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露人と江戸の人の平和問答
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/375.html
投稿者 愚考 日時 2004 年 1 月 24 日 21:11:49:SXA7Sr6NkdU/w
 

歴史に学べとはよく聞く言葉です。しかし、我々凡人が欲するようなものを歴史から求めようとすると中々見つからない。そんな中で戦争と平和に関して先人の考えを教えてくれるものは貴重です。

明治期以降の人々の戦争観・平和観はかなり資料が残っているので、わりと簡単に知ることはできます。ですがそれ以前となると我々凡人にはお手上げです。きな臭さが漂う今の世界、と言うよりも今の日本で戦争と平和を考える上で、先人の考えを知ろうとする誘惑は常に付き纏います。

そんな想いを満たしてくれる貴重な資料を残してくれた人がいる。その人の名はロシア海軍士官・ワシーリィ・ミハイロヴィチ・ゴロウニン。南千島列島の測量の任にあたっていた彼が国後島で幕吏に捕らえられたのは文化八年(1811)のことだった。

その彼が俘虜の間、日本人との接触で得た諸々の日本事情を書き残している。その中から当時の日本人が持っていた平和観を知ることができる。これは学ぶべき価値があると思うのでここに掲げてみます。(訳者によれば、彼が接した日本人は主に通訳・番卒・雑役夫などだという。とすればこの記録に登場する日本人はごく一般的な当時の日本人と言うことになります)

原書は「1811,1812及び1813年日本人の捕虜となったワシーリィ・ミハイロヴィチ・ゴロウニンの手記」。内容は第一部、第二部、第三部からなる。ここに引用したものは、第三部の「日本国および日本人論」の中の「法律と習慣」からのものです。直接の引用元は、「ロシア士官の見た徳川日本」、徳力真太郎訳、講談社学術文庫。第一部、第二部も、「日本俘虜実記」上下二巻、徳力真太郎訳、講談社学術文庫として刊行されております。

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声を荒だてて論争することは、日本では大変無作法で粗暴であるとされている。彼らは大変に申し訳ないが、と言って常に慇懃に自分の意見を述べ、しかも自分の判断には実のところ自信がないのだ、といった素振りさえする。そして反駁するときは決して正面きってあからさまに言わず、必ず遠回しに、そしてたいていは例を挙げたり、比較を出したりしてする。これについて我われと日本人の論争の例をニ、三挙げておこう。

我われは、外国との交渉をいっさい避けようとする日本の政策を非難し、ヨーロッパ人が相互の交渉から受けている利益の例を幾つか挙げて説明した。例えば、我われは他の国でなされた発見や発明を利用し、他の国は我われのものを利用している。我われは自国の産物を他国民に提供し、他の国は我われに必要なものを我が国に輸送してくる。このため人々は仕事に精励し諸業は盛大になっている。ヨーロッパの国民は大きな満足と快適を楽しんでいる。

もしヨーロッパの国王たちが日本の政策を真似て他国とのあらゆる関係を断絶したら、いったいどうなっただろうか。一口に言えば我われの制度を謳歌し、日本の政策を非難し、この問題について本で読んだり、人から聞いたことを思いつくままに述べたのであった。

日本人は注意深く我われの話を聞き、ヨーロッパ諸国の政府の頭の良さと慧眼を褒めた。我われの強力な論拠に説得され、完全に我われの意見に同意したように見えた。ところが次第に話題を転じ、気付かないうちに話題を戦争の方に持っていって我われに尋ねた。

「どうしてヨーロッパでは戦争のないのが五年と続かないのですか。そして二つの国が争いを起こすと他の多くの国がこの争いに巻き込まれてヨーロッパ全体の戦争になるのはなぜですか?」

「その理由は」と我われは説明した。「国々が隣接し、絶えず交渉を持っているので紛争のきっかけが出来るのです。それは常に友好的に解決できるとは限らないのです。そしてそれに個人的な利害と野心が交じってくるとなおさらです。

さてある国が他国と戦争して大いに優勢となり、国力が強大となってくるとすると他の国々はそれが自分たちにとって危険になるのを黙って見てはおれず、弱い国の味方をして強い方に対して戦争をしかけるのです。強い国の方でも同様に同盟国を捜す努力をします。こうして戦争はしばしば全ヨーロッパに広がるのです」

日本人は我われの話を傾聴してして、ヨーロッパの国王の賢明さを賞賛してから、「ヨーロッパに強国は全部で幾つありますか」と尋ねた。

我われが列強の名を挙げて数えると彼らは。「仮に日本と支那がヨーロッパの諸国と国交を結んでヨーロッパの制度にならうと、人間同士の間の戦争はますます頻繁になり、よけいに人間の血が流れることになるのではないか」と尋ねた。

「そうです、そのようになるるかも知れない」と我われは答えた。「もしそうだとすれば」と日本人は続けた。「さっきから二時間ばかりその利益をいろいろと説明していただいたが、日本としてはヨーロッパと交際するより、国民の不幸を少なくするためには古来の立場を守った方がよいというのが我われの意見です」

正直言って私は、この遠回しの思いがけない反駁にどう答えてよいか知らなかった。そこで私としては、「私がもっと日本語が上手になったときには、もちろん我われの意見をもっと正しく証明することができるのですが」と答えるより仕方がなかった。しかし、心中ではたとえ私が日本語の演説家になったとしても、この真理に反駁することは難しいだろう。と考えたのであった。
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ゴロウニンの戦争観は今の世界でも通用する。というよりも、現在の世界はゴロウニンの戦争観そのもののように見える。そして、現代の日本人もその戦争観を共有している。ゴロウニンは人間が欲望を追求する過程で当然の如く、戦争は起きるものだと認めている。一方、江戸の人は人間の欲望を抑制するのが人倫に適うことだと言っている。この江戸の人の持ち出した人倫にゴロウニンは抗弁できなかった。

江戸の人の平和観は鎖国という状態が許されていた時代のものだと言って切り捨てるのは簡単なことだ。しかし、鎖国といっても、中国(当時は清国)、朝鮮国とは古来通りの交易があった(オランダとの交易があったのは言うまでもないが)。軋轢の生じない交易で満足していた、当時の日本人の考えは古臭いだろうか。

この地球にある資源はもはや計算可能となってしまった現在、物質的欲望を目一杯満たした上で、己の安全を確保しようとすれば、組み合わせの違いこそあれ軋轢は止むことはない。そして、それが高じれば当然、戦争となる。江戸の人の欲望を抑制する姿勢こそ、現在もまた未来も国際社会にとって手本とすべきことだと思うのだが。

http://homepage1.nifty.com/kikugawa_koubo/index.htm

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