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「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」に見る“理念主義者”の末路  − 想像力(思考力)の大いなる欠如 −
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/506.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 01 日 06:04:40:Mo7ApAlflbQ6s


エンセンさんの『とりあえず読み終えた感想です。』( http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/494.html )へのレスです。
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エンセンさん、こんばんわ。

この“事件”は、『「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」に見る“理念主義者”の末路』というタイトルで大書が出来上がるほどの深いものを示唆しているように思えます。

彼らは、確固たる価値観と冷静な判断力を持っている人たちであるが故に暴走しているように見えます。

これは、ブッシュ政権を動かしている人たち、革命的テロリズムに殉じる人たち、民主主義や自由主義を普遍的真理と考える人たちなど、理念主義に走る人たちに共通する行動形態だと思っています。

ブッシュ政権を動かしている人たちはずっと利口であるだけでなく権力機構を動かさなければならないので、もっともらしい装飾をつけているため暴走には見えにくいのですが、権力に対峙する運動を行っている人たちは、ことが思い通りに進まないなかで暴走しやすい危険性を孕んでいると考えています。


「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の人たちは、被害者の父親を真犯人と名指ししつつも、彼の人権を強く擁護する姿勢を示したり、彼に深い同情を寄せています。
つまり、冤罪で収監されているA君に寄せる思いを支えている“人権尊重意識”や“他者への思いやり”を真犯人と考える被害者の父親にも同じように向けているのです。

(彼らの行動がとち狂いや暴挙だと思っている人には、なに言っているんだ、前提が間違っているんだから、“人権尊重意識”や“他者への思いやり”なんかではないということになりますが、彼らはまじめに心からそう思っているはずです)

彼らは、活動を通じて被害者の父親を真犯人だと思い込んで(信じて)います。
そのような彼らになったつもりか、被害者の父親が本当に真犯人だとして(彼らはそう思っています)、次の文面を読んでみてください。


(以下すべて、「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の活動 3:被害者父親真犯人説への転換( http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/483.html )より引用)


引用:「あなたの家族は、あなたが恐れるような目に遭わないよう、私たちが全力を尽くします。誰も、あなたの家族とあなたを責めたてることなどできはしません。なぜなら、作り上げられた「犯人」「犯行」に何の異議も唱えず疑問も持たず、もし疑問を持っていたとしても提示せず、全体の雰囲気と一緒になって、A君とその家族を犯人扱いした者たちに、その資格はないからです。言えるようになって後から口を開くのは、初めから何もしなかった者以上に“黙っていた”罪は大きいのです。国民のほとんどが、A君に対して、「彼を信じること」ができなかったのです。彼に詫びるべきではあっても、真犯人を前と同じように責めることはできないのです。」


“我が子をあのように無残に殺害した上で遺体の一部を世間に晒した父親”にこれほどの人権的配慮を示しそのための行動を約束しています。(念のため、“”内は彼らの思い込みです)
そして、これは、言葉だけで終わるのではなく、実際にそうしようと活動するはずです。

それと同時に、この文面からも、彼らの想像力の欠如を強く窺い知ることができます。

それは、彼らのA君救出運動が現時点では目的を達成できていないように、被害者の父親が真犯人だということが公に認められたとき、彼らがどうしようと、その事実を知った怒れる人々(国民のある割合)の罵詈雑言を止めることなぞできないという現実さえわかっていません。
彼らは、自分たちの論理で現実が動くかのように錯誤しています。
“であるべき”という理屈と現実の動きは別だというあまりにも当たり前の現実さえ見えていません。


彼らの“優しさ”や“思いやり”は、倒錯の極みであり、噴飯物や怒りの対象ともなるものですが、心のうちから素直に湧き出ているものだと推察します。


引用:「真実を語るだけの勇気があれば、どんなことも乗り越えていけるでしょうし、私たちはその勇気を喜んで迎え入れ、あなたを支えていきます。医師を必要とする貧しい国で、あなたがこの先の人生を捧げ、人の心にもいのちにも優しくできるよう、支援していきます。」

引用:「ここまで何度も待ったのは、「公にすること」への躊躇があるからでも、恐れているからでもありません。
 あまりの事態の深刻さのために、あなたの家族が気の毒でならないからです。何の罪もない奥様とお子さんまで、深く傷つくのを見ていられないからです。守り、助けてあげたいというのは、あなたと同じ気持ちです。このままだと、あなたの家族は、真実を知りながら知らぬふりをしていたかのように扱われ、あるいはかばっていたかのように思われ、同じ非難の標的となってしまいます。それは「家族もA君が無実と知りながら、彼に罪を負わせていた」ということです。」


さらには、生けるキリストとも見まがうほどの語りかけもあります。

引用:「どんなに罪深い者にも許しや救いはもたらされます。償うことはできるのです。たとえ取り返しのつかないことであっても。心からの謝罪から始まるのです。真実に向き合うことから始まるのです。そしてそこに「貢献」によるあがないの道が用意されるのです。きっとあなたは、多くのいのちを救うために、自らの残りの人生全てを「捧げる」ことになるのでしょう。自らの罪を恐れおののき、真実から逃げ回るよりも、はるかに人間らしい人生です。そこに至るまでには、確かに大きな勇気を必要とします。しかしそれなしには人として生き直す機会は与えられません。」

あのような残酷極まりない子殺しをした人間だと信じている相手に、彼らは、素直な心でこのような言葉を投げかけているのです。

(これは、人類みなが原罪を背負っていると信じ込んでいる“正統派”キリスト教指導者にも共通したものです。人類皆に“冤罪”を被せ、その救済方法を信じるよう訴えている“正統派”キリスト教指導者とあまりにも似ています)


彼らは、我が子を殺した父親(彼らの妄想です)に深い同情を寄せています。

引用:「そう考えれば、今までのあなたの全ての不自然さや無反応、わずかにあった対応の説明がつくのです。そしてそれだけではなく、繰り返しお尋ねしてきた質問にも、全部それで辻褄が合うのです。あなたが犯人だとすれば。
 こう書きながら、私たちはあなたの気持ちを考えずにはいられません。
 いかなる理由があるにせよ、子を殺めたことの重さを受けとめないはずはありません。あなたの悲しみや苦しみは本当のものと思います。そこにさらに、自らが手を下してしまった自責の念がないはずがない、と。
 その重さに耐えきれず、真実を口にできればどんなに楽になるか。たとえどう非難されても、真実を明らかにしてしまいたいという葛藤に苛まれていたのではないですか。
 日々、いのちと向き合うなかで、いのちを救い、見守る立場にある者として、そのいのち、しかも最も大切ないのちを奪った罪の重圧からは逃れられなかったはずです。あなたのなかの良心は、それを許しはしなかったでしょう。全てを告白し、大声で泣きながら、自分が悪かったのだと叫び出したい衝動に駆られることはありませんでしたか。」


しかし、ここでも、想像力の欠如を指摘することができます。

我が子を殺しあのように無残な晒し方をした父親(念のため彼らの妄想です)が、多数派に見られる良心や価値観を持っていると考えています。

(父親の心を揺さぶって真実を語らせたいという思いもあるのかも知れませんが、このような内容はいくつも出てきますし、想像する彼らの心性からそのような策略的なものではない可能性が高いと思っています)

神戸事件の犯人(ら)は、悪魔崇拝的な価値観を持っており、あのような殺人を犯すことが善だと考えているか、あのような所業に無上の喜びを感じる価値観(感受性)を持っていると推測しています。

実際はそうではないとしても、そのような価値観を持つ人たちもいるという理解があれば、「今までのあなたの全ての不自然さや無反応、わずかにあった対応の説明がつくのです。そしてそれだけではなく、繰り返しお尋ねしてきた質問にも、全部それで辻褄が合うのです。あなたが犯人だとすれば」という安易な判断には陥らないはずです。

あのようなことをしでかしても、良心の呵責におののくどころか、意義深い善をなしたと考える人は、彼らが想像するような反応を示したりはしません。


そして、彼らは、遺体にあのような所業を行ったわけを次のように推測しています。

引用:「実際に手を下した後、遺体に細工をし、あのように扱ったのも、「両親・肉親なら、とてもそんなことはできない」と人は思うからであり、「あんなことができるのは、両親・肉親以外の者だ」と思わせるための、“仕方のないこと”だったのですね。本当はあのような酷い目に遭わせたくなどなかった。でも、自分がやったと思われないためには、そうするしかなかった。あなたも親である以上、やりたくてそうしたのではない、と私たちは思うのです。」


「「両親・肉親なら、とてもそんなことはできない」と人は思うから」という判断で行うレベルの所業かどうかの判断さえできていません。
(指摘している理由で奇妙な細工することを否定しませんが、レベルが違いすぎます)


さらに進んで、父親が我が子を殺すに至った動機まで解き明かした気になっています。


引用:「淳君はきっと天真爛漫なお子さんだった。自分の思ったこと、したいこと、欲しい物、それを素直に口に出していた。ためらいや遠慮はなしで。その素直さ、真すぐさが、あなたにはまぶしく、そして負担だったのではないですか。同じことを何度も何度も繰り返し言い続ける淳君に、苛立ったり、やめさせようとしたりもしたでしょう。淳君にとって心、気持ちをそのまま言うことは、ごくごく当たり前であっても、あなたには次第に我慢できない部分へと変わっていったのではないでしょうか。そして、自分のことをどんなふうに言うのかがとても気になりだした。それはあなたにとって最も弱いところでしたね。淳君がどう言うかで、まわりの見る目が違ってくるのですから。

何年もの間には、何度もそういうことはあったでしょう。しかしそれが、苦々しく思うだけでは済まなくなっていったのですね。あなたのなかで。あなたにとっては恐ろしくもあったのです。淳君が。敏感に人の心、あなたの気持ちに反応し、それを口に出す。――そしていつしかあなたは思うようになってしまったのです。「このままではどうしようもない」と。「殺すしかない」とも。
あなた以外の者にとっては、それは理由にならないことです。でも、あなたにとっては、日々、ずっと同じ恐れのなかにいなくてはならない、切羽詰まったものだったのでしょう。私たちはあなたと同じ気持ちになることはできません。しかし、少なくとも想像することはできます。よほど追い詰められた気持ち、耐え難い気持ちになってしまったのだろう、と思うことはできます。」


被害者の父親が、報道されているような障害をもっていた我が子にどのような思いを持っていたかはわかりません。

しかし、私自身を振り返れば、若いときは自分の子供があのような子だったら困るなあ(いやだな)という思いを持っていましたが、子供をもたない時点で、あのような子が自分の子供だったらたまらないほどいとおしいだろうなと思うようになりました。

彼らが、父親が抱いていた我が子への思いを探る情報をどれだけ持っているかはわかりませんが、文面からはある種の偏見を感じてしまいます。

よほどの確信がない限り、すなわち、父親と長い付き合いがあり様々な局面での振る舞いや感情の発露に触れる機会を持ってそう確信した場合でなければ、とてもではありませんが、このような動機説明を文章にして当人に読ませるということはできないはずです。


伝聞はいろいろ手にしているでしょうが、直接のつながりは皆無だと思われる相手の心に土足で踏み込んでいく文面は、


引用:「そしてA君の逮捕。あなたは我が耳を疑ったでしょう。まさか顔見知りの少年が犯人にされるとは、あなたの想定外だったはずです。あなたは、誰かを身代わりにしようなどとは思ってもみなかった。解決不可能な迷宮入りの事件として終ることを望んだ。けれども事態は、あなたの予想をはるかに上回る大騒動となった。追い詰められていたのは警察も同じ。その結果がA君のスケープゴートです。あなたはそこでも、どうすることもできなかった。自分にも疑いがかけられていたこともあって、作り上げられた逮捕劇を見ているしかなかったのです。自分への疑いを一掃し、自分ではないことをより確かなものとするために、損害賠償請求までせざるを得なかったのでしょう? あなたはA君に、何の恨みも怒りもない。当然です。むしろ、申し訳なさ、うしろめたさで、彼のことを考えたり思ったりするのが辛いのではありませんか。自分の長男の成長していく姿と、彼の毎日とを比べた時、自分がかぶせてしまった重い罪のことを思うことはありませんか。
昨年秋の、国会でのあなたの主張は「被害者の心情への配慮」に特に力がこめられているようにすら思えます。犯罪を犯した少年に対する扱いに関して、遺族がごく普通に抱くような感情がほとんど感じられなかったのです。それは私たちの偏った見方のためでしょうか。」

と続きます。

ここでも、彼らは、思考力のつまずきを見せています。

遺体の一部をあのように晒した犯人が、「解決不可能な迷宮入りの事件として終ることを望んだ」などとどうして考えられるのか不思議です。

警察は無能だったためにA君をスケープゴートにしたのかもしれませんが、犯人が、「解決不可能な迷宮入りの事件として終ることを望んだ」と考えるのは誤りです。

そのように望んでいる人は、遺体の一部を目撃される可能性もある場所に置きにいったり、ご丁寧に場所を動かしたりはしません。
うやむやになりましたが、時間的に合うかたちで黒いビニール袋を持った中年の男性が目撃されたり、自動車も目撃されています。遺体の一部が最初に置かれた時刻や移動された時刻もおおよそ特定されています。
彼ら自身が、そのような目撃証言を、A君が無実である根拠の一つにもしています。

あの事件の犯人は、警察が有能できちんと捜査していれば、真犯人を見つける手掛かりを与えるような“愚かな”行為をしたと言うことがでできます。


さらには、真犯人と思い込んでいる配偶者の心にまで踏み込むに至ります。


引用:「この数ヶ月の働きかけによって、あなたの奥様は、あなたに対しての不信、疑いを持たれたはずです。事件当時の記憶に照らせば、私たちの伝えることが決していい加減なものでないことは分かるからです。でも彼女はあなたに何も言えず、何も聞けない。口まで出かかっているさまざまな言葉を飲み込むしかない彼女の苦しさを思ってあげてください。
子供を殺された。それだけではなく、その犯人が夫。毎日毎日、この三年半、ずっと一緒にいた人が。
彼女はそれでもお兄ちゃんを、自分を守るために気力を振り絞っているのだと思います。事実を知って愕然とし、絶望し、そして恐怖を感じ…。それでもそこに踏みとどまっているのです。
あなたが毎日暗く重い時間を、追い詰められたような気持ちで過ごすのと同じように、いえ、それ以上に苦しい心で生きているのです。それを分かってあげてください。そういう苦しさから、早く解放してあげてください。」


彼らは、父親真犯人説が自分たちが思い込みではなく“真実”に近いものであることをあまりにも薄弱な根拠で伝えています。


引用:「今まで私どもが土師氏へ届けた手紙類は、何人もの人たちに「資料」として読んでもらいました。そしてそれに対する土師氏の対応は「普通に考えて、やはりおかしい」と誰もが言います。」

何人に示したかわかりませんが、「「普通に考えて、やはりおかしい」と誰もが言います」という表現は、普通に考えるとはどういうことを意味し、おかしいとはどのレベルの疑義かということも不明なまま、「誰もが」と強調だけは忘れていません。

掲示板でも、土師氏もA君のために動いて欲しいという書き込みは見えますが、彼が真犯人だという説には疑義も投げ掛けられています。


引用:「追伸・あなたへの手紙類のほとんどはホームページに掲載してあります。読んだ人たちは、あなたへの疑惑を持ち、あなたが真犯人だとしてもおかしくない、と思っています。けれども、あなたが「真犯人」でないのなら、やはりしっかりとした説明をして頂きたいし、すべきだと思います。私たちは聞く耳を持っています。頭ごなしに否定などしません。その意味でも、ぜひ面会を、と改めて申し入れます。」

この阿修羅サイトでも読んだ人はいますが、「あなたが真犯人だとしてもおかしくない」とまでは思っていない人はいます。(エンセンさん、竹中さん、そして、私など)
ここまで牽強付会になれる思考力には恐れ入ります。


世間の動向についても、

引用:「今の時流が「隠蔽された事実の発覚」「嘘・偽りの崩壊」であることは誰もが実感するところです。あなたも連日「嘘・偽りがばれて痛い目に遭う人たち」を見ながら、自分のことを思わずにはいられないでしょう。」

引用:「今のこの国の時流は、あなたにもお分かりでしょう。「隠していることが明るみに出る」のです。その流れは、今や誰にも押しとどめることができません。たとえあなたであっても。知られたくないものを抱えている人たちは、「次は自分の偽りがあばかれ、本当のことが知られてしまうのでは」と不安になり、怯えているでしょう。あなたもそのひとりです。だからそれを守るため、手記を書いたのでしょう。」

と期待感と現実が交錯したもので、現実認識の甘さを露呈しています。


彼らの推論のあやしさは、A君の謝罪問題でも現われています。


引用:「先頃あなたは「週刊新潮」の手記のなかで、A君からの謝罪がないことを明かし、それは医療少年院に「謝罪の指導がないからだ」と理由づけました。しかしそれは全く違います。医療少年院において、更生が進められていく過程では、謝罪へ向けての指導がある、と院側に確認しました。
 それだけではありません。彼からの謝罪がないのは、彼が犯人ではないからです。そしてあなたはそれを十分御存知です。」

彼らが確認したことを、被害者の父親も確認したかどうかはわからないことでありながら、「しかしそれは全く違います」ときっぱり反論しています。

それが、父親がおかしい(あやしい)と論証するための言いがかりに近いものであることが、次の内容から推測できます。

引用:「なぜなら医療少年院では、「被害者への謝罪をさせるような教育(プログラム)や指導がない」というのは嘘だからです。あなたは医療少年院での指導内容を細かに揚げて解説までしてみせました。内容的には合致するのでしょう。しかし、そこに書かれていないことが「指導しないこと」ではありません。あなたが勝手にそう言っているだけです。
 担当課長(関東医療少年院の、ですよ)は言いました。「それが分かる状態の子には、謝罪への指導をします。反省を促しもします。・・・等々・・・・。」A君が、“それが分からないほどの状態”ならば、さらなる入院・治療が必要なはずです。しかし現実に彼は退院したのです。それが分からない状態にあるなどとは考えられず、むしろ、社会復帰が可能なほど「回復」しています。」


「あなたは医療少年院での指導内容を細かに揚げて解説までしてみせました。内容的には合致するのでしょう」というのであれば、父親が手記で書いていることは間違いとはいえません。
それを、「しかし、そこに書かれていないことが「指導しないこと」ではありません。あなたが勝手にそう言っているだけです」と決め付ける思考力の持ち主に推論の整合性を期待するのは無理なのかもしれません。

父親が担当課長に話を聞いているとは限りません。

より重要な錯誤は、話を聞いた担当課長は具体的にA君に謝罪への指導をしたとは言っていないことです。
彼らは、「A君が、“それが分からないほどの状態”ならば、さらなる入院・治療が必要なはずです。しかし現実に彼は退院したのです。それが分からない状態にあるなどとは考えられず、むしろ、社会復帰が可能なほど「回復」しています」という見方を根拠に、担当課長は、A君に謝罪への指導をしたはずだと勝手に思い込んでいるのです。

引用した内容を根拠に、父親が普通では考えられない異常な対応をしていると考えるとしたら、それは妄想だと言わざるを得ません。


彼らは、父親の対応が気に入らないことから、彼を真犯人とまで言い募っています。

しかし、そう思い込む前に、父親の代理人を務めている弁護士の対応振りを自分たちがどう考えたのかを思い起こす必要があります。


引用:「井関さん、あなたは土師氏の言動について、何ら不審点を見出してはいないのですか? 私たちが働きかけを始めてからの約一年半の経緯の大筋は御存知ですね。ここまできて、未だ土師氏に具体的な反応(対応)がないことの意味をどうお考えなのでしょう。
 それとも、代理人とはあくまでも依頼人の利益のみのために動くものであり、本来人間が、弁護士が従うべき“正義”や“真実”は後回しにしてもよいものなのでしょうか。」
弁護士という職業にある人でさえ、冤罪説の説明を含む彼らの働きかけを受けながら、彼らの願う方向には動いていません。
もちろん、被害者家族の代理人を努めていますから、依頼人の利益に反する動きをすることはできません。

しかし、心ある弁護士であれば、弁護士としての“正義感”や“道義心”から代理人の職を辞して動くことはありえます。

彼らは、そうしなかった弁護士について、

引用:「乗鞍先生は存じ上げませんが(直接、接触したことがありませんので)、井関先生に対しては、人間的な、信頼できる方、と私どもは思っております。」

という評価を表明しています。

そうであるならば、もう少し思考を働かせることで、彼らの働きかけに期待した反応を見せなかった父親も、格別異常なわけではないかもしれないと考えることができるはずです。

彼らに言わせれば、我が子をあんなに無残なかたちで殺された父親が本当の被害者であるなら、弁護士と同じ反応で済ませるはずがないということになるのでしょうが、それが真犯人説にまで膨張し、当人およびその周辺にそのような内容の告発を行うまでになったら、人権主義者が自覚なく犯罪行為に走るという大倒錯状況に陥ったと言わざるを得ません。

大いなる人権主義者である彼らが自分の犯罪性にさえ気づかないという悲喜劇です。
それは、大いなる人権主義者であるが故に起きた悲喜劇かもしれません。


◎ お断り

以上の書き込みは、被害者の父親が真犯人であるという見方に立って書いたものではありません。

「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の父親真犯人説が、公開されている内容からは論証できていないことを主張するだけで、事実の真偽を問うものではありません。

記述上、被害者の父親があたかもそのようなことをしたかのように受け止められかねないものになっていますが、それは私の表現力の問題や内容の性格に由来するものであり、事実とはまったく無関係です。

必要ではない被害者家族の実名をそのまま引用したのは、最初の転載時点で処理をしなかった軽率を引き継いだもので、お詫びします。

※ 参照書き込み

父親が彼らの期待に応えた動きをしないのかということに関する“妄想”は、次の書き込みを参照してください。

『「理念主義者」の危うさが露呈された“事件”かもしれません』( http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/189.html

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