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ベルリンの電話帳 [欧州どまんなか/美濃口 坦]
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 25 日 04:11:02:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: フォンターネのバウムクーヘン [欧州どまんなか/美濃口 坦] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 21 日 21:00:47)

February  24, 2004

「俺はなに人だ、なに者だ」という怒鳴る少年に対して少女は「在日韓国人」とこたえた。すると少年は横跳びで小学校の門の上を見事に跳び越えた。そして「どうしてお前は俺のことをイワレもなく在日と呼べるんだ」と激怒する、、、

これは日本では2001年に封切りされ、ドイツでは一週間ほど前にテレビで放映された「GO」という映画の一場面である。激怒する主人公のリー・ジョングホー、杉原少年は総連系の両親をもち中学まで民族学校で過ごすが、高校から韓国の国籍を取得し日本の学校へ通学する。映画はこの差別されることが恒常的状態になった環境で育つ主人公の青春がテーマであり、日本人少女と知り合った「僕の恋愛に関する物語」である。

私はテレビの前でハラハラしたり、笑ったり、眼をうるましたりして二時間あまりを過ごし、映画を見て本当によかったと思った。

でも、どうして韓国の国籍をもつこの少年・杉原君は「在日」と呼ばれて怒るのだろうか。私はドイツ人から「在独」と呼ばれても絶対怒らない。杉原君は自分の怒りを「在日だと呼ぶのはなあ、俺がいつかこの国から出ていくよそ者といっていることなんだよ」と説明する。私はドイツで誰かから「よそ者」扱いされても怒る気にもならない。

欧米社会での差別のカテゴリーを杉原君の問題に適用すると奇妙な感じがしてくる。例えば、杉原君の次の嘆きもそのような例である。

「俺自分の肌の色が緑色だったらいいのにと本気に思うときありますよ。そうしたら自分が在日だって忘れなくてすむし、こわいっていう奴はハナから近寄ってこないし」

普通差別というと皮膚の色が違うとか宗教が異なるとか、相異点が問題にされるのであるが、日本の場合は理由が挙げられるのでもなく、おそらくあまり意識もされることもなくすべてが済まされてしまうのではないのか。その証拠に、差別される杉原少年も「自分の肌が緑色でない」と、差別される存在(=「在日」)であることを忘れると嘆くほどだからである。

これがたぶん奇妙な「持続の構造」で、理由が挙げられなかったり意識もされなかったら差別は問題にもされず、その結果いつまでも存在し続け、自分も変わることができない。

映画の中で、杉原少年の恋愛相手は「パパはね、中国や韓国の人は血が汚いっていうの」と理由を挙げる。彼女の父親のこの人種的論拠も「人種理論」というようなりっぱなものでもなく、出された「朝鮮料理がまずい」とケチをつけているの変わらないのではないのか。私たちは差別を論拠づける必要など感じていない。だから、差別のための差別であり、同化も不可能という前提に立っての「在日」に対する同化の要求で、本当は難癖をつけているだけではないのか。

前世紀の九〇年代前半、スキンヘッドの若者たちの外国人襲撃事件が多発した頃、ベルリンである政治学者のお宅にお邪魔してドイツ人の国民意識の話をうかがったことがある。開口一番、その人は分厚い電話帳をゆびさして、ミュラーやシュルツといったドイツ的名前でだけなくスラブ語やフランス語の名前で溢れていると、特にベルリンではフランスから逃げてきたカルバン派プロテスタントのユーグノーが多い、、、と指摘した。

この映画の放映と関連して、誰かが日本では現在でも(有名人でない限り)80%以上の「在日」が差別に由来する不快な経験を避けるために日本名で通していることを指摘する。こうして私はベルリンの電話帳の話を思い出した。確かに外国人が自分の名前を名乗れない国なんて仰天するしかない。

(杉原君たちとは異なり)肌の色が「緑でなくても」黒かったり白かったり、また鼻が尖がっていたり眼がが大きかったりする外国人に対して私たちが「在日」といって騒がないのは、この歴然とした外見の相異のために「いつかこの国から出ていくよそ者」と安心することができるためである。日本が、帰って行く国がない難民や亡命者とか呼ばれる「よそ者」と関係をもちたがらないのも、彼らに対して安心できないからである。

外国人とは日本にしばらく滞在してまた外国に戻る人々であり、そうでなければ「帰化植物」のように日本人になるしかない。私たちは、おそらくそれ以外のかたちで今でも外国人と関係をもつことができないのではないのだろうか。

こう考えるのは、私たちの頭の中で国際社会が国家群のランキングリストで、個人がどこかの国に帰属するしかないと思い込んでいるからである。これは開国時の日本人にインプットされた19世紀的「国際社会」のイメージであり、その後の成功に幻惑されて私たちが修正できないでいるだけだ。その結果私たしが自国と外国の区別もできなくなっているとしたら、これまた残念以外のなにものでもない。

映画のはじめ海岸で、杉原君の父親は息子に「広い世界を見ろ。自分で決めろ」といったが、本当にその通りである。

http://www.asahi.com/column/aic/Tue/d_tan/20040224.html

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