神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラ
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神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム

神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム
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[リンク1]悠々塾[リンク2]神戸事件の疑惑
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*0017  日本に陪審員制度の導入を!    [01/08/04()-11:43]
   
自白中心主義の病巣
仙台の筋弛緩剤事件は、私も冤罪の可能性が高いと思います。
神戸事件といい、この仙台事件といい、冤罪が繰り返し起こるのは今の司法制度に問題があるからで、代用監獄(留置場への拘留)制度と裁判所の自白中心主義が改まらない限りこうしたことはこれからも起こり続けるでしょう。

「近代的な捜査方法は、情況証拠(物的証拠と、それに関連する関係人の供述)の収集から犯人を発見するやり方であるが、日本では、別件逮捕の場合とその他の場合とを問わず、現在でも依然として、捜査の実質上の中心が被疑者の取り調べに置かれている。捜査官の頭の中には、しょっ引いて口を割らせる、という前近代的な”岡っ引き根性”が残っているのである。憲法が新しくなり、刑事訴訟法が新しくなった現在でも、この捜査方法は戦前と変わってはいない。しかも、それが捜査段階だけではなく、裁判の段階にまで影響を及ぼすのである。この自白中心主義が、日本の警察・検察・裁判の病巣をなしている。過去の実例が示しているように、日本の冤罪事件のほとんどは、捜査官の被疑者に対する違法な取り調べによる虚偽の自白を証拠としたことに原因する。この病巣の摘出がなされない限り、日本の警察・検察・裁判の改善は期待し得ない。また、それがなされない限り、真の民主主義もあり得ない。一つの人権が侵害されるときは、同時に他の人権一般が脅かされるのである」(伊佐千尋『司法の犯罪』文春文庫、p312より)


*0016  現状はどうですか?  [近畿]  [01/08/01(水)-21:49]
   
HPの更新がありませんが、新着情報が知りたいです
活動を中断されているのですか?
ぜひおしえてください。
応援しています。

 *0016-01 名なし  [高知]  [01/08/02(木)-00:54]
   
 意味不明
ほんまに応援しちょるんかよ
新着情報って何よ
なんかおっかしいぜよ


*0015  飯沼&堀江    [01/08/01(水)-17:21]
   
訂正です

「僕はやっていない!」の紹介に抜け落ちがありました。

本の帯からの引用の部分、正しくは
「犯人はお前しかいない。早く死ね。」
     苛烈、残酷な取り調べの実態!   です。

                   すみませんでした。

    是非読んでみてください!!


*0014  飯沼&堀江    [01/07/31(火)-23:23]
   
とり急ぎ、推薦いたします

「僕はやってない!」
  仙台筋弛緩剤点滴混入事件
    守大祐勾留日記
           守 大助
           阿部泰雄(弁護団長)

           明石書店   (1400円+税)

   前代未聞の冤罪事件、その真相は医療ミス隠しか?
   「犯人はお前しかいない。早く死ね。」
   再鑑定用のサンプルすらない「証拠」のずさんさ!
                     ・・・帯より・・・  


*0013  飯沼    [01/06/29(金)-23:38]
   
須磨厚久さま
先日は適確なご意見を頂き、ありがとうございました。
遅くなりましたが、須磨さんのご案内の、「2ちゃんねる・神戸事件の謎に迫る」、ひと通り読ませていただきました。整理し尽くされた豊富な知識と、堂々たる論陣に感服いたしました。
まるで、幼馴染の親友が、弁護側と検察側に分かれて真剣な議論を戦わせているような、鏡さんとのやり取りも、大変に興味深く、感じるところが多々ありました。
おふたりのような方が弁護士と検事であれば、裁判官は適確な判断を下せるのでしょうが。
少年審判には検事が立ち会わず、裁判官がその役も兼ねることからして、やはりこの事件における付添人(弁護団)の「無責任の責任」は極めて大きいと言わねばなりません。同時に、井垣裁判長にとっては、弁護士を超えてA君の側に立つわけにもいかず、立場上いかんともしがたいこともあったのだとも思われます。もちろん審判の結果は、真実に基づかず、A君にとっても、「正義」にとっても、極めて不当なものであり、このままでいいはずはありませんが。
今のところ、私は傍聴席にいようと思います。論理の正しさを越える力を、感じにくいのです。
私は、人は論理的整合性だけではなく、それに基づきながらもそれを越えた、生身の人間としての実感によって、心動かされ行動に移して行くように思うのです。

あれだけの知識と論理的迫力を併せ持たれている須磨さんが、実際の運動を何もせずにいられるとは思えません。もちろんあのスレッドでの論理の展開は、その意味では十分な活動ですが。そのほかのところで須磨さんがどのようなご活動をされているのか、もしよろしければ、お教え願えませんでしょうか?
アプローチの仕方は違えども、同じ真実を求める者として、参考にもなり、励みにもさせていただきます。メールでも結構ですので宜しくお願いいたします。
生意気なことを申しましたが、今後ともよろしくご指導いただけますよう。


*0012  飯沼    [01/06/21(木)-22:34]
   
シンさんへ遅くなりました。
 ご意見ありがとうございました。
 須磨厚久さんのご意見を踏まえたうえでご返事いたします。
 
 私たちは、ごく普通の市民が集まって発足したグループです。その“ごく普通の私たち”を動かしたものは何か。それは「A君は無実だ」という確信と「こんなことがあってはならない」という思いでした。確証と確信がなければここまで運動を続けられはしません。私たちにとって大事なのはA君の無実を明らかにして彼を救うことです。そこでは、「人にどう思われるか」よりも「彼のために何ができるか」に重点があるのです。
 言葉の遣い方や表現が断定的となり、それによって受け入れ難いものを感じる人たちがいる一方で、事件に関するもやもやが払拭された、疑問が解けてすっきりした、自分もそう思う、と感想を寄せてくれる人たちも大勢います。そのことに私たち自身が驚いています。私たちは、A君の無実を信じてくれる人たちと共にこそやっていきたいと思います。同じひとつのことを同じように信じられる人たちと心を合わせることが、ひとりひとりの力を足した分よりはるかに大きく強い力を出すことができるからです。
 真実が少しずつでも明らかになっていけば、批判的、否定的だった人も認めざるを得なくなる。それでいいと思うのです。初めから全ての人に訴えが届くとは思えませんし、最後には「真実」の前で心を開いてくれればそれでいいのです。彼が社会に戻るときはきっと、多くの人の共感や励ましが彼に向けられるでしょう。
 もちろんその時点でも、「彼が犯人」との思い込みから解放されない人も残ってはいます。しかし、真犯人が明かされることで、それは解けます。全ての人がA君の真実を知ることになります。
 これは希望的観測ではありません。真犯人に関してはA君の無実の確信(論証できます)とは別に私たちなりにしっかりとした根拠をもっています。しかし今すぐそれをここで公にするつもりはありません。私たちだけでなく、実はたくさんの関係者は真犯人についての真実も知っています。口をつぐんでいるだけです。が、それも、その人たちの「良心」が、やがてその人たちの口を動かしていくことになるでしょう。
 この事件で私たちは常に「人の心」を信じ、それに訴え、働きかけてきました。誰もが持っている「良心」は真実に沿って生きることを求める心です。人に「心」がある限り、真実が葬られることはありません。

 シンさんの御助言には分かるところもありますが、私たちは以上のような気持ちでこれからも動いていきます。彼の無実を願いながらも発言したり行動したりできずにいる人たちは本当にたくさんいます。その人たちの願いはきっと届きます。
 細かな分析と御指摘には御礼申し上げます。もちろん、非難や中傷とは受け取りません。意見の表明は自由なもの、と思っております。ですが、当フォーラムのホームページ及びパンフレットをもう一度読んで頂ければ、疑問や指摘に応えるものが全て提示されています。(風呂場のルミノール反応のことについても論証しています。)

 「真夏には雪は降らない、まして積もらない」も、正確には「その可能性が極めて高い」と言うべきかもしれませんが、実際は断言して差しつかえないでしょう。それと同じ意味で「A少年は酒鬼薔薇聖斗なんかじゃない。これは冤罪だ」と、私は改めて断言致します。

 *0012-01 シン    [01/06/22(金)-00:40]
   
 お返事有難う御座います。貴方のおっしゃることはその通りだと私も思いますが
しかし私は「一刻も早く真実を明らかにし、A少年の無実を証明すること」が最大の目的であると思い、その為には反感を買うよりもより多くの方に同感して神戸事件に疑問の目を持って頂く事がその近道だと思ったのです。
また須磨さんのお返事にも書いた通り、こういった意見もあるということをご理解頂けたら幸いです。

>真犯人に関してはA君の無実の確信(論証できます)とは別に私たちなりにしっかりとした根拠をもっています。
とのことですが、何故公にされないのですか?なにか出来ない理由でもあるのでしょうか?私にはどうしてもそれが理解出来ません。
もしそのことでA少年が救われるのなら、今すぐ公にされることを考慮されては頂けませんでしょうか?

 *0012-02 飯沼    [01/06/22(金)-15:24]
   
 もちろん考慮しています。
今はどういう形でそれを公表するのがいいのか、そのタイミングを見ている段階です。それには批判もあるでしょうが、その責任は私たちが負います。
実は私たちは「ある人」に幾つかの質問をしました。それは事件の根幹に関わるものでしたが、その人からは何の回答もありませんでした。
その人の「代理人」と称する弁護士から「警告書」が送られてきましたが、内容はピントはずれのものでした。弁護士と電話で話をしましたが、彼は私たちが「その人」に出した何通もの手紙の内容を全く知りませんでした。「その人」は、手紙を自分の弁護士にさえ見せることが出来なかったのです。
その後も私たちは働きかけを続け、ついには「あなたが真犯人なのですか?」という質問書を内容証明で送るに至りました。「回答がなければ認めたものと解釈します」
と書き添えて。それでも回答がないので、今度は「やはりあなたが真犯人なのですね」という確認書を送りました。その内容証明郵便は受け取りを拒否されたので、ご自宅と勤務先に届けました。勤務先では面会を求めましたが、「会議中」と偽られて会えませんでした。同僚の人が「そのあたりにいるはずですが・・・」と、困ったように言っていました。
「その人」は、今は、「手紙を読んでいない」と言っていますが、それはありえません。なぜなら、膨大な手紙のコピーを、その人の親族の方々や職場の責任者など送ったり、手渡したりしているからです。私たちはいつも「彼に真実を語ってもらってください」と申し添えています。彼に近い親族の一人は、「この事件には関わらないで下さい」ととても苦しそうに懇願しておられました。別の親族の方は「ノーコメント」と言ったきりでした。「彼が真犯人だと、私たちは言っているのですよ」という、私の問いかけに対してです。
私たちは、彼の代理人に会って話し合うことを求めていますが、全く応じようとはしません。
現在、昨年からの彼への働きかけの手紙類を資料集にする作業を進めています。膨大な資料が、私たちの手元にはあります。それらを、私たちの責任において公にします。
弁護士が無実のA君を守らず、警察や検察が真実を知りながらそれを隠蔽するのであれば、何の力ももたない私たち市民は、真実そのものの力に頼るほかありません。
批判や危険は覚悟の上です。しかし、真実を求める心は、同じ心の人たちを呼び集めていくものなんだなという喜びのなかで、この運動をさせてもらっています。

長くなりました。
最後に付け加えておきますが、私たちは「その人」を責めたり糾弾したりするつもりはありません。彼には彼の苦しさがあったのだと理解しています。
過ちは、それを上回る貢献によってこそ贖われ、償われるものだと思っています。
無実のA君にそうしたように、「その人」がこれからの人生を真実の喜びのなかで生きていけるように、私たちは力添えしていくつもりです。真実は誰をも傷つけず、誰もがそれによって救われ、喜びとなるものだと、私たちは思っています。(その人には、なかなか伝わらないようですが・・・)

それにふさわしい時期がくれば、ためらわず公にします。そしてその時期はそう遠くはありません。
この事件は、わが身の保身を最優先する「おとな」の醜さが凝集したものです。少年とその家族のかけがえのないものを全て踏みにじって。
だからこそ、若い人たちの手本になるような、いやいや、せめて若い人たちが大人に絶望しきってしまわないような解決をもたらせたいのです。私たちは、冷静沈着に検討・検証しながら、信じた道を進みます。それが間違いであることが分かれば、その時点でそれを認め、詫び、過ちを償っていきます。(残念ながら「その人」に関しては間違いではないようですが。)

シンさん、これでよろしいでしょうか?
要は、私たちはA君とその家族のことのみならず、「その人」とその家族のことも併せて考えているということです。
その意味で私たちは、捜査官でもなければ、執行官でもないのです。
「人として」この事件の解決を求める者達です。
分かっていただけると嬉しいのですが。

 *0012-03 シン    [01/06/23()-01:42]
   
 お返事有難う御座います。

>私たちはA君とその家族のことのみならず「その人」とその家族のことも併せて考えているということです。
その意味で私たちは、捜査官でもなければ、執行官でもないのです。
「人として」この事件の解決を求める者達です。

重々承知致しました。それでも私は一刻も早く公にされてA少年とその家族が
救われることを望んでおりますが。
彼には彼の苦しさがあったのだとしても本来責められるべき人であるには変わりないのですから。「その人」やその家族を考えることも大事だと思いますが、A少年は未だ彼の身代わりとなっているのです。

ところで「その人」に疑いの目が向けられた根拠についてはどういったことからなのでしょう?
もし宜しければその経過について話して頂けますでしょうか?

メールどうも有難う御座いました。返信しましたのでお読みください。


*0011  須磨厚久  [大阪]  [01/06/18(月)-13:51]
   
管理人ではありませんが…
シンさんへ

>要は冤罪だと断言してしまうには物的証拠が弱いと思うのです。

 そのとおりだと思います。しかし、私達は「捜査権」を持っていません。それは警察・検察が独占しているのです。捜査権を持たぬ者が無罪を「証明」しようとしても無理があります。それゆえ刑事裁判での「証明義務」は起訴する側の検察に科せられているのです。すなわち「有罪を証明できなければ無罪」…これが基本です。
 ところが、神戸事件では、刑事裁判が開かれていないので、この原則は適用されていません。A少年は「有罪」でも「無罪」でもなく、単に「治療が必要な少年」として処分を受けたわけです。となれば、事件はいまだ解決していない…というのが本来の考え方であると思うのです。つまり、A少年の「有罪」を「証明」する義務は捜査当局にあるのです。私は、家裁が認定した「非行事実」に、おびただしい矛盾があるというのに、捜査権を持った当局が「有罪の証明」をしていない、又しようともしないことを以て、「A少年は冤罪である」と断言するのは正当だと考えています。
 警察・検察側は「刑事責任を問うていないのに『冤罪』もなにもない」と言うでしょう。しかし、事件の重大性、世間の関心の高さを考慮すれば、家裁決定の事実認定は、実質上の「有罪判決」であるといえます。そしてそれは前出の原則に適っていませんから「不当判決」です。
 ここで最も注目すべきことは、この不当判決を支えているものが、マスコミの情報操作によって人々に植え付けられた「犯人はA少年」という先入観だということなのです。
 再審は制度上、不可能であるかも知れません。しかし、最低限、上の「先入観」を打破しなければ、真実は私達の前に姿をあらわさないでしょう。「冤罪説」が「憶測にすぎない」で片づけられてしまってはならないのです。それゆえ私達は捜査当局の口を開かさせるために、推理の結果を「断言」します。実は、これはマスコミがやった手法なのです。憶測記事を書いて、捜査当局が否定しないことを以て「事実報道」とみなしてもらうわけですね。
 御存知のように、捜査当局はおろか、司法当局もマスコミも、A少年の弁護団すらも、冤罪説の「決めつけ」攻撃に対して、ひたすら沈黙を守っています。おそらく事情を知るであろう彼らが、沈黙を守り続けるということは、それだけ冤罪説の信憑性を高めるということに他ならないでしょう。

 おっしゃるように、断言、決めつけ発言は反感を買うでしょう。しかし、その反感がスタートポイントであるだろうと、私は思っています。反感を持ち、疑問を抱き、議論に参加してくださる人が増えることで、「真相を求める声」は深く浸透していくと考えるのです。
 そうした意図から私は、かの悪名高き(笑)「2ちゃんねる」の「少年犯罪版」で「神戸事件の。謎に迫る」というスレッドを展開しています。
 そこは、事件に疑問を持つ者、またその疑問を持つ者に対して疑問(反感)を持つ者が集い、好き勝手なことを言い合う場です。あまり品が良いとはいえませんし、もとより結論など出るはずもないのですが、こうした罵倒合戦にも似た議論(喧嘩?)でも、続けることにより、事件に対する正しい認識を広める役に立つのではと考えるのです。
 もしよろしければ、是非、ご参戦下さい。リンクは↓
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=youth&key=992422380

 *0011-01 シン    [01/06/22(金)-00:17]
   
 ご意見有難う御座います。須磨さんのおしゃることはよく理解し、納得致しました。
しかし、その反感がスタートポイントであるだろうという所を私は疑問に思うのです。
冤罪説を訴えておられる方はごく少数の方であり、A少年=加害者と信じ疑いすらを持たない方がほとんどだというのが現状であると思い、少しでも多くの方に冤罪の可能性を理解納得して頂き、A少年の無実の実証を少しでも急がせたい。というのがそもそも私が意見を出した意図なのです。
ですから反感よりは同感を得た方が近道であると思うのです。
しかし、これはあくまでも私個人の意見ですから、こういった意見もある。と考えて頂けたら幸いです。

ところで「2ちゃんねる」と「少年犯罪板」は私も知っています。
実は須磨さんとお話したこともありますよ。
コテハンでもあるのですが(w)確かにあまり品はよくないですね。
しかしあそこでは人の本音というものが比較的露骨に出されている場所ではあって
建前で議論し易い私たち日本人にとってはメリットが多い気がしますね。
それでは。


*0010  まりまり  [東京]  [01/06/18(月)-04:26]
   
リンクはらせてください。
夕方は『神戸・須磨事件の真実を求めて』を読んで警察に対する不満で横暴な文章ですいませんでした。で、他の人にもちょっと読んでほしいんでリンクはらせてください。

 *0010-01 飯沼    [01/06/22(金)-12:51]
   
 まりまりさん、

どうもパソコンは苦手です。
リンクの件ありがとうございます。
私たちもあなたと同じ気持ちからこの運動を始めました。
「納得いかんよ」と。
A君はこの4年間をただ「損をした」とだけ思うのではなく、成長の大きな糧にしてくれるでしょうが、それでもやはり「納得いかん」よね。
この事件を、本当の意味で解決させるのは、この国に生きる大人としての責任でもあると思っています。これからもよろしく。


*0009  まりまり  [東京]  [01/06/17()-19:23]
   
納得いかんよ!!
インターネットワイドショーっつうサイトの掲示板から来て、『神戸・須磨事件の真実を求めて』読んだんだけど、警察のやり方に納得いかんよ!!登校拒否だから利用したんでしょ?そんな繊細な人を利用するなんてダメだよ!!ホントに彼が犯人じゃないなら、少年院にいた分、損じゃん。早く出してあげたいよ。もう捜査って終わっちゃったんですか?


*0008  シン    [01/06/17()-09:39]
   
はじめまして
冤罪を訴えておられる方々のホームページを見ていて気に掛かることがありましたので
恥かしい文章力ではありますが私個人の意見を述べたいと思います

まず、「A少年は無実である」「真犯人は〜」など
あたかもそれが当然であるかのように文中に表現されていたことについて。

冤罪を訴えておられる貴方方にとっては何の問題もないことなのかもしれませんが
貴方方が冤罪だと主張しておられるようにA少年が加害者だと主張される方々も
おられます。そういった方々にとってその表現はどのように映るのでしょうか?

また同じように「〜のはずはない」「ありえない」「絶対に」
など証拠もなくはっきり断言している表現が多数なされていますが
これは、読み手の(特に犯人説支持者の方々)反感を買うだけだと思い
肝心の調書等の矛盾やその他の点よりも
そればかりに気が取られてしまうと思うのです

これはA少年犯人説を支持されておられる多くの方々にも当たることですが
どうして貴方方は断言することが出来るのですか?
A少年の自白文等と報道などで得た情報や犯行現場の状況等
矛盾している又は無理があると思われたので?
それは「絶対的」な証拠ではなく、1つの可能性にすぎないのだと思います

例えば「風呂場からルミノール反応は検出されなかった」と
おっしゃられていますが、なぜ言い切れるのですか?
その情報はどこから得たのですか?目前にされたのですか?
それでなければ「らしい」と表現するのが適当なのではないでしょうか

A君が精神異常者ではなく「ただの気の弱い優しい少年」だった。とは
どうして言い切れるのですか?実際少年に会ってみたのですか?

要は冤罪だと断言してしまうには物的証拠が弱いと思うのです。

少年が加害者である証拠がないのと同じくらい無実だという決定的証拠も
少ないもしくは無いのが現状ではないのでしょうか
あくまでも「可能性が極めて高い」だけだと私は思います

それなのに「絶対」など言い切ってしまうのは、冤罪説半支持者の私でも
疑問に思うのです。そうあって欲しいものですが。

ですから「A少年が無罪である可能性は極めて高い」「真犯人像は〜」
のようにあくまで可能性を述べる表現の方が適切であり
冤罪を訴える側の方の意志が割合読み手の方に伝わり安いと私は考えます

私は冤罪であって欲しいと、無実であって欲しいと心から願っています
だからこそ、私自信の正直な意見を述べました
決して非難、中傷のつもりではないことをご理解頂きたいです

長々と失礼致しました。それでは。


*0007  憂国烈士  [京都]  [01/06/11(月)-17:00]
   
犯罪者を肯定化してる様に思います。
加害者とされている少年Aは捜査官が家に逮捕状をとってやってきたとき犯行を認めたのではないのですか?あと被害者についてどう考えてるのですか?私は少年Aが犯人だと思います。自分も彼と同世代の人間です。周りの人々を見てわかるのですが、少年法(改正されたもののそこまで厳罰化されたとは思えません)をなめてますし、心の病んでる人は多いです。私は被害者の気持ちを考えた場合加害者を正当化するような発言は遺憾に感じます。では他に真犯人がいて冤罪だと考えているのですか?被害者の家族にかけあえるほどこれらの文章に責任はもてるのですか?それならいいですがそうじゃないならただの憶測に過ぎないでしょう。これは批難ではなく意見です。どうかご理解を

 *0007-01 飯沼    [01/06/15(金)-16:45]
   
 たしか、高山文彦氏の著書にはそのように書かれてあったようですが、それは事実と違っています。
捜査官が、A君を騙して自白させたことは、極めて不十分な家裁の審判でも明らかにされています。それゆえに、警察調書は、証拠として不採用になりました。
私たちは、加害者を正当化しているのではなく、A君は加害者ではない、と言っているのです。もう少し詳しく読んでいただけると分かると思いますが、この事件の犯人はA君ではありません。冤罪です。
勿論、これらの文章に責任はもてます。
そして、被害者のご遺族が、真実を求めるのは当然のことだろうと思っています。

もう一度、落ち着いて読み直してみてくれるようお願いします。


*0006  主婦  [兵庫]  [01/04/02(月)-20:51]
   
一主婦より
 前略
私は2人の子供を持つ主婦です。貴フォーラムの「A君は、酒鬼薔薇聖斗なんかじゃない」を拝読しました。この事件には、発生当初から、子供を持つ母親として目が離せず、関心を持っていました。そして、その犯人が少年と知った時の衝撃は今でも忘れられません。「何で?どうして?」という疑問がどうしても解けませんでした。
今回、パンフレットを読み終えて、正直言ってほっとしました。納得できました。「やっぱりあの子じゃなかったのか。」という思いです。確かに初めは、彼が犯人ではないと聞くと驚きます。しかし読み進めていくにつれて、「そうだよね。」とうなずいてしまうのです。たくさんの人にこのパンフレットを読んで欲しいと思います。そうすれば、釈然としなかった何かが、きっとすっきりするはずです。
参考資料にあった本も読みました。それぞれの立場の方々の気持ちや意見に触れたかったからです。
被害児童のお父さんが書かれた「淳」も読みました。お子さんを亡くされた悲しみや辛さをおして書かれたのだろうと思うと、同じ親としてやりきれなくなります。しかし一方では「親として」という点で、どうしても気になるところがありました。私だけがそう思うのか、あるいは母親と父親という違いからくるものなのか、私には分かりません。
淳君が遺体で発見されて2週間後、休学していたお兄ちゃんを登校させることになるのですが、その時、お父さんには何の不安も恐怖もなかったのだろうか、ということです。犯人も、淳君が狙われた理由も分からぬまま、その兄を登校させることに何の躊躇もなく、むしろ気が紛れるはず、と書かれています。兄も同じようになるのではないのか、という怯えは全くなかったのでしょうか。心配だからせめて送り迎えを、とか、警察の方に頼むとか、そんなことを思いはしなかったのでしょうか。そのような不安は、私が母親だから思うものなのかと、職場の“お父さんたち”に尋ねてみると、自分だって怖い、心配だという答えが返ってくるのです。また、別の本には「父親は遺体を確認した5月27日には共同記者会見に臨むつもりでいた。」とありました。でも、その日にそんなことができるはずがない、とういうのが正直なところです。あまりの驚きと、悲しみと、怖ろしさで、混乱し、何も考えられなくて当然の状況です。会見で、一体何が言えるでしょうか。私なら、ただ泣くばかりでしょうし、第一とてもそんな場所に行く気にはなれません。これは直前にキャンセルになりました。新聞記者が、淳君が行方不明になった日のアリバイをいきなり問いただしたのだそうです。その後、土師さんは報道陣の前に二度と姿を見せなくなります。「私どもの心情を察して下さい。」という理由で、その後取材には応じなかったことは「淳」にもありましたし、3年たった今でも、自分の意見を堂々と主張する時でさえもです。それならばどうして、よりによってその日、会見に臨もうとされたのでしょうか。
とても中途半端な手紙になってしまいました。でも今、安心しすっきりした一方で、もやもやしたものも自分のなかに新たに湧いています。
本当のことは、まだまだ隠されたままなのでしょう。一日も早い解決を待っています。フォーラムの皆さん、頑張って下さい。心から応援しています。
そして、一人の母親としてA君の救出を祈り、同じ親としてA君の御両親が救われることを祈ります。
かしこ

追伸
 以前に手紙で投稿しましたが、あらためて掲示板に投稿させて頂きました。


 
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 内容番号 日  付 / 書 込 者 
10209-00<03/11/01-17:16:56>CRUSADE
20208-00<03/11/01-17:13:11>京都人
30207-00<03/06/30-20:49:37>管理人
40206-00<03/06/30-01:10:01>書込者の削除
50205-01<03/06/30-01:03:47>管理者の削除
60205-00<03/06/30-00:23:27>管理者の削除
70200-04<03/06/30-00:21:04>管理者の削除
80204-01<03/06/30-00:13:11>管理者の削除
90202-03<03/06/30-00:03:53>管理者の削除
100204-00<03/06/30-00:00:02>管理者の削除
110202-02<03/06/29-23:07:10>たか
120202-01<03/06/29-22:34:10>管理人
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