明そのものは続く」
世界を語る方法が千通りあったなら、テルツァーニは少なくともその
半分を知っている。
「それは私のカメレオンの本能。秋の葉の上では赤に、樹皮の上なら
栗色に。これが自分。ムスリムの中ではムスリムに、仏教徒の中では
仏教徒に。気持ちを溶け込ませる唯一の方法だと思う」
で、いまは?
「今の自分にはカモフラージュが必要な木はない」

  東洋からのまなざし

 「誰の人生にも、ちょっぴりの幸運が訪れる。わたしのそれは、
 非常に大きなものだった」 61年の生涯をこのように振り返る。
 71年ジャーナリストとして仕事を始めて以来、生涯のほとんどを
 過ごした場所はアジア、しばしばベトナムやカンボジアの前線。
 シンガポール、北京、東京、バンコクに暮らし、インドに魅せられる。
 「あの国を愛したものならわかると思うが、理由を口で説明できない。
 目の前に別の次元が開ける。赤黒のメガネをかけたような、
 とにかく物事の見方が変わるのは確か」 東洋での経験を本に
 綴る。初作は75年 ’豹の毛皮’ ベトナム戦争を題材とする。
 ’おやすみ レーニン(92年)’ではソ連邦の共産主義の崩壊を、
 ロンガネージ社から出た近著’メリーゴーランドのさらなる一周’は、
 7年前のガン診断で幕を開ける。NYの専門医に委ねる決心を
 したテルツァーニは、そこで新たな治療、新たな薬に出会う。
 米国からインドへ、タイから香港へ、そしてヒマラヤへ。
 ヨガの導師、アユールヴィーダの専門家、僧侶、治癒師との出会い。
 「しかし治癒など存在しないのだよ。深い意味での受容、病気に対しても」

・・・・・以上

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