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国民を見下した政治指導者たち:ル・モンド・ディプロマティーク
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投稿者 NOユージ 日時 2003 年 11 月 26 日 12:51:47:Yi9aAI/v.7r2c

国民を見下した政治指導者たち

アンヌ=セシル・ロベール(Anne-Cecile Robert)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・富田愉美
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 「有権者たちが間違っている」。2002年4月21日の仏大統領選第一回投票で夫のリヨネル・ジョスパンが敗退したことについて、シルヴィアーヌ・アガシンスキは異様な憤慨をぶちまけた(1)。有権者たちが間違っている。つまり民主主義が間違っていて、悪い代表者の中から「良い」代表者を見分けることができなくなってしまった国民が間違っているということだ。自覚のほどは別として、こんなふうに有権者蔑視を口にすることが、右派であれ左派であれ、十分な正統性を持たない指導者層の常套手段になっている。

 この蔑視は、シラノ・ド・ベルジュラックの鼻づくしの長台詞のように、手を変え品を変えて言い表される。

 尊大に言うなら、「有権者はわれわれの政策を理解しなかった」。民営化や欧州通貨圏、社会保障制度の解体などの効用が分からなかったのは、彼らが愚かだからという意味だ。

 謙遜を装うなら、「うまく『伝える』ことができなかった」。我々の示した選択肢は彼らにとって有益なものだったが、それをうまく説明できなかったというわけだ。有権者がその政策で生活が向上するとは実感しなかったという事実が、単なる話術の問題にすり替えられている。

 神の救いを説くのなら、「我々が正しかったことは、やがて歴史が証明してくれる」。これはジョスパン敗退後の連立左派内閣の言い分であり、イラク戦争をめぐる論争の際のブレア英首相の言い分でもある(2)。歴史に反して正しいなどという事態がありえないのは明白だ。しかし、国民は1789年7月14日以降、まさに歴史の主役を自認してきたのである。

 教養を漂わせるなら、「世界は複雑化した」。意思決定は、そうした複雑さをいとわない者たち、つまり万人にとって何がいいかを最終的に知っている市場や専門家に任せておこう、というわけだ。

 高みから見下ろすなら、「有権者たちは移り気だ。彼らを信じることなどできない」。下手すれば、1964年までアメリカ南部の州で行われていた制限選挙を(改めて)実施しようということになりかねない。この選挙制度では、有権者の資格を認める前に市民にテストを受けさせていた。そのテストは、黒人の大半が決して受からないように作られていた。

 哲学者を気取るなら、「いずれにせよ、国民などというものは存在しない」。国民は「見いだせぬもの」だと、ピエール・ロザンヴァロンは書いた(3)。国民が存在しないのであれば、普通選挙を再び議論の俎上にのせ、公の意思決定に正統性を付与する手続きが、例えば専門家の評価や世論調査であってもいいではないかということになる。

 様々なフレーズが、従順なメディアによって恭しく伝えられ、一つの合唱を作り出している。この合唱は、普通選挙それ自体の信用を落とし、下々の者たちの要求を軽視し、自称エリートの政治的選択を重視しようとする。価値を下げられた選挙は、あらかじめ決められた選択肢に民主主義のラベルを貼るだけの手続きになりかねない。

 予定に反する選択がなされると、政治家とマスコミの小世界はあわてふためく。2000年11月に行われたアメリカ大統領選挙の際、ラルフ・ネーダーの支持者たちは、彼らにとっても「実際の」候補者だったはずのアルバート・ゴアの勝利を妨害したとして糾弾された。フランスの1995年の大統領選挙では、ジャック・シラクがメディアのお気に入りだったエドアール・バラデュールを下して驚かせた(4)。2002年の選挙では、一連の「疑惑」によって信用を落としたシラクの対立候補として、当時メディアのお気に入りだったジョスパンを抑え、ジャン=マリー・ルペンが勝ち残ったことで、フランス中が愕然とした。さらに深刻なことに、欧州統合に関する国民投票で期待した結果が得られなかった場合には、投票のやり直しも辞さなくなっている。こうして、1993年にマーストリヒト条約の批准を否決したデンマークや、2001年にニース条約の批准を否決したアイルランドで再投票が行われた。

選挙に代えられるエリートの選出方法
 こうした圧力は、市民とその代表者たちの間にずれが広がっていることを示している。もはや中間団体(政党、組合)や決定機関は、社会の現実を表すものではなくなっている。2003年7月に行われたコルシカの地位に関する住民投票では、国民議会が圧倒多数で可決することがほぼ確実だった改革案に対し、コルシカの有権者たちは反対票を投じた。40%近くにのぼった棄権には、「政治家の提案」に対する拒絶反応が示されている。また、白票の増加と票の分散(5)には、社会を正しく代表させたいという願いとともに、普通選挙への支持が表明された。

 主要メディアによれば、もはや政治家の勇気とは支配勢力と反対の立場をとることではなく、支持者と反対の立場をとって支配勢力に屈することにある。2003年3月のイラク戦争の際には、何百万人ものデモ参加者の反対をさしおいて、アメリカとともに参戦しようとするブレアの「勇気」を絶賛する論評が多かった。彼はもちろん、そうする権限を持っていたが、こういった政治的危機を前にした場合には、国民の前に自らの責任を賭すべきだったのではないだろうか。

 有権者とその代表者の間の溝が、「国民は常に正しい」と論理を逆さまにしてみたところで解消されないことは明らかだ。国民は正しいという神話に、エリートは正しいという神話以上の意味があるわけではない。このずれを是正できる可能性があるのは、それとは逆に、民主主義の理想の根本、つまり平等な成員からなる政治共同体の思想に立ち返ることだ。選挙などというものは代表者を選出し、公の意思決定に正統性を付与する方法の一つにすぎないとほのめかすことで、有権者蔑視が疑問に付しているのは、まさにこの原則なのである。

 才覚、専門性、財界による評価、内輪での指名といったことが、それに並ぶ選出方法として浮上している。例えば1995年、「社会の亀裂」をテーマに選挙戦を行って選出されたシラク大統領は、官僚のアラン・ジュペを首相に任命した。この首相が大々的に行った政策の一つは、社会保障制度を槍玉にあげることだった。同様に、選挙では毎回落選するのにテレビにはよく登場するベルナール・クシュネールも、閣僚ポストの常連である。また、1995年春の国政選挙で落選したパスカル・ラミーは欧州委員に任命され、世界貿易機関(WTO)で欧州連合(EU)を代表する地位に就いている。

 個人の才覚というものが選択にあたって明らかに重要であるにせよ、負託により選挙民を「代表」する代議士の能力に代えることはできない。西洋民主主義が味わっている危機の特徴は、政治エリートが有権者の総意を汲んで行動する存在ではなくなったことにある。エリートたちにとって国民は常に他者でしかない。彼らは、自分たちには才覚があるから、国民が「不可能な要求を突きつけるという致命的な間違い」を冒さないように導けるのだと考えている。

 その傾向はとりわけ、主流派エコノミストや主要政党が「可能な政策は一つしかない」とするときに見られるものだ。それで社会的不平等が激化しても仕方のないことだという。しかしながら、同じぐらい才覚のある他のエコノミストが、年金改革や社会保障の財源について、まったく反対の見解を述べる可能性もある。

 遺伝子組み換え作物をめぐる議論が起きていないことからもうかがえるように、科学エリートの中にも、同様の社会的無関心を決め込む者がいる。多くの学者が研究者の自由を主張するのは正しいものの、彼らは自分たちの研究の社会的影響について熟考するのを忘れてしまっている(6)。このように捉えられた専門家の役割とは、もはやイデオロギー上の選択を支えることでしかない。あるいは、原発ロビー団体の利益、大企業の財務上の利益、食品産業の商売上の利益といった私益のもとで、政治的選択に影響を及ぼすことでしかない。

 公の意思決定に真に正統性があると言えるのは、それが様々な意見を広くたたかわせた結果である場合だけだ。指導者は自らの政治的選択に応じて裁決を下す。彼が有権者から権力を託されているのは、その政治的選択ゆえである。あらかじめ正しいとされる社会集団などない以上、コンドルセの表現によれば「自由で熟慮ある」公論、つまり社会の中のあらゆる考え方をぶつけ合うことが必要である。あらゆる観点を集めることによって「社会的真理」を見いだすことが可能となる。これは、知らぬ間に急務とされた事柄によって公共空間が食い荒らされている今の時代に、時間のかかる手続きではある。

形だけの諮問手続き
 「国民の、国民による、国民のための統治」という民主主義の立憲的な定義に見られる国民の観念は、共同の運命を作り上げていく平等な市民による公共空間の思想を具現していた。意見の不一致を超えて、指導者たちの権威に正統性を付与するのが、この「共生の願い」である。それが、制度や手続きでは果たせない民主主義の重要な紐帯の役割を果たしている。

 一般利益という観念は、指導者層のコンセンサスと自閉によって打撃を受けている。だが、見たところ進歩的と思われる思想もまた、この観念にひそかに打撃を与えている。例えば男女同数という概念には、女性が被っている差別に終止符を打つという実に正当な目的があるわけだが、それが政治主体たる国民の法的な分割を正当化することになってしまった。これによって崩れ去ったのは、万人からなる共同の世界という発想である。

 その一方で、EUも今のところ、国境を超えて真の「代替的」政治共同体を創設することができずにいる。EUの諸機関がこれまでにもまして重要な分野で行っている決定の正統性は、いっそう疑わしくなっている。だからこそ、欧州憲法についての国民投票は不可欠である。さもなくば、欧州創設の父たちの夢はまったく合法性を欠いたものとなってしまう。

 ときには政権を市民に近づけるかのように見せかけつつ、普通選挙の手続きを回避するようなことが続くなら、代表制民主主義の危機がさらに深まりかねない。例えばEUでよく行われるように、上層機関が「市民社会」を諮問する場合、そこには歪みがある。この慣行は見かけ上は民主的であるが、ある種の操作を呼び込むことになる。「市民社会」の公式な定義などないからだ。諮問の対象は、もう一つのグローバリゼーションを求める団体でも人権保護団体でも、中絶反対団体でも各種経済ロビー団体でも、何ら変わりはないということになる。

 このシステムは、労働組合や市民団体より経営者団体の方が資力を持っているという力関係の論理の上に成り立っている。そこでは決定機関が大きな裁量権を手にしている。彼らは自らの政治的選択に応じて、端的に言えば支配勢力の利益に従って、人々から聞き取ったことを最終的に取りまとめる。その結果、基本的人権に関する欧州憲章も欧州憲法の草案も、「市民社会フォーラム(7)」の諮問を経て採択されたとは言いながら、社会的関心事よりもマネタリスト的な選択が優位に立ったものとなっている。

 人々を結びつける場と考えられている市民社会は、代議士たちが気づかなかったような社会の要求や問題を浮かび上がらせるとき、民主的機能を果たすと言える。市民社会は、マックス・ウェーバーが言うところの社会的関心事の「理念型」として立ち現れる。1970年代に、中絶経験のあるフランスの女性が発表した「343人の意見表明」は、妊娠中絶法の成立を促した。また、市民団体ATTACは、金融取引への課税を公論の場に持ち出した。こうした動きが、民主的な承認をくぐり抜けていかなければならない。

 EUの多くの法律文書に見られるように、現在あるいは将来に引き起こす反動をまったく気に留めることなく、自説を真理として強制しようとする人々が、民主主義に深刻な打撃を与えている。彼らは、極右の専売特許であるとする全体主義の危険に、自らも加担している。しかし、険悪な気配は「下々」からも湧き起こってくるかもしれない。代表制民主主義の行き詰まりは、コンドルセやロベスピエールが起草した1793年の人権宣言で、「国民の権利が侵害された場合の蜂起の権利」として予言されていたのである。

 早急に取り組むべきは、民主主義の立て直し、すなわち直接普通選挙の中心的役割と、自由で熟慮ある公論の立て直しである。我々の西洋世界の至るところで、目前で深まりゆく代表者と有権者の溝が、すでに市場の攻勢によって弱体化した諸々の自由にとって、不安に満ちた領域を作り出しているのだから。

(1) 「深く考えもせずに、目をつぶって投票に臨んだ有権者たちが間違っている」。シルヴィアーヌ・アガシンスキ『休みなき日記』(スイユ社、パリ、2002年)より。
(2) 「私には自信がある。歴史が我々を許すことだろう」。2003年7月17日、アメリカ議会での演説。2003年4月に行われたフランス社会党大会で、ギグー元法相も似たようなことを述べた。
(3) ピエール・ロザンヴァロン『見いだせぬ国民』(ガリマール社、パリ、1999年)。
(4) クリスティアン・ドブリ「いと素晴らしき単独政党制の時代へ」(ル・モンド・ディプロマティーク1995年6月号)参照。
(5) アンドレ・ベロン、アンヌ=セシル・ロベール『意想外の国民』(シレプス社、パリ、2003年)参照。
(6) フランソワ・エヴァルド、ドミニク・ルクール「組み換え作物と新たな蛮族たち」(ル・モンド2001年9月4日付)およびアンドレ・ベロンの反論「一般大衆の『ポピュリズム』を嫌う科学者たち」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年6月号)参照。
(7) ベルナール・カセン「EUはまだ真の『市民社会』の声を聴いていない」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年7月号)参照。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2003年11月号)

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