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Re:  外務大臣川口氏と国際社会
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投稿者 愚民党 日時 2003 年 12 月 09 日 06:31:28:ogcGl0q1DMbpk

(回答先: 自衛隊派遣 首相は「責任負う」と語れ(産経新聞・主張)  投稿者 シジミ 日時 2003 年 12 月 09 日 06:05:28)

 シジミさん、おはようございます。
 川口氏は、小泉国家権力による田中真紀子さん外務大臣更迭のあと、外務大臣に就任いたしました。
 

 川口氏の身体原理は「国際社会」です。日本ではありません。
 「国際社会」に日本を生贄として、ささげるのが、彼女の代理人としての仕事であると感じております。
 川口順子氏は外務大臣をやめたあと、そうとうのポストがすでに用意されていると思います。
 
 川口氏が発声する「国際社会」とは「英米世界権力が統合する国際社会」であると思います。
 庶民のための「国際社会」でないことだけは明確です。
 川口氏の「国際社会」とは911世界戦争による地球規模の再編にむけた「戦争社会」です。
 そして彼女は自衛隊をイラクに派兵する戦争呪術巫女です。
 これまでの基礎をすべて打ち壊せ!破壊せよ!と彼女はうなりあげ、世界と人間と文明の破壊、破滅を念じているのです。
 それが彼女の環境であり、指令はロンドンからワシントンD・Cから、彼女の身体に送られてくるのです。世界支配のプログラム・・・・
 プログラムが外務省大臣室で日々アメリカ大使館と交信しているのです。
 
 満州国というエージェント・システムに支配された形態としての自衛隊イラク派兵。
 自衛隊とはエージュント・システムのための軍隊として利用されるだけです・・・
 このエージェント・システムとは世界の最先端を疾走する実験であろうと思います。
 川口順子氏の「国際社会」とは21世紀先行型の未来社会が現在において進行しているプログラムです。
 
 エージュント・システムを地球規模で推進するためには
 国際金融の配下になることを否定するイスラム圏の歴史と基礎その文明社会を、基底から破壊しなくてはならない、
 そのためのイラク戦争であり、川口順子氏の声は満州国からの声です。
 
 エージュント・システムとは・・・・    人工国家とは・・・・
 固有な自然生成と自然発生なるものを否定し、目的意識的に理念で人工的に造形する誘導芸術こそ
 川口順子氏の音声の特質です。エージュント・システム神経が全世界の末端隣組まで浸透する世界革命の
 女革命戦士こそ川口順子氏であり、すでに外務省は赤軍トロキッストによって占領されております。
 
 
 アメリカ新世紀プロジェクト・PNAC」の戦略
 http://home2.highway.ne.jp/sinb/pnac.html
 
 
 世界革命戦争の根拠地づくりとして自衛隊はイラクに派兵されていくのです。
 革命児たる小泉純一郎氏・・・・  そして反革命民族主義鎮圧を叫ぶ、川口順子氏・・・・
 官邸とはすでにスターリンの亡霊がうごいめいております・・・・
 

 2001年4月、マスメディアの全面的支持をえて、小泉国家権力は
 日本上部機構(既得権を再分配していく満州国システム同盟)の自律神経麻痺と空洞を埋める革命児として
 高支持率で登場いたしました。プログラムでした。
 閣僚は、半分以上、森内閣を引き継ぎました。
 
 川口氏は環境庁長官として2000年12月第2次森内閣で登場いたしました。
 
 川口氏を森内閣に送りこんだのは、はたして誰でしょうか・・・・
 自分は英米世界権力だと思っております。
 

 シジミさん。
 川口氏が世界権力の代理人であると、証明する、いまだ具体的な文章が書けず申し訳ありません。
 
 外務大臣川口氏が世界権力の代理人であることを、何処で証明していく作業は
 明治維新からの外交総括が必要であり、コラージュ的に転載してみました。

 川口氏の国際社会とは世界支配プログラムです。エージュント・システムこそOS・・・・
 


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昭和16年(1941) 12月8日 太平洋戦争勃発
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外務大臣

かわぐち よりこ
川口 順子
生年月日 昭和16年1月14日
出身地 東京都

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経歴
昭和40年3月 東京大学教養学部教養学科卒業
昭和40年4月 通商産業省入省
昭和47年6月 エール大学経済学部大学院修士
昭和51年6月 国際復興開発銀行ワシントン本店経済開発局
昭和55年7月 通商産業省工業技術院総務部国際研究協力課長
昭和57年1月 内閣官房内閣審議室内閣審議官
昭和59年6月 通商産業省産業政策局国際企業課長
昭和61年6月 通商産業省大臣官房調査統計部統計解析課長
昭和63年7月 内閣官房内閣外政審議室内閣審議官
平成元年5月 通商産業省大臣官房地方課長
平成2年2月 通商産業省通商政策局経済協力部長
8月在アメリカ合衆国日本大使館公使
平成4年6月 通商産業省大臣官房審議官(地球環境問題担当)
平成5年7月 退官
9月サントリー株式会社常務取締役就任
一貫して生活環境部を担当。その他原料部、資材部、品質保証部を担当した。
平成12年7月 同上退職
国務大臣環境庁長官(第二次森内閣)
平成12年12月 国務大臣環境庁長官(第二次森改造内閣)
平成13年 1月 環境大臣
平成13年 4月 環境大臣(小泉内閣)
平成14年 2月 外務大臣(小泉内閣)


信条
耳順

趣味
読書、音楽鑑賞、スキー、俳句

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/11kawaguti.html

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このような代理人は各国の政治家、官僚、財界人、新聞社や放送局、雑誌社、ジャーナリスト、学者、文化人、評論家などの
中に巧妙に配置され、隠され、支配者側の手先としてフルに活動を開始する。

第2次世界大戦後の世界は以前に増して、このような謀略が地球的規模で展開した恐るべき時代といえよう。

では誰が代理人であるかを見破る方法はあるのだろうか。それは彼らの言動を注意深く観察することである。「国際協力」や
「ボーダレスワールド」、「地球環境問題」、「世界平和」や「新世界秩序」などをまことしやかに
唱える人はあやしいと見るべきである。

世界支配のプログラム 
 最後の強敵 ■日本を撃て  ヤコブ・モルガン 忍野昭太郎/訳   第1企画出版 1993年発行
    
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 岩倉具視ら倒幕派にとって、孝明天皇は彼らの理想実現を阻む「敵」であった。
 彼らの目には、旧態依然とした権威にしがみつく危険な攘夷派の象徴で、
 徳川家を温存させてその上に君臨したいと願う保守的な帝として映っていたのだ。
 孝明天皇を排除し、「幼君」睦仁親王:明治天皇)を擁立して一気に新しい体制へ移行したいと考えても不思議ではない。
 

慶応2年(1866)12月5日、徳川慶喜に第15代将軍を宣下して1週間後疱瘡を発病し、
25日「容態急変で崩御」となっている。
明治と改元される1年前、35五歳の若さだった。
あまりにも急な崩御のため倒幕派による毒殺の嫌疑もかけられた。
また厠から出た天皇が下から槍で刺殺されたという噂も当時ささやかれたが、
例によっての決まり文句、真相は闇の中、である。

孝明天皇の崩御直後、天皇の信任厚かった将軍・家茂も急死した。家茂急死も暗殺だったと言う説もある。

<孝明天皇暗殺説>

 犯人は岩倉具視とする説がもっとも有力である。
 実際に毒物を投与したのは、孝明天皇の妾で、岩倉の姉(異母姉)だった堀河紀子だと言われる。
 
 岩倉具視の孫で16歳になっていた具定(ともさだ)も、天皇の近侍だったので下手人の可能性は大とされる。
 孝明天皇の死を巡っては当時も現代でも論議されており、前述したように真相は誰にもわからない。
 
 検死した医師の記録は宮内庁編纂の「孝明天皇記」にも記載がないと言う。

http://inoues.net/yamataikoku/tenno/koumei_ryo.html

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 維新はいくつかの重要な山場を通りすぎながら達成されていく。それは、日米修好通商条約調印(1858年6月)、安政の大獄
 (1859年10月)、桜田門外の変(1860年3月)、生麦事件(1862年8月)、イギリス艦隊鹿児島砲撃(1863年7月)、英米仏蘭
 連合艦隊下関砲撃(1864年8月)、大政奉還(1867年10月)、江戸開城(1868年4月)、榎本武揚五稜郭で降伏(1869年5月)
 廃藩置県(1872年7月)と続く歴史の節目である。
 
 1871年7月14日、三条実美右大臣、岩倉具視、西郷隆盛(薩摩)、木戸孝充(長州)、板垣退助(土佐)、大隈重信(佐賀)を
 参議とする明治政府が創設される。同年10月、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文ら一行が欧米に派遣され、政府はいわゆる
 薩長土肥の藩閥でかためられ、西郷は明治政府の中枢を占めることになった。
 
 明治元年(1867年)政府は江戸時代より尊敬の念で交流していた李氏朝鮮に対し、王政復古を通告、国交を迫ったが、欧米の
 侵略に対し警戒心を抱く朝鮮政府は排外攘夷政策をとり、鎖国主義を続けた。
 
 このため、朝鮮政策をめぐる明治政府の意見は激昂した。西郷は征韓論については一言も発言していない。むしろ西郷は釜山に
 赴き、解決を望んでいたのであった。明治政府は西郷の意見をとり入れ、三条実美より天皇にその旨上奏文を提出、裁可を得る
 手はずになっていた。しかし、明治6年(1873年)9月、岩倉具視一行が帰朝してから事態は一変する。
 
 岩倉、大久保らの激しい反対に会い、閣議は紛糾、一時大久保らは辞任の騒ぎを起こした。しかし三条は予定通りに上奏文を
 陛下に奏上する決定を下す。ところが三条は突然死(謎の死)をとげる。
 【孝明天皇暗殺に続いて三条実美の暗殺=岩倉具視】
 
 岩倉は三条に代わり、太政大臣に就任、上奏書を改ざんして天皇に閣議決定とは全く別の裁可を得る。この一大ドンデン返しに
 より、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎らは敗退、野に下る。
 
 朝鮮政府との平和、友好関係を唱えた西郷らが、後に事実とは全く逆の強硬な征韓論者とされたのは、歴史の謎である。
 むしろ、岩倉具視、大久保利通、木戸孝充らの方が対朝鮮主戦論者であったと見るべきだろう。
 
 彼らは欧米中にフリーメーソンに入社した可能性が高く、西欧的植民地・帝国主義路線に洗脳されていたはずである。
 つまり、「脱亜入欧」は、彼らを中心とするその後の主流派によってダイナミックに推進されており、明治政府の基本
 方針となっている。
 
 事実、西郷追放後の明治8年(1876年)2月には、ついに修好条約を締結するなど、その後の朝鮮支配への足がかりを作っていく。
 
 1906年には韓国統監府が開庁、初代総監は伊藤博文であった。
 伊藤はその後、朝鮮独立運動家安重根により1909年10月中国のハルピンで狙撃され死亡。さらに1910年8月には日韓併合と日本は
 朝鮮半島を拠点に大陸侵攻へと突き進んでいく。
 
 西郷は下野後、故郷の鹿児島で私学校を開き、子弟の教育に努めた。しかし、西郷を師と仰ぐ全国の不平士族は明治政府と対決。
 ついに明治10年(1877年)2月、3万人の兵をもって武装決起し、西南の役が勃発した。
 
 だが大久保利通を中心とした政府軍6万の鎮台兵に討たれ、故郷の城山で自刃、命を絶った。
 上野の森の西郷隆盛の銅像はあまりにも有名であるが、今も日本人が西郷隆盛を慕ってやまないのは、その生き様、清廉な人柄の
 せいでもあるだろうが、その他に陰謀ひしめく明治の権力闘争の中で敗れ、朝敵の汚名をかぶらせられた西郷に対し、一抹の
 うしろめたさもあるのだろう。
 
 その後の日本は、西欧追隋、富国強兵、帝国主義、植民地主義、軍国主義への道をまっしぐらに突き進み、太平洋戦争を迎える。
 しかし、ここでも日本の中枢には親英米派が巣食い、戦前、戦中、戦後を指導していたことは明らかである。
 
             
  世界支配のプログラム 
 最後の強敵 ■日本を撃て  ヤコブ・モルガン 忍野昭太郎/訳   第1企画出版 1993年発行
    
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